第十六話:準備
エンゲイの街。とある宿の一室に、終焉騎士団の面々が集まっていた。
終焉騎士団は闇と戦うべく結成された戦闘集団である。騎士団などという名を冠しているが国に属さず、人間に仇なす敵を滅するため、世界中を回る。
そのメンバーは少数精鋭で知られ、実力で分けられた三段階の内の最低位のメンバーでも一流の傭兵と同等以上の力を持つ。
ただの人間に闇の尖兵を相手にするのは荷が重い。終焉騎士団は人類最後の砦であり、御伽噺で度々その名が勇者として語られるのもそれが理由だった。
部屋の中心。ゆったりとした安楽椅子に初老の男が、深く腰をかけていた。
その顔には深い皺が刻まれ、髪も白く染まっているが、その長き年月で鍛え上げられた肉体は未だほとんど衰えておらず、見る者が見ればその身に宿す膨大な力に、夢でも見ているような心地になるだろう。
事実、その老人は終焉騎士団の中でも片手に収まる程度の数しか存在しない一級騎士――今回エンゲイにやってきた者たちの中のリーダーだった。
騎士団の中でも絶対的な権限と力を誇り、これまで幾度も災厄から人類を守ってきた光の要。
『滅却』のエペ。
数々の武功と穏やかな物腰から尊敬を一身に受ける老騎士は、いつも通り静かな瞳で弟子たちを見る。
「やはり……まだ、見つからないか。ホロス・カーメンは」
「さすが二級です。森にいるのは間違いなさそうですが……『
「正攻法では、時間がかかる。やってられねえ」
師の言葉に、弟子の一人――いつも明るい雰囲気でグループを引っ張ってるルフリーが肩を竦め、ガラの悪いネビラが舌打ちをする。
実力ある魔術師は、専門外の分野の術も網羅する。特に、禁忌を犯した魔術師は隠密系の術式に長ける傾向にあった。
終焉騎士団も決して魔術に疎いわけではないが、さすがに禁忌を犯す程に熟達した魔導師には一步劣る。
『払人迷道』は、特定範囲に入った者を幻惑し、自然な形で迷わせる幻惑系の高等結界魔法だ。
正面からの突破は困難だ。反面、結界は道を知っている者の案内があれば結界が働かなくなるという弱点がある。
弟子達の報告に、エペは目を細め低い声で言う。
「ホロスは危険だ。これまで我らの手を何度もすり抜けてきた。一級に至る前に、必ず滅ぼさねばならない」
終焉騎士団のメンバーが三階級に分かれているように、終焉騎士団は天敵たる死霊魔術師を三階級に分けていた。
ホロス・カーメンは二級に分類されるが、一級に分類されるのは人を越えた邪神の類である。二級は極めて危険性の高い術師と言えた。
もちろん、敗北はありえないが、やり方次第では三級騎士が数人やられる可能性がある。
だが、エペはそこまでの空気を変えるように暖かな笑みを浮かべた。そこに垣間見えるのは絶対の自信だ。
数が少ない一級騎士には、闇の征伐の他にも重要な任務がある。
その力を、経験を、後進に伝える事だ。
その視線が、じっと何も言わずに話を聞いていた最年少の少女を見る。
「センリ、予定通り、君に任せる。ルフリー達と共にホロスを討て。できるね?」
「……はい。師匠」
二級の術師はかなりの大物だ。一級よりはもちろんマシだが、滅多に相対することはない。
指名を受けたセンリの声に動揺はなかった。その紫の瞳は濁り一つなく、エペを見返している。
その表情に、エペは大きく頷き満足を示す。
「大丈夫だ、センリ。君はまだ若いが――君の力は現段階でも、限りなく一級に近い。特に祝福の強さは、歴代の騎士達の中でもトップクラスだ」
高潔な魂。光の剣姫。生まれつき万象の神に祝福されし者。センリ・シルヴィス。
精鋭揃いの終焉騎士の中でも、突出した才能だ。
特に、闇を祓う能力に直結する祝福――死霊魔術師は正のエネルギーなどと表現するが――の強さは、エペが今まで持ってきたどの弟子よりも強い。
終焉騎士は厳しい修行と精神統一で祝福の力を高めるが、センリはエペがスカウトした時点でありえない強さの祝福を持っていた。そして、光の力は成長に従いさらなる高みに至っている。
まさしく、終焉騎士になるべくして生まれた存在だ。経験を積めば間違いなく、一級騎士のエペをも越える騎士になるだろう。
ここまで才能の差を見せつけられると、嫉妬すら浮かばない。
「相手は二級の中でもかなり強力だが、仲間と共に挑めば必ずや倒せるだろう。私は、今回のホロス討伐の功績を以てセンリを……一級騎士に推薦するつもりだ」
「!? そんな――まだ私は……」
「力が弱いのは問題ない。三十年一級騎士をやっている私と比べても意味はないし、すぐに追いつくだろう。君の剣術には天性の才が見えるし、祝福の強さは論ずるまでもない。私が唯一心配なのは――よく聞きなさい。センリの……甘さ、だけだ。死霊魔術師は――狡猾だからね」
エペの言葉に、センリは真剣な表情で頷く。他のメンバーも真剣な表情で尊敬すべき師を見つめている。
真っ直ぐな視線を向け、センリが冷徹さを感じさせる声で断言する。
「問題ありません。これまで、様々な悲惨な光景を見てきた。彼らは人類に仇なす者です。私に課された祝福は、彼らを誅し、それに汚された魂に救済を与えるためにある」
「……センリの優しさ、正しさは、強みでもあり、弱みでもある。だがこれは、誰もが通る道だ。苦難や葛藤なくして一級騎士にはなれない」
「お任せください、師匠。センリは確かにまだ甘さが見える事もあるが、俺たちもついてる。祝福の強さは遠く及ばないが、闇と戦う経験は俺たちの方が上だ。足りない部分は補える」
親が子に向けるような慈愛の眼差しを浮かべる師に対して、センリの隣にいたルフリーが前に出ると、胸を叩いてみせた。
他のメンバーも皆、思い思いの感情を浮かべ、大きく頷いている。
その様子を見て、エペは満足げに頷いた。長い脚を組むと、じっとセンリを見る。
「死霊魔術師でも、一人では生きられない。強力な魔術には貴重な触媒がいる。間違いなく、この街にはホロスの協力者がいるはずだ、捜査を続けたまえ。これは、センリ。君の…………仕事だ。求められればアドバイスはするが、私は直接、手を下すつもりはない」
「はい、師匠」
「と言っても、君はまだ一級じゃない。後には私が詰めている。一級になるには死の力を集めるのに時間がかかるはず……万が一ホロスがそれに至っていたら、私に報告しろ」
エペの、師匠の言葉を深く心に刻みつけ、センリは捜査を再開すべく仲間と共に部屋を後にした。
§
拠点で装備の確認を行うセンリに、ネビラが声をかけてくる。
メイスを主武器とした、エペを師と仰ぐグループの中では前衛を担当する、長髪の男だ。
「センリ、やはり森ごと、結界を吹き飛ばすべきだ。てめえの祝福ならそれもできるだろう。『
「何度も言ったけど、それは……最後の手段。森を騒がせれば逃げ出した魔獣が街を襲うかもしれない」
「そういう所が、師匠が甘いって、言ってんだ。確かに被害は出るだろうが、二級の
ネビラがぎりりと歯を鳴らし、センリを見下ろす。
センリとネビラは反りが合わない。だが、その言葉は一理ある、と、センリは思う。
終焉騎士団の役割は闇の殲滅であって、それ以外の事は二の次だ。時にその討伐に際し、多数の一般人の被害者が出ることだってある。
そして、終焉騎士団はそれを是としてきた。
死者を操る
甘いと、師に称された理由を、センリは理解している。だが、センリは弱き者を守るために終焉騎士になったのだ。
かつて、センリは長い間ベッドに寝たきりだった。強すぎる祝福が、増大する正のエネルギーが肉体に負担をかけていたのだ。
だが、成長し、心身ともに鍛えた今ではその力を十全に使える。今のセンリには戦う力がある。
「今回のリーダーは、私。捜査は継続する。私達がエンゲイにいる限り、死霊魔術師は大きくは動けない。慎重に行く」
終焉騎士は死霊魔術師に圧倒的に有利だ。正面から戦えば、当たり前に勝てる。
センリの言葉に、ネビラはがりがりと頭を掻いて強い語気で言う。
「……チッ。しょうがねえ、今回のリーダーはてめえだ。だが……せめて、期限を切れ。確かに、時間をかければ拠点を知る者も発見できるだろうが、いつまでもちんたら探している暇はない。死霊魔術師はホロスだけじゃねえんだ。わかってるな?」
「…………わかってる。一月以内に、決着をつける」
「一月じゃ長い。奴らは時間をかければかけるほど力を蓄える。森の警戒だって強くなってる。てめえは無傷かも知れないが、ホロスは強大な術者だ。仲間が死ぬぞ」
恫喝するような強い声に、センリはしばらく沈黙していたが、顔をあげ、決意したように言った。
「…………一週間。その時間で鍵が見つからなければ、森を破壊する。捜査と平行して準備を行う。破壊した後の始末の準備と、破壊する場所の計算を」
「了解した」
迷いの消えた紫の瞳に、ネビラは唇を歪め酷薄そうな笑みを浮かべると、その華奢な背を強く叩いた。
§ § §
着々と準備が整っていた。ロードの命令に従い、ルウと共に再びエンゲイの街を訪れる。
街全体がぴりぴりした雰囲気に包まれていた。耳を澄ませれば、前回はほとんど聞こえなかった終焉騎士団の噂話が聞こえる。
空から降り注ぐ陽光に辟易しながら、役目を果たす。
恐らく、お使いが昼間なのは、アンデッドが活動する夜には彼らの警戒が強くなるからだろう。
ハックから渡されたのは、前回のお使いで受け取ったものと同じような荷物だった。
受け取り、さっさと部屋を出ようとすると、ハックから呼び止められ、言付けを受ける。
その飄々とした顔立ちにはいつもと比べて、少しだけ疲れが見えた。
「また会える日を楽しみにしていると、ホロス様に伝えてくれ。連中があっしらを探してる。裏切るつもりはないが、奴らは鼻が利く。これ以上の『調達』はリスクが高すぎる」
「ああ、わかったよ」
「……本当に、知性があるんだな。陽の光の下でも平気に動けるとは…………なんと恐ろしい。ホロス様は、あんたの主人は間違いなく――最強の使い手だよ」
ハックはそう言うと、苦い笑みを浮かべ、これみよがしと身を震わせてみせた。
取引を終え、外に出る。僅かだが自由な時間が訪れる。
これからが本番だ。人気のない路地裏に入る。あれほど僕の勝手な行動を咎めていたルウも、黙ってついてくる。
僕の近くにロードの見張りがいない時間は限られている。いつも安置されている地下室には監視がいるし、僕は勝手にその外に出ることを許されていない。
お使いは、数少ない僕から監視が外れる時だ。終焉騎士たちが目を光らせているから、僕に使い魔の監視はつけられない。
小さく身を縮めるルウを身体で覆い隠すと、その黒の目を覗き込み尋ねる。
「例の物は手に入れたか?」
「う、うん。で、でも、こんなもの、何に――」
「さすがだ。助かった、本当に」
僕には時間がない。ロードは日に日に、研究室に引きこもる時間が長くなっている。
恐らく、何某かの儀式の準備をしているのだろう。僕が顔をあわせるのは、僕を狩りに向かわせるための命令をする、その一瞬だけだ。
ロードの顔には深い疲労が浮かんでいたが、その目はぎらぎらと不気味に輝いていた。
何か、新たな禁忌に触れようとしている。許されぬ存在になった僕が言えた口ではないかもしれないが、悍ましい話だ。
僕はただでさえロードにも終焉騎士にも敵わないのだ。先に手を打たれたら勝ち目は限りなく低い。
怯えと疑問を表情に浮かべながら、ルウが懐から僕が依頼した物を取り出す。
それをひったくるように受け取り、確認し、僕は久しぶりに笑みを浮かべた。
ロードに依頼しても手に入るかも知れないが、要らぬ警戒を生む。秘密裏に欲しかった物だ。
ルウにとっては大した物ではないかもしれないが、僕にとっては生き延びるための鍵である。
ルウの肉体に痛みが奔っている様子はない。奴隷の命令違反の判断を行うのはルウ自身だ。
それは、彼女が僕への協力をロードへの間接的攻撃とみなしていないという事を意味している。
ルウが周囲をきょろきょろ確認し、震える声で囁くように言う。
「そ、それで……あの話は――」
「ああ、もちろんだ。その点については信頼してもらうしかないけど、約束は守る」
まだ信頼していないだろう僕の言葉に、ルウはあからさまにほっと息をついた。
表情が緩み、肩の力が少し抜けたようにも見える。
僕も弱いが、ルウは更に弱い。彼女は戦おうともしていない。それは生前の僕、死に際まで死にあらがった僕との差異でもある。
本当に、どうしようもなく哀れな人間だ。
だが、遊んでいる暇はない。準備が必要だ。
「ルウ。すぐに戻る。僕は少しやる事があるから、出口で待っててくれ」
「あ――ッ」
返事を聞かずに、物を持って路地裏から飛び出す。
終焉騎士団にばったり遭遇しないようにだけ、注意しなくてはならない。
死ぬ間際と同様に絶体絶命の状況だが、今の僕には動ける肉体がある。
ロードに賭けるのも、終焉騎士団に賭けるのもごめんだった。
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