第十五話:交渉

 ロードの屋敷の中庭。夜空には月が静かに輝いていた。


 遠心力を利用し、鉈を叩きつける。対面で油断なく構えていた骸骨騎士スケルトン・ナイトは人外の膂力で放たれた一撃に対して、後ろに下がりながら両手に握った剣を巧みに使って受け流す。

 その一挙手一投足には長きに亘る訓練と経験の重みが感じられた。


 骨人スケルトンの出来は、作成に使う骨の主の能力に依存している。経験が骨に染み付いているのだ。

 熟達した傭兵の骨を使えば十分な戦闘能力を持った骨人ができるし、戦闘経験のない一般人の骨を使えば同じ骨人でも雲泥の差が生まれる。眉唾ものだが、神話時代の英雄の骨から生み出されたそれは竜すら屠ったらしい。


 骨人スケルトン死肉人フレッシュ・マンと同じく、最下級のアンデッドの一つだ。


 アンデッドには根源が四種類、存在する。

 すなわち、骨から生み出す骨人スケルトン。肉から生み出す死肉人フレッシュ・マン。魂から生み出す悪霊レイス。死霊魔術発生のきっかけらしい、腐乱した死体が動き出す腐肉人ゾンビ


 それぞれ特性は違うが、大きな格差というものはない。死肉人フレッシュ・マンから一度変異を経た結果である、屍鬼の僕は性能で骨人スケルトン(騎士の剣と鎧を着ているが、中は骨人だ)を上回っている。

 それでも一対一の戦闘で攻撃を捌かれているのは、もう経験の差という他ない。


 ヘルムを被った頭蓋骨。ぽっかり空いた眼窩の奥には赤い光が、死霊魔術により甦った証が輝いている。

 相手は骨だけで、こちらには筋肉はある。力はこちらが上で、素早さもこちらが上。身軽さは向こうが上で、疲労は――どちらもない。


 一撃を流される度に確信が積もる。


 ダメだ。これでは、とても終焉騎士には太刀打ちできない。 


 実際に戦場でこの骨人に遭遇すれば、勝つのはこちらだろう。僕の攻撃はまともに当たれば一撃で骨の身体を粉々にできるし、僕には強力な再生能力だってある。だが、それは所詮は力技で、こちらより力の強い存在には通じない。


 終焉騎士はただの傭兵ではない。彼らは――英雄なのだ。間違いなくロードの操る骸骨騎士とは隔絶した技術を、経験を持っている。


 僕の頼みを聞き、特に高い技術を持つ手下を用意してくれたロードが、僕の様子を観察しながら叫ぶ。


「そうだ、エンド。考えろ、知性こそが貴様の強み。そして、その怨嗟を、感情を、負の衝動を爆発させよ。貴様の身に秘める奈落はどこまでも深い。それこそが、アンデッドの真髄よ!」


 それは、僕の望む所ではなかった。

 確かに負の衝動の爆発で僕は強くなるかもしれないが、僕の目的は強さではない。

 戦闘は最終手段だ。冷静さを失えば本末転倒、逃げることさえ危うくなる。


 ロードは僕に才を見出しているようだが、僕はそれを鵜呑みにするほど彼を信頼していない。


 だが、ある程度の強さは必要だ。もしも僕が生き延び、ロードから逃げる事ができた後も、何度も戦う機会は来るだろう。

 僕が今になって、森での狩りで負のエネルギーを高めることよりも骸骨騎士との模擬戦を熱望したのは未来のため――格差を、技術というものを感じるためである。

 力に心酔し、未来の自分が無謀な戦闘に挑む事のないように。


 あらかた力量差がわかったので、筋が引きちぎれる程の全力で鉈を振り下ろす。

 腕への鈍い痛みを代償に、一撃を受けた骸骨騎士の剣が折れ、鎧ごとその骨の身体が吹き飛ばされる。


 ロードの骸骨騎士スケルトン・ナイトはそれでも、精強だった。そのまま一回転し、受け身をとって構えて見せるが、しかし既に勝負はあった。

 距離を詰めれば破壊できた。これ以上の戦闘に意味はない。


 鉈を下ろす。黒塗りの刃は何の金属でできているのか、剣をへし折っても刃こぼれの一つもない。

 外に出る際に渡された影のアミュレットや日除けの外套と同じように、魔法の力が込められているのかもしれない。


「満足したか、エンドよ」


「ああ、ありがとう。大体わかった」


 ロードの問いに、小さく答える。


 わかった。僕が剣士の心得を身につけるのは――無理だ。これまで獣のように性能任せで戦ってきたのが悪いのか、あるいはもしかしたら僕に才能がないだけなのか。

 少なくとも、一朝一夕で身につくものではないし、たとえ身についたとしても実戦経験を踏む時間はない。


 今は――諦めよう。持っている札で戦った方がいい。


「ならば、狩りに行ってこい。時間はないが、少しでも力を高める必要がある。技術を経験するよりも、余程強くなるだろう。『闇の徘徊者』になればその力は屍鬼の比ではない。アンデッドとは……そういう物だ」


 ロードの言葉には理があった。

 そもそも、アンデッドの怖れられる理由の一つは、死のエネルギーを集め、変異して飛躍的に能力を伸ばすことらしい。


 素直に頷く僕に、ロードは一瞬訝しげな表情を浮かべるが、すぐに大きな声をあげる。

 慌てて駆け込んできたルウに、短く指示を出す。


「ルウ! 武器庫からスケルトンに予備の武器を与えろ。私は戦争の準備をせねば……エンド、狩りは夜が明ける前に戻ってこい。日の下では全力を出せない事を忘れるな」


「わかった。僕だって死にたくはない」


 短く返事をすると、ロードは一度鼻を鳴らし、屋敷の中に戻っていった。

 ルウが小走りで武器を失い佇むスケルトンに近づく。センリの魔法で一時期よくなった顔色は既に元に戻っている。


 チャンスだ。こういう機会以外では使われない中庭に、ロードの使い魔はいない。ほとんどは外敵を警戒し、外を見ている。

 それでも、念の為監視を念頭に入れ、僕は至って自然な動作でルウに近づき、小さく声をかけた。


「ルウ、頼みがある」


「…………」


「取引したい。どうしても、欲しいものがあるんだ。大したものではないし、ルウに出されている命令にも抵触しない」


「…………断る」


 取り付く島もない答えだ。スケルトンがルウを見ているが、そのアンデッドに口を利くような知性はない。

 僕は警戒され、常に使い魔の監視がついているが、ルウは全く警戒されておらず、使い魔の監視もない。


 彼女は奴隷で、正真正銘の弱者だった。ロードの命令だけをただ淡々と熟すだけの、言わば生きたアンデッドだ。


 そして、そのロードの見込みは悲しいことにとても正しい。


 何しろ、彼女はロードの敵である終焉騎士団を前にしてさえ――助けを求めることはなかったのだ。たとえ命令違反で全身に奔る激痛が怖かったとしても、終焉騎士団ならばなんとでも出来たはずなのに。


 ルウは弱い。このままでは長くは生きられないし、彼女もそれを自覚しているだろう。


 身を屈め、その疲れ切った漆黒の目を覗き、笑いかける。


「この間と同じ提案をしよう。僕の頼みを聞いてくれたら、ロードが死んだ後に、ルウの事を無事、街まで連れて行ってあげる。何なら最低限の生活ができるようになるまで付き合ってあげてもいい」


「……旦那様は、絶対に、死んだり、しない。無意味な想定、です」


 最初のように驚いた気配はなかった。身体は、声は、震えていなかった。その目には前と変わらず確信があった。

 恐らく、ルウが僕のせいで折檻を受けてなくても、彼女は同じ答えをしていただろう。ルウの世界とは、そういう世界なのだ。


 少しだけ下手に出てみる。


「なら、貸し一つだ。何かあったら……助けてあげるから……頼むよ」


「ダメ、です。私には、貸しをつくる権利など、ありません。そもそも、絶対に、返してなんかもらえないでしょう」


 ルウが小さな声で答え、眉を顰める。

 確かにそうだ。僕は恩義と自分の命が天秤にかかっていたら、間違いなく後者を選択する。


 いや、それ以前に……ルウは僕の頼みを聞くつもりはないのだろう。


 僕は予定通り、提案の方向を変えた。


「なら、なんで僕の言葉を聞いている?」


「…………何?」


 ルウが目を見開き、今日初めて動揺を表情に出す。

 僕は、酷く人間じみたその表情に意外性を感じながら、熱の篭った声で説得を続ける。


「欲しい物がないなら、言葉なんて聞く必要なんてない。耳を閉じて去ればいいんだ」


「…………下らない、戯言、です。私は……聞いたりしない」


「実は、わかっているんだ。僕はルウと同じ弱者だから、欲しい物を、欲しかった物を知っている。僕が欲しい物を持ってきてくれたら、それをあげよう」


「…………?」


 そして、生前の僕はそれを持っていたが――ルウは、ロードの哀れな奴隷である彼女は、それを持っていない。


 ルウが訝しげな表情でこちらを見上げる。だが、その顔色はいつにもまして血の気がなかった。

 もしかしたら、自分の望むものがわかっていないのかもしれない。


 こんな提案、僕だってしたくはなかった。だが、自分の命と天秤にはかけられない。


 顔を傾けるルウの耳元に唇を近づけ、小声で説得の言葉を出す。


 言葉を聞き、意味を理解し、ルウの表情が変わった。それは、劇的な変化だった。

 今にも怒り出しそうでもあり、泣き出しそうでもあり、笑い出しそうでもある、様々な感情の入り混じった表情だ。


「な……なんて……ああ……そんな、馬鹿げた、ことを――――」


「約束は……守る」


 ルウが唾を飲み込み、身を震わせる。だが、もう抵抗は無意味だった。

 下のまつ毛を伝い、その双眸から一筋の涙が流れる。ルウは知ってしまったのだ。自分が、涙を流してしまう程、欲しかった物を。 


「なんて……恐ろしい……旦那様は、ホロス・カーメンは、なんと恐ろしい……化物をッ――」


 その乾いた唇が僕を罵る。だが、彼女はもう僕に抵抗できない。

 たとえ激痛に苛まれようと、僕のちょっとした頼みを完遂するだろう。


 僕は一度、周囲に監視がないことを再確認すると、ほんの少しだけ自己嫌悪を感じながら、ルウに僕が必要な物を告げた。

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