第十四話:邂逅
切り整えられた銀の糸のような美しい髪。アメシストを思わせる深い紫の瞳。
年齢は二十にはなっていない……十代後半位だろうか。肌は白いが、ルウのように病的なそれではなく、どこか知性を感じさせる整った容貌はこんな状況でなければ見とれてしまう程美しい。
背は僕よりも低く身体つきも華奢だが、感じるエネルギーは先程遠目で確認した時以上に圧倒的だ。
正のエネルギーなど感じ取れないルウも何か感じ入るものがあるのか、その姿に絶句している。
僕は、至近から見ても全く陰りのないその神々しいまでの姿に、ああ、彼女のような美しい者が僕を殺そうと言うのならば――僕は間違いなくこの世界で生きることを許されない存在なのだろうと思った。
それでも、甘んじて殺されてやろうなどとは……絶対に思わないが。
幸い、僕の肉体はエネルギーに耐えきってくれたようだった。
いや、もしかしたら、僕が、近づいただけで焼き尽くされそうだと感じたのはただの錯覚であり、余波には何の破壊力もないのかもしれない。御伽噺の中でも、近づくだけでアンデッドを消滅させるような描写はなかった。
だが、身体が震えるのは止められない。
ルウを置いて逃げるのは不可能だ。僕の身体能力は人間のそれを圧倒しているが、相手はただの人間ではない。
「震えてるし、顔色が――」
それはお前のせいだ。
「まったく、センリは物好きだな」
言葉はこちらを慮ったものだが、声色と眼差しは氷のように冷たい。
後ろから仲間の騎士の一人――メイスを持った茶髪の男が、呆れたように言い、こちらの顔を覗き込み、眉を顰める。
備えは完璧なはずだ。ロード曰く、終焉騎士団は負のエネルギーの気配を察知し遠距離から居場所を捉えてくるらしい。
アミュレットでそれを隠している以上、怪しまれても確証は得られないはず――。
僕は覚悟を決めた。反撃も逃走も無理なら、なんとか誤魔化し通すしかない。
ルウは沈黙している。太陽のような男は、近づいてくることなく、遥か遠くから穏やかな顔でこちらを――センリと呼ばれた少女を見守っている。
視線が冷たいのは気になるが、いきなり襲いかかって来ない以上、少なくとも今の段階ではバレていないはず。
ルウの首輪に視線が集まるが、奴隷はそこまで珍しくはないものだ。
「悪いね。怒っているように聞こえるかも知れないが、うちの姫の『素』なんだ。これでも前途有望なんだぜ?」
素? これで素なのか?
その鋭い目はまるでこちらの胸中を全て見抜いているようだが……素?
仲間の言葉に、僕をオーラだけで滅しかねない女は少しだけ不服そうに目頭を下げる。
「それにしても、センリが心配するだけの事はある。あんた、こういっちゃなんだが、死相が見えるぞ。酷い顔色だ」
「ルフリー! 何いってんの、失礼でしょ!」
後ろの金髪の女騎士が頭を叩き、僕の顔を見てくる。最悪の状態は回避出来たようだが、まずい。
陽光が眩しい。自然な動きで、被っていたフードを深く被り直す。
「……い、いえ。ありがとう、ございます。ただの、病み上がりなだけなので、大丈夫です。つい先日まで…………寝たきりだったので――やっと外を歩けるようになったんです」
「寝たきり…………それで…………大丈夫?」
「はい」
列が進んだので、それに従い前に進む。だが、僕を狙う死神の集団は空気を読むことなくついてくる。
一体何が狙いだ? 既にこちらがアンデッドであると気づいていて、滅するタイミングを窺っているのか?
この体がアンデッドでよかった。僕が生きていたら、今頃は冷や汗をだらだら流していただろう。
月の使徒が小さな声で言う。
「気持ちはわかる。私も……寝たきり、だったから」
「ッ……そう、だったんですか……」
薄く笑みを浮かべると、センリも同じようなややぎこちない笑みを浮かべた。
二つの衝撃があった。この奇跡に等しい力を身に秘めた女が病人だったという事実による衝撃が一つ。
そして、その程度で僕の事を理解しようと試みようとは――。
生前の僕だったら、物を投げつけていた。
今の僕がその言葉に対して、笑みを浮かべられるのは、僕の体が健全だからだ。そして、僕にとっての健全は彼女たちにとっての健全ではない。
しかし、何ということだろうか。
かけられた言葉に少しばかり余裕を取り戻し、頭を上げ、改めて終焉騎士団の面々を見る。
浮かべられた表情は様々だ。呆れ、笑み、感心。もう一つの衝撃は、そのあり方だった。
その騎士たちは光り輝いていた。だが、同時に、信じられないことに――ただの人間だった。
生前読んだ物語の中の終焉騎士には、烈火のごとき激しい感情で怖れられていた騎士もいた。だが、少なくとも目の前の騎士達は余りにも人間じみている。
ただ顔色の悪かっただけの、周囲の人間がまったく興味を持たなかった僕を慮るような感情を見せている。
慈悲深さは光の使徒に相応しいものだが、僕のイメージしていた英雄とは違う。
僕のイメージしていた英雄ならば――僕はもう死んでいる。いや、もしもあの太陽の男が近くまで来ていたら、あの男は僕の正体を見破っていただろう。
あの男にはアミュレットなど関係なしにそれをやりそうな貫禄がある。
センリがふと思いついたように目を見開く。
「そうだ……私、回復魔法を――少しは体力も回復するはず」
「いえ、大丈夫です。もう平気なので……ありがとうございます。センリさん。もしよろしければ……僕にかけるなら――ルウにかけてやってください。ルウは――僕の看護で疲れているんです」
僕はその瞬間、心の底から笑みを浮かべる事ができた。
普通の回復魔法はアンデッドには効かない。正のエネルギーを分け与えることにより治療する一部の魔法は劇薬ですらある。
センリは、慈悲深き少女は、小さく頷くと、傍らで緊張したように身体を強張らせるルウに向かって、手の平を当てた。
肉体から溢れていた力の波動が収縮し、小さな呪文と共に解き放たれる。かすっただけで灰になりそうな過剰なエネルギーがルウに注ぎ込まれ、僕に負けず劣らず病的に白かった肌が瞬く間に健康的な色を取り戻す。
やはり――強い。強すぎる。おまけに、僕を消し飛ばして余りある強力な回復魔法を使ったのに、センリの纏う気配は全く減衰していない。
アンデッドと違い、終焉騎士団の扱う正のエネルギーには底があるはずだが、それだけ力に差があるということか。
だが、致死の魔法が至近で放たれたが、僕の表情は変わらない。
彼女達は闇の天敵で、しかし弱者の味方なのだ。その人外の力と比較し、精神は余りにも人間じみていて……つけ入る隙は絶対にある。少なくとも、精神面ではあの狡猾なロードには敵うまい。
もちろん、正面から戦うことはできない。愚の骨頂だ。彼女たちの、センリの、そして太陽の男の力にはとても敵わない。
何か作戦を…………考えなくては。
センリ達を、太陽の男を殺すのではなく、僕が生き残るための作戦を。
内心を表情に出さずに、頭を下げる。無数の英雄の目が僕を見ている。
「ありがとう、ございました。では、僕たちは急いでいるので、これで――」
ルウの背を押し、進もうとした瞬間、ふと肩に手がかけられた。
もう止まっているはずの心臓が止まりそうになる。僕には脈がなく、鼓動がなく、呼吸もない。そして実は体温も――人間よりもずっと低い。
驚愕が表に出なかったのはただの幸運だった。僕を呼び止めたのは、センリの後ろに立っていた、これまで一言も喋っていなかった、ずる賢そうな双眸をした青髪の男だ。
「何か?」
「ああ、呼び止めて悪いな。実は、俺たちは今――師の命令でこの近辺に潜伏している
「それは……大変そうですね……」
「何、俺らはともかく、センリは歴代最高と言われた才だ、発見できれば
こちらを嘲るような口調はとても音に聞く終焉騎士団のものとは思えなかった。だが、ある意味センリより余程油断ならない。
僕の容貌をじろじろ見て男が言う。
「単刀直入に言うぞ。お前の顔色はかなりアンデッドに近い。闇の気配は感じないが…………
「ネビラ!?」
センリの責めるような声色に、しかしネビラの表情は変わらない。
なるほど……力の強さはセンリが上だが、彼らは対等に近いのか。師というのは、十中八九、こちらを見守っている太陽の男の事だろう。
僕は小さく微笑むと、ゆっくりと手をフードにかけ、躊躇うことなく外してみせた。
陽光が目に入り、余りの眩しさに目を細める。アンデッドの弱点である陽の光が肌を照らし、僅かだがぴりぴりとした痛みを感じる。
「これで、いいですか? 長く部屋で寝込んでいたせいか、肌が弱くて……」
予想外だったのか、ネビラは目を見開いて十数秒僕の顔を観察していたが、眉を顰め、これみよがしと舌打ちした。
「チッ、外れか。ああ、もういい。悪かったな」
「ネビラ! ……ごめんなさい」
「いえ。仕事なんだから、仕方ないですよ」
笑顔で首を横に振り、フードを深く被り直す。だが、僕の内心は表情程平静じゃなかった。
脈がなく鼓動がなく、呼吸もない。体温も低い僕には、日光への耐性以外にもバレる材料は幾つもあった。
彼らが日光だけ確かめたのは、それがアンデッドの最たる弱点だからだろう。人に紛れるような知性を持つ強力なアンデッドは総じて日光を苦手としているから、アンデッドのプロフェッショナルだからこそ他を確かめる事は思い当たらない。
……いや、
確か、吸血鬼は木の杭で心臓を突かれると滅ぶはずだ。そもそも、かのアンデッドは血を啜り生きる怪物である。血が体内を流れていてもおかしくはない。
帰ったらアンデッド図鑑をもう一度読み直そう。
僕は心の中でそう決めると、笑顔のままセンリ達に別れを告げた。
「では、ありがとうございました。またどこかで――」
願わくば――もう二度と会わんことを。
今回の邂逅は偶然だ。僕には何故か予感があった。
次に出会った時は――間違いなく戦いになるだろう。
僕は生きる。たとえ怪物になっても生きることを決めたのだ。
こちらから襲いかかるつもりはないが、降りかかる火の粉は払わねばならない。
たとえそれが火の粉などではなく、地獄の業火だったとしても。
§
「何!? 終焉騎士と……遭遇した、だと!?」
僕からの報告を聞いたロードの表情の変化は劇的だった。
歪んだ悪鬼の如き顔は、終焉騎士団と異なり、深く昏い力を感じさせる。
全て話をした。どうせルウが報告するのだから、僕がしても同じことだ。
人数に、武器。その身からほとばしるエネルギー。しなかったのは、僕がセンリ達から感じ取った『甘さ』だけだ。
そして、太陽の如きエネルギーを纏った老人について話をした時に、ロードの感情は頂点に達した。
怒りと怨嗟を含みどろどろと燃える瞳で、テーブルに拳を叩きつける。その様子は僕のイメージする死霊魔術師そのものだった。
「一級騎士、だと? まさか、悲願を目前としてこのような辺境に一級が来るとは……どこまでも邪魔をしなければ気がすまぬというのか」
「勝ち目はあるの?」
「当、然、だッ!」
ロードが息を切らせ、叫び。その言葉には肥大化した自信と、強敵を前にした者、特有の高揚が見える。
嘘では――ない。少なくとも、ロードはそう思い込んでいる。それを成しうる根拠がある。
「だがッ……後少し、時間があれば、さらなる力で彼奴らを蹂躙出来たものをッ! これが――最後の試練ということか!? いや、まだ間に合う、か。少々口惜しいが、弟子を持つ一級騎士が相手となると一刻の猶予もない」
ロードが、荷物を包んでいた布を取る。
中から現れたのは、滑らかな曲線を描く棒だった。色は黒。質感は艷やかで、下が太く、上に行けば行くほど細くなって――。
と、そこで僕はようやくその正体に気づいた。思わず、ぞくりと身を震わす。
そんな僕を見て、ロードは深い笑みを浮かべた。
それは――牙だ。とてつもなく大きな生き物の牙。
牙の一本だけで僕の腕程の長さがあるとなれば、本体の大きさはどれほどだろうか。少なくとも、この森に現れるような魔獣とは比べ物にならない。
「だが、やはり怨嗟が足りない。もう一本必要だ。ハックに用意させているが……エンド。貴様、先程の報告で終焉騎士から凄まじい力を感じたと言っていたな?」
「あ、ああ……僕など、一瞬で消し飛ばされる。触れただけで塵と化す。そんな力だった」
情けない話だが、格が違う。どうシミュレートしても、相手の力を測り切れていなくても、それだけは確実だと断言できる。
位階変異がどれほどの力を僕に与えてくれるのか、まだ良くわかっていないが、一度や二度の変異で勝てるようになるとは思えない。
しかし、僕の答えに対し、ロードがあげたのは哄笑だった。
「くっくっく、はーっはっは、それが、それこそが、死者の王の器、よッ! 安心するがいい、エンド。貴様が感じとった力は、貴様の持つ奈落の深さの証明よッ!! アンデッドとは――光の映す深い影。たかが屍鬼でそれを感じ取るか! 器は十分かッ! 奴らがここにたどり着くまでは、まだ少し時間があるはずだ。エンド、覚悟して待つがよいッ!!」
双眸が狂気と狂喜で輝いている。
その様子は、光り輝く者たちを前にした後だからこそ、より悍ましい。
力などいらない。奈落の深さなど、望んだ事はない。
改めて、ロードの危険性を強く感じる。
何をしでかそうとしているのかはわからないが、眼の前の男は紛れもない化物だ。太陽の男とは方向性こそ違うが、負けず劣らずの……化生だ。
化物共の戦いに巻き込まれてはたまらない。
一刻の猶予もない。ああ、確かにロードの言う通り、一刻の猶予もない。
「貴様を――死者の王にしてやろうッ! そして、身の程を知らぬ神の尖兵の首を、その眼前に並べてやる」
ロードが叫ぶ。ルウが身を縮め、怯えている。まるで災害が通り過ぎるのを待っているかのように。
だが、僕はロードが叫べば叫ぶほど思考が冷えるのを感じていた。
恐怖ではない。生存本能が、恐怖を上回っている。
死者の王? そんなの、ゴメンだ。僕は身の程をわきまえた死者なのだ。死者らしく放っておいてくれればいい。
作戦は――ある。帰宅の道中に思いついた、とっておきの作戦が。
リスクは大きいが、やるしかない。そしてしかしそれには、助けが必要だった。
ルウと取引を行う。くどき文句も考えてある。弱者の気持ちはわかる。きっと上手くいくはずだ。
終焉騎士団だろうが死霊魔術師だろうが、僕の平穏を邪魔する奴は――全員まとめて死ねばいい。
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