19『少年の選択』
結論から言うと、ユキは一命を取りとめた。ドラゴンから魔力を吸収されきっておらず、しかししばらくは眠ったままだろうと診断された。ルキはユキの看病、そして荒れた魔界の後処理をする為、僕らを人間界へ帰した後は魔界に留まったままだった。もしかするともう帰ってこないのかとも思ったが、そもそも悪魔は魔界にいるべきで、むしろそれが普通なんだろう。そう納得することにした。
人間界に戻ってくると、こちらもこちらで荒れていた。魔王軍はあの街だけでは留まらず、多方面へ侵攻したらしい。街には甚大な被害をもたらされたが、優秀な魔導士達によってあえなく侵略作戦は失敗、見事悪魔を返り討ちに遭わせたということだ。ちなみに、本物の未来の友人である『茜双葉』と『社壱』も、こちらで頑張ってくれていたらしい。
「あっ! お前! 大丈夫か⁉」
登校し教室に入ると、真っ先に一人の男子が僕の元へ駆けてきた。緑色の目は不安そうな色を帯びている。どういう意味か尋ねると、男子は僕の全身を眺めながら言った。
「ずっと休んでたし、何かあったのかと……」
こちらへ戻ってきた時には、捕まってから三週間程経っていた。その上戻ってから数日程傷の手当てをしていたし、当然その間は学校を休んでいた。故にこの男子は僕の心配をしていたらしい。が、別にこいつと知り合いというわけではない。そもそも名前すら知らない。
「休んでた時のノート、見せてやるよ! 俺、隣の席だし!」
「はあ………」
席に座ると、やはり隣の席に座る男子。爽やかな笑顔を僕に向け、手を差し出してきた。
「俺、南七生! よろしくな!」
「………ミヤ。暁宮」
「よろしく宮! 入学式の時、俺達のこと守ってくれてありがとな!」
――――――ようやく思い出した。こいつ、入学式の日に僕のことを庇った男子だ。手が滑って桂を刺したんだとか、非常に苦しい言い訳を連ねて撃沈して……。
「………何で僕の味方なんてするの?」
「え?」
単刀直入に訊いてみた。南は目をパチパチと瞬かせ、次の瞬間ニカっと笑った。
「だって、良いやつじゃん! お前!」
「………馬鹿なの?」
「えっ⁉ 何でだよ!」
驚く南を無視して、リュックから筆箱やノートを取り出した。南は足を組み、机に頬杖をついた。
「なあなあ。それより今日、体育あるぜ。ちゃんとジャージは持ってきたか?」
「……持ってきたよ」
「よしよし! 安心安心!」
過保護な親かよ。思わず億劫なため息がこぼれた。リュックを机の横にかけると、南はハッと何かに気付いた。引き出しや机周りをキョロキョロと見回している。不審に思ったので問いかけてみた。
「何やってるの?」
「………ジャージ忘れた」
「は?」
「うおー! しまったあー! 部屋に置きっぱなしだあー!」
頭を抱えて机に突っ伏した南は、後悔の念を叫び続けた。バタバタと足もバタつかせ、もはや騒音の塊でしかない。うるさい―――そう思って僕はすくりと席を立ち、教室から出ていこうとした。しかし、背後からすかさず南が腰回りに抱きついてきた。そのまま歩こうとしても、力でねじ伏せられる。
「宮ー! ジャージ貸してくれー!」
「やだよ! 離せ! ていうか一着しかないし!」
「じゃあどうすればいいんだー!」
「知るか! 大人しく怒られろ!」
生徒も少ない朝の校舎で、僕らはしばらくの間、ぎゃんぎゃんと言い合っていた。次々登校してくるクラスメイトから煙たがられたのは、言うまでもない。
*
「へえ。それで制服のまま体育やったんだ。すごいね」
放課後の帰り道、僕は未来と並んで歩いていた。ひたすら下り坂の道から見る夜空は広く、星々に囲まれた満月は静やかな街に光をもたらしている。僕はため息混じりに肩を落とし、緊張を解いた。
「体力馬鹿っていうか………とにかく体を動かすのが好きみたいでさ」
「それでも普通、制服で体育なんかやらないよね。変わった人だね。その七生って人」
「変わってる………たしかにそうだな」
僕と友達になりたいなんて言ってきたくらいだし。そう言うと、未来はくすりと笑った。
「じゃあ『ミク』も、変わった人?」
ドクンと心臓が高鳴った。少し間を置いた後、僕は「そうだね」とだけ返した。
ミクはいなくなった―――そう告げられたのは、地下牢に閉じ込められている時だった。未来が捕らえられたあの時だ。彼女は事の全てを僕に話してくれた。
ニヒルによってナトリキから逃げることが出来たミクは、この後何をすべきかをずっと考えていたようだった。彼女の中に「一人で逃げる」などという選択肢は無く、当然のように「僕とルキを助ける」という結論に至っていた。
ミクが悩んでいたのは、その方法だ。自分一人の力だけで助けることは出来ない。どうにか仲間を集めないと―――そこで彼女は決心をした。蝶となり果てた本当の自分、そしてその友人の茜と社の元を訪れこう言ったのだ。
「あなたに体を返します。だからお願いします。ミヤくんとルキを、助けてくれませんか……?」
そう。ミクは本当の自分に体を返すかわりに、僕達を助けてほしいと懇願したのだ。本当の自分は魔法を使うのが上手い―――それは、夢の中で茜と社に魔法を教えていたから。ミクはそう確信していたらしい。だからこそ、こんな提案をしたのだと言った。
「私が今更言うのもあれだけど、本当にいいの? あなた、消えちゃうかもしれないんだよ?」
未来は言った。ミクは頷いた。それを確認すると、ミク達は僕らを助ける計画を立て始めた。それがあの―――わざと捕まるという作戦だ。
僕が魔力封じをされていても召喚出来ることを知っていたミクは、それによってまず牢屋から出て、その後ルキを味方につけて突破しようと提案したようだ。
「ルキは魔王の味方で、あなた達を裏切ったんだよね? 今更味方になんてつく?」
未来は当然の疑問を唱えた。しかしミクには確信があった。ルキはナトリキに仕方無く従っているのだと。
「ルキ、言っていたの。「妹は外に出られない」って。わざわざそんなこと言うってことは、たぶんそれ、閉じ込められているってことだと思うの」
「病気とかで出られないんじゃ?」
「そしたらそう言うと思うの。でも違う。ミヤくんも不思議そうに思ってた。きっとルキは妹さんの為に戦っているのよ!」
「そう思う、他の根拠は?」
ミクはスカイブルーの瞳をきらりと光らせた。
「ルキは、とっても優しい人だから」
あまりにも根拠とはなり得ない発言だった。そもそも本物の未来達にとって、ルキ含め悪魔達は憎むべき存在だった。もし本当にそうだとしても、助ける義理などなかった。
しかし、彼女のその強い眼差しの前では、反論する意思を失った。人格は違えど、同じ「柊未来」だからか―――未来はふっと笑い、パタパタと翅を羽ばたかせた。
「分かった。やってみる」
「未来⁉ 本気⁉」
「宮くんのおかげで助かったし、彼を助けに行くついでと思えばいいんじゃない?」
「だからって……!」
「双葉達はこっちに残って悪魔と戦ってて。なるべくあちらでの戦力を減らしたい」
茜達が異議を唱える暇などなかった。ミクは未来を手のひらに乗せた。
「ありがとう」
「絶対助ける……とは言えない。でも、出来る限り頑張るね」
「うん。お願いします」
ミクが手を胸元へ近付ける。蝶はミクの体内へと飛び込んだ。それによって、未来は元の体を取り戻した。
しかしその瞬間、僕にとっての本物のミクはいなくなってしまったのだ。
「………なんで、ここに残ったの?」
僕の問いに、未来は首を傾げた。坂道は終わり、平坦な道路を歩く。一台の車が横を通り過ぎた後、僕はもう一度言った。
「地元の方に帰ればよかったじゃん。わざわざここにいることもないでしょ」
「両親が死んでいるのは変わらないし、帰る家なんて無いし。だったらあの家にいた方がいいでしょ?」
「ふーん……」
「宮くんこそ、ここに留まるとは思わなかったよ」
広い庭のある敷地へと入っていく。玄関の前で、ごそごそとズボンのポケットを漁りながら吐き捨てた。
「ナトリキから『あいつ』にここのことチクられたわけじゃなかったし。僕も住む場所には困るから」
「そっか……。宮くんはお父さんに閉じ込められてたんだっけ」
「………ああ」
―――――月の女神などいない。それをいい加減分かれ。
―――――お前のせいでお母さんは死んだんだぞ。
父さんは毎日のように、地下室の僕にそう言った。たまに知らない牧師が来たりして色々説教してきた。はじめ僕は全く聞かなかったが、だんだん冷静に、洗脳が解かれていった。
―――お母さんは、もう死んでいる。もう二度と帰ってこない。
そう認識すると、涙が溢れて止まらなかった。毎日毎日泣き続け、毎日毎日謝り続けた。そうして時は流れ、涙がやっと枯れたある日、僕は父さんに懇願した。
「そとに、でたいです……」
怒鳴られた。出られるわけがないと言った。まだ反省が足りないと。
僕は必死に謝り続けた。それでも出してはもらえなかった。自由になりたい欲は肥大化していった。そしてそれに応えるように、僕の奥底に眠っていた「箱」は震え出した。「それ」は鎖によってぐるぐるに縛られていた。
はじめは何だか分からなかった。鎖も固く箱を閉ざし、開くのを拒んでいた。
しかし、それを開けば自由になれるかもしれない―――幼い僕は考えた。藁にも縋る思いだった。僕は何日もかけて、鎖を解いていった。四六時中鎖を解くのに必死で、体は疲弊しきっていた。
そしてついに、僕は鎖を取りきった。その瞬間、「箱」が勢いよく開き、中から大量の「魔力」が飛び出したのだ。そこで僕は理解した。
この箱は魔力をためる器、そして鎖は、自責で器を縛った封印だったのだと―――。
「バレたら出ていくと思うけど」
そう言いながら僕は、見付けた鍵をドアの鍵穴に差し込んだ。ガチャリと鍵を開け、家の中へと入る。リビングのドアを開けると、ソファーには女が座っていた。
「おかえりなさい」
赤みがかった橙の髪に、赤い瞳で薄く笑う。見覚えのあるその姿に、僕らは唖然と立ち尽くした。
「なんで……ユキが……?」
「兄様のお仕事が済みましたので、一緒に連れてきてもらいました。今後、ここに住まわせてもらいます。よろしくお願いします」
急なカミングアウトに、僕は未来と顔を見合わせた。ソファーに座り、差し出された紅茶を一口含むと、「あ」とユキは付け加えた。
「ナトリキ兄様のことは大丈夫です。こちらと繋がる道は封鎖しましたから」
「封鎖……? そんなこと出来るの?」
「はい。ルキノナ兄様は元魔王ですから」
その本人はどこに行ったのかと訊くと、どうやら客人を迎えに行ったらしい。だから帰ってくるまで夕飯は待っていてくれと。
仕方無しに自室へ戻り、学校の課題を終わらせようと教科書とノートを取り出した。しばらく無心で取り掛かっていたが、不意に机上の白い貝殻に意識が傾いた。指でひと撫ですると、少女の穏やかな笑みがそこに浮かんだ。
――――――――――――安心していいんだよ。もし何かあっても、守ってあげるよ。私が傍にいるから。
あの時の未来は、たしかに『ミク』だった。僕は彼女のおかげで正気を保つことが出来た。彼女には、感謝してもしきれない。
窓から見える満月に視線を移すと、僕は胸の前で両手を握った。こちらに戻ってきてからは毎晩の習慣になっていた。しかし、かつての悪しき習慣にすら、今は縋りたくなる思いだった。
―――もう一度ミクに会いたい。もう一度ミクと話したい。
月の女神様、どうか彼女ともう一度会わせてください。
「僕は、ミクがいいんです………」
静寂が部屋を満たす。しばらく祈りを続けていると、ユキにリビングに来るよう言われた。未来と共に向かうと、帰ってきていた家主のルキ、そしてもう一人の男―――。
「え………?」
鋭い目つきに若干細い体つき。全身から溢れるオーラは、一切の悪を許さんとするような意志が感じ取れた。その姿に、僕は覚えがあった。
―――覚えているも何も、生まれた時から知っている。
「本当にここにいるとはな」
男は僕を見て、呆れたように吐き捨てた。思わず一歩後ずさると、背後からユキに優しく肩を掴まれた。
「大丈夫。兄様が守ってくれるから」
そっと耳打ちされた言葉に続いて、ルキは僕の頭を撫でた。
「ミヤ。君はまだ自由ではない。お父さんに怯えて暮らしては、本当に自由とは言えない。だから今、ここでその鎖を外そう。私達も一緒にいるから」
鎖を―――外す。父という鎖を、今ここで―――ルキに腕を引かれ、僕は父さんと対面した。
いつ振りだろう……こんな間近で父さんの顔をじっくりと眺めたのは。記憶しているよりも、しわが多いように感じた。体つきも、想像よりも薄いような気がする。それでも、父さんから放たれるオーラは厳かなものだった。
「宮」
どくんと緊張が走る。慌てて視線を逸らすと、重苦しい声が全身にのしかかってきた。
「帰るぞ」
―――また、地下室に閉じ込められるのか。もう洗脳は解けたのに。
―――母さんを見殺しにした罰か。
―――僕は一生、自由になることは出来ないんだ。
「ミヤ」
優しく包み込むような声に、僕は我に返った。ルキが僕の手を掴み、それを僕の胸に押し当てた。
「言葉に表さないと。言いたいことも、知りたいことも、やりたいことも。今なら聞いてくれるから」
―――悪魔って、人の心が読めるのだろうか。思わずそう思ってしまう程に、ルキの言葉は心に突き刺さった。
父さんは何も言わず、僕をじっと睨むだけだ。僕には人の心が読めない。ルキの言う通り、言葉に表さないとダメなんだろう。
今までなら既に強行突破されているはずなのに、父さんにその様子はない。それでも僕は、声を絞り出すのに時間がかかった。
「………ご、め……ごめんな……さい………ごめんなさい、父さん……」
しどろもどろ、震え声。次の言葉を出すのにも一苦労かかる。
「母さんを………見殺し……に、して………あんな所にかよっ……て………母さんをころ……し……て……」
なんだか視界が滲んでく。上手く喋れない。
ああ、僕、泣いてるのか―――。
「反省……し、てます………償いも……しますでも……! でも………!」
ひどい顔だろう。そう分かっていても、これだけはちゃんと言いたかった。父さんの顔を真っ直ぐ見て、僕は初めて強く主張した。
「もう閉じ込められたくない!」
沈黙が降りる。父さんの視線がさらに鋭くなった気がした。
僕の主張はあまりにも身勝手だと分かっている。反省が足りないと思われても仕方無い。
それでも、あの地下室にずっと閉じ込められているのは苦しいと、それだけは言いたかった。
「反省も償いも、あの部屋でじゃなくて、ちゃんと外で……やらせてください……」
きっと現実では一分も経っていないだろうけど、次の言葉が発せられるまで何分も経ったように感じた。あまりにも静寂した部屋は、春とは思えない程冷え冷えとしていた。
「お前は何も分かってない」
「ッ……」
「彼から事の顛末は聞いた。お前は彼に騙されたそうじゃないか」
「お言葉ですがお父さん。ミヤだから騙されたのではなく、恐らく誰であろうと騙されていたと思います」
「騙した本人は黙っていてもらおうか」
ルキの援護も、瞬殺される。しぶしぶ引き下がったルキを見届けて、父さんは続けた。
「何故お前が何度も騙されるか分かるか? お前は安易に人を信用しすぎるからだ。その言葉の真意も吟味せず、言われたままに受け入れる。だからこうして酷い目に遭わされる」
「なにそれ」
ルキでもなくユキでもない。僕より一つ年下の未来が、わざと遮るように放った。
「どうして宮くんが悪いみたいに言うんですか? 騙した人が一番悪いじゃないですか」
「ああ。しかし騙される方も悪い」
「そんなのおかしい!」
未来が父さんへ詰め寄った。慌てて彼女の肩を引くが、長年にわたって根をはった樹木のように、意思の強い少女は動かなかった。
「あなた、宮くんのお父さんでしょ⁉ どうして宮くんのこと慰めてあげないの⁉ 宮くん、ずっとあなたに怯えてて、ルキに裏切られて大変な目に遭って、でも私達を助けてくれた! 親ならまず「よく頑張ったね」って褒めてあげてよ!」
―――僕は勘違いをしていた。この未来はあのミクではないと距離を置いていた。人格が違う、僕と過ごした日々は知らない赤の他人の柊未来。
それでも、根本は同じなんだ。人の為に怒ったり、笑ったり、戦ったり、ついてきたりするお人好しなんだ。ただ、僕との思い出が無いだけで、困っている人を放っておけない人なんだ。
「君も彼に騙されていたそうじゃないか。自分も被害者だから庇っているのか?」
「はっ……⁉」
何かを仕出かす前に未来を引き下がらせた。今にも殴りかかりそうな形相で父さんを睨んでいる。
「私のことは関係無い!」
「未来! もういいよ!」
「どうしてよ宮くん!」
「―――やっぱり、黙っているのは性に合わないな」
ぴしりと、空気が凍り付いたような気がした。だんだんと周囲が暗くなっていく。この感覚は一度経験したことがある。今だから分かる―――これは、元魔王の放つプレッシャーに、僕ら人間が臆しているんだ。ミデンやそこらの悪魔とは比べものにならないくらい格段に恐ろしい、まさに闇の支配者にふさわしいオーラ―――父さんは、雰囲気の変わり様に驚いていた。
「お父さん。ミヤは私に対して、常に不信感を抱いていました。出会った頃は怯えてさえもいた。元々疑り深い性格なのかと私は感じていましたが、今話を聞いてどうやら違った。しかし、納得しましたよ」
ルキが手を伸ばす―――その先は、僕の頭上。
「お父さん。ミヤは、ちゃんと成長していますよ」
「……何だと?」
「人を信じて騙された。だから彼は、人を過剰に疑うようになった。失敗から学んで成長しているじゃないですか」
冷たい手のひらが、僕の頭を優しく撫でる。その行為と言葉を、僕は素直に受け入れた。
「だが、結局騙されているじゃないか」
「無一文の子供が一人で生き残れると思いますか? ましてやミヤは、貴方に軟禁されていた。世間知らずは、良いようにこき使われてのたれ死ぬのがオチですよ」
空っぽだった手が、ぎゅっと握られる。僕を守ろうとする少女の小さな手は温かかった。
「騙した本人が偉そうなことを……」
「なら、本人に訊きましょう」
ルキと父さんの視線がこちらに向けられる。父さんのそれは、僕の意見など聞かないと言っているようだった。地下室にいた時もそうだった。何を言っても受け入れてくれない―――こんなんで、言っても意味はあるのだろうか。
「……あの」
言えずにしばらく黙っていると、ユキがはい、と手を挙げた。父さんはもちろん、ルキにとっても予想外の行動らしく、不安そうに彼女を見つめた。
「ユキ? どうした?」
「兄様もミク様も、勘違いしていらっしゃると思うのですが……」
「勘違い? 私達が?」
「ええ。だってミヤ様のお父様は、ミヤ様のことを心配していらっしゃるでしょう?」
ルキも未来も、僕も唖然と呆けた。
―――父さんが僕を心配? この会話のどこからそう思ったのだろうか。僕のことを思っているワードなんて出てきただろうか。
ちらりと父さんを見ると、怒ったようでも驚いたようでもなく、黙ってユキの言葉に耳を傾けていた。
「また騙されるのを心配しているから、こうして厳しい言い方をしているのでは?」
「だからといって軟禁してもいい理由にはならないよ、ユキ」
「軟禁? そうするなんて……お父様、言っておりましたか?」
―――思い返せば、たしかに言っていない。騙される云々の話ばかりで、父さんから閉じ込めるなんてことは少しも言われていない。
けど今更、言わなくたって分かる。帰ったらきっとまた閉じ込められるだろう。
「ユキ。彼は一度ミヤを軟禁している。そしてミヤは許しをもらわずに逃げ出した。このまま和解せずに帰したら、またミヤを軟禁するだろう」
「そうなのですか?」
何故、わざわざ確かめるのか―――ルキではなく、父さんに視線を向けるユキ。ユキの不思議な行動に、僕らは首を傾げる。
―――しかしそれが、事の収束を加速させた。
「………それは宮、お前次第だ」
どくんと大きく鼓動する。身体が強張って動けなくなる。視界がゆらゆら揺れて―――目の前に重々しい扉が現れた。薄暗い部屋の中、扉の前に父さんの姿がぼんやりと映った。
「お前は、もう誰にも騙されずに生きていけるか?」
――――――二度と酷い目に遭わないくらい、たくましくなったか?
―――その時が、初めてだった。
父さんの不安そうな表情をみるのは。
そして、初めて本心を聞いた気がした。
信じられない―――。
「お前を軟禁し続けたのは、外に出てもまた洗脳されると思ったからだ。あの頃は宗教団体が活発化していた。そこに悪魔も関与しているという噂もあった。だから沈静化するまでは出さないようにしようと思っていたんだ」
「それならそうと、どうしてミヤに言ってあげなかったんですか? それに、そうだとしてもやはり軟禁は間違っている」
「直接言って、好奇心旺盛な子供が外出を控えると思うか? 無理矢理にでも閉じ込めておかないと、また騙されて被害に遭うのは目に見えていた」
―――信じられない。まるで人が変わったようなことばかり言っている。僕の中にあった父さんの厳格な像が、音を立てて崩れていった。
軟禁していたのは、僕のことを思っていたから? 母さんを見殺しにした僕に怒っていたからじゃないの?
「嘘だよ……」
そうだ。嘘だ。だって父さん、僕のことを恨んでいたじゃないか。
「僕のせいで母さんが死んだって、反省が足りないって……」
「………たしかに初めはお前に対して憤りも感じていた。だがそれよりも、お前の安否が心配だった。このままじゃ騙され続けると不安になったんだ」
そんなの、そんなの信じられるわけ―――。
「お前が家出して、また被害に遭ったらと思って必死に捜した。だが同時に、やり過ぎていたことに気付いた」
父さんは―――手を差し出した。
「すまなかった」
その瞬間、全ての闇が吹き飛んだ。光を遮断していた地下の部屋も、外への道を封鎖していた重たい扉も、全身を縛り続けた父さんの鎖も、全てが消えてなくなった。その穴を埋めるように光が差し込み、内側から温かくなっているような気がした。
ああ―――僕は愚かだったな。
こんなにも大切に思われていたのに、それに気付けなかったなんて。
―――僕は、差し出された手を握った。
「………ありがとう」
自然と、その言葉は出た。ルキ達の視線の中、僕は父さんに歩み寄り、涙を流しながらもう一度言った。
「守ってくれて、ありがとう。父さんの気持ち、分からないで家出してごめんなさい。でも僕、もう大丈夫だよ。何がおかしいのか、ちゃんと分かるようになったから。まあ、ルキのことがあったから信用出来ないかもしれないけど……」
ちらりとルキを見ると、奴は小さく笑って得意気に言った。
「先程も言ったように、ミヤは成長しています。ここは彼の言うことを信じてあげても良いのでは?」
「そうです! それに!」
未来が再び僕の手を握った。
「何かおかしなことがあっても、私が助けます! 宮くんは大切な友達だから!」
「あっ、ミク、訂正して。私だってミヤを助けるよ?」
「わたしもミヤ様の為なら戦います」
「うんうん! あっ、きっと南くんも助けてくれるね!」
「ミナミくん? 誰だい? それ」
「宮くんのクラスメイト! 友達なんだって!」
「なんだミヤ、友達作れたんだね。良かった良かった」
僕はなんて幸運なんだろう。こんなに良い人達と出会えて、色々とあったけど、結果的に父さんとこうして分かり合えた。閉じ込められていた数年も気にならないくらい嬉しい。
―――僕は今、物凄く幸せだ。
――――――たった一つだけを除けば。
僕はベッドに座ってぼんやりと外を眺めていた。夜空には満月が昇っており、ずっと見つめていると、吸い込まれそうな気になった。
今夜は、ここに住むことを正式に許してもらった初めての夜だ。解放感で満たされているはずなのに、たった一か所だけ埋まらない穴があった。
―――ミクにも、いてほしかった。
それを望むのは、欲張りなのだろうか。
―――欲張りだ。だって彼女はもう、いないのだから。
不意にノック音が響いた。訪ねてきたのは未来だった。ルームウェア姿の彼女は、トカゲの抱き枕であるムトーくんを抱いていた。
「入ってもいい?」
頷くと、未来はドアをくぐり静かに閉めた。彼女は丸テーブルの前に座り、僕はベッドに座ったまま視線を月に戻した。室内に沈黙が流れる。
彼女は柊未来だ。しかし、僕にとっては柊未来ではない。たとえ同じようなお人好しでも、やっぱりミクだと受け入れることは出来なかった。
「懐かしいね」
くぐもった少女の言葉に、僕は振り向いた。未来はぎゅっとムトーくんを抱き締め、そこに顔をうずめていた。
「夜にこうしてお部屋でお話して………ルキが遊びにきた時もあったし……」
僕は立ち上がった。おそるおそる少女へと近付いていく。
「熱が出た時はびっくりしたよ……出ていくって言った時も驚いた………でも、ミヤくんがこうして生きていてよかった……」
「ミク………?」
僕は少女の前で膝をつく。ピクリと肩を揺らし、少女は顔を上げた。スカイブルーの瞳は涙をためこんでいた。頬を伝って落ちる少女の涙を指で拭い、僕はもう一度彼女に問いかける。
「もしかして………ミクなの………?」
少女はムトーくんを膝の上に置き、僕の手をそっと包み込んだ。ぽろぽろとこぼれる涙。少女はそれでも、穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「――――――そうだよ。ルキに作られた、柊未来だよ」
目を見開いた。彼女のその笑みに、僕は懐かしさを感じていた。それは彼女が『ミク』だと確信する、記憶よりも強い証拠であった。僕も、もう片方の手で彼女の手を包み込み、涙を流した。
ずっと会いたかった彼女へ、祝福の言葉を―――。
「おかえり、ミク」
「ただいま! ミヤくん!」
ミクは、花が咲いたような笑顔で答えた。
祈りの果てに 完結
祈りの果てに かいり @kairi5
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