5-105 Judgment Day(1)
午後一時を告げる大聖堂の重々しい鐘の音が響く。
司法局三階の角部屋が、『ノーブルブルー襲撃事件』に関する海軍省の対応を巡り、審議される部屋であった。
とうとうと流れるエルドロイン河が見える窓辺を背にして、アスラトル領主であるリディアール・アリスティド公爵は、真紅の三角帽に同じく緋色の長衣をまとい、
その隣には、暫定的に海軍統括将に任命された、アリスティド公爵の弟でもある、オディアル・アリスティド前海軍統括将が座っている。まだ海軍省内で知る者は少ないが、ノイエ・ダールベルクは自ら海軍統括将の職を辞し、現在は王都にて、エルシーア国王に今回自らが起こした騒動について、経緯を説明しに行っている。
三人目の審問官は、現アスラトル軍港司令官のグリンワルド海軍中将だった。
一番年上なのがアリスティド公爵。次いで、弟である海軍統括将。グリンワルドは若いといっても五十前。だが彼はアドビスが海軍を去る時に、参謀司令官として推していた武人だった。
審議の場には記録官が二名いて、片隅におかれた机の上でペンを走らせている。
審問官の前には、エスクィア、トリニティ、オーラメンガー、そしてコルムが憮然とした表情で腰を下している。
彼らから少し離れた後方には、今回彼らを訴えたアドビスとジャーヴィス。遺族を代表してミリアスが、それぞれ軍服をきちっと着込み席についている。審議の部屋にそれ以外の傍聴人はいない。
証人は隣の部屋で待機し、告発された<六卿>と顔を合せないように配慮されていた。
「今回の審理は異例中の異例である。だが、告発者もまた海軍高位者であるため、アスラトル領主である私が審問官を務める。それでは審議を始める」
アリスティド公爵は重々しく木槌を叩き、告発者であるアドビス・グラヴェールを証言台へと召喚した。
真実のみ発言することを正義の神アルヴィーズへ宣誓し、アドビスは海軍省が意図的に遺族へファスガード号とエルガード号が沈んだ理由を隠したことと、ファスガード号の生き残り全員に、かん口令および他者へ事件の内容を語らないよう、誓約書を書かせたことを証言した。
「その理由は? 何故海軍省は、真実を遺族に語ることを嫌ったのだ? エスクィア中将?」
アリスティド公爵に証言を求められ、エスクィアは特徴的な鷲鼻を掻きながら立ち上がった。
「我々が真実を遺族に語っていないと仰られますが、何を語っていないかが理解できません。そちらにおられるアリスティド海軍統括将閣下に、我々は事件の詳細は遺族感情に配慮するようにと命令を受けました。ただ、それだけであります」
「遺族感情、とな?」
エスクィアは大きくうなずいた。
「はっ。ファスガード号とエルガード号は、そちらにおられるグラヴェール中将が発足し、エルシーアから海賊を追い払い続けてきた
「だが僕達遺族はそれで納得してはいませんよ! 20年間無敗だった『ノーブルブルー』だからこそ、何故船が沈んだのか、もっと詳細が知りたかった。なのに、あなた方は僕らの訴えを無視した!」
カツンと木槌の音が響き渡った。
アリスティド公爵は白い眉をしかめながらミリアスを睨みつけた。
「許可された時のみ発言するように。ルウム中尉」
ミリアスは唇を震わせた。隣に座るジャーヴィスが静かに彼の右腕を掴み、うなずいてみせる。
「なるほど……」
アリスティド公爵は隣に座る弟オディアルの方を向いた。
「オディアル、お前が意図的に情報制限をしたのか?」
「いいえ。公爵閣下。エスクィア中将には確かに遺族感情に配慮して、事件の詳細を伝えるようにとは命じましたが、私はかん口令が敷かれていたことを知らなかった。それはグラヴェール中将の告発の通り、そこにいる海軍卿四名が判断してやったことだと思います」
「統括将閣下! なんということを仰いますか!」
大仰な声で席を立ち上がったのは総務部の長、トリニティだった。
「今更知らなかったなどとは通じませぬぞ! あなたも事件の真相は、ロワールハイネス号艦長シャイン・グラヴェールの報告書でご存知のはず。それなのに、何故、我々だけが訴えられねばならんのですか! 寧ろ我らは閣下と、海軍のために――」
オディアル・アリスティド海軍統括将は、トリニティを一瞥し、兄である公爵へ発言の許可を求めた。公爵はそれを許可した。
「トリニティ中将。そなた達は確かに陛下の海軍を守るために日々尽力してくれている。そして私はグラヴェール艦長の報告書を読み、あの夜、ファスガード号とエルガード号に何が起きたのか知っている。だが、遺族の情報開示に応じないよう命じたことはない。もとい、そのような訴えが私の所まで上がってきていない。遺族が情報不十分で不満を抱えている――そのような事実を知ったのは、先日、そこにいるミリアス・ルウム中尉が、グラヴェール艦長を告発した出来事があったからだ。トリニティ、そなたが遺族の情報開示の件を握りつぶしていたのではないのか?」
「何故私が? それは寧ろ参謀部を牛耳っていたグラヴェール中将の方ではないか!?」
アリスティド公爵が重々しく木槌を叩いた。
「グラヴェール中将、この件に対して回答を」
アドビスは頷き、証言台の前に立った。
「は。情報開示を求める声があったのは確かです。だが私は、自らの意志でそれらを統括将閣下へ伝えませんでした」
「ほらみろ! 私ではないぞ!」
トリニティが叫んだ。
「静かに」
アリスティド公爵は信じられないというように両目を見開き、アドビスの顔を凝視した。
「それは何故だ。グラヴェール中将?」
アドビスは真摯な表情でアリスティド公爵と<六卿>の面々を眺めた。
「<六卿>の方々は、私を含め、統括将閣下が仰った通り、誰よりも海軍を愛し、その威厳を守ろうとしておりました。だからです」
アリティド公爵は眉間を寄せた。
「それだけではわからん。もう少し詳しく話してくれぬか」
「は……」
アドビスはそれみたことかと、はや得意げな顔をするエスクィアを見つめた。
次いでトリニティを、そしてオーラメンガー、コルムを。
「遺族に伏せられたノーブルブルー襲撃事件の隠された真実。それは、ノーブルブルーを率いる
「――な、なんと……それは本当か!」
この場でその事実を知らないのは、アリスティド公爵と、アスラトル軍港司令――当時はまだ軍艦乗りだったグリンワルドだけだろう。
その証拠にジャーヴィスやミリアスは元より、トリニティ達は涼しげな顔で寧ろあざ笑うかのように、驚くアリスティド公爵を見つめている。
「そ、それは事実なのか?」
アドビスは金色の髪を揺らし頭を垂れた。
「事実です」
恰幅の良い体をゆすってエスクィアが手を上げた。
「アリスティド公爵閣下、申し上げたいことがある!」
「なんだ。エスクィア中将?」
「そもそもノーブルブルーが海賊に襲われたのは、ここにいるグラヴェール中将のせいなのです。元ノーブルブルー司令官ツヴァイスは、理由は知らぬが彼に相当な恨みを持っていた。この件に関してシャイン・グラヴェールも、ウインガード号がエアリエル号を砲撃した事件の報告書で、その旨を書いております」
アドビスはすぐに挙手した。
「グラヴェール中将、なんだ?」
「アリスティド公爵閣下。今のエスクィア中将の発言は無意味です。今は何故あの事件が起きたのかを論じているのではなく、何故遺族に真実を伏せていたのか、それを審議しております」
アリスティド公爵は深く頷き木槌を叩いた。
「グラヴェール中将の言う通りだ」
「しかし! アリスティド公爵閣下!」
食い下がるエスクィアをアリスティド公爵は再度強く木槌を叩くことで黙らせた。
「審議が少々脱線してしまった。話を元に戻そう。それではグラヴェール中将、そなたは、彼ら<六卿>は、海軍と陛下のご威光を守るため、遺族に敢えて事故の真相を隠していたと言うのだな」
「一言付け加える点があります。それに私自身も加担していたのです」
海軍統括将のオディアル・アリスティドが小さく唸った。
「だから遺族が情報公開を求めている嘆願を、グラヴェール中将、お前が敢えて上げなかったのか」
アドビスは首を振った。
「事件当初はそうです。が、私はノーブルブルー襲撃事件に端を発した諸々の出来事と足の負傷のため、一年前海軍を休職しました。息子のシャインも同じです。だがその時……」
アドビスは口をつぐんでこちらを見つめる<六卿>の面々を見やった。
「私もまたあの事件について口外しないよう、誓約書を書かされた。勿論、退役しても海軍で知り得た事項は守秘義務が発生するのでその限りではないが、海軍省の我々親子に対する監視の目は意識しておりました。だからこそ、この場でアスラトル領主でいらっしゃる閣下に申し上げたいことがあります」
「何だ? 申してみよ」
「はっ」
アドビスは青灰色の瞳を細めアリスティド公爵へ口を開いた。
「先日、そこにいるミリアス・ルウム中尉が私の息子を訴えた件で、<六卿>は大きな脅威を感じたはずです」
「脅威だと? 馬鹿馬鹿しい!」
腕を組んでエスクィアが吠えた。
「グラヴェール中将、それは、ノーブルブルー襲撃事件の真相が、そなたの息子の証言によって、公の場――アスラトル領民の前で明らかになることを察してという意味か」
「はい。その通りです。現に私の息子は、司法局の役人を装った殺し屋に連行され、危うくその命を奪われる所でありました。これはあまりにも行き過ぎだと思いませんか?」
アリスティド公爵は両隣の面々と顔を見合わせた。弟のオディアルもその件については初耳だと小さく声を漏らした。
「……そのようなでっちあげを言ってまで、我らに罪を被せたいのか、アドビス? 嘆かわしいな」
厭味たっぷりにトリニティが呟いた。
「そうだ。我々がまさか、貴官の息子へ殺し屋を差し向けたなどど言うのか!」
オーラメンガーも口元を歪めてアドビスを睨みつけた。
「それに貴官の息子が殺し屋に襲われたとしても、彼はすでに自ら岬に身を投げて死んでいる」
じっと耳を澄ませていたコルムが冷やかな口調で言った。
「そうだ。もうこの世にいない者の話をされても困るぞ! アドビス、貴様も子を持つ親なら、何故彼の苦悩を察してやらなんだ? 貴様と違って息子は自分の犯した罪の大きさを知っておった。だからこそ岬に身を投げたのだろう。なあ、各々方」
エスクィアが嘲笑交じりにトリニティ、オーラメンガー、コルムへ同意を求めた。
「アリスティド公爵閣下! 発言の許可を願います」
突如澄んだ青年の声が響いた。
<六卿>の四人が聞き慣れない声に身じろぎして後方を振り向く。
「……そなたは、まさか……」
アリスティド公爵とその弟オディアルは、審議室に入ってきた人物を見て息を飲んだ。
「これは、一体どういうことだ……!」
トリニティ達も驚きに声を失い、ただただその姿を見つめている。
「そなたは、岬から飛び降りて死んだと……そこにいるグラヴェール中将が……」
「そうしなければ、俺は再び海軍省が雇った殺し屋に、命を狙われていたでしょう。だから父は俺を死んだものとして、世間の目から存在を隠したのです。神聖な審議の場を邪魔して申し訳ありません、アリスティド公爵閣下」
月影色の淡い金髪を揺らし、青いケープの付いた艦長服姿の青年――シャイン・グラヴェールは、アリスティド公爵へ視線を向けたまま、ジャーヴィスとミリアスの隣りを通り過ぎて証言台へと歩き、アドビスの隣に立った。母親の面影を強く感じる青ざめた顔の中で、青緑の瞳だけが鋭い光を放っている。
アドビスは表情一つ変えずシャインの様子を見ていた。けれどその心境は穏やかではなかった。シャインの体調はまだ優れない。どうしても証言をしたいと言うので連れてきただけなのだ。
アリスティド公爵は齢を重ねて皺の目立つ指を顎へとかけ、じっと眼を細めた。
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