5-103 ブレスレットの行方

「あまり話しこむとお疲れになるでしょうから、我々はこれで」


 リオーネがシルヴァンティーを用意して客間にやってきたが、ジャーヴィス達は長居をするのは迷惑になりますからと遠慮した。ミリアスが居住まいを正し、シャインに一礼した。


「グラヴェール艦長。事情を知らず、僕があなたに対して行った今までの非礼をお詫びします」

「ルウム副長、それは俺の方です」


 シャインは椅子から立ち上がった。


「顔を上げて下さい。あなたの言い分は当然です。守秘義務という言い訳で、あなた方遺族に対して俺が説明責任を怠ったのは事実です」


 ミリアスが静かに顔を上げた。そこにはシャインへの敵意は失せ、冷静に見つめる青い瞳があった。シャインは言葉を続けた。


「あなたの訴えに応えなかった俺を……許して頂けますか。ミリアス・ルウム」


 しばしの沈黙があった。シャインがそれに耐えきれず、目を伏せかけた時――。

 ミリアスが右手をシャインへ差し伸べた。大きくうなずきながら。


「勿論です。僕はあなたの勇気を称えます。シャイン・グラヴェール。あの場にもしも僕がいたら、僕も戦うことを選んだでしょう」

「……」


 人は間違いが正された時の方が言葉を失うのかもしれない。

 シャインは差し出されたミリアスの右手を黙ったまま握りしめた。



 ◇



「そうだ、これをあなたに渡さなくては」


 ジャーヴィスに続き居間を出ようとしたミリアスが、一通の手紙をシャインへ手渡した。


「僕の双子の妹ミリーの――ミリカはご存知ですよね?」

「あ……はい」


 シャインはアスラトルの裏道で出会った、太陽のように明るい笑顔を向ける金髪の少女の顔を思い出した。


「ミリカがあなたに会いたがっていました。それで、これを渡して欲しいと頼まれたんです。では一日でも早く本復されますよう。失礼いたします」


「ありがとう……」


 ミリアスが部屋を出て行った。


「え~なになに~? ミリカって女の人の名前でしょ?」


 にやついた笑みを浮かべながらロワールがすり寄ってきた。


「シャイン、ロワールさん。お茶にしましょう」


 リオーネが机にシルヴァンティーの入ったカップを置いて椅子に腰かけている。

 シャインとロワールは彼女と同じように席に着いた。

 ロワールの目はシャインが手にした手紙に釘付けになっている。その様子を微笑ましくリオーネが見つめている。


「ねえ、なんて書いてあるの? ひょっとしたら恋文だったりして。キャッ」

「え? 何を想像しているんだい? ミリカはまだ五才ぐらいの小さな女の子だよ」

「んまぁ! それはそれで問題ね」

「問題って、何が?」


 するとロワールは真顔になって、シルヴァンティーを飲んでいるリオーネの方を向いた。


「リオーネさん、こう……女の子の気持ちに鈍感な人って切ないと思いません? シャインったら、意外と小さな子にもモテるんですよ。三年前、ミュリン王女に気に入られて大変だったらしいし。確か王女様って、十才ぐらい……」


「ロワール!? 何でそれを知っているんだい?」


 シャインは心の底から驚いた。船霊祭の視察に来たミュリン王女の案内役をシャインが務めた時、ロワールハイネス号はまだ存在していなかったのだ。


「あら、言わなかったかしら。二年前の船霊祭に、『クレセント』と『ハーフムーン』っていう、船の精霊のお姉さまから聞いたの。もう~シャインを気に入って王宮に連れて行くまで帰らないって、往来で泣き叫んだとか……」


 シャインは頭を抱えた。

 恐るべし、元・船の精霊。シャインの知らない所でいろんな情報を知っていそうだ。


「まあそうなのシャイン。でもあまり女性を泣かせてはいけませんよ」


 ねーっ、とロワールと二人してリオーネが微笑した。

 一体どうしたのだろう。あの物静かなリオーネが、やけに嬉しそうにロワールと一緒に笑っている。


 そういえばグラヴェール屋敷にロワールを連れてきた時、彼女は驚いた風もなく、両手を広げてロワールを受け入れてくれた。彼女は風を操る術者だから、ロワールが船の精霊だった時に会っているけれど。

 それにも増して仲が良いのだ。実の親と娘のように。

 シャインが困るような話題になると、二人してからかってくる。


「じゃ、手紙を読んでみますから……」


 シャインは急に額に浮いた冷たい汗を拳で握って、ミリカからの手紙を読んだ。


 


『シャインお兄ちゃん、ケガをして休んでいるとミリアスあにいからききました。元気になったら、必ずゆびわを取りにきてね。まってるから。

 

 あなたの友だちのミリカより』



「よかった~。本当にお友達だったみたい!」


 ロワールがほっとしたように両手を合わせてうなずいた。


「まあ……まだ五才だとしたら、しっかりしている娘さんね」


 リオーネもにこにこと笑みを絶やさない。


「それにしてもシャイン。って?」


 予想通りロワールが訊いてきた。シャインは観念して事情を説明した。


「ディアナ様へ婚約祝いにブレスレットを作ったんだ。その時、ブレスレットにはめる宝石が少し大きかったので、それを二つに割った。金属加工職人のマリエッタが、余った宝石で俺の為に指輪を作ってくれたんだ。でも……」


 シャインは小さく息を吐いた。


「俺にはその指輪の光が眩しすぎて……身に着ける気持ちになれなかった。あの時は。だから、親切にしてくれたミリカに指輪をあげようとしたんだけど、かたくなに断られた。だから預かってもらったんだ。俺が……あの指輪の光を受け入れられる時が来るまで」


 シャインはクッションに右腕を載せ、当時の心境に想いを馳せた。

 ロワールが静かだ。

 それに気づいて顔を上げると、ロワールがそっと自分の右手をシャインへ差し出した。


「シャイン。あなたがディアナさんにあげたブレスレット。実は私……彼女からあなたに返すよう、頼まれて預かってたの」


 ロワールが服の袖口をずらすと、そこには眩い輝きを放つ薄紫色の宝石が薔薇の留め金の中で光っていた。まぎれもなく、あの聖純銀のブレスレットである。


「これは……どうして君が?」

「ディアナさんから渡されたの。『新しい恋』を始めるために、これをあなたに返して欲しい、って」


 シャインはしばしロワールの顔を見つめた。

 ロワールは瞳を細めて微笑した。


「その時の詳細をここで話すのは控えるわ。ディアナさんと私の友情のためにね。とにかく彼女も、今は大好きな人がいらっしゃるみたいだから」

「そうか……」


 脳裏をノイエ・ダールベルクの顔が過った。アドビスがディアナとノイエの婚約が白紙に戻ったことを言っていた。けれど破局したわけではなかったのだ。


 あまりよく覚えていないが、アスラトルへ帰る航海中、ディアナはとても朗らかな表情を見せていた。

 ノイエの起こした今回の騒動や、アスラトル領主でもあるアリスティド家の事を考えると、その後始末が終わるまで婚約を見合わせたのだろう。


「ほっとした?」


 ロワールはもう船の精霊ではないのに。まるでシャインの心境を知っているかのようだ。


「まあね。ディアナ様には幸せになって頂きたいから」


 シャインはうなずいた。ノイエはディアナを心から愛していた。今味方の少ない彼にディアナの存在があれば心強いことだろう。


「そうそう。ディアナさんにも誘われてたわ。シャインの体が良くなったら、私と一緒にお屋敷に来て欲しいって。お手製のお菓子をごちそうして下さるそうよ~」


「そうか。それは……ちゃんとご挨拶に行かないとね」

「うん」


 ロワールは大きくうなずいた。

 彼女の腕にはまだあのブレスレットが揺れている。

 じっと見つめているとロワールが口を開いた。


「シャイン。これ……私もらっちゃってもいいかな。薔薇の銀細工が細かくてほれぼれしちゃうし、何よりもこの淡い紫の宝石がとても素敵。中を覗くとお星様が見えるのよ」


「別に構わないが……」

「その割に、あまりいい顔しないわね」


「あ、だってそれはディアナ様の婚約祝いで作ったから。君には、君の為に心を込めた品を贈りたい」

「うーん。今は私、これがいい!」


ロワールはブレスレットに手をやり満面の笑みを浮かべた。

ブレスレットを返す気はないようだ。


「リオーネさん。これっていいんでしょうか」


 シャインはリオーネに聞いた。何かまじないめいたものがかかっていそうな気がしたのだ。


「ロワールさんがそれを身に着けていて、気持ち悪かったり頭が痛くなったりしたらおすすめしないけど。どうかしら?」


「いいえ、全然そんなことないわ。寧ろすごく安心できるの……いえ、なんだかこの薔薇の細工とか見ていると、何かこう懐かしくなるっていうか……」


 ロワールが再びブレスレットに指を滑らせた。

 その横顔を見ていたシャインはふと思い出した。とても大切なことを。


 ロワールハイネス号の『船鐘シップベル』――いや、エクセントリオンの『船鐘』。あれを作った人を

 

「じゃロワール。気に入ったのなら君にあげる」

「うふ。ありがとシャイン」


 ロワールが嬉しそうにブレスレットに目をやり微笑んでいる。それを見ながらシャインはリオーネに声をかけた。


「リオーネさん。手紙を書くので後で出してくれませんか」


「いいわよ。明日エイブリーに街へ持っていくよう言づけておくわ。さあロワールさん。そろそろ夕食の支度をしなくてはならないの。手伝ってくれる?」


「はい!」


 鮮やかな赤髪を揺らしてロワールが元気に答えた。

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