5-87 対面


 ◇◇◇


「ダールベルク閣下。リュニス皇帝の船のみが、ウインガード号へ向かってくるそうだ」


 アドビスはウインガード号の後部甲板にある指揮所へ佇み、アノリア港を凝視するノイエの背に話しかけた。一時間前に、西の港を制圧したとアマランス号から報告を受けたきり、ノイエは沈黙を保っていた。

 その横顔はこうもあっけなくアノリアを取り戻せたことを、安堵しているようにも見える。


「そうかわかった。ではあちらの出方を待つだけだな、グラヴェール参謀司令」


 アドビスは夕闇に包まれた海上に視線を向けながら小さく頷いた。

 アドビスとノイエが佇む後部甲板の階段を下りた平甲板で、通信を担当する士官がランプを片手にちかちかと灯信号を始めている。


「リュニスはこのまま引き下がると思うか?」


 堂々と正面からアノリア港に近づく『青の女王』号を見ながらノイエが口を開いた。


「ほう。あなたはリュニスと戦いたいのだと思っていたのだが?」


 半ば笑いを含んだアドビスの声に、ノイエが水色の瞳を細める。


「馬鹿なことを。アノリアの平和を乱したのはあちらの方だ。だがアノリアは我々が取り戻した。リュニス兵の捕虜も、小船に乗せて我が艦隊の前に並べている。リュニス皇帝が戦いを望むなら、彼らを無視して攻撃してくるというわけだ。それを見てから反撃しても遅くはない」


 アドビスは黙っていた。

 やはりノイエにはリュニスを敵視する個人的な理由がありそうだ。


 海軍省を去る一年前まで、アドビスはアノリアとリュニスの関係は良好だと思っていた。

 しかしノイエは、アノリアの治安維持と対リュニスの防衛のため軍艦派遣を望み、要望をアドビスや前海軍統括将アリスティドへ送っていた。


 何故ここまでリュニスを意識する?

 リュニスとノイエには何かあったのだろうか?


「ダールベルク閣下! ご報告いたします」


 下で通信をしていた士官が後部甲板へ上がってきた。


「リュニスの旗艦『青の女王』号が、閣下との話し合いに応じると言っています。それに伴い、捕虜の返還を要求しています」

「わかった。我がウインガード号も港外に向かおう。捕虜の返還は話し合いの後にと伝えろ」

「了解いたしました」




 ◇◇◇




 通信より三十分後。

 ウインガード号と『青の女王』号は、アノリア港の外の湾で静かに対峙した。


 船の規模はやや青の女王号が小ぶりな印象を受けるが、その舷側には黒と銀の軍服をまとった多くのリュニス兵が長銃を構え、対面するウインガード号のエルシーア海軍を警戒している。


 ノイエはアドビスを後ろに従え、右舷側に近寄った。

 かがり火を焚いている青の女王号に対し、ウインガード号の灯りは、船尾に灯された船尾灯がふたつと、各マストに吊されているランプが一つずつと暗い。けれどこちらも各マストには狙撃手を配置し、リュニス側の動きを警戒している。


 青の女王号の左舷側に、金色の髪を一つに束ねた、紫苑のマント姿の青年が姿を現した。皇帝の実弟、バーミリオン皇子である。

 バーミリオンは流暢なエルシーア語でウインガード号に呼びかけてきた。


「ノイエ・ダールベルクはどこだ。皇帝陛下自らが対話に応じるというのだ。姿を見せろ」


 バーミリオンの隣には、兜をつけることなく素顔をさらし、軽装のリュニス皇帝アルベリヒが立っていた。その姿を見た時、アドビスは雷鳴が頭上で轟いたのと同じくらいの驚きに息を飲んだ。


 アドビスだけではない。

 周りにいる士官達も同様にざわめいた。


「……とうとう私と出会ってしまったな。リュニス皇帝」


 ノイエが灯りを持つ士官を手招きして自分の顔に光が当たるように指示した。

 今度はリュニス側に動揺のざわめきが起こった。


「そ、その顔は――!」


 バーミリオンが驚愕してノイエと兄皇帝の顔を見比べている。


「ど、どうして陛下とお前が……!」


 バーミリオンが上ずった声を上げるのも無理はない。

 二人の顔は瓜二つだった。

 アルベリヒが金髪で新緑色の瞳。

 ノイエが黒髪で水色の瞳。

 髪と目の色はそれぞれ違うが、全く同じ顔がそこにあった。


「これは。どういう……ことだ……!」


 あまり物事に動じない皇帝アルベリヒがかすれた声で呟く。

 一方ノイエは涼しげな顔で彼を睨みつけている。


「何、驚くことはない。あなたには『双子の弟』がいたというだけだ。リュニスでは双子が生まれると、皇家を滅ぼす存在として、後に生まれた方を殺すそうだ。でも私は生き永らえた。実母の命を受けた女中が、アノリア行きの船に密航してダールベルク家の門扉を叩いた。リュニス皇家とダールベルク家は交流がある。わが養父ダールベルクは、先日生まれた子供が死産で、妻を慰めるためにだまってその赤子を引き取り、自分の息子として育てた。それが私だ。私は私という存在を抹消したリュニスを憎んでいる。だからリュニス人をアノリアからすべて一掃する」


「そうか……それが今回の騒動の原因だったのだな」


 アルベリヒがノイエから視線を外すことなくじっと見つめている。


「確かに……我がリュニス皇家にはそのような忌むべき言い伝えが残っている。我が母はそなたのような漆黒の髪に透き通った水の色の瞳を持つ、エルシーア人との混血だった」

「陛下」


 声をかけてきたバーミリオンをアルベリヒは無視した。


「なるほど。そなたはかぎりなく我が弟である可能性が高いということか。余は全く知らなかったが」


 ノイエは押し殺した声で返答した。


「だとすればどうする。私にはあなたと同じ先祖の血が流れている。まさにリュニス皇家を滅ぼす存在だ」

「だからといって、余とそなたが争う必要はあるまい。もっとも、そなたがリュニスを欲するなら容赦はせぬが」


 ノイエは目を見開いた。

 あまりにもあっけなくアルベリヒが平然と言い放ったからだ。


「そなたの望みは何だ? リュニス皇帝の座か? 

「……」


 リュニス皇帝から名前で呼ばれてノイエは表情を凍りつかせた。

 そこには憎しみどころか、親愛の情すらも感じられるような、温かさに満ちたものがあったからだ。


「わ……私の、望みは……」


 大きく息を吸い、ノイエはいつもの冷静な軍人の顔を作った。


「リュニスの玉座など欲さぬ! 私は、私自身の命の保証が欲しい! 私の出自がどうであれ、私はこの世で堂々と生きる権利がある! 私はエルシーア人のノイエ・ダールベルクだ」


 ノイエの声が夜の闇の中へと消えた。

 アルベリヒは穏やかな表情で微笑んでいた。


「わかった。そなたはずっと命の危険に怯えていたのだな。リュニス人をアノリアに増やしたくないというその気持ちもよくわかる。余の顔を知る者がそなたの顔を見れば、我らが兄弟であることはすぐにわかる。余もそなたの望みは当然だと思う」

「リュニス皇帝……」


 緊張が解けたのか、ノイエが上半身をふらつかせた。

 アドビスは咄嗟に腕をつかみ、体を支えた。


「大丈夫だ。手を、離せ」


 アドビスの腕を振り払い、未だ落ち着かない様子でノイエは船縁へ手をついた。


「……では、私は……」


 アルベリヒは静かな微笑をたたえたままうなずいた。


「余はそなたがノイエ・ダールベルクとして生きることを。我がリュニス皇家は玉座のために親兄弟が殺しあう血塗られた家系だ。だからこそ双子は特に忌み嫌われたのだろう。でも……それも余の代で終わらせてくれる」

「……」


 ノイエは感極まったのか顔を俯かせた。


「……それでは、あなたは停戦に応じるという見解でいいのだな。リュニス皇帝。このまま艦隊を引き揚げさせ、リュニスに戻るという認識でよいのだな?」


 ここで初めてアルベリヒの顔が曇るのをアドビスは見た。


「余はそのつもりだが、条件が二つある。一つは、我がリュニスがアノリアを攻撃したのは、あくまでもダールベルク家との対話が叶わず、アノリアにひと月以上も足止めされていた我が国民を救出するためだったということを、エルシーア側が認めること」


「――認めよう」


 ノイエが深く頷いた。


「二つ目は、これまでどおり、リュニス国籍の船がアノリア港を使用できるようにすること。西の港も同様にだ」

「それは……」


 ノイエは口籠った。

 彼が即答できない理由をアドビスは知っている。


「恐れながらリュニス皇帝陛下に申し上げます」

「何者だ。控えよ」


 両軍の長同士の話し合いに部下が割り込むのは通常ありえない。

 険も露にバーミリオンが鋭い抗議の声を上げた。

 けれどアドビスは言葉を続けた。


「無礼は承知の上。ですが、二番目の条件に関しましては、ダールベルク海軍統括将が独断するには権限を超えております」

「ええい、黙らぬかと言って……」

「よいバーミリオン」


 リュニス皇帝はバーミリオンを下がらせた。

 その瞳がアドビスへと向けられる。

 若いながらリュニス五百の島を束ねる皇帝としての貫禄をアドビスは見た。


「発言を認める。そなたは何者だ」


 アドビスは明かりを持つ士官の傍に移動した。

 マストのような長身を折り曲げて礼をする。


「エルシーア海軍参謀司令官のグラヴェールと申す者です」

「ほう」


 何か興味をそそられるように、アルベリヒの声が柔らかくなった。


「二番目の条件がすぐに飲めぬのは何故か教えてもらおう」


「はっ。それは先程も申し上げた通り、一軍人であるダールベルク統括将の権限を超えている内容だからです。今回の貴国のアノリア侵攻は、我が国民はおろかエルシーア国王にも大きな衝撃を与えました。議会ではアノリアを取り戻すための戦闘行為もやむを得ないと、貴国との戦争を容認する結果が出ております。

よって、この場で条件は飲めませんが、後日、貴国がアノリアに侵攻した本当の理由をエルシーア国王に報告し、貴国に侵略の意志がないことを認識のうえ、正式にアノリア港使用の条約を我がエルシーア国王と交わしていただきたいと存じます」


 アルベリヒは深く頷いた。


「……うむ。それは、そなたの言う通りだな。では、今度はちゃんとエルシーア国王と条約を交わすことにいたそう」

「我が国と貴国には国交がないため、しばし時間がかかることになると思われますが……」


「仕方があるまい。我々がエルシーアの領土を脅かしたことは事実。よって、ダールベルク統括将には、きちんと事の経緯をエルシーア国王に報告し、我がリュニス国籍の船がアノリアに立ち寄れるよう、計らってくれることを望む。さすれば今宵は艦隊を引き揚げ、余もリュニスに戻ることにする。それで異存はないか?」


「……ありません」


 ノイエは船縁から手を離し、姿勢を正した。

 真っ直ぐ双子の兄アルベリヒの顔をを見据える。

 同じ顔をしたアルベリヒもノイエと同じようにこちらを見つめていた。


「それでは、条約を結ぶ会見の席でまた会おう。ノイエ・ダールベルク」


 強張っていたノイエの顔に明るいものが戻った。


「わかりました。会見の席で、必ず――」

「ダールベルク閣下。リュニス兵の捕虜の解放は……」


 アドビスはノイエに話しかけた。


「あ、ああそうだ。すぐ解放するように伝えろ」

「はっ」

「グラヴェール参謀司令官、すまないが甲板を頼む。私はしばらく一人になりたい……」


 ノイエの顔色は青ざめていた。リュニス皇帝との対話ですべての精神力を使い切ってしまったのだろう。


「了解しました」


 アドビスは甲板を立ち去るノイエを一瞥し、ウインガード号の副長アズベイルを呼んで、リュニス兵の捕虜を解放するように命じた。

 その時だ。

 青の女王号から、再びアドビスの名を呼ぶ声がしたのは。

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