5-46 偶然か必然か
「伯爵にお会いした事はありませんが、伯爵のご子息となら面識があります」
声が震えそうになるのを堪えてシャインは答えた。
この世には自分に似た人間が三人はいるといわれているが、見れば見る程、冠を額に頂き玉座に座るリュニス皇帝は、あのノイエ・ダールベルクに似ている。
違う所は髪と瞳の色でノイエは黒髪に水色の瞳。
皇帝は金髪に新緑色の瞳をしている。
髪の色と目の色が違うせいだろうか。どことなく冷たい皮肉屋のような雰囲気のノイエとは違って、同じ顔でもリュニス皇帝の方が穏やかで公正な人物のような気がする。
「皇帝陛下。そういえば、アノリアは唯一リュニスと交易ができるエルシーアの港です。これには何か特別な取り決めが交わされているのですか?」
「取り決め? いや、そのようなものは特別ないと聞いている。だがそなたは知っているか? 遥か神代の世。エルシーアとリュニスの島々は、元は一つの大きな大陸であったということを」
「申し訳ありません。そのような話は初めて聞きます」
リュニス皇帝は玉座に肘をついてシャインを見下ろした。
「そなたがそれを知らなくても恥じる事はない。きっとエルシーアの人間はそれらをすべて忘れ去ったのだろうから。まあいい。そなたに知っていてもらいたいことは、アノリアにはリュニス人もエルシーア人と同じように、昔から住んでいたということだ。それを領主のダールベルク家は認め、我らとエルシーアの調停役を長く務めていた。いわば、我らが唯一信用するエルシーアの人間が、ダールベルク家でもある」
そういいながらも、皇帝の口調は急に重々しいものに変わっていった。
「いかがなされましたか?」
シャインが思わず声をかけると、皇帝は眉間をしかめ小さく息を吐いていた。
「そのダールベルク家の態度が急変したのだ。一月程前になるが、我がリュニスの船がアノリア港に入れないという事態が起きた。奴隷船――言葉は悪いが、リュニス本島での働き口を探すために、自らこれらの船に乗ってアノリアへ来る者もいるのだ。奴隷船に限らず、商船もアノリアへ入る事ができなくなった。そこで余はダールベルク伯爵に、何故このような事態になったのか説明を求め使者を送ったが、その者が未だに戻らぬのだ。勿論、ダールベルク家からは、今も何の説明も書簡もなく、船はアノリアに入れぬし、反対に出る事もできない状況なのだ」
リュニス皇帝は困惑した表情を隠す事なく再び嘆息した。
「リースフェルト」
呼び掛けられてシャインは我に返った。
それが自分の名前だと認識するのに僅かだが時間がかかった。
「は、はい」
ふっと皇帝の薄い唇が歪んだ。
「その名に早く馴染む事を願う」
「申し訳ありません」
「よい。それで、そなたに頼みたい事なのだが」
皇帝がそっと手招きをした。
「もう少し近くへ。階段を昇って」
シャインは言われた通り立ち上がり、玉座へ続く階段を半ばまで昇った。
玉座に腰をかけたまま、皇帝は揺らがない緑の瞳でひたとシャインを見据えた。その眼光は鋭く、穏やかな口調の裏にも、一国の君主としての威厳に満ち満ちていた。
「アノリアに入れなくなってはや一月。リュニスへも戻る事ができぬ我が民達のことが心配だ。商人達もダールベルク家が、アノリアからリュニス人を排除しようとしているという噂をきいたそうだ。よって近日、アノリアに船を向かわせる。バーミリオンを使者としてダールベルク家に向かわせ、その真意を訊ねるのだ。その船にそなたも同行してもらう。ダールベルク伯爵の息子と面識があるのなら、伯爵もそなたのことを信用するだろう。もっとも、そなたの語ったエルシーアでの身元が真実であったなら、な」
シャインは身を固く強ばらせた。
皇帝はシャインの話をすべて鵜呑みにする人間ではない。
早速シャインの事を試そうとしている。リュニスへの忠誠も含めて。
「わかりました。バーミリオン様と同行してダールベルク家に赴き、事情を訊ねて参ります。ただ……」
シャインは内心この話を口にするには機が早熟すぎるだろうかと、一瞬迷った。
「何を考えている。リースフェルト。余に遠慮なく申すがいい」
シャインの動揺を察した皇帝が素早く口を開いた。
シャインは自分の迷いが外に漏れた事を後悔した。けれどもう遅い。
「いえ。実はダールベルク家のことで、エルシーアを出る時に、気になる話を父から聞いたのです」
ぐっと皇帝が身を玉座から乗り出した。
「それは何だ?」
「はい……」
シャインは呼吸を落ち着かせ、真摯な瞳でこちらを見つめる皇帝の顔を凝視した。
「ダールベルク伯の子息ノイエ様は、エルシーアのアスラトル領主、アリスティド公爵家のご息女ディアナ様と婚約されていて、近くアノリアでお二人の結婚式が執り行われる予定でした。それなので、ディアナ様は先にダールベルク家の船でアノリアに向かわれたのです。ですが、アスラトルを発って一週間が経過したというのに、未だディアナ様の乗った船はアノリアに着いていないそうなのです」
シャインはそこで言葉を一旦区切らせ、ちらと皇帝の様子を伺った。
みればみるほどノイエそっくりなその顔は、シャインが予想していた感情の揺らぎのようなものがみられない。
「つまり、ダールベルク家は花嫁が未だアノリアに着かないので、港を……いや、付近の海域を封鎖している可能性があると、そういうのだな?」
皇帝はシャインの言った内容を勝手に解釈した。
「はい。私もそう思います」
「そうか……あの海域にはリュニスの島々を根城とした海賊も出るそうだから、ひょっとしたらその者にダールベルク家の船が襲われたのかも知れぬ。リースフェルト。具体的な海域はわかるか? 海軍大臣に通達して、それらしき船を目撃した者がいないか調べさせよう」
シャインは階段を下りて頭を垂れた。
「皇帝陛下のご配慮、有り難く存じます。ダールベルク家も必死でディアナ様のことを探していると思いますので、今後の
「うむ」
衣擦れの音と共にリュニス皇帝は玉座を立った。
「リースフェルト。そなたがこの国に来たのは偶然かな。それとも、必然だろうか?」
シャインは黙ったまま首を振った。
「人生とは目隠しをしたまま一本の細い路を歩くようなものだと思います。それを正しくなぞっているのか、外れているのか、それがわかるものは誰もいないでしょう。私自身がわからないのですから」
「リースフェルト。そなたはもう一つの祖国を捨てた。それはそなた自身が選んだ運命の『結果』だ。余はそなたとは違う考えを持っている。人生は自ら選び取るものだ。だから、この世には偶然も必然も存在する」
シャインは深々と頭を下げた。
正直皇帝と話を続ける気力が尽きかけていた。
いつ先程のようにうっかりと話を漏らしてしまうか、気が気ではない。
「余はそなたがここにきたのは『必然』だと思う。そなたのような人間が来るのを、余は待っていたのかもしれない」
シャインはぎくりと体を強ばらせた。
だがリュニスの青年皇帝はすでにシャインに背を向けて、玉座の奥の部屋へ歩いていた。
「リースフェルト。そなたの活躍を期待している」
「御意」
シャインは皇帝の姿が消えた玉座に向かってもう一度だけ礼をしてから、謁見の間を後にした。
これでよかったのだろうか。様々な不安が脳裏を過る。
落ち着いたら、ヴィズルにリュニスに無事に潜入できた事を連絡するべきだろう。
そこでシャインははっとなった。
ロワールハイネス号は無事だろうか。ヴィズルの『ツウェリツーチェ』も。
サセッティに会ったら、どこの港に係留されているのか訊ねなければならない。
シャインは謁見の間から廊下に出る扉へ急ぎ向かった。
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