5‐47 ミリアスの決意

 どこまで僕を侮辱する。

 シャイン・グラヴェール。

 生きていると知ったからには、僕はお前を地の果てまで追いかけてやる。


 青白い月光の下で、黒い軍服と白灰色のマントを翻したリュニス軍装のシャイン。振り向いた時に束ねられてない淡い金髪が肩の上で揺れ、微動だにしない青緑の瞳がひたとミリアスを見つめていた。


 そこに浮かぶ彼の感情は霧のかかる湖のように読むことができなかったが、以前墓場で相対した時と同じ人物とは思えないほど雰囲気が変わっていた。


 あの男は――シャインは、ミリアスの存在にたじろぐことなく、むしろ積極的に剣を構え斬りかかってきた。リュニスの軍服を着ていることと関係があるのかもしれないが、度肝を抜かれたのはミリアスの方だった。


 死んだと思っていたシャインが目の前にいて、しかも、その華奢な外見からは想像できないような、豪胆な太刀筋を見せつけらたからだ。気を抜けば勝負は一瞬でついていただろう。

 ミリアスはシャインにその時受けた屈辱を思い出し、苦い唾をごくりと飲み下した。


「……海軍一家グラヴェールの名は伊達ではないということか」

「グラヴェール家がどうかしたのだ?」


 ミリアスは背後から響いた声で我に返った。


「い、いえ」


 ミリアスは腰かけていた長椅子から立ち上がり、自分の執務室に入ってきたノイエ・ダールベルクを出迎えた。ノイエは黒い将官服に中将位を示す三本の金鎖を肩に這わせただけの略装姿だった。


「閣下。お忙しい所、申し訳ありません」


 ミリアスは肩口で切りそろえた金髪を揺らし、深々と頭を垂れた。


「構わん。私もお前からアノリアで見聞きしたことを、直に聞いてみたいと思っていた所だったから」


 薄氷を思わせる淡い水色の瞳を細め、ノイエはミリアスに手で座るよう指示しながら、彼の正面の肘掛椅子に腰を下した。


「アノリアの件で話があるというが、君の上官、ジャーヴィス艦長からおおまかな報告はきいた。だが君は報告したいことがあると……?」


 椅子に座ったミリアスは「はい」と声を潜め返事をした。


「恐らくジャーヴィス艦長が、に報告しなかった事案です」

「ほう?」


 興味をひかれたのか、ノイエの薄い唇に笑みが浮かんだ。


「あの生真面目で有名なジャーヴィス艦長が、我々に隠している報告があるというのか? ミリアス・ルウム中尉? もしもそれが本当なら、君の上官を私は再び呼び出さなくてはならないな」


「きっと、そうなるでしょう」


 含みをもたせつつミリアスは答えた。

 個人的にミリアスは、ジャーヴィスのことを自分の上官として、エルシーア海軍士官の規範として尊敬はしているものの、一つだけ気に入らないところがあった。


「ダールベルク参謀司令。ジャーヴィス艦長は、シャイン・グラヴェールのことを報告されたか、それをお聞きしたいのですが」


 ノイエの顔に困惑の色が広がった。


「シャイン・グラヴェールだと? ミリアス、君はアノリアの件で報告があると言ったが? まあいい。その質問だが、確か彼の話は一切ジャーヴィス艦長の報告にはと思う」


 ノイエはミリアスに同情するように鋭い瞳を細めた。


「ミリアス。君が亡くなった父上の死のことで――いや、あの事件で亡くなったすべての人間の代表として、『彼』を許せない気持ちはわからなくもない。だがもう忘れた方がいい。彼はもうこの世にいないのだから」


「いいえ」


 ミリアスは勝ち誇ったように顔を上げてノイエを見据えた。


「いいえ。ダールベルク参謀司令。彼は……あの男シャインは生きているのです。僕はアノリアで彼と出くわし、戦いました」

「なんだと?」


 ノイエの声が低く強張った。


「そのご様子だと、やはりジャーヴィス艦長は、シャイン・グラヴェールの事を報告していなかったのですね」


 ノイエの一瞬よぎった動揺の表情に、ミリアスは満足感を覚えた。

 上官であるジャーヴィスを尊敬はしている。

 だが尊敬するからこそ、彼のとった行動が気に入らないのだ。


 何故シャインが生きていたことを報告しない?

 彼が生きているということは、その死を報告してきた父親――アドビス・グラヴェールが嘘をついていることに他ならない。


 それが実証されれば、一旦は退けられたミリアスの訴えが再び聞き遂げられることになる。訴えた相手が生きているならば、再度上告すれば、あの裁判をもう一度やることだって不可能ではない。


「ジャーヴィス艦長に問いただしてみて下さい。ダールベルク参謀司令。僕がシャイン・グラヴェールと斬りあっていた時ジャーヴィス艦長が助けてくれたのです。 艦長が知らないはずがありませんから!」


「わかった。まあ、落ち着くんだ。ミリアス」


 ノイエは口元に右手を当てて小さく歎息した。


「君が興奮するのは無理もないな」


「ええ。これで僕の望みは繋がったんです。今まで閣下には、あの事件のことで様々な資料を頂いたのに、あの男が自殺なんかしたせいで、すべてが無に帰したことが僕は本当に悔しかった……。でも今度こそ逃さない! リュニスへ逃げたって僕は必ずあの男を捕らえて、エルシーアの法で裁いてみせます」


「……だと?」

「ええ」


 ミリアスはノイエにアノリアでシャインに会った状況を手短に話した。

 だがノイエは冷静な面差しを大きく崩すことなく、ただ黙ってミリアスの話を聞いていた。


「ミリアス、君の報告はよくわかった。後でジャーヴィス艦長を呼び出して、それが事実か確かめてみよう。しかし私は他にも仕事を抱えている。君にこれまで通り協力はするが、グラヴェール艦長の身柄については、リュニスが関わっているとしたら時間がかかるだろう。しばし対応を待って欲しい」


「……はい」


 ミリアスはノイエの表情に苦しいものが浮かぶのを見た。

 無理もない。エルシーアの最南端の街アノリアは、不可侵条約を結んでいるリュニス群島国の突然の襲撃に遭い、その地を奪われてしまったのだ。


 国家間の交渉がこじれてしまえば、当然リュニスと戦争になる事態も想定される。今が微妙な時期だということは、一士官のミリアスでもよくわかっている。


 くそっ。

 よりにもよって、リュニスに逃亡するなんて。

 どこまであの男は僕を謀り続けるのだろう。


 ミリアスは唇までこみあげた悪態を、両手に作った拳を強く握り締めることで喉の奥に飲み込んだ。悔しいがここはじっと機会を待つしかない。


「それでは、僕はこれで失礼いたします」

「ああ。ご苦労だった」


 ノイエの短いねぎらいの言葉に頭を下げつつ、ミリアスは執務室から退出した。

 必ずこの手で捕まえて、法の裁きの間にひきずりだしてやる。

 その日まで、僕は絶対に諦めたりしない。

 ミリアスは人気のない海軍省の廊下を黙々と出口まで歩いて行った。




◇◇◇




「いい若者ね。血の気が多くて失敗することを恐れない」

「彼の出番はこれで終わりましたよ。ロヤント海軍書記官」


 ノイエの執務室の奥には出窓のある小部屋がある。そこと執務室とは濃紺のカーテンで仕切られている。衣擦れの音を立てて奥の部屋から出てきた女の含み笑いをききながら、ノイエは肘掛に手を載せて小さくため息をついた。


 そのノイエの肩を白い女の細腕が蛇のように絡みつく。

 ふわりと、毒々しい南国の花のような強い香りが周囲に漂った。


「あら、それはどうして?」


「私に彼はもう必要ない。アノリアはリュニスに奪われた。あの地の警備をいち伯爵家に任せっきりにしてきたアリスティド統括将の責任は当然で、閣下が統括将の席を下りられるのも時間の問題だ。「ノーブルブルーの悲劇」で、遺族に一部真実を伏せていた件など、その責任に比べれば些細なこと。もう彼の出番は不要だ」


「そうね」


 ノイエの黒髪をしなやかな指で梳き、ロヤントは左手に持っていた酒のグラスをそっと差し出した。


「アリスティド統括将への辞任勧告書は、私が国王陛下から預かって持って来たわ。後は、それをいつあなたが使うか決めるだけ」


 ノイエは黙ってロヤントから酒のグラスを受け取った。少しだけ口に酒を含んで乾いた唇をしめらせる。


「本当に陛下から、アリスティド統括将の辞任勧告書をもらって来られたのですか?」

「あら疑ってるの?」

「いや……そうではない」


 ノイエは珍しく口籠った。

 今ノイエがエルシーア海軍の参謀司令官の地位にいるのは、紛れもなく隣にいる女性――ロヤント辺境伯令嬢のおかげである。

 ロヤントはアスラトルの海軍本部と、王都にいる国王ならびに大臣たちを繋ぐ要職についている。


「あなたが怖がっているとは思わないけど、あともうひと押しよ。未来のダールベルク統括将閣下」

「……」


 顔を寄せてきたロヤントのそれを右手で優しく制し、ノイエは酒のグラスを卓上に置いて立ち上がった。


「ロヤント海軍書記官、申し訳ない。アノリアの件でこれから会議が開かれるので、行かなくてはならない」


 ロヤントは不満そうに艶やかな紅をひいた唇を尖らせた。


「会議など時間の無駄。リュニスとの戦争は始まるのだから」


 ノイエは肩をすくめロヤントをなだめるようにうなずいてみせた。


「勿論。だがアリスティド統括将をはじめ、その取り巻きどもを納得させなくてはなりませんから」

「ダールベルク参謀司令……いえ、ノイエ様」


 ノイエは扉に向かって歩き出そうとしたがその足を止めた。ロヤントがそっとノイエの背中に寄りかかってきたのだ。


「――アドビス・グラヴェールを早々に海軍から排除しなさい。アリスティド統括将を辞任させれば、あの男の在籍理由もありません。あなたに敵がいるとすれば、あの『エルシーアの金鷹』のみ。あの男は海軍を守るためならどんな手段も使うわ」


「……ご忠告、いたみいります」


 名残惜しむようにノイエはロヤントから離れた。

 アドビス・グラヴェール。

 かつて参謀司令官としてこのエルシーア海軍を裏で支えてきた男。


 今は統括将付きの補佐官として、表舞台からは外れた閑職についているが、彼の海軍復帰を望んだのは、紛れもなくアリスティド統括将自身という――。

 確かに注意するべき人物だろうが、彼を海軍から追い出す方法はいくらでもある。


 ノイエは少し前、ミリアス・ルウムが報告してきたアドビスの息子のことを思い出した。アドビスは先日自殺した息子の訃報を自ら届け出ている。けれど死んだはずの彼の息子は、リュニスがアノリアを襲撃した時に、ミリアスと交戦したという。


「親子揃って何を考えている? もっとも私の邪魔をするのであれば、容赦しないがな」


 ロヤントの言うとおり、アドビス・グラヴェールを放置していれば、アリスティド統括将を退陣に追い込もうとするノイエの計画にも支障が出るだろう。


 だがアドビスの弱みは押さえた。

 彼の息子の自殺は狂言で、しかもリュニスに逃亡し、かつ、アノリアの街を襲撃したリュニスの一団と行動を共にしているのなら。

 アドビスは免職はおろか反逆罪で、王都の監獄に即刻送られる。


 ノイエは脳裏にこの情報をもたらしたミリアス・ルウムの顔を思い浮かべた。

 最後の最後で土産を貰った。

 余裕があれば、彼の願いも叶えてやりたいところだ。

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