5-44 謁見
サセッティと並ぶようにしてシャインは、雪のように白く輝く大理石で作られた宮殿の通路を歩いた。通路の角には、黒地に銀の装飾が施された軍服を纏った近衛兵が立っている。近衛兵はサセッティが通り過ぎると、右手の拳を自らの心臓の上に置いて敬礼をした。
「謁見の間に通じる扉だ。皇帝陛下とバーミリオン皇子が中で待っている」
サセッティは扉の少し手前でシャインを立ち止まらせた。
「ここで待て」
サセッティの声が低く唸る。
「お前が何の目的でリュニスに来たのかは知らぬが、馬鹿な事は考えない方がいいぞ。私がいるかぎり、生きてこの部屋から出られると思うな」
サセッティは目を細めてシャインを睨み付けると、腰に帯びた長剣の柄を右手で握りしめた。
警告ではない。
もしもリュニス皇帝やバーミリオン皇子の身に何かあれば、サセッティは有無を言わずシャインをその刃の
「わかっています。けれど武器はすべてお預けしましたし、俺の目的は皇帝陛下にリュニスへの亡命を正式に認めていただくことなのです」
「その言葉、決して忘れぬぞ」
「はい」
一瞬シャインと視線を絡ませて、サセッティは謁見の間へと続く扉の柄に手をかけた。改まった口調で呼び掛ける。
「失礼いたします。エルシーアからの客人をこちらにお連れいたしました」
暫しの間があり、サセッティが不意にシャインの方へ振り返った。
「さあ、中に入れ」
サセッティが扉を奥に押し、人一人が入れるほどの隙間を開けた。
シャインは臆する事なく謁見の間へと足を踏み入れた。
「おっ? お前……シャイン、だったか。本当にあの怪しげなエルシーア人か?」
緊張した空気が一気に消失してしまうような、そんな軽口がシャインを出迎えた。長い金色の髪を肩に流し、白いゆったりとした部屋着姿のバーミリオン皇子が目の前に立っていた。
黒の軍服姿の時とは違い、武骨そうな雰囲気が消えて優美な貴人にしかみえない。けれどその腰には金色の細剣が携えられている。シャインはバーミリオンに会釈した。
「先日は大変失礼いたしました。エルシーアから参りましたシャインです。皇帝陛下へのお目通りをお許し下さり、皇子殿下には大変感謝しております」
バーミリオンはいささか面喰らったように、リュニスの装束を着たシャインを眺めていたが、頭を振って頷いた。
「服のせいか。格好だけは違和感を覚えないから不思議な奴だ。まあいい。お前にはいろいろ聞きたい事があるが、陛下がお待ちなのでな。こちらへ来てもらおう」
「はい」
謁見の間は広かった。しかし先を歩くバーミリオンの他に人間はいないようだ。柱の並ぶ回廊を軽く百歩以上歩いた先に、リュニス皇帝が鎮座する玉座があった。
白い大理石の床の上には上品な深い紫色の敷物が敷かれており、玉座は燭台に灯された数多の蝋燭の光を受けて金色に輝いている。
玉座には丸い器のような形をした屋根がついており、そこから薄い絹のヴェールが床まで垂れ下がっている。
シャインの先を歩くバーミリオンが、玉座へ登る十段ばかりの階段の前で立ち止まり、その場に片膝をついて跪いた。
「お前も跪け。陛下にいいと言われるまで、顔を上げてはいけない」
小声でバーミリオンが教えてくれた。
シャインは黙ったまま小さく頷いて、バーミリオンの後方で片膝をついた。
「神聖にしてリュニスを統べる我が皇帝陛下。エルシーアからの客人を連れて参りました」
「わかった。ご苦労だった、バーミリオン」
玉座の絹のヴェールごしから声が響いた。
バーミリオンよりは年上と見受けられる、けれど若い男性の落ち着いた声だった。シャインはそれを聞いてふと思った。ありえないことなのだが、どこかでその声色を聞いた事があるような気がしたのだ。
「エルシーアからの客人よ。顔を上げるがよい」
リュニス皇帝の声に、シャインはおずおずと
玉座に続く十段ほどの階段の下に跪いているが、椅子の屋根から下ろされた薄い絹のヴェールのせいで、リュニス皇帝の顔ははっきりと見る事ができない。
ぼんやりとそこに誰かが座っているのが感じられるだけだ。仕方なく人影を見つめていると、皇帝の声が再び玉座から流れた。
「バーミリオンの報告では、そなたはリュニスへの亡命を望んでいるとか」
「はい」
「その理由は?」
「恐れながら皇帝陛下。どうか、人払いをお願いいたします」
シャインの前に膝をついているバーミリオンが血相を変えて振り返った。
「陛下と二人っきりで話をしたいというのか? 悪いがそれはでき……」
「よい、バーミリオン」
「へ、陛下!? しかし」
「余は大丈夫だ。それはお前がよく知っていよう。退出を命じる。バーミリオン」
「……は……」
渋々といった形相でバーミリオンが立ち上がった。不愉快な感情が顔に出るのを必死で堪えるように唇を噛みしめ、玉座の皇帝に向かって一礼する。
そのままシャインと視線を合わせる事なく彼は、謁見の間から出て行った。
「これで満足か?」
「はい。ご配慮ありがとうございます」
蜻蛉の羽のような絹のヴェール越しに、皇帝らしき人物が肘掛けに腕を載せ、シャインに向かって片手を振るのが見えた。
「ではそなたの亡命の理由を聞かせてもらおう」
「はい。ありのままをお話いたします」
シャインは語った。
まず自分の本名と元エルシーア海軍の軍人だったことを。そしてエルシーアにいられなくなった、『ノーブルブルーの悲劇』の事件のことを話した。
シャインはすべてを遺族に報告する意思はあるが、海軍省がそれを阻んで命を狙われた事。海軍高官の父がシャインの身を案じ、リュニスへの亡命を勧めてくれた事。そのために、エルシーア海軍の保有する軍艦の中でも一番の出来だった1等軍艦アストリッド号の設計図の写しを持たせてくれた事を――。
「……事情は大体わかった。だが何故そなたの父親はリュニスへの亡命を勧めたのだ? 我が国とエルシーアは百年以上も前からアノリア海沖での小競り合いを繰り返し、五十年程前に不可侵条約を結んだ間柄。アノリアを除いて今も国交はほとんどない。リュニスへの亡命はそなたにとって、国外追放と同じことであろう」
「はい。だからこそ父は、エルシーア海軍からの追及を逃れられると思ったのだと考えます。それに……」
シャインは不意に言葉をとぎらせた。
言葉を選んで話しているが、エルシーア語ではなく不馴れなリュニス語なので、時々自分が何を言っているのかわからなくなる。
「それに、どうしたのだ?」
皇帝に途切れた言葉の催促をうながされ、シャインは息をついた。
額に浮いた汗を拭おうと右手を上げた時、指にはめていたブルーエイジの指輪がぼんやりと、良く見なければ気付かないぐらいだが、青く光っているのが見えた。
シャインはふっと、昂った気持ちを鎮めてくれるように、誰かが優しく背後から肩を抱きしめてくれるような安心感を覚えた。
――それを口にしてもいいの。
いいのよ、シャイン。
リオーネに良く似た声が耳元を通り過ぎていった。
シャインは膝を付いたまま、顔はまっすぐリュニス皇帝の座する玉座に向け、言葉の続きを口にした。
「リュニスは私にとって、『第二の故郷』でもあるのです。皇帝陛下」
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