5-22 ノイエとの会見

 ヴィラード・ジャーヴィスは懐かしげに古都アスラトルの街を歩いていた。

 たった一年しか経っていないというのに、だ。


 ジャーヴィズは一年前、ロワールハイネス号で副長を務めていたが、長年の苦労が報われて、ジェミナ・クラス軍港に属する警備艦アマランス号の艦長に就任した。よってアスラトルから船で約一週間かかる北の街、ジェミナ・クラスへ常駐することになったのだ。


「いつも思うが、海軍省の用件は急だな」


 ジャーヴィスは艦長の証である肩を覆う濃紺のケープの下を探り、上着のポケットに入れた紙片を探った。

 至急、アスラトルの海軍本部に出頭するように。

 ジャーヴィスの上司であるジェミナ・クラス軍港司令官、バラティエ中将の命令書を受け取ったのは一週間前のことだった。いわゆる異動命令である。


 そしてアスラトル軍港の突堤にジャーヴィスの船、アマランス号が着岸したのは昨日の夕方のことだったが、その到着を待っていたかのように海軍省からの呼び出し状が届いたのだ。


 差出人はノイエ・ダールベルク中将。アドビス・グラヴェール中将が足の負傷のせいで参謀司令官の座を退いた為、その後継として遥か南の地、アノリアから派遣されてきた若き実力派の将官、らしい。アノリア領主ダールベルク伯爵の子息でもある彼の名は、ジャーヴィスも聞いた事があった。

 真面目なジャーヴィスは、翌朝九時には身なりを整え海軍省の彼の執務室を訪れた。


「時間ぴったりだな」


 自ら扉を開けたダールベルク中将は、ジャーヴィスが思っていたよりも若く、伯爵家の出自らしい優雅な微笑を口元にたたえて出迎えた。額の上に垂れる漆黒の髪を揺らし、氷のような淡い水色の瞳が油断なくジャーヴィスの姿を捉える。黒の軍服に階級を表す三本の金鎖を肩から垂らした彼は、まさしく本部の参謀司令官に相応しい風格が漂っていた。


「遅刻をするのもされるのも、嫌いな性分なのです」


 椅子を勧められて席につきながら、ジャーヴィスは控えめに呟いた。

 ジャーヴィスの対面にノイエが腰を下ろした。ジャーヴィスはここが元参謀司令官だったアドビス・グラヴェールの執務室であることを知っていた。けれどその主が変わったせいであろう。どちらかといえば閉鎖的で重苦しい雰囲気だったアドビスの部屋とは違い、ノイエの部屋となったここはアスラトルでいてアスラトルでないような、異国情緒に満ちたものになっていた。


 ジャーヴィスの座っている椅子は太い籐の蔓で編まれたものだし、部屋の中には丸くて大きな緑の葉を幾つも茂らせる観葉植物の鉢が置かれている。ノイエは剣術を嗜むのか、壁際には見事な細工が施された、三日月のような曲刀が何本も飾られている。足元には南方にしか生息しない、大型の豹の毛皮が絨毯代わりに敷かれていた。


「嫌いじゃないな。私もどちらかといえば、時間を守るほうだからな」


 ジャーヴィスに好印象を持ったのか、ノイエの水色の瞳がすっと細くなった。ジャーヴィスは同意するように頷いてみせた。


「今回の任務の選考に当たり、少しだけ君の事を調べさせてもらったよ。ジャーヴィス艦長」


「は……」


「何、調べるといっても、君がどんなひととなりか、書類を眺めただけではわからないから、こうしてわざわざ来てもらったわけだ。実際、自分の目で見て確かめる事が一番大事だと、私自身は常々そう思っている」


「同感です」


 ジャーヴィスは心からそう思って頷いた。ノイエは面白いものをみるように、「ほう」と声を漏らした。


「私と君は考え方が似ているようだ」


 ジャーヴィスははにかみながら首を振った。


「閣下、結論を出すにはまだ早急かと」


 実の所、ジャーヴィスにはノイエの考えが全く読めなかった。彼はジャーヴィスを一方的におだててその反応を見ているようでもある。


「ふうん。ここはグラヴェール補佐官の言っていた通り、君は本当に自己顕示欲がない。美徳といってもいいが……」


 ノイエは腕を組みながら息をついた。


「まあいい。君は実に好ましい人物だというのがわかった。きっとこれからも海軍に貢献する素晴らしい軍人となるだろう」


 ジャーヴィスは黙ったまま頭を垂れた。できることなら、今すぐにでも立ち上がってこの部屋から退出したかった。

 ノイエが自分の事をどれだけ知っているのかわからないが、一方的に褒められる事が気持ち悪くて仕方がない。けれどノイエの世間話は続いた。


「そうだ。君は結婚していたね。アマランス号では君の妻が副長を務めていたとか」

「はい。ですが半年前にリーザには船を降りるように説得しました」


 ノイエはおやと眉間を曇らせた。


「それはどうして?」


 ジャーヴィスはノイエの顔から視線を逸らせた。


「リーザは……いえ妻は、一度身籠ったのですが、流産して以来体調が思わしくないのです。今は大分よくなりましたが、医者は緊張が続く海上勤務が、彼女の体に大きな負担をかけているのだと言っていました」


 ノイエは衝撃を受けたように眉間を曇らせ、白手袋をはめた右手を口元に添えた。


「それは大変だったな。知らなかったとはいえ、立ち入ったことを訊ねてしまった。すまない」


 ノイエの謝罪にジャーヴィスは首を振った。


「いいえ。もう、大丈夫ですから」

「しかし、君も妻のことが気になるだろう。彼女はここに?」

「はい。アスラトルにおります。面倒をみてくれている私の妹と一緒にいますので、本当に大丈夫です」


 リーザのことが気にならないわけではない。だがその前にジャーヴィスは軍人である。こうして呼び出しがかかったからには、そちらを第一に優先にしなくてはならない。だからアスラトルに戻った連絡も実はまだしていなかった。

 そのことをジャーヴィスが話すと、ノイエの整った顔はますます申し訳なさそうに曇った。


「私なら顔も知らない参謀司令官の呼び出しは後回しにして、まずは愛しい妻の顔を先に見に行くよ」

「ダールベルク中将……」


 ジャーヴィスは戸惑った。ノイエが『なぜ君はこんなところにいる?』とでもいいたげな眼差しでジャーヴィスの顔を見ているからだ。


「いえ、手紙では本当に彼女の体は良くなって、以前と変わらないようですから……」


 ノイエは溜息をつきながら首を振った。


「健気な女性だ。君に心配をかけたくないのだよ。よし、ジャーヴィス艦長。君への命令書を渡しておく。だが出港は三日後でいい。早く妻の所に行って顔を見せてやれ。それが何よりの特効薬だ」

「はっ……」


 どことなく他人には興味を持たないような、そんな冷たい雰囲気を感じていたノイエの印象ががらりと変わった気がする。ジャーヴィスは席を立ってノイエから命令書の入った青い封筒を受け取った。


「ジャーヴィス艦長。命令書の開封はに頼む」

「では私はどこに向かえばよいのでしょうか?」


 ノイエは意味ありげに命令書へ視線を投げた。


「アノリアだ。詳しい内容は言えないが、君の他にも何隻か向かわせるつもりだ」


 その時、ノイエの執務室の扉を誰かが叩いた。


「開いている。入ってくれ」


 ノイエが答えると扉が開き、後方艦隊司令部の長、ひょろりとした背のエスペランサの顔が覗いた。ジャーヴィスはエスペランサに会釈した。以前乗っていたロワールハイネス号は後方艦隊所属なので、エスペランサはかつての上官になるのだ。だがエスペランサはそれどころじゃないといわんばかりに表情を強ばらせ、ノイエに向かってずかずかと歩いてきた。


「失礼いたします閣下。緊急の知らせが入りました」

「なんだ」


 観葉植物の丸みを帯びた緑の葉に手を伸ばしながら、ノイエが至って平静に呟く。


「……では、私はこれで失礼いたします」


 退出した方がいい空気を察して、ジャーヴィスはノイエに会釈した。


「ああ。ご苦労だった」


 ノイエは愛想よくジャーヴィスにこたえた。ジャーヴィスは部屋を出て扉を閉める時に、そっとエスペランサとノイエの様子をうかがった。エスペランサはノイエの傍らに立つと、小さな声で耳打ちしていた。愛おしむように観葉植物の葉に触れていたノイエの手が止まる。


「……なんだと」


 その声は先程ジャーヴィスと談話したノイエのものとは思えないほど強ばっていた。

 何かよくない知らせのようだ。

 ジャーヴィスは音を立てないようにして扉を閉めると、そっとノイエの執務室を後にした。

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