5-23 訃報

 ノイエとの会見は一時間にも満たなかった。

 ジャーヴィスはついでに総務課に立ち寄り、三日後に出港であることを伝え、食料や船の備品の積み込みの手配を行った。


 もっぱらこれは副長の仕事だが、現在アマランス号には副長がいない。ジャーヴィスの妻リーザがそうだったのだが、彼女は半年前に体調を崩したため船を降り、現在アスラトルで休養している。その後、彼女の代わりの士官が来たのだが、彼もまた、個人的な用があって、先月から休暇をとっている。


 海軍省での用事をあらかた済ませ、ジャーヴィスはリーザの待つアスラトルの家に戻ろうと強く思った。ノイエに言われるまでもない。彼女とはもう半年も会っていないのだ。


 手紙ではすっかり体はよくなったと言っているし、それは嘘ではないとジャーヴィスは思う。医者にも言われたのだ。子供が欲しいのなら、軍艦に彼女を乗せるべきではないと。今にして思えば当然だ。海軍士官として有能なリーザであるが、船の生活は身体的にも精神的にも過酷なのだから。


「ジャーヴィス艦長?」


 海軍省の玄関に差しかかった時だった。大理石の床を歩く靴音と共に、背後から呼び掛ける声にジャーヴィスは立ち止まった。振り返るとそこには、二十ぐらいの若い海軍士官が立っている。


「ミリアス。ミリアスじゃないか!」


 ジャーヴィスは驚いたように青年に呼びかけた。肩口で切りそろえた金髪を揺らし、ミリアスがジャーヴィスの手を取る。二人は握手をした。


「アスラトルにいつ来られたんですか?」

「昨日の夕方、着いた」


 ミリアスの目は全てを察したように、ジャーヴィスが抱える青色の封筒に注がれている。


「任務ですね。わかりました。船に戻って出港準備をいたします」

「……ミリアス? お前は確か」


 ジャーヴィスは一瞬戸惑った。


「もう船に戻れるのか? お前はひと月休むつもりだったはずだ」

「ええ、そうでしたね……」


 ジャーヴィスの副官であるミリアス・ルウムは周囲を気にするように見渡した。

 そして念を押すように、ジャーヴィスのことを確かめるように呟いた。


「ひょっとして、?」

「何の事だ?」


 ミリアスは声を潜めた。


「僕が休暇を取ったはお話した通りですが」


 ジャーヴィスはきっと唇を結んだ。

 それは勿論知っている。ミリアスが『ノーブルブルーの悲劇』と呼ばれるあの事件で、ジャーヴィスの元上官、シャイン・グラヴェールを告訴したのだ。


「私がアスラトルに呼ばれたのは、君の起こした裁判の証人台に立たされるためかもしれないと思っていた。実際は違ったがな」


「ええ。必要があれば、ジャーヴィス艦長にも証言をお願いするつもりでした」

「ミリアス、どうした?」


 ミリアスはジャーヴィスから顔を背け、自らの腕を抱くと嘆息した。

 上手く裁判がいっていないのだろうか。ミリアスの重苦しい顔の表情にジャーヴィスは眉を潜めた。

 ミリアスは再び嘆息して訴えるようにジャーヴィスを見つめた。


「裁判は永遠にできなくなりました。グラヴェール艦長が亡くなりましたから」

「……なに?」


 ジャーヴィスは惚けたようにミリアスを眺めた。

 ミリアスが今何か、大事な事を言ったような。

 ジャーヴィスは再度ミリアスに問いかけた。


「今、なんて言ったんだ?」


 ミリアスは疲れたように目を伏せ頭を振った。

 その様子は彼自身も大きな衝撃を受けて憔悴しきっているようだった。

 ミリアスは声を潜めながら、静かに口を開いた。


「やはりご存知なかったのですね。もう一週間ぐらい前ですけど。司法局の出頭を拒否して、グラヴェール艦長は屋敷の裏手にある岬から飛び下りてしまったそうです。父親である、グラヴェール補佐官の目の前で」


「……嘘だ」


「嘘をついてどうするんですか! あなたは元上官が死んだと言われてそれが単に悲しいんでしょうけど、僕は……僕は永遠に、真実を知る機会を失ったんですよ!」


 ミリアスは怒りで顔を上気させていた。ともすれば、ジャーヴィスに掴みかかろうとする気持ちを抑えるように、両手をぐっと握りしめていた。


「あいつは、あいつは本当に僕の前から逃げ出した。僕は、それをゆるさない。海へ出る度に呪ってやる。青の女王は自ら命を捨てた者に救済の手は差し伸べない。彼の魂が一片の光も射さない海の底で、もがき苦しむことを願う」

「ミリアス」


 ジャーヴィスは青年の肩を掴んだ。

 ミリアスの目には悔し涙と思われるそれが浮かんでいた。

 ジャーヴィスは自分の中の、シャインが死んだという事実を認められない気持ち――それを考えるのも嫌だ――を抑えつつ、冷静にミリアスにたずねた。


「……わかった。あと少しだけ、その事に関して聞きたい」

「なんですか」

「お前はその……グラヴェール艦長の訃報を、誰からきいたんだ?」


 ミリアスはほとほと疲れたようにジャーヴィスの顔を見上げた。


「ノイエ・ダールベルク中将からです。中将は僕があの男を告訴したことをご存知でしたから、わざわざしらせてくれたんです。なんでも、グラヴェール補佐官が葬儀のために一週間の休暇を申請したそうですから」


 ジャーヴィスは意味ありげにミリアスを見つめた。

 今にして思えば、箝口かんこう令が敷かれたあの事件について、海軍に在籍しながらシャインを告訴したミリアスが、除籍処分になっていないことが不思議だった。


 いや、とジャーヴィスは思い直した。

 海軍省はミリアスの訴えなど重要視していなかったのだ。調査済ということもあり、彼の訴えをきっと揉み消すつもりだったのだ。だからミリアスは、軍籍を剥奪されずに放置されたのだと思う。


「ということは、グラヴェール補佐官はまだ休んでおられるのか」


 ミリアスは目元を拳で拭って「ええ」と小さく呟いた。


「……」


 ジャーヴィスはいてもたってもいられなくなった。先ほどダールベルク中将と話したことではないが、自分の目で事実を確認しないと納得できない性分なのだ。不安と動揺が入り交じる。ジャーヴィスはミリアスに話しかけた。


「ミリアス。気持ちの整理がまだつかないのなら、申請した通りひと月休んでくれて構わないぞ」


 ミリアスは頭を振った。


「いえ。ジャーヴィス艦長に負担をかけるわけにはいきません。もとより、休暇の日数の修正をしにきたんです。ただいくつか司法局に書類を出さなくてはならないので、明日まで休ませて下さい」


「わかった。ダールベルク中将より、アマランス号は三日後に出港するよう命じられている。用件が終わり次第でいいから船に来てくれ。私もこれから妻の待つ家に帰るから、今日は船に戻らない」

「わかりました」


 ジャーヴィスとミリアスはそれぞれ別れた。



 ◇



 リーザの事は気になるが、彼女の体は心配ない。

 最近受け取った一番新しい手紙には、妹のファルーナと一緒に王都ミレンディルアまで出掛けて、その道すがら焼菓子やら名産品やらを食べ歩く小旅行を楽しんだと綴られていたからだ。実にうらやましい。


 海軍省を出たジャーヴィスは辻馬車を拾い、急ぎグラヴェール屋敷へと向かっていた。けれど屋敷が近付くにつれて、馬車から飛び下りたいという衝動が募ってきた。


 自分の目で事実を確認する。だからこそシャインの訃報は本当なのか、アドビスに会って話をききたい。けれど同時に真実から目を背けたい自分の気持ちもある。ジャーヴィスは馬車に揺られながら両手を組み目を閉じていた。


 どうか、何かの間違いであって欲しい。

 そう――祈りながら。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る