5-19 逃れられないもの

「やっと会えたな。シャイン・グラヴェール」


 妹ミリーよりもきつめな印象の瞳を凄ませ、ミリアスは声高にシャインの名を言った。


「おっと、僕はあんたを知ってるが、僕を知らないだろうね。これは失礼。まずは礼儀として名乗ろう。僕はミリアス・ルウム。ご覧の通り、エルシーア海軍の軍人だ。そして、ファスガード号の艦長だったアースシー・ルウムの息子で、ここにいるミリーの双子の兄だ」


 シャインは相手が名乗ったことに対する礼儀で、軽く頭を下げた。

 だがミリアスは、シャインを真直ぐに見据えたまま返礼をしなかった。

 シャインはそれに気を止めず、目を伏せてその場から立ち去ろうとした。


 ミリアスが海軍の軍人なら箝口令かんこうれいを知っているだろう。

 あの事件について語ることができないシャインの事情を知っているのなら、ここで引き止めることに何の意味もないことを。


「あなた方のお父上の墓前を騒がせるつもりはありません。それでは、失礼します」

「また逃げるのか」


 かちりと撃鉄を上げる音がした。ミリアスが右手に携えていた単発銃をシャインに向かって構えている。


の告訴から逃げた卑怯者。ここで会えたのも、きっと父さんのおかげだ」


 シャインは無言でミリアスを見つめた。

 彼だというのか。

 告訴状を司法局に出した者とは。

 ミリアスは銃を構えたまま唇に薄く笑みを浮かべた。


「そうだ。僕が訴えた。真実を明るみにし、あんたを裁く方法がこれしかなかった。何しろあんたの背後には父親であるグラヴェール元参謀司令官や、アリスティド統括将がついている。海軍省全体で『あの事件』の真相を隠しているんだ。だから僕は、エルガード号とファスガード号が沈んだことの責任を問うため、正式にあんたを告訴した。あんたをアリスティド統括将は庇うことができない。それは統括将自身も、真実の隠ぺいに絡んでいたことを認めることになるからだ」


 ミリアスは威嚇するように右手の銃を左右に振った。


「一緒に来てもらおうか。それとも――逃げるのか?」


 シャインはミリアスを見つめながら静かに首を振った。

 恐らくミリアスの推測は当たっているだろう。

 どこまでアリスティド統括将や父アドビスが関わっているのかは知らないけれど、それは海軍省の体面を保つためであって、シャイン個人を守るためではない。


「逃げる気はない。ただ、司法局が何の容疑で俺に出頭を命じたのか理由を話してくれなかったので、事情がわからなかっただけだ」


 ミリアスは不満を訴えるように小さく鼻を鳴らした。


「そうかい。でも勘違いしないでほしい。グラヴェール艦長。僕が訴えをおこしたのは、本当のことが知りたいだけなんだ。それなのに、当事者であるあんたたちは遺族に十分な説明をする義務を怠ったばかりか、偽りの言葉を並べて、僕たちに耐えがたい心痛を与えた」


 心痛。

 本当のことを話せないこちらも苦しいのだが。

 シャインは抑揚を抑えた低い声で呟いた。


「……それは、俺も同じだ」

「あ、あんたが?」


 声を震わせミリアスが絶句した。


「あんたが船を沈めた張本人じゃないか! 僕はその事実を知っているぞ。自分たちが生き残るために、父さんの船を、そしてエルガード号を沈めたくせに!」


 シャインは眉をひそめた。

 前々から感じてはいたが、箝口令かんこうれいとは名ばかりで、あの夜の出来事を第三者に話している者がいる。

 それは無理もないだろう。人の口に戸は立てられない。


 シャインはミリアスから視線を逸らすことなく頷いた。ラフェール提督の代わりにファスガード号を指揮したのは紛れもなく自分だし、エルガード号を沈めるために砲撃したことは事実だ。


「そう言われるのは仕方がない。俺は、生き残ってしまったのだから」

「自分の行動を正当化するのはやめろ!」

「ミリアス兄さん、ここで言い合っても仕方ないわ」


 感情のまま言い放たれる兄の言葉に耐えかねたのだろうか。ミリーが口を挟んだ。

 だがミリアスは悲し気に瞳を潤ませて、妹に向かって叫んだ。彼女の気持ちを代弁するかのように。


「ミリー、お前、あんな風に言われて悔しくなのか? あいつは、父さん達が……お前の大切な旦那が死んだのは、仕方がないって言ったんだぞ!」

「それはわかってる。でも、でも!」


 ミリーが息を飲む。

 ミリアスは俯かせた顔を上げて、乱れた金色の前髪を手でかき上げた。銃をしっかりと握りしめて、亡霊のように佇むシャインに向かって狙いをつける。

 指は引き金にかかっていた。


「今すぐ詫びろ。死者と僕たち遺族をどこまで侮辱する気だ」

「……」


 薄闇に包まれていく墓地をひんやりとした風が吹いた。

 足元に生える雑草がざわりと音を立てて揺れる。

 その音がシャインの耳には潮騒しおさいのように聞こえた。

 まるで海原に自分が立っているような錯角を覚える。


 ――海か。

 おかしなものだ。

 ここにきて何故海を思ってしまうのだろう。


「撃てばいい」


 風の音と混じりあうように、自然とシャインの唇から声がこぼれた。


「なんだって?」


 シャインがそんなことを言い出すとは思いもしなかったのか、ミリアスが唇を引きつらせて聞き返す。

 シャインは黙ったまま、右手に持った黒百合に視線を落とした。死者に手向けるつもりだったのに、まるで自分の為にあるようだ。


 花が青白く光っていた。

 いや、右手にはめた母親の形見の指輪が、仄かに光っていることにシャインは気付いた。


 それを見ると不思議と心が鎮まった。

 これが運命だというのなら逃れることはできない。

 その時は、いつか必ず訪れる。

 自ら望んではいけないと思っていたけれど。

 シャインはすべてを受け入れ、抗うつもりはなかった。


「それで俺の罪が贖えるのなら。言ったはずだ。俺は、逃げないと」

「罪と言ったな」

「やめて、ミリアス兄さん! ここであの人を撃っても父さんは生き返らないんだから!」

「……ミリー! 邪魔をするな」


 止めに入ろうとするミリーの行動をミリアスはわかっていたのだろう。左手一本で彼女の肩をやすやすと掴み、地面に突き飛ばす。


「兄さん、!」

「……祈れ。その態度に免じて、一発であんたの心臓を撃ち抜いてやる」


 地面にうつ伏せに倒れたミリーを避けて、ミリアスは一歩前に出た。

 一輪の黒百合を手に微動だにしないシャインに向けて引き金を引く。

 潮騒に似た風の中で、墓地に銃声が響き渡った。




 望んではならないと思っていた。

 けれど、いつか訪れる、決して逃れることができないもの。

 それが――死だ。

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