4-107 アリスティドの裁定

 アスラトルにシャインが帰って四日後。

 海軍省へ赴いたシャインは、アリスティド統括将と面会した。

 そしてノーブルブルー襲撃事件に絡む一連の騒動について、求められていた報告書を提出した。

 アリスティドは報告書を受け取った。水色の鋭い眼光は相変わらずだったが、その表情は穏やかだった。


「スカーヴィズと名乗る海賊は死んだそうだな。そして……この騒動の首謀者であったツヴァイスも」


「……はい」


 シャインは静かに答えた。


「ブランニルの報告で大まかな事情は知っている」


 アリスティドは執務机の上で組んでいた手を解き、シャインに向かって微笑した。


「母君と同じ優しい顔をしているくせに……父親と同じ勇気を持っているのだな。でも君の命懸けの行為により、多くの人命が失われずに済んだ。だから」


 おもむろにアリスティドは席を立った。

 そして両手をシャインの肩に置いてその顔を覗き込んだ。


「何が正しいのかは、物事の『どちら側』にいるかで変わるものだ。それを忘れると自分を見失う」


「閣下……」


 肩に手を置いたままアリスティドが頷いた。


「辛い経験をしたな。だがそれはお前だけじゃない」

「……」


 シャインは震えだした唇を噛みしめた。

 自然と視線が床へと落ちる。


「いろいろあっただろうし、少し休め。グラヴェール艦長。一年ほどな」

「えっ……」


 軽く嘆息し、アリスティドが椅子に座った。

 何時の間にか砕けた笑みを顔に浮かべている。


「そしてロワールハイネス号を貸し与える。どうせお前が乗らなければ『動かない船』だ。どこでも好きな海へ出かければいい」


「閣下、それは一体どういうことですか?」


 アリスティドは眉間に皺を寄せた。


「優れた働きをした者に、報酬長期休暇を与えるのは当然のことだ」

「いえ閣下、休暇もそうですが……船のことです。『動かない船』とは?」


 アリスティドは鋭い瞳を一瞬細め、口元に笑みを浮かべた。


「グラヴェール艦長。お前を休職させるので、先程船に代理の艦長をホープ船匠と共に派遣した。そうしたら……」


 アリスティドは深いため息を一つ大仰に漏らした。


「船の精霊レイディが姿を現して、「シャイン以外の艦長なんて、私、絶対に認めないし、航海なんか行かないんだから!!」と叫んだそうだ」


 シャインは暫し瞠目した。


「ホープ船匠がなだめて精霊は大人しくなったそうだが、大暴れした彼女は、マストというマストの帆桁ヤードから全部帆を落として、今船上は大変なことになっているらしい」


「……ロワール……」


 その光景が目に浮かぶようだ。シャインは眩暈を感じた。


「そういうことで、任務に出られない船は海軍にいらぬ。だからロワールハイネス号とお前に一年の休暇を命じる」


「りょ、了解いたしました」


 シャインは深々と頭を下げた。そんなシャインを見ながら、アリスティドは軽く咳払いし付け加えた。


「それから、そなたの父上もだ。怪我を理由に海軍を退役したいと言ってきたが、生きている限り辞めるなんて許さぬ(怒)と伝えてくれ。近い内に見舞いに行くから、そのつもりでとな」


「アリスティド閣下、ありがとうございます」


「うむ。堅苦しい面会はこれで終わりにする。ひょっとしたら、事件の調査委員会が証言の為、出頭を言ってくるかもしれぬので……悪いが、航海に出かける時はひとまず連絡を入れて欲しい」


「承知いたしました」



 アリスティドとの面会を思い返しながら、シャインは海軍省を後にした。

 馬車に揺られながら<西区>のグラヴェール屋敷へと向かう。

 アドビスの容体を確かめるため、軍港には戻らず、一週間程度、屋敷に滞在するつもりだった。


 ロワールには暫く船へ戻らないことを伝えたが、まさか、アリスティドが代理の艦長を手配していたとは。

 そしてロワールが暴れたという船の様子が気になったが、きっとホープや留守を守るジャーヴィスが上手くやってくれるだろう。


 屋敷でアドビスを看護しているリオーネの手紙によると、アドビスの傷は順調に塞がりつつあるが、受けた銃弾が神経を傷つけたらしく、左足を動かす事が全くできなくなってしまったそうだ。


 杖をつけば歩けない事もないが、今はまだ部屋の中を動き回る事で精一杯のようだ。だからこそアドビスは、海軍を辞める決意を固めたのだろう。


 いや。二十年前のスカーヴィズ殺しに端を発した、ヴィズルのノーブルブルー襲撃事件について、けじめをつけようとしたのだ。だがそれを見越して、アリスティドはアドビスの退役を突っぱねた。最も傷が癒えるまで、数カ月の休養が必要だろうが。


 シャインはグラヴェール屋敷へ戻った。一階の書斎の窓際には寝具が置かれ、アドビスが身を起こしてシャインの到着を待っていた。


 そしてシャインはアリスティドの言葉を伝えた。

 その報告を聞いたアドビスの瞳には、うっすらと光るものが浮かんでいた。


『辛い経験をしたな。だがそれは君だけじゃない』


 心にアリスティドの言葉が木霊した。

 自分はアドビスの抱える心の傷を、その痛みを、今まで意識したことがなかったのだ。

 


 それからシャインは更に一週間ほど、海軍からも船からも離れ、平穏な生活を実家で過ごした。それはまるで、今までアドビスと距離を置いていた時間を取り戻すかのようだった。


 シャインは執事のエイブリー夫妻と一緒に庭の手入れをしたり、時には膨大な蔵書を誇る書庫で本を読んだり、ようやく起きあがれるようになったアドビスと、庭を散策したりした。


 そんなある日、シャインは午前中に海軍省での用事をすませ、再びグラヴェール屋敷に戻った。

 

「その様子だと、すべて順調といったようだな」

「はい。取りあえず、報告すべき案件は終わりました」

「そうか……」


 アドビスは一人で杖をつきながら、エルシャンローズの花が終わり、緑の葉を茂らせた庭園の前に立っていた。シャインはうなずきながら、そっとアドビスの隣へ近付いた。


「岬へ行きたいのだが……一緒に付き合ってくれるか? シャイン」


 シャインは思わず驚いてアドビスの顔を見上げた。


「よろしいのですか。だって、は……」


 アドビスは遠くに視線を向け目元を細めると唇を噛みしめた。


「もう、良いのだ」


 アドビスは一言だけそうつぶやくと、左足をひきずりながら杖をついて歩き出した。シャインは戸惑いつつもその後を追った。

 屋敷の裏手にある庭園の木戸をくぐり、親子は連れだって一本の木が葉を茂らせる岬まで歩いて行った。ゆるい上り坂なので、杖をついたアドビスは足をくぼ地にとられ歩きにくそうだ。シャインはアドビスを時折支えながら、波が磯場に打ち寄せる、どーんという音が聞こえる岬の先端まで歩いて行った。


 流石に疲れたのか、アドビスが木の幹にもたれかかる。

 深い金色の前髪が海風を受けてざわりと揺れる。それをさっとかき上げて、アドビスはどこまでも続く水平線と薄くたなびく雲が浮かんだ空を見上げた。


「ここは私の罪が眠る場所だ。私はリュイーシャを忘れようとして、彼女を思い出す品をすべて岬から投げ捨てた」


 アドビスは小さくため息をついて、付け加えるように口を開いた。


「だからここは、彼女の墓ではない。私は彼女の亡骸を海に返した。彼女は、海神・青の女王に仕える古い巫女の家系の出だった。海神に選ばれし巫女は、死したのち海にその魂を返すのがしきたりなのだそうだ。だから私は時折ここにきて、自らの娘を受け取った海が、その魂に永遠の安らぎを与えてくれることを祈っていたのだ。そう……私には祈る事しかできなかった……」


 シャインは黙ったまま、アドビスが再び想いに耽るように、水平線へと視線を向けるのを見ていた。


 あの時、岬に花を手向けた時、何故アドビスが怒ったのかやっとその理由を知ることができた。


「そうだったのですか。ありがとうございます。話して下さって」


 アドビスは黙っていたが、心のつかえが取れたように、その表情は穏やかなものに変わっていた。


「あの」

「何だ?」


 アドビスが怪訝な表情で聞き返す。

 でもそれは以前のような冷たさは感じなかった。


「母の魂は今もなお、ロワールハイネス号に設置された『エクセントリオンの船鐘』に囚われています」

「……」


 アドビスが息を飲んでこちらを見た。

 鋭い青灰色の瞳が驚きに細められている。


「シャイン。やはりお前は、あの『船鐘シップベル』に封じられている者と接触し、そして、ロワール号を自分の意思で操ることができるのだな」


 シャインは首を振った。

 そして確信した。

 自分をロワールハイネス号の艦長にして、船にあの『船鐘』を着けるよう命じたのはアドビスであった事を。


「前者は肯定しますが、後者は違います。俺は確かに『船鐘』に宿るブルーエイジの意識と対峙しましたが、ロワール号を動かしたのは、ブルーエイジの邪悪な力を抑えるために、自ら『船の精霊レイディ』となった少女ロワールです」


「何だと……」


 シャインはアドビスの隣に立ち、ロワールとの会話を思い出していた。


「少女――ロワールから聞きました。二十年前。スカーヴィズが殺された日の夜。あの晩あなたは怒りに我を失い、『船鐘』の呼び声のままに海賊船を操って、同士討ちをさせたのですね」


 ぶるっとアドビスが身震いをした。

 海風に当って体が冷えたのではない。その時の事を思い出して血の気が引いたようだった。


「そうだ……記憶は曖昧な部分があるが……私は目の前の海賊船を、すべて、残らず、海の藻屑にすることを願った……願えば願うほど、『船鐘』から聞こえる声が大きくなった……私が船を沈める度、声は歓喜に沸き、もっと多くの船を海に沈めよと言った。私はそれを念じた。それしか考えられなかった。でもその時、私の耳に彼女の声が聞こえたのだ」


 アドビスは白昼夢から醒めたようにシャインの顔を見つめた。


「リュイーシャ――まさか、私の為に……!」


 シャインは頷いた。


「そうです。母の魂はまだあなたと共にあったのです。『船鐘ブルーエイジ』は力を与える度に、それを使った者の魂を――生命力を奪っていく。母があなたを止めなければ、あなたはブルーエイジに魂を喰われるか、廃人になっていた」


「シャイン。ではリュイーシャの魂は今――」


「ロワールが言っていました。あなたを助けるために力を使ったため、形としては存在できないが、今も『船鐘』の中に留まっていると」


 シャインはそこで言葉を切り、力強く顔を上げた。


「父上。俺はあの『青き悪魔シップベル』から母を――そして、ロワールを解放したいと思っています」


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