Ⅳ そこはすべての『想い』が集まる海――。

第4話 碧海の彼方

【第4話・序章】20年前(1)

 船の朝は早い。航海中、停泊中を問わず、常に四時間ごとに誰かが甲板に立つ、当直制度があるからだ。


 現在アジトの小島の湾に錨を下ろしている、海賊船ガグンラーズ号も例外ではなかった。その小島はエルシーア本土から、南東へ四日ほど航海した海上にあった。




 そろそろ……起きなきゃマズいな……。

 ガグンラーズ号の第二甲板、船首部にハンモックを吊って眠っていたヴィズルは、両手でごしごしと目をこすった。


 窓のないその空間は、主に予備の角材やロープ、荒天時に使う帆等が収納されていて、実際かなり狭苦しい。


 しかし、まだほんの六才の子供にすぎないヴィズルだからこそ、この場所で眠れるといえる。現に大柄な彼の仲間達(海賊)は、そこから少し離れた空間にハンモックを吊って、高いびきでいまだ夢の中である。


 ヴィズルはもぞもぞと手足を動かし、ハンモックから下り立った。床に脱ぎ捨てていたなめし革の黒いブーツを手際良くはく。基本的に服はいつも着たままである。就寝中、食事中問わず、水夫長が全員を召集する笛を吹けば、すぐさま甲板に上がらなければならないからだ。


「連中……容赦ねぇからなぁ……」


 ヴィズルは昔、寒い朝に寝過ごして、冷たい海水を桶一杯かけられて起こされたことを思い出した。子供だからといって例外を認めないのが、海賊船ガグンラーズ号の鉄の掟。当然のごとく熱を出して死にかけたのだが。


 ブーツをはき終えたヴィズルは四つん這いになると、大いびきの合唱が響く、大人達のハンモックの下をくぐりながら進んだ。


 実際この船首部には20名の海賊たちが眠っており、発するいびきは騒音の域に達する。普通の人間なら決して安眠などできない。


 けれどガグンラーズ号で育ったヴィズルには、これも生活の中にあるひとつの景色にすぎない。


 呼吸するように響く船体のきしみ。

 甲板を歩く当直中の仲間の足音。笑い声。

 船の立てる様々な音に包まれてヴィズルは生きてきた。


 今も。

 そしてこれからも。

 ……多分。



 ハンモックの天井を越えたヴィズルは、垂直にのびるはしごの前にたどり着いた。ここを上がれば船首甲板に出る事ができる。


 停泊中といえど波のせいで左右に、時に上下に揺れる船内で、ヴィズルははしごに手をかけると、とまどうことなくそれを昇る。開口部の扉は開いていて、ヴィズルは容易く甲板に出る事ができた。


 この扉は木製であるがかなり重いので、同い年の普通の子供に比べ筋力があるヴィズルでも、下から押し上げることができない。


 ここが閉まっている時は、さらに四つん這いの姿勢のまま、中央の大船室(ここにも大人達が50名寝ている時がある)まで進み、船尾の開口部からやっと甲板へ出るのだった。


 外は日の出前で薄暗かった。波も穏やかでとても静かだ。

 ヴィズルは舳先を眺め、太陽が昇るのはあと三十分後だろうかと思った。


「早いじゃねーか、<拾いっ子>ヴィズル」


 その時背後から野太い男の声がした。

 少し湿った朝の風に、肩までのびた銀髪をそよがせながら、ヴィズルは口元に笑みを浮かべて振り返った。してやったり、という満面の笑みで。


「お早う、ティレグ副船長」


 先程ヴィズルが出てきたハッチの後ろに、背の高い大柄な青年が立っていた。

 このガグンラーズ号で副船長を任されている、通称<赤熊のティレグ>だ。

 彼は時鐘を吊した鐘楼の隣で、水晶で作った砂時計を手にしていた。


 通り名の<赤熊>は、まさにたくましい彼の身体的特徴から、つけられていた。麻のシャツからはちきれんばかりの胸板、げん担ぎの幸運のまじない文を彫り込んだ太い二の腕。太ももはヴィズルの腰回りと同じサイズだ。


 彼は二十一才という若さから、手下や他のライバルの海賊達になめられないよう、針のような顎ヒゲをいつも生やしている。

 雑草のような剛毛を赤いバンダナで押さえ付け、それらやヒゲは元は黒だったが、エルシーアの明るい太陽にさらされ続けた結果、赤銅色に変わっていた。


 ティレグは少しでも力を加えれば、ぱりんと割れてしまいかねない砂時計をじっと見つめていた。


 砂が完全に下へ落ちきってしまう瞬間を待っているのだ。

 ヴィズルもティレグの隣に行って、まさにその時が来るのを待った。

 あと十粒……六粒……三粒……。


「あっ!」


 最後の一粒が落ちきる前に、ティレグは砂時計をひっくり返した。


「ヴィズル、鐘を鳴らせ」


 何事も無かったように副船長は、砂時計を鐘楼の上に置くとのびをした。

 船尾の方から吹いてきた風に乗って、彼から酸っぱい匂いが漂ってくる。


「……わかった」


 それにいぶかしみながら、ヴィズルは自分の頭と同じぐらいある大きさの船鐘へ近寄った。金色のそれからぶら下がっているロープを両手に持ち、力を入れて左右に振る。


 カンカン! カンカン! カンカン! カンカン!


 ガグンラーズ号の船内に、朝4時を告げる八点鐘の音が響き渡った。


「俺達は海賊だぜ? 商船や軍艦じゃあるまいし、停泊中もこんな朝っぱらから当直なんて、しなくてもいいだろうによ」


 ティレグは眠そうに大きなあくびを一つしてヴィズルを見つめた。


「でも、船長が決めたんだろ?」


 今朝の副船長はどうも御機嫌ななめのようだ。

 どんよりとした彼の目を見てヴィズルはそう思った。


「船長! 讃えよう! 我らが美しき“月影のスカーヴィズ”を! 船長は、ふぬけになっちまったんだ。エルシーア海の海賊を、ようやく全部自分の傘下におさめたから――気が抜けたのかもしれねえぜ」


 ヴィズルは胸の奥がずんと熱くなるのを感じた。

 彼等の頭である“月影のスカーヴィズ”は、名だたる海賊や敵対する一団を潰し、あるいは懐柔し、三年でエルシーア海の覇権を握ってしまったのだ。


 まだ齢三十に満たない女の身であるが、彼女はすぐれた統率力で手下や船を操る技に長けていた。

 波頭を思わせるウエーブした長い銀髪の持ち主で、月の名<ソリン>と<ドゥリン>を冠した双剣を操ることから、月影の通り名で知られている。



「ああ――それともやっぱり、あの海軍の犬の影響かな……」


 口元を歪め、深く深くため息をつきながら言ったティレグは、いつになく真顔だった。彼は隣にいるヴィズルの存在をすっかり忘れてしまったようだった。


 ヴィズルは黙ったまま、メインマストの方へよたよたと向かう、ティレグの丸い背中を見送った。


 そうして正解だった。

 ティレグはあたふたと中央の開口部から出てきた手下達へ、雷を落としたから。


「おらぁ! なに突っ立っているんだっ! 船長が起きる前に甲板を磨いて、乾かすんだろうがっ!! お前ら何年船に乗ってるんだ! 馬鹿が!」


 ティレグが近くにいた動きの鈍い手下の背中を思いきり蹴飛ばした。

 そして何故か自分も勢い余って、甲板へ尻餅をついた。


 その光景を見てヴィズルは確信した。

 副船長が無断で酒を飲んでいたことに。

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