1-21 水兵達の言い分

 軍港から徒歩で十分の所にある『青の女王亭』は、エルシーア海軍軍人御用達の酒場である。


 ロワールハイネス号の水兵たちは、ちびちびと薄めたクトル酒を飲みながら、あんな船に乗れるかと文句を垂れ流していた。


 勿論大きな声で話しているわけではない。

 ここの二階は士官専用フロアで、海軍の陰口を話すものなら即、牢屋に連行される。できれば別の盛り場に行きたいが、あまり軍港から離れすぎると脱走兵かと疑われる。


 現にこの店で飲んでいる他の船の士官が、皮肉交じりに「処女航海までの上陸休暇か」と声をかけてきたので、リーダー格のシルフィードが「そんなところです」と返事する場面があった。

 水兵達は窓際に近い円卓を囲み、頭を突き合わせながら飲んでいた。




「ただでさえ航海には危険がつきものだがよ。最初から呪われた船に乗っていたら、どれだけ命があっても足りはしないぜ」


「そうだそうだ」

「そうよそうよ」

「本当にそうです!」


 シルフィードの愚痴に同席の水兵達が頷く。

 その面々は化粧は控えめにしているラティとティーナ。士官候補生のクラウス。シルフィードと仲の良い見張りのエリックの五人だ。


「でも……」


 一人だけ賛同しない声が上がった。見張りのエリックである。

 茶色のぼさぼさ頭を右手で掻きつつ、エリックはシルフィードに話しかけた。


「艦長は――あの「アイル号」をアスラトルまで一人で帰還させたんだぜ? それってすごいことじゃないか?」

「おいおい。もうちょっと小声で話せよ」


 シルフィードは周囲を気にした。

 海賊船に襲撃された挙句、港の外で沈んだ不幸な船の話なんかしたら、折角の酒が不味くなる。だがエリックは構わずしゃべり続ける。


「俺の従兄弟がアイル号に乗ってたんだ。艦長がアスラトルまで帰還させなかったらあの人は死んでいた」


「エリック。お前の言いたいことはわからなくもない。でも、アイル号の件は単に運が良かっただけだぜ。ロワールハイネス号と状況が違う」


「でもグラヴェール艦長の運の強さは、アイル号の事だけじゃないみたいよ」


 夜会巻きにした髪の乱れを気にしつつティーナが言った。


「え、そうなんですか?」


 ティーナが隣に座るクラウスに微笑する。


「劇場に勤めていた時、海軍の将官のおじ様達と話していて聞いたことがあるの。グラヴェール艦長が士官候補生として初めて乗った船――アルスター号っていったかしら。確か三年前よ。あの船が嵐で舵が壊れて暗礁にぶつかり、大破して沈んだんですって」


「そして乗組員245名は全員死んだらしいわ」


 ティーナの肩に手を置いてラティが冷ややかにつぶやいた。


「うわわわ……」


 クラウスの顔からみるみる血の気が失せていく。


「でもね、生存者が一人だけいたの」


 意味ありげにティーナが微笑した。


「表向きは生存者がいたって事、公表されてないらしいんだけど、グラヴェール艦長だけが船が沈んだ暗礁の近くの砂浜に打ち上げられていて、助かったんですって」

「なんてこったい!」


 シルフィードが顔を青ざめさせたままクトル酒のカップを掴み、その中身を飲み干した。大柄な体をぶるっと震わせる。


「あのお坊ちゃんが海神の加護を受けているっていう噂は本当なのかもしれねぇなあ。ほら、風向きを自在に変えることができる『海原のつかさ』リオーネ様は、グラヴェール艦長の叔母さんだぜ? しかもとびきりの美人」


航海長マスターったら、ホント美人に目がないのね?」


 ラティが笑いながらシルフィードの筋肉質の脇腹へ肘鉄を入れる。


「当たり前だ。それ以外に何を愉しみに生きていけばいいんだよ?」

「ちょっと話があるのだが、隣に座っていいか?」


 ラティに入れられた肘鉄と、呼びかけられた声に驚き、シルフィードが大きくむせた。


「げっ! ジャーヴィス副長!?」


 黒いコート姿のジャーヴィスがシルフィードの隣に腰を下ろす。


「ジャーヴィス副長、いらっしゃい~!」


 ラティの黄色い声を無視してジャーヴィスは、給仕係の娘に「ワインを」と注文した。


「ここに来たってことは、ジャーヴィス副長もあの船を降りたかったのね~」


 頬を高揚させてラティが微笑する。

 腕にすりよるラティを片手で押さえつつ、ジャーヴィスは水兵の面々を見つめた。


「期待を裏切って悪いがその逆だ。私はお前達をロワールハイネス号に引き留めるために来た」

 



 ◇◇◇




「無事にジェミナ・クラス港に着いたら一人一万リュール貰えるって? 確かに魅力的だぜ」


 無精ヒゲの生えたアゴをさすりながら、航海長シルフィードはうなずいた。


「だけどそれだけの危険があるってことなんですよね?」


 ぽつりとつぶやく、士官候補生のクラウス。

 三つの円卓にそれぞれ分かれて座るロワールハイネス号の水兵達は、黙って立っているジャーヴィスに背を向け、頭をつきあわせ話し込んでいた。

 もうその時間は二十分を軽く超えている。



「や、待たせたな副長」


 シルフィードが前に出てきた。その後ろには複雑な面持ちの水兵たちがずらっと並んで立っている。


「答えを聞こうか?」

「俺達の返事は……“お断り”だ」


 ジャーヴィスの顔に驚きの表情はなかった。そう言われる可能性が高いことを予測していたからだ。


「理由を聞いてもいいか? シルフィード」


 航海長は陽気な笑みを見せた。

 しかしその中には鋭い刃物のような敵意が潜んでいた。


「あの坊っちゃんに言って下さい。俺達は馬鹿じゃねぇってな。命は金で買うことができねぇって事ぐらい、わかってる!」


 そうだ、そうだ! と彼の回りで歓声があがった。


「それより副長。僕らの転属願い、ちゃんと海軍本部の方へ出して下さってるんですよね?」


 シルフィードの体に半ば隠れるように、クラウスが質問した。

 しかしジャーヴィスは答えなかった。

 黙ったまま、水兵達を見つめていた。


「副長! なんとか言って下さいよ!!」

「あなただって、こんな危ない船には乗りたくない。そう言ってたじゃないですか!?」

「ジャーヴィス副長!」

「みんなの言うことは、よくわかる」


 ジャーヴィスは口を開いた。一斉に黙り込む水兵達。


「私は皆に謝らなければならないことがある」

「えっ?」


 ジャーヴィスはやおら水兵達に頭を深々と下げた。青い航海服の裾に額がつきそうなほど、深く。


「ど、どうしたんですか。ジャーヴィス副長!」


 なんだなんだと他の机で飲んでいる水兵達が奇特な視線をこちらへ向けている。

 シルフィードが慌ててジャーヴィスの肩を掴みその頭を上げさせた。


「副長やめてくださいよ! こんな所で水兵に頭を下げている士官がいますか!」

「いや、私がしたことは許されないことだ。軍規に照らし合わせれば軍法会議にかけられ、死罪を免れないだろう」


 ワインを飲んでいるはずなのに、ジャーヴィスの顔は酷く青ざめている。


「まあ、詳しい話をお聞きしようじゃないですか」


 シルフィードに促されてジャーヴィスは椅子に腰を下ろした。

 それを囲むように水兵達が集まる。


「一体どうしたんだい? ジャーヴィス副長」


 ラティの顔を見つめ、ジャーヴィスはおもむろにポケットに手を入れ、その中身を机の上に置いた。一つは切れ込みが入った錨鎖。もう一つはほつれた曳航用ロープ。


「これは……」

「ロワールハイネス号の錨鎖と曳航用ロープだ。それぞれ切れやすくする細工を私がやった」

「えっ」


 クラウスが絶句し、シルフィードが緑のたれ目を精一杯見開いて息を飲む。


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