1-22 副長の言い分

「そ、そんなの信じられませんぜ! 悪い冗談はやめて下さいよ、副長」

「いや、本当なんだ」

「何のためですの?」


 泣きぼくろのある瞳を険しくさせてティーナが尋ねる。

 ジャーヴィスは顔を上げて水兵達を見つめた。


「試したかったのだ。お前たちの技量を」

「へっ?」


 素っ頓狂な声を上げたのは見張りのエリックだ。

 それに構わずジャーヴィスは言葉を続けた。


「私は副長として早くお前達の能力を見極める必要があった。だから錨鎖と曳航用ロープに細工をし、わざとトラブルが起きるようにした」

「俺たちを……試したんですか?」


 ジャーヴィスはシルフィードにうなずいた。


「結果としては満足している。グラヴェール艦長の判断能力を見ることもできたからな。お前達も見ていたからわかっていると思うが、あの人は曳航用ロープが切れかけていることを知り、本船を引っ張っていた我々に異常を伝えた。そして本船と我々を守るために錨を下ろし船を止めた。正しい対処方法だ」


「あの時は大変だったんですよ! 船には俺と艦長しかいなかったんですから!」

 

 エリックが訴える。


「なるほど……そういうワケだったんですかい」


 太い二の腕を胸の前で組んでシルフィードが唸った。


「早く事情を説明しようと思ったが、やはりお前達を信じていないようで申し訳なく思い、話すことができなかった。けれどそのせいでお前達はロワールハイネス号が呪われていると思ってしまった」


 ジャーヴィスは俯いた。


「頼む。皆、船に戻ってくれないか。悪いのは私だ。艦長は君達が戻ってくるのを待っている」


 シルフィードとエリックは顔を見合わせた。

 他の水兵達も不安げに互いの顔色を伺っている。


「――水樽の件は?」


 唐突に口を開いたのは見張りのエリックだ。


「まさか、水樽を吊りあげるロープにも副長が細工したんですか?」


 ジャーヴィスは首を横に振った。


「いや。あれは本当にただの偶然だ。けれど私の目測が誤って、吊り上げた水樽を少し早めに下ろしてしまったから、バランスが崩れてしまったのかもしれない」

「なーんだ。全部、副長のせいだったんですね」


 安堵した声でクラウスがつぶやいた。

 横にいるシルフィードを恨めしそうに見つめる。


「ジャーヴィス副長。シルフィード航海長ったら酷いんですよ。命名式を失敗した船は、船の精霊レイディの怒りを買って処女航海で必ず沈むって、皆を脅したんですから」


「脅すって人聞きの悪い。いや、それは俺だけじゃなく船乗りなら誰もが知る『怪談』じゃねえか! ねぇ、ジャーヴィス副長」


「ああ、まあそれはそうだが。とにかく皆には怖い思いをさせて申し訳なかった。というわけで、これまで起きたトラブルの原因は私にあった。皆、船に戻ってくれるな?」


「そういうことなら、大丈夫かな」


 エリックが横目でシルフィードを見ながらつぶやく。


「ああ。なんだかバカバカしくなりましたぜ。怖がっていた自分によ」

「海の男って意外と小心者なのね」


 シルフィードの言葉にラティが毒づく。


「あら。あなただって怖がってたじゃない、ラティ」


 長い睫毛を物憂げに伏せてティーナがくすりと笑う。


「笑わないでよティーナ! 怒るわよ!!」


 ティーナの胸倉を掴んでラティが叫ぶ。


「いやん、やめてよ。暴力は反対ですわ」

「あの二人、男なんだから紛らわしい言葉づかい、やめてほしい……」


 クラウスが呆れたようにため息をつく。

 ジャーヴィスはコホンと咳払いした。

 水兵達が何事かとジャーヴィスを注目する。

 ジャーヴィスは静かに立ち上がると水兵達を見回した。


「では、皆が船に戻ってくれるのなら、お詫びといってはなんだが、今夜の酒代は私が持つ」

「ええっ! 副長、本当ですか!」


 ジャーヴィスはゆっくりと頷いた。


「全員船に戻ることが条件だ」

「戻ります」


 即座に満場一致の返事が返った。


「ありがとう」


 ジャーヴィスはやっと強ばった表情を緩めて微笑した。

 嘘も方便。

 本来嘘は嫌いだが今回の場合は仕方がない。

 ジャーヴィスとて、水兵が脱走してロワールハイネス号が出港できないという非常事態だけは避けたかった。


 そのかわり酒代が七万リュールほどかかりそうだが、それで水兵達を引き留められるなら安いとシャインも思うだろう。やっと酒の味を楽しむ余裕を取り戻しながら、ジャーヴィスは水兵一人一人の様子をうかがった。


 一体誰なのだ。

 ロワールハイネス号に破壊工作をしたのは。


 いやしかし。

 ジャーヴィスは二杯目のワインを注文し、一気に半分ほど喉に流し込んだ。

 そもそもロワールハイネス号の水兵の仕業だろうか。


 外部から忍び込んだ侵入者がやったということも考えられる。

 造船所は夜、外門に鍵をかけるが造船に携わる職人たちは、敷地内にある宿舎や家に住んでいる。エルドロイン河から船で侵入する経路もある。現に造船所に置いてあるマスト用の建材が盗難にあったりするのだ。


 無人のロワールハイネス号に細工をしようと思えば、誰でもできた。

 そこまで考えてジャーヴィスははっとした。

 今、船にはシャインしかいない。


 もしも彼に悪意を持つ者が侵入したらどうする?

 一人ならまだしも、複数だったら?


 残りのワインを喉に流し込んでジャーヴィスはシルフィードの肩を叩いた。


「私は仕事があるので先に戻る。お前達も21時までに船に戻るように。戻らない者は憲兵に通報するからな」


「心配しなくても、俺が責任を持って皆を船に戻します」

「頼むぞ。そら、七万はあると思う。だがあまり飲みすぎるなよ」


 ジャーヴィスは懐に手をやり硬貨が入った袋をシルフィードへと渡す。


「ははっ。ありがとうございます」


 シルフィードは両手で恭しく受け取りながら深く頷いた。



 ◇◇◇


 

 ジャーヴィスはロワールハイネス号に戻った。

 船は停泊中なので、真ん中のメインマストと船尾のミズンマストに一つずつ角灯を灯している。甲板は静まり返っていたが、艦長室に明かりが灯っていることにジャーヴィスは安堵した。


 部屋の中を歩き回っているのだろうか。

 シャインと思しき人影が窓の端から端へと行ったり来たりを繰り返しているのが見える。船に乗り込んだジャーヴィスは、艦長室に行こうと後部甲板の開口部へ向かって歩いた。


「待って」


 誰か今、呼び止めたか?

 ジャーヴィスは思わず立ち止まった。

 この船にはシャインしかいないはずだ。


「お願い。話があるの」


 再び夜のしじまに声が響いた。

 紛れもなくそれは女性の声。


「誰だ」


 ジャーヴィスは振り返りざまに鋭く問うた。

 だがすぐに二の句を継ぐことができなかった。


 メインマストの上から、鮮やかな紅の髪と白いドレスの裾を揺らしながら、ふわりと少女が甲板に降り立ったからだ。年の頃は十七、八才だろうか。


「……」


 ジャーヴィスは両目を見開いたまま辛うじて驚愕の言葉を飲み込んだ。

 いや白状すると、驚きのあまりその場から動けなかった。


 そっと目元をこする。

 酔って夢を見ているわけではないはずだ。

 そもそもワインをグラスで二杯しか飲んでいない。

 こんなのは飲んだうちに入らない。


「あなたに大事なお願いがあるの」


 少女がジャーヴィスに再び話しかけてきた。

 足音も立てず宙を浮いているかのごとく、すっと目の前に近づきながら。


「ちょ、ちょっと待て。君は密航者か? 勝手に船に乗るのは許されないぞ!」

「私が何者であるか。それは明後日の出港で明らかになるわ」

「……何?」


 ジャーヴィスはしげしげと少女を見つめた。

 彼女のような鮮やかな紅髪の人間は見たことがない。エルシーア人は南部は金髪、北部は茶髪だし、南方のリュニス人も黒髪や金髪が多い。北方大陸のシルダリア人は銀髪だ。


 少女の体はうっすらと白い光に包まれていた。透き通った水色アクアマリンの瞳は神秘的で感情が読めず、本当に不思議で美しい少女である。


 そもそも彼女は人間なのだろうか?

 戸惑うジャーヴィスに構わず、目の前の少女は語りかけてきた。


「シャインが話を聞いてくれないから、あなたに頼むしかないの」

「えっ」

「お願い。船が出港してもしも――」


 少女がシャインの名を口にしたのを聞いて、止まりかけていたジャーヴィスの思考は再び動き始めた。


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