1-4 報告

 ここはエルシーア海軍本部でも「海軍卿シー・ロード」と名のつく、幹部クラスが詰める執務室がある場所だ。まもなく正午だというのに廊下が北向きで人気がないせいか、ひやりとした静謐な空気に満ちている。


 ロイス・ラングリッターは黒檀の扉の前で苦笑いを漏らした。

 この部屋の主に遭遇するのはどちらかといえば苦手だ。

 しかし依頼を受けたからには結果を報告しなくてはならない。

 面会が短時間で終わりますように。

 祈りながら扉をとある符丁で叩くと、やや掠れがかった声で返答があった。


「開いている」


 ロイスは静かに扉を開けた。部屋の奥には人の背丈ほどある大窓があり、その前に置かれている執務机には一人の男が座っている。常人より遥かに背の高い大男で、まるで軍艦の帆柱マストを連想させる。


 将官のみ着用が許される黒い海軍の軍服を纏ってるが、窓から入る光のせいで逆光となり、将官の顔は軍服と同じ濃い影となって表情を伺うことができなかった。


 機嫌が良いのか悪いのか。

 けれどロイスは直感していた。


「ご報告にあがりました」

「お前らしくないだな、ロイス」


 開口一番、執務席に座る将官が、明らかに落胆の意を込めた口調で呟いた。

 予想通りだ。


「申し訳ございません。思わぬが入ったのものですから」

「その件はまた後で調査してもらおう。それよりも」


 手招きされたのでロイスは執務席へと近づいた。

 依頼主の将官は、猛禽を思わせる鋭い水色の瞳でロイスを見つめている。

 心の奥底まで見透かすような――。


 この男に隠し事はできない。彼は自分の他にも自由に動かせる情報網を持っている。ロイスの背筋に緊張が走った。

  

「確かアイル号は三日前にエルシーア海北東部の海域で、海賊の襲撃に遭い沈んだという報告だったな」

「はっ……」

「では今朝、港の警備艦にされたあの船はなんだ?」


「申し訳ございません。決して閣下に虚偽の報告をしたわけではなく、私の部下の船も海賊と思しき連中に襲われ船を沈められたのです。生き残った部下の話では、アイル号の姿が海上になかったため、かの船も沈んだと、私に報告をしていたものですから」


 ロイスは内心舌打ちしていた。

 この件に関しては全くの不意打ちだった。


「まあいい。結局アイル号は港外で沈んだ。だが何故、沈めるように命じたあの船がアスラトルへ帰ってきたのか報告してもらおう」

「はっ。お耳に届いていると思いますが、アイル号には生存者がいました」


 顔の前で両手を組み、ロイスを睨むように見上げていた男の目が一瞬大きく見開かれた。囁くように掠れ声で男が尋ねた。


「まさか、ヴァイセか?」

「いえ、艦長のヴァイセは部屋で死亡が確認されました。生存者はアイル号に乗っていた士官二名と、水兵三名です」

「士官の名は?」

「はっ。アイル号の副長・ヘルム一等海尉と――」


 ロイスは静かにもう一人の名を告げた。


のグラヴェール二等海尉です」

「……」


 ロイスは将官の顔を黙ったまま伺った。ひきしめられた口元は変わらず、鋭利な光を宿す水色の瞳に動揺が走る様子はない。


「二人はアスラトルの警備艦に保護された後、海軍の療養所で治療を受けています」

「それで、『船鐘シップベル』の回収はどうなった?」


 ロイスは一瞬言葉を詰まらせた。

 先に生存者の報告を済ませようと思っていたのに、いきなり本題を問われたからだ。


「私が保管しています。ご指示があればいつでも持参いたします」

「そうか。お前が持っている方が、此度のような不祥事は二度と起きまい」


 ロイスは恭しく頭を垂れた。


「閣下、一つだけあとご報告が」

「なんだ」

「ヴァイセが持ち出した『船鐘シップベル』ですが、『起動』を確認しました」


 将官の口から声にならない息が漏れた。

 ロイスは目を細めてそっと将官の耳に囁いた。


『ご子息の手によって――』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る