第七章「会話と真実」

 朝の気配を伝える陽光が、凛として固い空天にじわりと染み渡っていく。明け残った星々は今夜最後の灯を燃やしている。

 白む夜空を見上げながら、ヒビキは考えていた。

 幸せになるために生きていく。それは具体的にどういうことなのか、今一つぴんとこないのだった。

 あれから四人でトラックまで戻り、フランの仲間と合流した。また迷子だと言い張るのは無理があるのでどうしようかと心配したが、フランとワークが保証してくれたので、とりあえず追及されることはなかった。

 何でも屋は全滅していた。ほぼ全員が銃で撃たれており同士討ちしたとしか考えられないが、なんと一人の男と戦闘した結果だという。ウォズニアックの死体はなく、やはり逃げられたようだった。

 ヒビキが彼らの仲間であったことは伝えていないが、今の自分なら訊かれれば答えるのだろうな、となんとなく思っていた。

 結局、彼女にお礼を言うこともできていない。力を使い果たしたユイはぐっすりと眠っており、その上フランがつきっきりであったため言いそびれているのだ。そのためなし崩しに彼らと一夜を明かしたのだが、どうにも手持ちぶさたで落ち着かない。

 元いた反吸血鬼の教会組織に帰ることもできるのだが、あそこはもう自分の居場所ではない気がした。あそこにはもう、幸せはない。

 消え行く星々と真新しい光の両方を視界に入れながら、それらをぼうっと眺めているとワークに、ようヒビキ少年、と声をかけられた。

「なあ、昨夜のあれは本当にお前が撃ったのか」

 訊かれて、答えを渡す。

「そうだよな……。あいつは、銃なんか撃つわけねぇな」

 え、と訊き返すが、いやなんでもない、と頭を振られた。すると、

「ところでお前、マジに射撃の筋が良いとみえるぞ。俺が言うんだから間違いない」

 と唐突に誉められ、心がくすぐられた。

「ありがとう……あの、」

 また、あの感覚だった。頭が痺れる。胸がむずがゆい。いろいろなことを経験してきたが、こんなにも心地よく認められるのは久しぶりだった。

 気がつけば、口走っていた。

「ワークさん――、ボクに、銃を教えて下さい」

 思えばそれは、他人に取り入るための条件反射だったのかもしれない。口走った、という行為自体は、魂に染みついた従属の反応とも言える。しかし言葉にした想い自体は、これは本物だと信じることができた。

 断られると思っていた。

「いいぜ」

「え?」

「というか、お前も一緒に来いや。居場所がねえって言うんじゃ、旦那やティズさんが見捨てるとも思わねえし。とりあえずの、あー、あれだ、師匠になってやってもいいぜ」

 この思い切った安請け合いに、ヒビキは顔を輝かせた。そして、

「よろしくお願いします、師匠!」

 大袈裟に頭を下げる。ワークはぷっ、と噴き出した。師匠とは冗談で言ったつもりだったが、まさかそのまま呼ばれるとは思わなかった。

「おお、よろしくな。そうだな、まずは肉を食え。筋肉をつけろ。そんな身体じゃ大型のやつだと吹っ飛んじまうぞ。喧嘩の仕方も教えてやりたいとこだが、まずは兵法の基本をだな――」

 早速にいろいろと提案しながら、ワークは、

(弟ってのも悪くないか――ってか、息子か?)

 と、妙に気が乗っていることを自覚していた。


「しかし、チハラノ家の遺児か……。奇妙な巡り合わせだ」

 ワークとヒビキ、兄弟のような二人を眺めながらエインズワースが呟いた。

「ワークさんは、何も考えてないみたいだけどね」

 呆れ口調で返す。

 トラックからはやや離れた場所に座り、敵の親玉が吸血鬼になったこと、そしてユイの能力の前に逃げだしたことを伝えていた。

「とにかく、フラン――君が無事で良かった」

「僕は心配してなかったけどね。おじさんが負ける訳がないことはわかっていたから」

 エインズワースは頭を振る。

「買いかぶりすぎないでくれ。自分にできることを何とかこなしただけの事だ。……君の血を奪った敵の指揮官も、結局は取り逃がしてしまった」

「いいえ、これからも頼りにしています。――特に、夜中は」

 これに対し、エインズワースはしばらく黙った。フランも調子を合わせ、反応を窺うように口を閉じて待つ。

「…………君の〈ホワイト・ナイト〉能力はもはや、ユイ君といる限りは制限を受けないのだろう? 夜を恐れる必要はなくなった」

「僕とユイのことは置くとして、おじさんに限っての話だよ」

「…………それは、どういう意味だい」

「吸血鬼なんでしょう、おじさんも」

「…………」

 エインズワースは完全に沈黙した。

「おじさんが吸血鬼だという説を立てると、色々なことが繋がってくるんです」

「…………」

 返事をしない。彫刻に生まれ変わったかの如く、硬直してフランを見つめている。

「初めに違和感を覚えたのは、二度目の襲撃で裏庭からユイが飛び出してきたのを見た時です。おじさんが守っていたのなら、あんなことは絶対に起こり得ない。ということは、問題はユイの方にある。ユイが持つイレギュラー能力に」

 その沈黙は無視されているのではないことをフランは理解しているので、構わず話を進めていく。

「吸血鬼の日光への性質が逆転している〈ホワイト・ナイト〉というイレギュラーにとって、ユイの治癒能力はとても相性が良い。利益こそあれ、損はない。おじさんはそう考えて彼女を仲間にしたんだ。――自分の特性は顧みずに」

「…………」

「僕と違って通常の吸血鬼であるおじさんは、ユイに不用意に近付くことができなかった。ユイは能力を惜しまない質だから、傷を見つければ相手も場所も構わず光を放つ。その現場に遭遇するわけにはいかない……特に、過去の傷が開けば開きっぱなしになる日中は細心の注意が必要だ」

 フランはここで一呼吸を置き、エインズワースを見つめた。彼の思考がまとまっておらず、まだ喋らないことを確認すると、再び口を開く。

「ユイの家の裏庭に隠れていた時は、彼女が反射的に光を出していたから制止することができなかったんだ。三度目の襲撃でおじさんが真っ先に駆け付けられなかったのは、ユイが敵を治療しようとして辺りが光に包まれていたからだった……。そうやって日中だけ彼女を避ける不自然をごまかすために、旅の間は常にユイと距離を取っていたんだ――ユイの警護を僕に任せて。そして同時に、ユイの能力で僕を守らせて」

「…………」

「このままでは延々と下っ端を送り込んできて全貌を見せないから、治癒能力に敵が食いついて総攻撃を仕掛けてくるように、という意味もあったはずだ。僕が刺された夜と翌朝の一回ずつ、事の起こりのたった二度の襲撃で、敵の慎重さを見抜いてしまったからね。ヒビキが僕らのテントに来た夜に手を出さなかったのも、要するに〝釣り〟をしていたんだ。結局、おじさんは彼女を囮に利用したとも言える……」

「…………」

 滅多に変化を見せないエインズワースの表情が、僅かに曇った。

「極めつけは、あの死体の山……おじさんの体技は知っているけど、いくらなんでも銃で武装していた大人数相手にあの結果は、常人の仕業とは思えない。襲われたのが夕暮れだったから、高まり始めた吸血鬼の力で傷一つ負わずに反撃することができたんだ。あの火傷男も、本当はけりが付いているはずだ」

「…………」

「おじさんが、いつから吸血鬼だったかはわからない。少なくとも母さんが吸血鬼だと知っていたということは、ずいぶん前からでしょう。……いや、」

 フランは言葉を濁した。エインズワースが先天的な吸血鬼でないのなら、能力の源は一つしかないだろう。

 おそらくは、母から受け継いでいたのだ。自分の身に何かあった時は、彼がフランを守れるようにと。

「僕は……そのことについては、詳しくは訊きません」

 母が、エインズワースが、どれほどの決意を持って自分を守ろうとしていたのか。フランは敢えて意識しないように努めた。今その思いに心を傾けると、何も話せなくなるだろうと思った。

 フランの声を聞きながら、エインズワースはどこか遠い眼をしていた。


「…………すまなかった」

 長く沈黙していたエインズワースが言った。

「私がユイ君の身を危険に晒したことは事実だ。釈明はするまい。……本当にすまないことをした」

 頭を下げようとするエインズワースを、フランは止めた。

「責めるつもりはないんだ。……終わったことだから」

「そうか……。こう言うのはなんだが、それにしても素晴らしい情報統制力だった、フラン。君の成長に驚かされてしまった。……しかし、私が吸血鬼であることを君に隠していた理由が抜けているようだが。それに関しては見当が付いているのか」

 今度はフランが押し黙った。

 薄々感付いてはいるのだが、それを本人の前で言うのは非常にばつが悪いというか気の毒というか――と悩んでいると、

「…………君は、ユイ君のことが好きか」

 急にそんなことを訊かれる。昨夜のことを思い起こし、体温が上がる。

「いや、嫌いではない、よ」

 フランが動揺を隠してどうにか返すと、

「そうか…………」

 一言呟いて、そして黙る。

 沈黙が始まり、沈黙が流れ、沈黙が続いたところで、フランが意図を酌めずに混乱しかけていると、再び彼は口を開いた。

「……その気持ちが変わらないのであれば、君に伝えておく方が良いと判断する。ユイ君の同行理由だが、君の推理はその半分でしかない。もう半分はユイ君自身にあるのだ。言い訳をするつもりはないのだが、実は――」


 一夜が明けて体力を回復したユイに、ティズが寄り添っている。

「もう平気なの? また随分無理しちゃったんじゃないの」

「はい。もうばっちり元気です」

 体調を気遣うが、ユイはにっこり笑っている。なぜか元気すぎるような気もするが無理している様子もないので、ひとまずは安堵していた。

「……ごめんね」

「え?」

「あいつが、ヴォルフが無理矢理に連れてきてさ、お母さんと引き離して……それで、あんな怖い目に合わせてしまって。なんて言えばいいのかあたしにはわからないけれど、それでも謝らせてほしいの――本当に、ごめんなさい」

 ティズが謝罪をしたが、深刻な面持ちの彼女にもユイは屈託ない。

「なあんだ、そんなことですか」

 そして、

「そんなこと、って――」

「私がお願いしたんですよ。仲間にしてくださいって」

 そう言ってのけた。

「……は?」

 ティズがぽかん、と口を開けた。


 ユイ・ヤマブキは信じていた。

 治癒の力に気がついたのは六歳の時だった。道端で動物が怪我をしているのを見つけ、かわいそうだと思った彼女はその苦しみが癒えるよう祈った。そうして獣を抱いているとやがて元気を取り戻し、駆けていった。ユイはとても嬉しかった。しかし母はそれを聞くと顔を曇らせ、そのことは人に言ってはいけないと誓わされた。

 誓いは守られたが、秘密は守られなかった。傷ついた動植物を見ると、ユイは所構わず治療してあげた。母の心配通り、特異な能力のせいで幼年学校でいじめられることも少なからずあった。悩みながらもそれなりに健やかに、ユイは成長していった。

 ある夜、家の外で物音がした。動物が助けを求めてきたのなら放っておけないのが彼女の性分であり、母に呆れられながら冷たい宵闇の中を探しに出た。

 少年を見つけた。数歳年上に見えたその男の子は意識がなく、ひどい怪我を負っているようだった。

 彼女がお湯を沸かしている間に、母が少年の服を脱がせて手当てを始めていた。ユイは少年の脇腹に深い深い傷を見た。信じられなかった。人体にこんな悲劇が起こるということが、その無情な現実が受け入れられなかった。

 治せないと直感した。明らかに自分の能力の限界を超えていた。無理だ、この少年は助からない。そのことに気付いた時、ユイはぼろぼろ涙を流していた。自分は現実の前に無力な子どもなのだと思い知らされた。

 少年を空き部屋に寝かせると、手当てを終えた母はもう寝なさいとだけ言い残し、すぐに寝室に消えた。母親には、彼女が少年を放っておく訳はないとわかっていた。

 ベッドで眠る少年の顔色は悪いどころではなかった。既に死んでいるのかとさえ思わせたが、その事実を敢えて確かめる勇気はなかった。ユイはまた泣きそうになった。布団をめくると、脇腹の包帯からはまだじわじわと出血が続いていた。

 ユイは傷に手を掲げ、全開の能力で治療を試みた。すぐに体力が尽きて意識を失った。ややあって気がつくと、再び全力を振り絞り光を放った。力を振り絞っては倒れ、起きてはまた光を放った。夜が明けた後も何度でもそれを繰り返し、彼女はつきっきりで少年に治癒の光を与え続けた。

 やがて朝になると、少年は消えていた。

 ユイは飛び起きた。母に訊ね、家を飛び出して探し回った。足元がかなりふらついていたが構わずに探し続け、そして、見つけた。

 ……この世には自分にしかできないことがあり、自分だけの運命がある。決して美しいばかりではないのだろうが、確かにここは生きる価値のある世界なのだと感じた。

 川の浅瀬に立つ少年が朝の陽射しを浴び、生きている姿を見て――その時、ユイはそう信じることができた。


「私、自分のことが好きじゃなかったんです、あんまり。能力のせいで気味悪がられたりもしたし……私が誰かを治してあげることで、それで必ずしもお互いに幸せになれるわけじゃないって、そういうことがなんとなくわかりかけていて、嫌になってたんです」

「そう、なんだ……?」

「でも、あの夜……フランを見つけて、私が彼を助けることができて。そのとき、光が見えたんです。大袈裟ですけど本当に、ああ、生きてて良かったなあって思えたんです」

 ティズは面喰らっていた。どこまでも素直でひたすらに頑固な天真爛漫のこの少女に、そんな人間らしい悩みがあったことが想像できないのだった。

「そういう気持ちを追いかけていきたかったから。それで、朝食を食べてる時に母にどうしてもってお願いして。エインズワースのおじさまとも話をして、同行させてもらったんです」

「それ、フランには伝えてるの……?」

「いいえ。おじさまが、言わない方が良いって」

「……えぇと、それは」

 ものすごく、うすら寒いほどに、嫌な予感がした。

「それは……、どうして?」

「『フランが、君の頭が悪いと思うといけないから』って。ひどいと思いません? おじさまが無理に引き入れたような演技までして。あ、でもティズさんには言ってよかったのかな」

「…………はぁ」

 がっくり、とティズがくず折れた。

(ヴォルフ、あんたって――)

 我が夫の人心掌握術のお粗末さに、呆れ果てているのだった。

 思えば自らの正体をフランに明かしていないのも、彼が吸血鬼の存在そのものを嫌っていると考えているためなのだ。

(フランが、あんたやユイちゃんと敵対するなんてことあるわけないじゃない――そんなこともわからないって、どんだけ石頭なのよ、もう――)

 すると不意に、ふわ、とした温かさを覚える。

 目をやると、ユイが足首に指をあてていた。

「私は、後悔していませんよ」

 足の腫れと痛みが引いた。治療を終えたユイが立ち上がる。

「だから、気にしないでください」

 曇りのない微笑みにつられて、ふたりは一緒に笑った。


 エインズワースの告白を聞いて、フランはなんとも複雑な気分に陥っていた。彼女と親しみを持った今こそ下らない考えだと笑えるが、以前の自分ではどう心が動かされていたかわかったものではないのだ。

「私にも苦渋の決断ではあったが、しかし本人の強い希望を無視もできなかった。彼女の意志は固かったのだ」

 エインズワースが補足する。

 彼をして〝意思が固い〟と言わしめるユイの精神力にフランは改めて感服した。だからといって彼が取った処置はどうかと思ってしまうのだが、

「まあ、結果的には……僕は旅に出たことを……ユイと会えた今も、後悔はしてないよ。だから……いいんだ」

 そう口にすると、夜明けを迎え明度を増した大気により一層の明るさが宿った気がして、フランは微笑んだ。

「そうか」

 エインズワースもほんの少しだけ、唇の端で笑っていた。


「……では」

 エインズワースが立ち上がった。

「私のことをユイ君に伝えるべきかどうか、フランも考えておいてくれ。……これからは、少しは君の力も頼ることにしよう」

 と言い残すと、フランから離れていく。どうしたのかと大きな背中を見送っていると、反対から草を踏む音がした。

「おはようございます、フラン」

 彼女のいつも通りの挨拶に、一瞬動揺した。

 巻き込んでしまったとばかり思っていた彼女が、実は自らの意志で望んで着いてきていたことや、昨夜自分が口走った内容を考えると、どんな顔をして話せば良いのかフランには見当がつかなかった。

「お、おはよう、ユイ。……調子はどう?」

「元気いっぱいですよ。またご心配をかけました」

 その様子にひとまずは安心した。怪我もないようで、むしろいつもより元気である。

「私の必殺・治癒光線が自分自身にも使えるといいんですけど。意外と不便なのです」

「……その呼び方はちょっと、変えた方がいいと思うよ」

 フランは苦笑した。いつもの感覚が戻ってくる。

「ええっ。かっこ良くないですか?」

「いや、そもそも〝必殺〟じゃないからね」

 ようやく指摘すると、ユイはうーん、と唸って頭をひねり、

「じゃあ、フランが考えてください」

 とお鉢を回してきた。

 フランはほとんど迷わなかった。その名をとうに知っていたようにすら感じられた。それほど違和感なく、喉からするりと音が出た。

「〈サンライト・ホワイト〉でどうだろう。中天の太陽とか、木漏れ日、という意味だよ」

「……〈サンライト・ホワイト〉」

 ユイは、その言葉を魔法の呪文のように何度か繰り返して響きを確かめると、

「いい名前です! フランとお揃いですね!」

 満面の笑顔で頷いた。そうだね、とフランも笑みを返す。

 その時、梢を越えた太陽が二人の世界を包み、眩しさに瞳を細めた。ひとつの夜を越えた真新しい今日の先に、続く明日を予感させる柔らかい冬の朝日だった。



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フラン -白夜の吸血鬼- ヒダマル @hidamaru

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