第七話:少女の挑発




 フードの子との衝突の後、僕たちは適当に近くにあった店に入った。人気のある店だったようで、店内は賑やかだった。まだ日は落ちていない時間帯ではあったが、仕事帰りの男衆や子連れの家族などで既に席はほとんど埋まっていた。

 しかし、隅のほうを見てみるとちょうど二つの空席があった。僕たちがそこに腰を掛けると、忙しそうに食器を抱えたウェイターが駆け付けた。


「す、すみません、注文を窺ってもよろしいでしょうか?」

「えっと、ちょっと待ってね」


 人のさそうな少年は少し申し訳なさそうに注文を聞いてきた。

 忙しい中で待たせるのは少し胸が痛むが、こちらとしてもまだ席に着いたばかりで碌にメニューもわからないのだ。

 どうしようかと考えていると、ラナが口を開く。


「私はオススメでいいわ」

「そんなのがあるのか。じゃあ僕もそれで」

「え、オススメ、ですか?」

「何か問題でもあるの?」

「いえ、かしこまりました。お飲み物などはいかがでしょうか?」

「そうね……赤ヴィ――」

「ラマスの果汁を二つお願いします」

「はい、おすすめ二つにラマス果汁が二つですね。以上でよろしいですか?」

「はい、お願いします」


 そういうと、来る時と同じようにせかせかとした様子で彼は急いで厨房の方へと向かっていった。

 ラナを見ると、不満そうな表情を浮かべている。おそらくは僕が彼女の注文を遮ったことに対してのものだろう。


「ちょっと、リーオ、今わざと私の注文にかぶせてきたでしょ」

「いや、だってラナ、赤ヴィノを頼もうとしてたよね?」

「そうよ、何か問題でもある?」

「大ありだよ! 何しれっとお酒を飲もうとしてるのさ!」

「……たまにはいいじゃない、たまには」

 

 彼女が頼もうとした「赤ヴィノ」というのは、言ってしまえば赤ワインと似たようなものだ。ただし、僕の知るそれよりも大分アルコール度数が高い果実酒なのだ。そしてそれを頼もうとした彼女は恐ろしく酒に弱い。ほんの一口二口で顔を真っ赤にさせるほどだ。以前、酔っぱらった彼女が僕に絡んできてひどい目にあった記憶がある。


 そしてさらに性質が悪いことに、彼女は自分が酒に強いと思い込んでいる。ただ、その勘違いを指摘されると怒りだしてしまうので言わないことにしている。よくわからないが、彼女の中では酒の強さと大人であることが比例しているようで、自分が酒に弱いことを指摘されると、子ども扱いされていると感じるようなのだ。


 中々面倒くさいが、対応を間違えるとさらに面倒くさいことになる。下手なことを口にするわけにはいかなかった。

 そんな僕の心中を感じ取ったのか彼女が怪訝そうにこちらを見てくる。


「……なんか、今失礼なこと考えてない?」

「まさか、それよりも、この店いい匂いがするよね」


 苦笑いで話を逸らす。

 彼女は納得がいかない様子ではあったが、あまり深くは追及してこなかった。どうやら店の内装が気になるようで、物珍しそうにきょろきょろと視線を動かしている。。


「どうしたの、ラナ」

「アンタは何も感じないの? 村にはこんな雰囲気の店はなかったじゃない? 何か面白くて」

「ああ、なるほど。実は僕のいたところではこういう店はよくあったんだ。確かに、よく考えてみるとアルネ村にはこういう大衆食堂みたいな場所はなかったよね。皆自分の家で食事をとっていたしね」


 アルネ村にはそもそも食堂というものが存在しなかった。村にあまり人が多くないということもあったが、それを必要とする人があまりいなかったからだ。


 道中の他の村に関しても、その多くは貨幣経済が浸透していなかったように記憶している。宿に関しても、貿易路となっている大きな道の沿線上にある村を除いて、飲食店などない村が多かった。


 そんな村で僕たちがどこから金品を持ち出したのかと言えば、長老の家や村の特産品をもとに商売をしていたごく一部の人たちの家の跡から見つけたものである。


「なるほどね、なんだ、私一人だけはしゃいで馬鹿みたいね」

「いやいや、そんなことないよ。僕だって落ち着いてるわけじゃないよ。こんな店に入るのはすごく久しぶりなんだから」

「ほんとかしら。余計な気は回さなくてもいいわよ」


 疑うようにこちら見つめる彼女を僕は真っ直ぐに見つめ返す。別に嘘をついているわけではないのだ。なにもやましいことはない。

 睨めっこはあまり長く続かなかった。いつも通り彼女の方が根負けし、照れ臭そうに視線を逸らす。


「そういえば、ラナは罪人つみびとに対してどういうイメージを持ってるの?」

「率直に言えば、怖いわ」

「怖い?」

「ええ。だって、神を信じていないってことはフイアル教を否定しているってことよね? 私たちの生活はフイアル教の教えに則って行われていて、いいとか悪いとかの判断もそれに大きく影響をうけているわ。罪人はそれを共有していないってことは私たちが悪いと思うことも平気でやるかもしれないじゃない」

「つまり、何をするかわからないから怖いと?」

「まあ、そういうことね」


 確かに、彼女の考えは一理あるだろう。

 

 宗教が生活に密着した地域においては、道徳や倫理観も大きくその影響を受けている。同じ宗教を信仰しているということが、自分たちと同じルールを守っていることの何よりの証明にもなるわけだ。


 例えば、フイアル教において殺人や嘘は悪いことだとされているが、他の宗教では必ずしもそうではないかもしれない。ましてや無宗教の罪人は、殺人や窃盗すらも罪悪感なく行えるかもしれない。


 罪人に対してこの世界の人はそんな不安が付きまとうのだろう。


「リーオは怖くないの?」

「あんまり。僕の前にいた国ではほとんどの人が無宗教みたいなものだったからね」

「え、それって大丈夫なの? 治安なんかすごいことになりそうだけど」

「ところがね、そうはならなかったよ。それどころか、支配的な宗教が存在するところよりも随分と治安はよかったね」

「どうして?」

「学者ではなかったから詳しいことはわからないけど。習慣が大きいのかもしれない。島国で他の国との争いがなかったからね。狭い世界で互いにうまくやっていくために宗教とは違う独自のルールが生まれていったんだろうね」

「……正直、想像がつかないけど、あったっていうならしょうがないわね」


 そんなことを話していると先ほどの少年が料理を運んできた。

 パンとスープ、それにラマスの果汁。ラマスというのは甘いレモンといった感じのものだ。スープは野菜が中心だが肉もいくらか入っている。


「すみません、お待たせしました」

「ありがとう」


 食事をおくと彼は他のテーブルへと向かっていった。

 僕たちは会話を少しの間中断して食事を始めた。少し塩気の強いスープはパンを浸しながら食べるのにちょうどいい。


「まあ、普通ね」

「ちゃんとした料理が出てくるだけ重宝だよ。さすがに露店の食事だけで終わらせるわけにはいかないだろうしね」


 おいしいかといわれれば、答えには少し迷う。ついつい村にいた時のサマンサさんの料理と比べてしまうからだ。ただし、不味くはないので空腹を満たすのには十分である。代金分の価値はあるだろう。


 ――ただ、あまりおいしく感じないのには他の理由もあった。


 隣の席から俗っぽい笑い声が聞こえてくる。ふとそちらに視線を移すと、そこには三人の男たちが酒をあおるように飲んでいるのがわかった。


 男たちの会話は徐々に盛り上がりを見せ、ついには店中にその声が届いているのではないかと思うほどの大きさにまで達する。その内容は下世話なものがほとんどで、女を買った買わないなどというものや、聞き分けの悪い小間使いを折檻してやっただのという話ばかりだった。


 ラナはというと、予想通り心底うんざりしているようだった。

 ただし、今回ばかりは彼女ではなくとも不快に感じて当然だろう。周囲の他の客も迷惑そうに眉をしかめているが、絡まれると厄介だと感じているのか視線を彼らに合わせないようにしているようだ。


 そんな彼らのもとに先ほどの少年が近づいていった。彼の接近に、男たちは気付いていないようで、相変わらず大声で騒ぎ立てている。


 注意をしようとしてか、恐る恐る少年は口を開く。


「すみません、他のお客様の……」

「バハハ、お前馬鹿か! そんなわけないだろうが」

「いやいや、本当の話だぜ」

獣人サヴァーラの罪人なんかこの町で生きていけるわけねえだろうが! もう少しましな冗談を言えよな」


 自分たちの話に夢中なのか、男たちには少年の声掛けが届いていないようだった。

 少年は困ったように俯いていたが、少しすると意を決したように男たちを真っ直ぐ見据える。


「あの! ほかのお客様のご迷惑になっています!」


 すると、突然大きな声を出した彼に、男たちは冷水を浴びせられたかのように驚き静かになった。

 しかし、一瞬の間の後に少年のほうを睨み付けると、話に水を差された腹いせか大きな声で怒鳴りつけた。


「うるせえな! このガキ! こっちは金払ってやってんだよ、文句あっか!?」

「……ですが」

「あ? 聞こえねえよ!」


 少年は男たちの勢いに圧されて、言葉に詰まってしまっている。

 周りの人間も依然として傍観しており、誰も少年を助けようとはしていなかった。

 これは止めに入った方がよさそうだと、ラナの方に視線を移す――がそこには彼女の姿はなかった。驚いて僕が周囲を見回すと、その姿は既に彼らのそばにあった。


「アンタたち、大の大人が子供相手に恥ずかしくはないのかしら」

「あ? 嬢ちゃん、部外者は引っ込んでな」

「部外者じゃないわ。そこの彼の言うとおりアンタたちの下らない馬鹿話を大音量で聞かされてこっちはうんざりしているの。静かにできないなら出ていってもらえないかしら」

「ガキが生意気なこと言いやがって。表に出な、ひん剥いて娼館にでも売り飛ばしてやるよ」

「は、望むところよ。そっちこそ身ぐるみ全部はいだうえで奴隷商にでも売り飛ばしてやるわ。アンタらみたいな低能な連中でも力仕事ぐらいはこなせるでしょうしね」

「っのやろ、随分口が回るじゃねえか。もう冗談じゃ済まされねえぜ」

「うだうだ言ってないでさっさと外に出たら? それとも――怖くなった?」


 彼女の挑発に完全に乗せられた男たちは荒々しく立ち上がると、店の外に出ていく。そのあとに続いて、ラナも外へと足を運んだ。その際に少年が申し訳なさそうに彼女に謝っていた。そして、自分がなんとかするから出る必要はないという旨のことも彼女に伝えていたが、彼女はそれを突っぱねたようだ。


 面倒なことになったと思いつつも僕も外に出てそのやり取りを見ていることにした。



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