第一章

第六話:セルトミンスタ



「ここが、セルトミンスタ……」



 通りを埋め尽くす様に入り乱れる人と物。引っ切り無しに聞こえてくる喧騒は、田舎暮らしの長かった僕に強い衝撃を与えた。人波に揺られ、まるで船に乗っているときのように酔ってしまいそうだった。


 隣を見ると、すっかり見慣れた金髪の少女は驚きで開いた口が塞がらないようだった。視界に入るもののどれもが目新しく感じるのか、少し興奮気味に視線を巡らせている。


 脇に並ぶ露店の中に特に興味を惹かれるものを見つけたのか、彼女は急に僕の手を引いて走り出す。




「ちょっと、リーオ! これ見て!」


「ラ、ラナ、そんなに強く引っぱると腕が痛いって!」




 僕の抗議の声は届いていないのか、半ば引きずられるようにして僕は連れていかれる。


 連れていかれた先は、魔道具を売っている店であった。杖に帽子にローブ、女っ気のない品ばかりが並ぶその店頭だが、彼女の表情は見るからに楽しそうだった。


 あの悲劇から数週間、道中で小さな村や町にも立ち寄りながら、この王都までたどり着いた。道程自体は順調に進み、村から持ってきた金品も十分に足りている。そんな中での一番の懸念は、彼女の精神状態であった。あのときあの場では、気丈に振る舞っていた彼女だが、それが強がりであることは察するに難くない。


 しかし、僕の目には今の彼女が心から楽しんでいるように思えた。そんな彼女の様子に安堵するとともに、微笑ましさから思わず表情が緩んでしまう。


 そんな僕を見て、彼女は不満げにむくれる。




「何よ、その顔」


「いや、何でもないよ」


「……なんか腹立つわ」


「いやいや、そんなことより、何か気になるものはあるの」


「露骨に話題をすり替えたわね。……まあいいわ、これなんか強い魔力を感じるわね」




 彼女は透き通る水色の水晶を加工して作られたているネックレスを指さす。しかし、魔法を使えない僕にはただの綺麗な宝石にしか見えない。




「これが?」


「リーオにはわからないの? これ、強力な魔族避けの魔法が封じられているわよ」


「僕が魔法を使えないことくらい知っているよね?」


「あら、そういえばそうだったわね」


「……白々しいなあ」




僕たちの会話が落ち着いたのを見て、先ほどまで沈黙を守ってきた店主の老婆が感心したように口を開く。




「ほう、お嬢ちゃん中々目が利くじゃないかえ」


「そりゃそうよ、私は優秀な魔術師なんだから」


「ほっほ、口もよく利くようじゃな」


「なっ、この」


「ラナ、落ち着いて」


「もう一人のの方は落ち着いているようじゃな」




 その言葉に、僕は呆然とする。


 お嬢ちゃん? 僕に対していったのか?


 隣にいるラナに視線を移すと、不満を忘れ、笑いをこらえていた。




「『嬢ちゃん』、だってよ、リーオ」


「あの、僕は男です」


「ありゃま、これは悪いことを言ったね。なんだ、お主らは恋人どうしか」


「こ……な、なに言いだすのよ!」


「ありゃ、違ったのかえ」


「あの、からかうのはそのくらいにしてもらえませんか」


「すまぬすまぬ」




 謝ってはいるものの、老婆にはあまり悪びれた様子はない。


 からかわれたラナは顔を赤くして不満げな表情を浮かべている。しかし、僕が平然としているのを見て一瞬こちらを睨んだ後、いつもの表情に戻った。




「ところで、お主ら、見たところ王都の人間じゃないみたいじゃが、どこから来たんじゃ」


「アルネ村です」


「ほお、随分と遠くから来たものじゃな」


「知ってるの?」


「うむ。もう何十年も前のことじゃがな、一度だけ寄ったことがあってな、あの時も丁度今時期じゃったかな。黄金に染まるグラ畑の光景が今も忘れられんな。しかし、何の用事でここまで来たんじゃ」


「そのことなのですが、アルネ村はもうないんです」




 僕の言葉の意味を老婆は呑み込めなかったのか怪訝そうに眉を寄せる。




「どういうことじゃ?」


「魔物に襲われてね、壊滅よ。生き残ったのは私たちだけ」


「王都なら仕事も見つかるのではないかと思いここまで来たんです」


「何と、それはまた……」


「気を遣っていただきありがとうございます。でも、僕たちは大丈夫ですよ」




 同情のこもった目でこちらを見る老婆。悪気がないことはわかっているのだが、あまり気分の良いものではなかった。ラナも同じような心境なのか少し複雑な思いを抱いているように見える。


 老婆は何かを思いついたように口を開く。




「もしよかったら、儂のところで働かんか? その様子じゃと仕事といっても当てもないようじゃしな」


「それは、こちらとして願ったりかなったりですが、仕事というのは?」


「なに、そっちのお嬢ちゃんの魔術技術で魔薬の調合と、魔道具の整備に協力してほしいんじゃよ」


「私は構わないけど、リーオは魔術が使えないわよ」


「魔術が使えない? どういうことじゃ? まさか、お主、罪人つみびとか……いや、それにしては瞳が赤くないのう」


「罪人…ですか?」


「なんと、罪人のことも知らぬのか。お主も知っておるじゃろうが、才能の多寡はあるにしても、フイアル教への信仰心があれば魔法は使えるのじゃ。そして、この世界の人間のほとんどがフイアル教を信仰しておる。


 そんな中で、信仰を持たない者やそれを捨てた者は罪人と呼ばれておる。罪人の瞳は神からの罰で赤く染められると言われているのじゃよ」


「……そうなんですね」




 老婆は丁寧に説明をしてくれた。


 ふと隣を見ると、ラナはさも当然というような表情をしていた。




「って、あれ。ラナは知ってたの?」


「当たり前でしょ? この世界の常識よ、常識!」




 なぜ今まで教えてくれなかったのだろう、と少し非難がましく彼女を見てみる。


 しかし、彼女はその視線に気づきながらもあえて無視するようだった。




「……信仰と関係があるのかはわからないのですが、実は僕、記憶喪失で」


「しかもどこの田舎から来たのかわからないけど四元素論を信じられないみたいでね、村の近くで倒れてたところを見つけたんだけど、魔法のことも初めて知るって具合でね」




 ラナのフォローのおかげで、どうやら老婆は納得したようだった。


 先ほどまでのどこか疑うような眼差しは、こちらに向けられなくなっていた。




「なるほどのう。まあ、気にすることはない。魔術ができなくとも仕事は山ほどある」


「一応聞いておくけど、給料はどのくらいもらえるのかしら」


「一月に六十エルムでどうじゃ」




 六十エルム、それは一月分の生活費には足りるどころか余りあるぐらいだった。それは、今の僕たちにとっては十分すぎる金額だ。




「そんなにもらえるんですか」


「なに、金には困っておらんでな。この商売も趣味でやってるようなものじゃよ。それにな、儂の勘が言っておる。お主らは何か大きなことをしでかすじゃろうとな」


「よくわからないけど、その約束を守ってくれるなら問題ないわ」




 僕は老婆の表情を窺う。その様子からは悪意は感じられない。しかし、警戒をしておくに越したことはないだろう。よい話にはどこか裏がある。それが世の常なのだから。


 僕に疑われていることに気づいているのかいないのか、老婆は話を続ける。




「ほっほ、契約成立じゃな。詳しい話はまた後でしようかの。儂は今しばらくここで店を出しておる。五の刻になったらまた来ておくれ。あ、そうじゃ、その首飾りは嬢ちゃんにあげようかの」


「え、いいの?」


「いいんじゃよ。お近づきのしるしってやつじゃ」


「ですが、本当にいいんですか? 高価なものだと思いますが」


「いいから、もらっておきなされ。儂の気が変わらんうちにな」


「それなら……ありがとう」




 予想外の厚意に驚いたのか素直に感謝を述べるラナ。僕もその隣でお辞儀をする。ただ、その親切を僕は真っ直ぐには受け取れなかった。先ほどと同じようにこの人からは悪意は感じられないが、何か違和感を覚えるのだ。そして、このような不安は不思議なことに的中することが多い。だから僕は警戒しておくことにした。


 もし、純粋な善意からの行動であったら、申し訳ないとは思う。だけど、僕はもう失敗するわけにはいかなかった。僕たちはもう二人きりなのだから、自分たちの身を守るためには用心してもし過ぎるということはない。


 まだ幼い彼女を支えられるのは僕だけなのだから。








 老婆のいた露店から離れ、僕たちは町を見て回ることにした。この先この場所で生活していかなければならないのだ。どこに何があるのか、この町についてよく知っておく必要があるだろう。


 それに、これまでの長旅ではあまり心休まる時はなかった。僕はともかくラナには少し休んでほしかった。


 そんなことを考えていると、僕たちは町の広場に出る。


 中央にある噴水には大きな像が建てられていた。フイアル教の神であるフイアルを模して造られているものだ。剣と盾を持つその姿は、神というよりは戦士のような印象を受ける。


 僕が神像を見ていることに気づいたラナが声をかけてくる。




「そういえば、リーオのいた世界ではフイアル教はなかったのよね」


「そうだね。いくつか別の宗教はあったけどね」


「リーオもどれかを信じてたの?」


「いや、僕はそのどれも信じていなかったよ」


「何も信じていなかったってこと?」


「いや、そうじゃない、そうじゃないんだけど……」




 そうだ、僕には確かに信仰があった。僕はそれを断言できる。だけど、僕の信仰の対象は? 僕の中にいた『神』とは一体何だったんだ。




「なるほどね、ひょっとして、リーオが忘れちゃった大切なことってそのことなんじゃないの」


「そのこと?」


「リーオの神についての記憶ってことよ」


「なるほど、確かに」




 アルネ村でラナが僕に死を望んだ時、それを叶えようとした僕を思いとどまらせたものを思い出す。あれは絶対に僕にとって重大な意味を持つものなのだ。それこそ、僕の信仰に関わってくることなのかもしれない。しかし、だからと言って、あの着物の少女が神であるとは僕には到底思えなかったし、そもそも、彼女が誰なのかも僕には判然としなかった。


 考えても答えは出そうにない。今は、このラナとの時間を楽しむことに意識を向けた方がいいかもしれない。


 そんな思考を遮るかのように、ラナが僕の手を強引に引いた。




「ほら、リーオ、あっちで何かやっているわよ!」


「ちょ、ラナ、引っ張りすぎだってば」




 なされるがままに彼女に従っていく。


 その先では人形劇がやっていた。


 展開されているのは英雄譚。という内容だ。この世界の人間の誰もが知るその話は僕がこの世界に来てから何回も耳にしたものだ。


 剣を持った人形が怪しげな服装をした人形を斬りつける。すると、怪しげな人形はバタンと倒れ、太鼓の音が鳴り響く。どうやら終わってしまったようだ。




「なんだ、もう終わるところだったのかあ」


「見たかったの、ラナ?」


「べ、別に、そういうわけじゃないけど」


「いや、隠すことはないよ」


「う、うるさいわね! 殴るわよ」


「え、ごめん」




 からかわれた彼女はいつものようにムキになる。


 なぜなのだろう、こんな彼女を見るたびに僕の胸に安心感が広がっていく。


 僕たちは人形劇を離れて次に向かう場所を考える。


 少し悩んだ後、食事をとることに決めた。




「都会の食事って口に合うのかな」


「知らないわよそんなこと。食べてみればわかるわ」


「それもそうだね。考えても仕方がないか」




 考えても仕方のないことは世の中にはいくらでもあるが、これもそのうちに入るのだろうと僕は考えた。


 予備知識も何もないままに、二人で興味の光れるような外装をした飲食店を探していると、不意に何かが僕にぶつかってきた。


 見ると、ぶつかってきたのは小柄な人物のようだ。フードを深くかぶっているため、その顔はわからない。




「衝突、すまない、私謝罪する」


「いや、大丈夫だよ」




 少し高く透き通った声から、若い女性なのだろうと僕は予測する。短い内容しか口にはしなかったが、そのぶっきらぼうで細かく区切るような話し方に少し違和感を覚えた。


 僕がそんなことを感じている間に、急いでいるのかすぐに走り去ってしまった。


 隣のラナは僕とは別のことを考えていたようで呆然と口を開いていた。




「ねえ、リーオ、今の子の眼……」


「えっと、僕には見えなかったけど、あの子の眼がどうしたの?」


「……




 老婆の話、赤の瞳は罪人の証。


 僕には正直その重大さがあまりわからなかった。ただ、驚いたラナの表情が僕の頭から離れなかった。






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