第三話:三玉の儀
儀式当日、村の新成人たちが一堂に会し、場は只ならぬ緊張感で満たされていた。夜の広場を照らすのは月の光と燭台に灯された火である。
今年成人を迎える人間は確か二十五人であり、小さなこの集落においては稀に見る大人数である。それぞれの表情は三者三様であり、不安に顔がこわばる者や、自信に満ち溢れているもの、また面倒くさそうにあくびをしているものまでいた。
コツコツと足音が鳴り、広場の少年少女たちは一斉にそちらのほうに視線を向ける。見ると、少し小高い場所に長老が現れた。ついにこのときが来たのだと、若者たちの顔つきがこわばっていくのがわかる。
長老はわざとらしく咳ばらいをした後に仰々しく話し始める。
「皆の衆、これより三玉の儀を執り行う。その内容については、再三告知をしていた通りじゃし、お主らも知っていることだろう。そのため、ここで儂からお主たちに説明するのはその中でも特に重要なことのみとする。
まず一つ、お主たちにはロロの森へ入ってもらい、緑色の発光石を一人三つ取ってきてもらう。時間は夜明けまで。お互いに協力しても構わん。時間までにこの広場に戻ってくることが儀式の合格の条件じゃ。
次に、場所についてじゃが、これは赤い目印が各地につけられておる。その目印よりも先には決して踏み入るでないぞ。踏み入れば命の保証はないと思え」
長老から出た『命』という言葉に皆が息を呑む。
それも仕方がないことだろう。この村には普段命にかかわることなんて起こらない。狩りにおいても、常に大人がついているため、大怪我をすることなど基本的にはないのだ。
不安から小声で話を始めるものが現れ、広場が少しざわつき始める。
「静まれ!」と長老が一喝し、話を続ける。
「これが最後になるが、儂はお主たち全員がこの儀式を無事に通過し、このアルネ村の未来を担う立派な大人となることを期待している。以上じゃ、早速じゃが、これより三玉の儀を開始する!」
長老のその言葉と同時に、儀式の開始を告げる太鼓の音が鳴り響く。
その音とともに、少年少女は蜘蛛の子を散らすように一斉に走り出す。僕とラナちゃんも遅れることなく動き始める。
「おい」
不意に声がかけられ、僕たちは足を止める。
聞きなれたその声は、レオの声だ。ラナちゃんは露骨に面倒くさそうにため息をつく。それを見て彼は少しショックを受けたようだが、気を取り直すと、僕に向かって挑戦的な視線を向けてくる。
「この、三玉の儀、お前よりも早く終わらせてやる!」
「いや、これ別に競争が目的の儀式じゃ……」
「負けるのが怖いんだろ?」
僕の言葉を聞くつもりはないようだ。どう受け答えようかと悩んでいると、彼の後ろから妹のセルルが息を切らしながら駆けてきた。彼女は、彼の横に並ぶと、徐に腕を振り上げる。
それに気づかずにこちらを見ているレオに、その手が勢いよく振り下ろされる。小気味いい音とともに、彼の頭を小さな手のひらが捉える。彼は何が起こったのかわからない様子で頭を抱える。
「お兄ちゃんのバカ! 早く行くよ!」
普段の彼女からは想像がつかない大きな声で、怒ったようにセルルは言い放つ。そして兄の襟首を掴むと、こちらに向き直り丁寧にお辞儀をする。
「すみません、リーオさん、こんな大事な日にまでうちのお兄ちゃんが……」
「い、いや、大丈夫だよ。セルルちゃんも大変だね」
「いえ、妹なので……いつもすみません」
「いやいや、セルルちゃんが謝る必要はないよ。それより、二人とも、気を付けてね」
「お前こそ、ラナに何かあったらただじゃおかねえからな!」
「私は大丈夫よ。それより、アンタこそセルルちゃんをしっかり守りなさいよ」
「わ、わかってる!」
そういって引きずられていくレオ、途中でセルルちゃんは立ち止まり、思い出したかのようにこちらに一礼をすると、僕たちと違う方向へと歩いて行った。
別れた後、遅ればせながら僕たちは森に入っていく。
森の中には所々に照明が設置されており、完全ではないものの視界は確保されている
奥に進むにつれて、人気が少なくなっていき、しばらく進むと僕たちはお互いの以外の気配を感じなくなる。村から離れるにつれて暗くなっていく森に、僕にどことなく寂しさを感じる。
一つ一つの木に視線を移すと、まるで、こちらに近づいてくるような錯覚を覚える。夜の森が放つ怪しげな雰囲気は、これから何かがおこるのではないかという不安を掻き立てる。
そんな僕の心情は知ったことがないとばかりに、ラナちゃんはどんどん前に進んでいく。いつの間にか話されていた距離に気づき、僕は小走りで彼女の後ろに続いた。女の子の後ろに続くなんて男としてはどうなのだろうかとは思うが、前に出たら出たらで何か言われそうな気もするので大人しくついていく。
特にめぼしい変化もないまま、僕たちは早速目的のものを発見した。
彼女もそれに視線を向けて口を開く。
「これが発光石ね」
淡く緑色に発光する石。その光は周囲を淡く照らし出す。息を呑んでしまいそうなその輝きに、僕は思わず声を出すことを躊躇ってしまう。
間違いなく、これだ。
僕の中で確信が満ち溢れた。
「これを、あと二つ集めるのか」
「アンタの分も合わせるとあと5つね。この分だと簡単に集まりそうね」
「そうだね」
「なんだか拍子抜けね」
「油断はダメだよ。夜の森だ、何が起こるかわからない」
「……わかってるわよ」
僕たちは次の石を探すべく再び歩き始めた。
ふと、茂みが揺れ動く音が鼓膜を揺らす。現れたのは四つ足の獣。小さな体躯は牙をむき出しにし威嚇するとともに、こちらに飛び掛からんと体に力を込めている。
僕が動き出そうとするよりも早く、ラナちゃんが前に出る。
「『冷気集え――
彼女がそう唱えると、魔物の四肢は凍り付き、地に固定される。しばらくは動くことが出来ない魔物たちを置いて、僕たちは先へ進む。
「リカオン。それもまだ小さい個体みたいね
「殺さないでくれるんだね」
「ええ、必要ないでしょう? リカオン程度なら大きくなったところで大した脅威にもならないだろうし……それに、アンタが嫌な顔をするからね」
「ありがとう」
「別にいいわよ。礼なんて。もっとも、私にはよくわからないけどね、魔物をそこまで気遣う理由が」
「……理由なんてないよ、ただそうしたいだけ」
「ふーん。まあ、できる限りで協力はしてあげるわ。私だって必要のないことをする気はないわ」
僕の考えを尊重してくれる彼女のような人間はこの世界にはそう多くはいないだろう。
この世界において、魔物には心がないと思われている。
その理由は至極単純だ。そのように教えられているからだ。この世界で人間が信仰しているフイアル教では、人間以外の存在には心を認めていない。ただ機械と同じように部品と部品の相互作用で動いているとされている。
しかし実際には、それを確かめるすべなどはないし、それは同じ人間にだって言える。僕たちが心があるとわかるのは自分についてだけで、周りの人間には心があるのかなんて確かめようはない。
それでも、僕たちは家族や友人に自分と同じ心が宿っていることを疑わない。それはなぜかと言われれば、彼らがそれを感じさせる行動をとるからだ。彼らの行動に自分の心を当てはめる、それによって僕たちは他者の心を確認している。
僕に言わせれば、魔物や動物にだって同じことが言えるのではないかと思うが、それは線引きの問題なのだろう。言い出してしまえばきりがない。植物に心があるかどうかだって確かめようはないわけだから。
結局のところ、僕たちは直感に基づいてこの問題に答えを出しているのだろう。当然、中には植物に心を感じ取る人もいるだろうし、それどころか石や金属、水や空気などの無生物にもそれを見出す人もいるのかもしれない。
線引きをどこで行うか、それは個人の自由だ。好きなようにすればいい。どうせ確かめようはないのだから。その代わり、僕だって好きにやらせてもらう。
そんなことを考えながら、僕はラナちゃんとさらに進んでいった。
その後、特に苦戦をすることなく、一つ、また一つととんとん拍子に石は見つかり、ついには最後の一つを見つけ出すことができた。
集める最中には魔物も出た。しかし、僕たちは難なくそれらを退けることができた。相手が小さく、何回も目にしたことのある魔物というのもあるが、彼女が魔術を使えるということも大きかっただろう。
「随分あっけなかったわね」
「まあ、半分くらいは形だけ残ってるような儀式だからね。とはいっても、ラナちゃんが魔術がうまく使えるからていうのも大きいと思うよ。魔物が出てもすぐに対処できたからね」
「アンタこそ、どうしてあんなに慣れた動きができるのよ。狩りの時にも思ってたけど、やっぱり何か隠しているわよね」
再び向けられた疑惑の眼差しに、僕は沈黙で返答する。
彼女の方も、本気で聞き出したいわけではないようで、特に追及してくることはなかった。
「まあいいわ。それじゃ、戻りましょうか」
「そうだね、レオ君とのこともあるしね」
「……ああ、すっかり忘れてたわ」
「いつも思うけど、ラナちゃんのレオ君の扱い少しひどいよね」
「そう? 私は誰にでも同じだと思うけど」
言われてみればそうかもしれない。ラナちゃんは誰に対しても分け隔てなく接している。それはいいことだと僕は思う。ただし、その対応にもう少し優しさが加わる必要はあると思うが。
他愛のない話をしながら、僕らは来た道をたどり始める。
――その時、森を照らしていた照明の灯りが一斉に消えていく。瞬く間に暗闇に覆われていく森の中、手の内にある発光石の頼りない光がかろうじて周囲のものを照らし出していた。
遅れて聞こえてくる獣の叫び声。
それは一つではなく、数多の重なりを帯びていた。つまり、その発生源は群れを成しているということだ。
「リーオ、この声って」
「うん、魔物だと思う。それも、聞いたことのない声だ。おそらく、普段は森のずっと奥にいる奴らだと思う」
「この声の遠くなっている方向――これって村のほうじゃない! 不味いわ、早く村に戻って知らせないと!!」
走り出そうとする彼女の腕を掴んで僕は引き止める。
森の最深部、今回の儀式では立ち入らないように告げられているその場所には、凶暴な魔物が数多く生息しているという。その場所は一度入れば二度と戻ることは出来ないとすら言われており、熟練の狩人である村の大人たちでさえ決して入ろうとはしない。
そんな場所から魔物の群れが押し寄せるとなれば、命の保証は出来ない。それどころか、村自体が滅ぶ可能性すらあり得るだろう。
そんな魔物を相手に、彼女が行くのは危険すぎる。
「何で止めるのよ!」
「あれだけの叫び声なら、向こうにも伝わっているはずだよ」
「だとしても、村のみんなだけでは対応できないんじゃないの!?」
「ラナちゃんが行って、何か変わるの?」
僕のその言葉に彼女は息を呑む。
「それは……」
「君が行っても無駄死にするだけだよ。そんなのはトウガさんたちも望んでいない」
「じゃあ! 見殺しにしろっていうの!?」
「僕が行く」
「アンタなら何とかできるっていうの?」
「うん、できる」
自信をもって言い切る僕に気圧されたように彼女は口を紡ぐ。
しかし、一瞬遅れて抗議しようと彼女が口を開きかけた時、僕は彼女の後ろに迫る影を認識した。
急に自分の方に迫ってきた僕に驚いた表情を浮かべるラナちゃん。その横を通り抜け、彼女の後ろに迫る獣、その頭を僕は地にたたきつける。殺してはいない、ただし、当分は動き出せないだろう。
魔物の姿を改めて確認する。先ほどまで僕らを襲ってきていたリカオンと比べて一回りも二回りも大きい体長の肉体は、針金のように固い毛で覆われている。
彼女は、その魔物が倒れた姿を見て呆気にとられながらも、何とか口を開く。
「あ……ありがとう」
「大丈夫。でも、これでわかったよね。村に戻るのは僕一人だ」
僕の言葉に、無言で俯くラナちゃん。納得してくれたのだろうか。
しかし、彼女は一瞬間をおいてから、決意に満ちた目でこちらを見据えて言い放つ。
「……いや、私も行くわ」
「さっきも言ったと思うけど――」
「――それでも、ここで行かなかったら、絶対に後悔するから。止めても行くわよ」
「……そっか」
彼女の思いが伝わってくる。そうだった。彼女はこのような状況で「はいそうですか」などと引き下がるような人間ではなかった。自分では何もできないから仕方がないと納得できるほど器用ではないのだ。
僕はそんな彼女の生き方をかっこいいと感じるし、人間として心から敬意を抱く。だから、彼女の言葉を否定することはしない。
――だから代わりに、彼女の脳を揺らして気絶させた。
この近くには、トウガさんとサマンサさんが、有事の時のために用意していた避難小屋がある。強力な防御魔法が施されているという。あそこならば、彼女の身を隠すのに最適だろう。
もしこれで村が最悪の事態に陥っていたら、その時は僕のことを恨めばいい。それでも、僕は彼女には理不尽な責任を負ってほしくはない。彼女は助けに行こうとしたが、僕がそれを妨害した。ただそれだけだ。
しかし、急がなければならない。こうしている間にも魔物は村に押し寄せてしまう。
僕はラナちゃんを抱えると、足早にその場を後にした。
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