第四話:呼吸
村についた僕は、その変わり果てた光景に言葉を失う。そこここで火の手が上がっているにもかかわらず、本来ならば聞こえてしかるべき悲鳴や助けを求める声が全く聞こえなかった。視界には一切人の影が映らない。それどころか、魔物の姿すらも目に入らなかった。
どうなっている。魔物に襲われたんじゃないのか。それに、人がいないということは、既に避難を終えたということなのか。
僕はあまりにも不可解な状況に違和感を覚えながらも、ある場所へと足を急がせた。この七年を過ごし、最も思い入れのある場所、そして、そこにいるかもしれない彼らの無事を祈りながら。
だが、目的地にたどり着いた僕の期待は裏切られた。そこには最早原形をとどめていない崩壊した家屋だけが佇んでいた。炎に包まれ、火の粉をまき散らすそれからは、生命の存在を感じる余地はない。
いや、まだわからない。死んだと決まったわけではないのだ。避難したに違いない。
そう自分を自分に言い聞かせ、他の場所に移動しようとした僕だったが、予想外の足音を耳にして足を止める。知らない足音だ、おそらくこの村の人間ではない。
「――おいおい、どうした? そんな必死になって何を探してるんだ?」
かけられた声に、僕は振り向く。
野性的な笑みを浮かべる少年、その両手のそれぞれが人間の首を掴めていた。
その人間、いや、人間だったものは首から下がひどく捻じれ、螺子のようなシルエットに変わり果てていた。
しかし、溢れ出る液体でわかりづらくなっていたものの、かろうじて残るいくつかのパーツに僕は見覚えがあった。
<ソレらは、確かに、トウガさんとサマンサさんだった>
瞬時に、僕は理解した。
自分は間に合わなかったのだ、そのために、二人は死んだ。
そして彼らの命を奪ったのは目の前にいる少年だ。
憎しみ、怒り、悲しみ、それらの感情が僕の胸中で渦巻く――
――ことは決してなかった。
二人が死んだということは、僕の中では、既に記憶から葬り去られている幾千もの死体に「2」という数が加えられたということしか意味しなかった。
死んだ時点で彼らはもうこの世には存在しない。存在しないものに対して僕は如何様な感情も抱くことはできなかった。この世からの抹消、それが僕の中において死が意味するものだった。
僕を見て、少年は一瞬怪訝そうな面持ちで思案したようだが、すぐに合点がいったようだった。彼は手に持った亡骸を投げ捨てると、嬉しそうな笑みを浮かべて一言。
「へー……オマエ、同類か」
その言葉が僕の胸にストンと落ちる。
僕にはそれを否定する気もなかったし、その資格もない。何よりも、僕自身が、目の前の少年の姿に、本質的に殺人鬼である自分自身を重ね合わせていた。
そして今、この場を満たしているのは、むせ返る鉄の匂い、体液の匂い、そして排泄物の匂いだった。視界に移り込むものは悉く赤に染め上げられていた。
それらは僕に――僕の血に訴えかけてくる。
それらは、僕自身が実際に欲しているのが何なのか、それを嫌というほどに突き付けてくる。
「驚いたぜ、こんなところでお仲間に出会えるたあな! 暇つぶしできたつもりだったが、ついてるぜ! ほら、構えな! 相手してやるよ」
「……」
「っち、ダンマリかよ。テンションの低い奴だぜまったく。仕方ねえな、オマエが乗り気じゃねえってえなら、乗り気にさせてやるだけだ」
彼はこちらに駆け出す。その素早い動きは、こちらの世界に来てから最も速いものだった。向けられる鋭い殺意、彼は間違いなく多くの場数を踏んだ殺人鬼だった。久しぶりに思い出す、あの頃の日々。血で血を洗うような毎日を想起させるような緊張感。
それらを一身に受けて、僕は――
――呼吸を始めた。
その瞬間、世界がコマ送りに感じる。
凝縮された時の流れ、まるでスロー再生のような世界の中で、僕の体だけが嘘みたいに滑らかに動作する。
目の前にいる少年のあまりにも遅くなった動きを、僕は舐めるように観察する。そして、その先の動作を完璧に予測し、行動に反映させる。
ただ、殺すための動き。
今までの経験から逆算する、この少年を確実に、それでいて苦しまずに葬り去る一撃を。
狙うは頭、止まっているようにしか見えない彼に僕は急所を正確にとらえた一撃をぶつける。当たる直前、彼の表情に驚愕が走るのがわかる。恐らく回避行動を取ろうと判断したのだろう。しかし、それはあまりにも遅すぎた。
響く破裂音、それとともに僕の手には手ごたえが残る。
しかしながら、それは僕が想定していたものとは少し異なるものだった。本来であればトマトのような感触を予測していたが、それとは対照的な、まるで金属を捉えたかのような硬い感触。
僕は己の攻撃の失敗を悟った。長いブランクで僕の腕が鈍ったのか、それとも、最初の計算自体が間違っていたのだろうか。
そんな推測が僕の頭に浮上するが、それを僕は直ちに否定する。
いや、違う。何かが、僕の拳と彼の頭の間で衝撃を吸収したのだ。それは、おそらくは魔法のような何かだ。こちらの世界での戦闘経験の不足が、僕に力の調節を間違えさせた。前の世界とこちらの世界との差異を僕は完全に失念していた。自身の未熟さに苛立ちを覚える。
そして、同時に、罪悪感を沸き上がった。
――これでは、彼に無駄な苦痛を与えてしまう。
長引かせれば長引かせるほど彼の負担になる。早々に片づけなければ。先ほどの感覚と彼の今の様子から察するに、今の魔法は決して破れないものではない。僕は迅速に先ほどの魔法を踏まえて計算を始める。そして、彼を葬るのに最適な攻撃を再び算出した。
僕は彼が自分の状態を認識するよりも前に二撃目へと動き出す。先ほどよりも深く鋭い掌打。しかし、今度は、その攻撃を彼に当てることはできなかった。
――僕の拳が彼の脳天に達する寸前に、僕の耳が確かに風切り音を捉えた。脇から迫るその物体から嫌な雰囲気を感じ取り、撃ち落とすことではなく回避行動を選択する。
どうやらその選択は正しかったようで、僕のいた場所を正確にとらえたその物体は、着弾した地面を大きく陥没させ、四方八方に亀裂を走らせていた。
もしあれを直接撃ち落とそうとしていたら、大怪我をしていたかもしれない。
僕は、黒ずくめの彼から視線を離すと、その攻撃を放った人物がいるであろう方向にそれを移した。
すると、燃え広がる民家の端に、少年と同様の黒ずくめの格好をした人物を発見した。フードから覗かせる双眸は青白い光を放っており、僕はどことなく畏怖の念を抱いた。
先ほどの僕の攻撃を受けて、その場にうずくまってうめき声をあげている少年をよそに、僕は新たに現れたその人物に視線を注く。
すると、彼の方も僕の視線に気付いたようで、自分からこちらに近づいてきた。彼は億劫そうに歩を進め、互いの声が自然に届くほどの位置にまで接近するや否や、倒れた少年に向けてわざとらしくため息をついた。
「まったく、愚かですね、カイン。相手との実力差も弁えずに戦いを仕掛けるからそのような醜態をさらす羽目になるのです」
「ぐ、ぐるせ」
「はい? 何を言っているかわかりませんが」
「な……おせ」
「治してくださいゼエラ様、でしょう?」
「ぐ……」
満身創痍といった体の少年に、彼は声をかける。しかし、カインと呼ばれたその少年は言葉を発しない。というよりも、発することができないのだろう。先ほどの僕の攻撃の影響で軽い脳震盪を起こしているのか、うまくろれつが回らないようだった。
黒ずくめの人物は呆れたように続ける。
「まったく、まともに言葉も話せなくなりましたか。ただでさえ頭に致命的な欠陥があるというのに、これ以上愚かになってどうするのですか……まあいいでしょう、今回はそんな哀れな愚か者に慈悲を与えましょう――『کاحهئکئسەیۆ』」
彼は僕には理解できない文字列を唱える。すると、少年の傷はみるみると回復していった。
そして、先ほどまで苦痛に歪んでいたその表情が途端に和らぐ。
「わりい、ゼエラ」
「感謝の心が足りませんね。『乞うことしかできないこの愚かな豚に、貴方様のお慈悲を恵んでくださり誠にありがとうございます。そのご厚情心から痛み入ります』と言いなさい」
「な、なが……そんなこと言えるか」
「そうですか、やはり貴方は恐るべき迂愚ですね」
「うぐ?」
「……はあ、もういいです。しばらく黙っていてください」
そして、男は僕の方に視線を移す。彼は、少年に向けるものとは対照的に柔らかな笑みを僕に向けているが、それは周囲の凄惨な光景とはかみ合わず、どこか不気味に感じられる。
「初めまして、少年。私はプライア七信徒が一人、ゼエラと申します。まずは、こちらの迂愚が失礼な振る舞いに出たことを謝罪いたします……そして、いきなりで不躾に感じられるかもしれませんが、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
ゼエラという人物、この人の所作はひどく落ち着き払っており、その丁寧な言葉遣いが板についていた。しかし、僕の直感が言っている。この人は、先ほどの少年とは比べ物にならないほど恐ろしい人物だと。
僕は警戒心から言葉を返さずに、無言で頷き肯定の意を示す。
「……貴方は、何ですか?」
彼から投げかけられた質問、それはあまりにも漠然としたもので、僕は答えに窮してしまう。
彼も自分の質問が要領を得ていないことに気が付いたのか、「失礼しました」と謝ると、補足するために言葉をつづけた。
「貴方は我々の同胞であることに間違いはないようなのですが、少し違和感があるのですよ。例えるのなら、堅牢強固な城壁が建っているのに、その守るべき城がないというような感じ……貴方、一番大切な何かを忘れていませんか」
その言葉に、僕ははっとする。自分でも感じる。僕は大切何かを失ってしまっている。
……そうだ、こちらの世界に来たとき、ラナちゃんに助けられたあの森で、僕は確かに認識していた。自分から何かが抜け落ちてしまったことを。
しかし、どうして今までそのことを忘れていたのだろうか。
そして、このゼエラという人はどうしてそのことに気づいたのだろうか。初対面の人間である僕のことは当然知らないはずだ。にもかかわらず彼は一目で僕の無意識を読み取った。僕は背にうすら寒いものが走るのを感じた。
そんな僕の胸中を察したのか、彼は自分の推測を確信したようだった。
「やはり、そうでしたか。ご自分でも理解されていなかったようですね。しかし、思い当たる節はある様子。それならば、さして問題もないでしょう。そしてもう一つ、少し誤解を解いておかなければいけませんね」
「……誤解?」
「この村の襲撃、それは私たちによるものではありません」
この人は何を言っているんだ。
カインと呼ばれた彼は、確かにトウガさんとサマンサさんの死体を掴んでいた。何を言われようとその事実は変わらない。
僕の疑うような視線に気づいたのか、ゼエラは説明を続ける。
「信じられないのも無理はありませんね。この状況下で生きているのは貴方と私たち二人、そして貴方が引き起こしたのではないとすれば、それすなわち我々によるものであることを意味する。そういうことですね?」
「……そこの彼が手にしていた死体は確かに見覚えがあるものだった」
「カイン」
「い、いや、落ちてたのをちょっと拾ってみただけなんだけどな、そいつの反応が面白くて、つい」
「……貴方の思考回路には開いた口が塞がりませんよ。なるほど、そんなことがあったなら、そこの少年が勘違いするのも無理はないですね」
目の前の二人は不思議なことに嘘をついているようには見えなかった。人が嘘をつくときに見せる独特の仕草、それが彼らにはまったく見受けられなかったのだ。
僕の表情を見て、ゼエラは続ける。
「少し混乱しているようですね。ちなみに、私の予想では、犯人はこの村の住人の中にいたのではないかと」
「……そんなわけ」
「信じられないのも無理はありません……まあ、この話はやめにしましょうか。私が何を言ったところで貴方は信じないでしょうし、それならそれで我々も構いません」
村人の中に犯人がいた、この人はそう言った。
しかし、そんな証拠はどこにもない。信じろというのは無理な話だろう。それに、もしそれが本当だとしたら何のために?
しかし、彼はこれ以上説明をする気はないようだった。彼はカインという少年に立ち上がるよう声をかけた後、小さく呟く。
「それにしても、厄介な連中が動き出したものです……」
「厄介な連中?」
「おっと、気にしないでください、こちらの話ですよ。それでは、早いようですが、私たちはこれで失礼させていただきます……貴方にはそちらのお嬢さんのこともあるでしょうしね」
……『お嬢さん』?
彼の視線を辿ってみると、そこにはラナちゃんがいた。
彼女は自分の両親だったものを瞳に捉え、呆然と立ち尽くしていた。凍り付いたように動かないその顔は、止め処なく目から溢れ出した涙で濡れていた。
どうやって、抜け出してきたのだろう。
そんな疑問をよそに、ゼアルと名乗る青年たちは言葉を発する。
「それでは、またいつかお会いしましょう。そのときまでに、貴方が完成していることを期待しています」
「じゃあな同類!」
「『تەنحسەیۆ』」
ゼアルという男は再び意味の分からない言葉を羅列する。すると、二人の姿が黒い霧のようなものにみるみるうちに包まれていった。そして、それが晴れると、彼らの痕跡はその場から忽然と消えていたのだった。
僕は驚きながらも、ラナちゃんの方へと視線を移すと、急いで駆け出した。この光景が彼女に与えたもの、それは僕には想像することもできなかった。
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