第二話:日常

 


 僕がラナちゃんに拾われてから、およそ七年の月日が流れた。ラナちゃんがこの前一五歳になったばかりだから、僕の肉体も恐らくはそれに近いものなのだろう。


 あの日から、僕はラナちゃんとほとんどの時間を共に過ごすこととなった。


 そして、この間に僕は多くの事を知ることができた。




 それらのことから察するのに、この世界は僕が前にいた世界とは違う世界のようだ。そう判断するのに至った根拠はいくつかあるが、中でもとりわけ大きな要素としては魔法の存在が挙げられる。




 そう、この世界には魔法がある。


 それも、一般に広く浸透した形で存在している。この村の中でも、ほぼ全ての住人が魔法を使える。彼らは日常生活のいたるところでそれを行使する。例えば、料理。料理に利用する水や火は魔法によって生成されている。聞いた話によると、魔法の発動に利用される魔力には基本的に火、水、風、土の四大元素があり、それぞれを少量、それも単体で扱うのはとても簡単であるらしい。




 ラナちゃんも水の魔法を使って僕を起こしてきたりする。時々加減を間違えて朝からおぼれそうになったこともあったが。


 ちなみに、僕には魔法が使えない。トウガさんたちの話によると、使使らしい。僕は本気で魔法が使えるとは思えないから、おそらくはそれが原因なのだろう。




 そもそも、魔法の根底にある概念そのものがまず僕には理解できなかった。世界は四大元素でできているという話も、僕には元の世界での常識が邪魔をして受け入れることはできなかった。世界が違えば成り立ちも異なるというのも十分あり得る話ではあるが、それを含めても、やはり僕は違和感を覚えてしまう。


 また、もう一つ受け入れられなかったのが、この世界の――もしかしたらこの集落だけの可能性もあるが――宗教観だった。ここの人々のほとんどはフイアル教と呼ばれる一神教を信仰しているのだが、それによると、この世界は唯一神フイアルによって創造され、神が自分の姿に似せて作りだした人間族こそが最も尊い存在であるということらしい。もちろんすべての人がこの教えを妄信しているわけではないが、至る所にその影響が感じられる。僕からすると、この宗教はとても傲慢に感じられ、受け入れ難かった。




 あんなに優しく接してくれる、トウガさんとサマンサさんも、どうやら人間族以外の種族、すなわち亜人と呼ばれる種族に対しては強い偏見を持っているようだった。




 それはさておき、異世界だと判断したのには他にも理由がある。例えば、植物や動物の名前や姿かたちがまるっきり異なることだ。




 実際に、この世界には猫も犬がいない。そのかわりに、両者を掛け合わせたような動物が存在している。バコと呼ばれるこの生き物は、犬ほど従順ではないものの、人懐こく、人間の生活に溶け込んでいる。頭が非常によく、しっかりと教えることで言葉を理解するようだ。ラナちゃんの家で飼われているバコは彼女が馬鹿にすると猫パンチならぬバコパンチをお見舞いする。




 他にも、リンゴのような果物であるチセリイや、トマトのような野菜であるカラモなど、僕が聞いたこともないような名前の植物が数多くあるようだった。


 ……これは余談だが、それらについて尋ねるたびに、こんなことも知らないのかと周囲の馬鹿にするような視線や憐みの視線が突き刺さり、とても居心地が悪かった。特に子供たちは悪意なくそういったことを言ってくるため、少し凹んでしまう。




 こんなところで、証拠としては十分だろう。


 もっとも、言葉が通じていることが僕にはとても引っかかり、ここが未来や過去の世界という線も少し考えてはみたものの、それにしては、語義の変化が全く感じられないことが妙に思えた。


 結局のところ、魔法がある世界なのだから言葉の差異なんてものはどうにでもなってしまうのだろう、と僕は結論付けた。考えても無駄だということもあるが。




 現在、僕はラナちゃんの家で彼女の家の手伝いをしている。そしてその合間に、彼女とともに勉強を教わっている。内容は、この世界の地理や歴史、一般常識の他に、魔法についてなどだ。魔法については、僕には使えないものの、その仕組みについて知ることは無駄にはならないだろうという考えから一緒に教わっている。


 彼女の両親はかつて国に仕えていた魔術師で、サマンサさんが彼女を身籠ったタイミングで故郷であるこの村に戻ってきたらしい。魔術学校の教師をしていたこともあって、彼らの教え方はとてもわかりやすかった。




 彼らは僕のことをラナちゃんと同じように可愛がってくれる。


 これが家族というものなのだろう。僕は図らずもそれを知った。前の世界において、決して経験しなかった不思議な気持ちを、僕は今抱いていた。




 不思議なことに、僕はかつての衝動に駆られることがなくなっていた。息苦しさを感じることもなく、生き物を殺したいだなんて夢にも思わなくなっていた。


 同時に、こちらの世界に来て以来、何かを失ってしまったという感覚が常に僕に付きまとっていた。それが何なのかはわからないが、おそらく自分にとってとても大事なことであるように感じる。


 そんな違和感を抱えながらも、僕は新しい生活に溶け込んでいるうちに、いつしかそれが自然になっていったのであった。




 ――後から振り返ると、これがすべての間違いだったのかもしれない。僕はもっと慎重になるべきだった。もっと疑うべきだったのだ。運命というものはどうあっても僕を逃れがたい鎖で絡めとってしまうらしい。










 他愛のないことを長々と考えていると、隣にいるラナちゃんが険しい目でこちらを見ている。おそらく、次に発する言葉は僕への叱責なのだろう。僕はそう予測し、軽く身構える。




「ちょっと、リーオ! 何ぼうっとしてるのよ」


「ごめん、ラナちゃん」


「もう、しっかりしてよね。昼までに終わらせないと私までどやされるんだから」




 僕とラナちゃんは今二人で農作物の収穫を行っていた。これはグラと呼ばれる小麦のような植物であり、この世界の人の主食である。収穫期の今は黄色く色づいており、畑を金色に染め上げている。風によって揺れるその光景は、さながら波立つ黄金の海といった様相で壮観だ。




 その海の片隅、トウガさんとサマンサさんの所有している区画の収穫を僕たちは任されていた。昼までに区画の半分の収穫を終えないとならないのだが、進捗具合はあまりよくはなかった。




 ラナちゃんはその原因は僕にあるといわんばかりの目でこちらを軽くにらんでいる。仕方がないので、僕は先ほどよりも懸命に取り組んでいるふりをすることにした。すると、彼女の攻めるような視線が止む。




 二人とも一言も発せずに黙々と作業を続けるが、しばらくするとラナちゃんのほうから沈黙を破ってきた。真剣なその目の中には少し躊躇があり、聞きづらいことを聞くときの独特の間を僕は感じた。




「ねえ……前々から聞こうと思ってたんだけど」


「何?」


「アンタ、何か隠してない?」




 その返答に僕は窮してしまう。


 彼女は何について言っているのだろう。僕がこの世界の住人ではないことについてか、それとも本当は記憶喪失ではないことについてか。


 僕の表情から動揺を見て取ったのか、彼女は軽くため息をつく。




「やっぱり、隠し事があるみたいね」


「……」


「いいわよ。無理には聞かないわ。でも、いつか話してね」


「……わかった」


「よろしい。それじゃあ、残りをさっさと片づけるわよ」 




 意外なことに、彼女は深く追及してくることはなかった。


 しかし、こちらの世界に来てから僕も随分と鈍ったものだ。こんなことで動揺してしまうなんて。少し気を付けなくてはならないのかもしれない。なんといっても、この世界は僕の知る世界とは違うのだから。何が起こるかわからないのだ。


 僕はそう考えて自分に釘を刺した。




 途中にそんなやり取りを挟んだものの、僕たちは何とかその日の目標を達成した。人間、必死になればなんとかなるものだ。くたくたになった僕たちは足早に帰路についた。










「おい、止まれ!」




 帰り道の途中、突如かけられた大声に僕たちは足を止める。


 見たところ、その声の主はどうやら彼のようだ。犬歯の光る赤髪の少年が、ズンズンと音が聞こえてきそうな足取りでこちらに近づいてくる。


 少年の脇では、彼よりも少し明るい髪色をした少女が彼の右手にしがみついている。




「ちょ、ちょっと、お兄ちゃん、やめようよ」




 彼女の懇願も空しく、そのまま少女を引きずるような形で少年は歩を進める。そして、ある程度まで近くに来ると、彼は僕の方に指をさしてきた。




「リーオ、今日こそ決着をつけてやる! 俺と勝負しろ!」




 彼の名前はレオ。どうやら彼はラナちゃんに気があるようで、彼女と一緒にいる僕に事あるごとに絡んでくる。僕としては、他に行く当てもないので彼女の家においてもらっているだけなのだが。


 彼を見て、ラナちゃんは小さくため息をつく。そして、ちらと僕に視線を移して一言。




「リーオ、馬鹿は無視していくわよ」


「あ、うん」




 彼女に言われるままに、僕は少年の横を淡々と通り過ぎようとする。しかし、少年の手は僕の肩をがっちりとつかんで離さない。


 というか……少し痛いので離してほしい。




「ま、て! 俺を無視するんじゃない!!」


「って言ってるけど、ラナちゃん」


「おい、俺はお前に言っているんだぞ、リーオ」


「……ごめん、今日は収穫でくたくたなんだ。また今度にしよう」


「お前、いっつもそういって逃げるじゃないか。臆病者め!」




 わかりやすい挑発を無視すると、僕は彼の手を優しく振り払う。がっちりと握られてはいるものの、所詮は素人だ。少し力を誘導させたら直ぐに解ける。


 こうも簡単に自分の手を外されるとは思っていなかったのか、レオは驚いて目を丸くしている。今のうちにと、僕は少し急いでその場を離れた。




 去り際に、彼の横にいた少女と目が合う。彼女はセルルといい、レオの妹なのだが、彼とは対照的に大人しく少し気弱な印象を受ける女の子だ。いつも兄に振り回され、苦労している印象を受ける。


 今も、彼女は自分の兄の行動に責任を感じているのか、しきりにこちらに向けて頭を下げている。恐らくは謝罪を表わしているのだろう。僕は彼女への同情の念に駆られながらも、気にしていないことを伝えようと軽く笑ってみる。




 すると、彼女はばつが悪そうに目を背ける。こちらとしては、精一杯の優しさを込めたつもりだったのだが、彼女にはよく伝わらなかったのだろうか。僕は彼女の様子に疑問を抱きながらも、ラナちゃんとともに歩を進める。




「アンタも、一回ぐらいアレの勝負を受けてぎゃふんといわせてやればいいのに」


「別に、勝負なんてしなくてもいいと思うけど」


「アンタのその弱腰な態度がアレを調子に乗らせるのよ」


「……ラナちゃん、さすがにアレ呼ばわりはないと思うよ」


「いいのよ。アレはアレで十分よ」




 そんな彼女の態度に、僕は少しレオが不憫に思えたのだった。










 家に帰ると、トウガさんとサマンサさんが二人で出迎えてくれた。


 無事に、収穫を終えたことを伝えると、よくやったと褒めてくれる。夕飯の準備もできているようで、おいしそうな香りが鼻孔をくすぐる。


 その香りで、僕はお腹がすいていたことを思い出す。今日は昼で作業を切り上げたために昼食をまだとっていないのだった。




「はい、どうぞ」




 サマンサさんが、料理を運んできた。


 彼女の料理は贔屓目なしに美味しい。前の世界では食事に対して全く関心のなかった僕は、最低限の栄養が取れればいいと思っていた。しかし、こうしてちゃんとした食事をとってみると、少し勿体ないことをしていたのかもしれないと感じる。


 さらに僕に嬉しいことに、彼女の作る料理は野菜が中心だ。家畜とはいえ、生き物を自分のために殺すことにはいくらか抵抗を感じる僕にはそれがありがたかった。人が聞けば、何人もの人間を殺してきたお前が何を言うのだと言われてしまうのだろうが。




 食事を終えると、トウガさんからの授業がある。日によってその内容は変わり、今日は魔法の授業だった。彼曰く、ラナちゃんには魔法の素質があるようで、彼女は毎回教わる内容をすぐに理解し、実際に魔法に応用してしまうのだった。




「さすがは私とサマンサの子だな」


「違うわよ。私の努力のたまものよ」




 満足そうに褒めたつもりのトウガさんだったが、ラナちゃんの反応は芳しくはなかった。彼女は、才能があると言われることを嫌っていた。それは、彼女が自分の努力に価値を見出しているからなのだろう。努力だけでは成功することはないというのは事実だと思うが、努力する人ほど才能の一言で自分の能力を片づけられることに不満を抱くものなのだろう。


 多くの人は才能を褒められることで喜びを感じるのかもしれないが、一部にはこういった人もいる。トウガさんは優秀な教師だと思うが、彼女のその心の機微には気付いていないようだった。




「リーオ君も覚えがいいね。それに、魔法が使えなくても勉強をするというその知識欲も私には好ましく感じるよ。いつか記憶が戻れば魔法のことも信じられるようになるんじゃないかな。そうなれば、君も魔法を使えるようになるかもしれない」


「そうですね。ありがとうございます」




 僕は知っている。僕が魔法を使えることはないと。それでも、僕のことを親身になって考えてくれる彼の好意を台無しにしたくはなかった。


「ところで」とトウガさんは話を変える。




「ついにも一週間後だけど、二人はその準備はできてるかい?」


「ええ、バッチリよ」


「はい、一応は」




 『三玉の儀』と呼ばれるものがアルネ村の風習にはあった。この村においては、子供たちは十五歳で成人を迎える。三玉の儀は成人するための通過儀礼のようなものである。一応、よそ者である僕もラナちゃんと同じ年という扱いになっており、彼女とともにその儀式に参加することとなる。


 儀式の内容は単純なものだ。ロロの森に入り、バラバラに置かれた緑色の球を三つとってくるだけのものだ。ただし、この森には魔物も出現する。一五にもなると、全員が多かれ少なかれ狩りの経験があるため、ロロの森周辺部に出る魔物ならば一人で対処できるには違いないのだが、ごく稀に死者が出ることもあるらしい。




 隣にいるラナちゃんの表情を確認すると、彼女の顔には不安や心配といった感情ではなく、自信が満ち溢れていた。


 そのことにトウガさんも気づいたのか、真剣な表情で彼女に釘を刺す。




「ラナ、お前は確かに魔法の才能はあるが、油断してはいけないよ」


「大丈夫、わかっているわよ。心配し過ぎよ」


「親だからね。それに、数年に一度死人が出ているのも事実だ。私はお前のことを自慢の娘だと思っているが、それだけに心配なんだよ」


「わかってるってば」


「……ならいいが」




 トウガさんは軽くため息をつくと、今度はこちらに視線を移す。




「リーオ君、悪いけど、ラナのことを頼むよ」


「はい、僕に出来ることはします」


「ちょっと! 別にコイツに助けてもらわなくても大丈夫よ!」


「そうか。ならば彼の手を煩わせないように頑張るんだね」


「言われなくてもそのつもりよ」


「もちろん、リーオ君も気を付けるんだよ。君は落ち着いた子だからラナのことを任せるけど、君のことも私たちは心配しているんだ」




 トウガさんの言葉はラナちゃんには重く受け止められなかったようだ。トウガさんの方を見ると、彼はどこか心配そうな顔つきをしている。


 彼女に万一のことが起こらないようにする、それが今回の僕に出来るトウガさんたちへの些細な恩返しになるのだろう。


 僕たちが部屋を出るとき、トウガさんの呟きが耳に入った。




「……本当に君たちが大怪我でもしたら」




 それほどまでに彼が自分たちを心配していることを知り、僕は嬉しく思った。








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