第一話:始まり
「――! ――と!」
何だか、呼ばれているような気がする。
答えようと目を開こうとするも、瞼がとてつもなく重く感じた。
手足も自分のものではないように鈍かった。
僕は、内心呼び掛けてくる人に謝りながらも、意識をまどろみにゆだねた。
すると、一瞬の浮遊感と共に、体がどこかに運ばれていくのがわかった。
自分はどこへ向かっているのだろう、ぼんやりとした頭で僕は思う。
いつものように、僕は神様に呼び掛ける。
でも、返事は来ない。
何かの間違いかとも思い、何度も呼び掛けてみる。
やっぱり返事は来ない。
<僕は大切な何かが抜け落ちてしまったのを感じた>
僕は少し寂しさを感じながらも、特にできることもないので再び意識を手放すことにした。例えるのなら、夢うつつのまま二度寝をするような感覚だった。
しばらくして、僕の意識ははっきりとした。
目を開いてみると、そこは知らない天井だった。手垢のついた表現だなと僕は自分の言葉に自分で突込みを入れながら周囲を見回す。
部屋の内装はこじんまりとした丸型で、壁は石でできている。天井を改めて見ると、どうやら木でできているようだった。部屋には四角い窓が三つほどあり、そこから差し込む淡い光が、今が日中であることを教えてくれる。
続いて、自分の周りに視線を移す。僕が横たわっていたのは木製の少し硬いベッドで、体には何かの毛皮で拵えた毛布のようなものが掛けられている。軽すぎず重すぎずのその掛物は、包まれているとどこか懐かしい温かみを感じる。
少し埃っぽさを感じて、僕は小さくくしゃみをした。
徐々に意識がはっきりとしてきた僕は、もう一度窓から入る陽の光に意識を向ける。よく見ると、朝日よりも色の濃い日光が窓から差し込んでいる。気温は暖かすぎず寒すぎもせず適温。思わず二度寝(もしかしたら三度寝かもしれない)したくなるような麗らかな気候だ。
先ほどの僕のくしゃみを聞きつけたのかはわからないが、一つの足音が聞こえてきた。その大きさと間隔から考えて、まだ年場のいかない少女なのだろう。そして大人しいというよりも活発な性格の子ではないだろうか。
部屋の扉は勢いよく開け放たれ、僕は自分の予想が的中したことを確認した。
「あ! やっと起きたのね!」
元気よくそう声をかけてきたのは。金色の髪を肩より上で切りそろえた女の子だった。少女はその勝気な瞳で僕の返答を待つかのようにじっとこちらを見つめている。
僕は何を話せばいいかと少し考え、まずは挨拶からだろうと口を開く。
「えっと、こんにちは……でいいのかな」
「何よ、元気ないわね」
「ごめんね、ちょっと混乱してて。君は?」
そう尋ねると、彼女は自信満々に胸をどんと叩いた。
「よくぞ聞いてくれたわね。私の名前はラナ! 森で倒れていたアンタを拾ってあげたのよ、感謝しなさい!」
「それは、ありがとうね」
「アンタ、名前は?」
「僕の名前はリーオだよ」
彼女の言葉からすると、僕は森で倒れていたようだ。なるほど、あの時僕が倒れていたのは森で、まどろみの中で僕に声をかけていたのは彼女だったのか。
「君が僕をここまで運んでくれたの?」
「いいえ、運んだのは私のお父さんよ。馬鹿だけど力だけはあるからね」
「お父さんにそんなこと言ったらよくないよ、ラナちゃん」
すると、彼女はどこか怪訝そうにこちらを見る。
何か変なことを言ってしまっただろうかと僕は少し心配になった。この年頃の子には、注意されることが癇に障るのかもしれない。そうだとしたら、今の発言は失言だと僕は後悔した。
しかし、どうやらそれは杞憂だったようだ。
「アンタ、大人みたいなことを言うのね」
「大人みたいというか、一応大人だからね」
僕の返答を聞くと、彼女はぷっと噴き出す。彼女の反応に、僕は自分がそんなにおかしなことをいったのだろうかと疑問に思った。特に笑いどころなどないように感じるのだが。
「あはは、アンタ面白いわね。どっからどう見ても私と同じくらいにしか見えないのに!」
今、彼女は何と言ったのだろう。
『どう見ても私と同じくらいにしか見えない』
確かにそう言った。冗談、なのだろうか。
僕は彼女の表情を窺うが、とても冗談で言っているようには見えない。だが、どう見ても彼女は齢十にも届かないような幼い少女だ。まさか、この少女が実は僕と同じほどの年齢などということがあるだろうか。だとすれば――
僕は慌てて自分の体を確かめてみる。
すると、すぐさまあることに気付いた。
――僕は子供になっている。
手のひらは柔らかく小さいし、足もまた小さい。それに応じて他の部位も確かに小さくなっているようだ。
片隅に置かれた鏡に視線を移すと、あどけなさの残る顔立ちが驚いたようにこちらを見ていた。
そんな放心状態の僕の姿を見て、先ほどまで笑っていたラナちゃんが心配そうな表情を浮かべている。どうやら、僕の動揺した様子を見て、どこか怪我でもしているのだろうかと思ったみたいだった。
「どうしたの? どこか痛いとか?」
「い、いや、大丈夫だよ。そうだね、僕と君はたぶん同じくらいだね」
「びっくりしたわ、突然冗談を言うんだもん。それより、アンタ、動ける?」
その言葉に返答する代わりに、僕は手足を軽く動かすと、ベッドから立ち上がって少し歩いてみる。痛みなどの違和感がないことを確認すると、今度は軽く跳ねてみたり、体を伸ばしたりしてみる。
結論から言えば、特に体に異常はなさそうだった。
――まあ、小さくなっていることは物凄く異常だけれど。
それを見て、ラナちゃんも僕の容体が悪くないと判断したようで。ホッとしたように息をつくと、口を開く。
「大丈夫そうね。ついてきて。アンタ、おなか減ってるでしょ?」
言われてみれば、確かに空腹だった。
どうやら、あまりの事態に頭が混乱していたために感じていなかっただけだったようだ。
おそらく、彼女についていけば食事をとらせてもらえるのだろう。
僕は頷くと、彼女の後に続いて部屋を出た。
階下へ移動すると、そこには壮年の男女がいた。
おそらくはラナちゃんの両親なのだろう。二人とも彼女と同じ金色の髪をしているし、女性の容姿からはどことなく似たような雰囲気を感じ取れた。二人はこちらを見るとにこやかに微笑みかけてくる。
「おや、ようやく目が覚めたみたいだね」
「はい、おかげさまで。助けていただいてありがとうございます」
「ははは、まだ若いのに礼儀正しい子だね。うちのラナにも見習ってほしいよ」
「ちょっと、それどういう意味!?」
男性の言葉にラナちゃんがつっかかる。彼女はなぜかそのあと僕の方をにらんできた。僕は苦笑いを浮かべる。
しかし、僕には一つ疑問が浮かんだ。ラナちゃんの先ほどの発言からすると、彼女のお父さんはガタイのいい人なのかと思ったが、そうは見えなかった。それどころか、細めの体の輪郭とその穏やかな物腰からは知的な印象を受けるくらいだった。
そんなことを考えていると、もう一人の女性が料理を運んでくる。
「あらあら、やっぱりかわいらしい顔つきをしているわね。男の子だなんて信じられないわ」
「えっと……ありがとうございます?」
「そこは怒った方が男として正しいと思うわよ」
容姿について褒められたことはあまりなかったので僕はどのように反応するのが正しいのかよくわからなかった。
女性の話し方からは悪意を感じなかったのでてっきり褒められているとばかり感じたのだが。
「そういえば、少年、君の名前を教えてもらってもいいかな?」
「こいつはリーオっていうらしいわよ」
「ラナ、私は彼に聞いたのだが……」
やれやれと、彼女の父が苦笑する。
「うちの娘がすまないね。リーオ君、でいいのかな?」
「はい、大丈夫です」
「そうか、私はトウガという」
「私は、サマンサよ。よろしくね、リーオ君」
「よろしくお願いします」
にこやかに自己紹介をしてくれた二人に、僕はお辞儀をする。
僕が今いるのは、アルネ村、というところのようだ。もちろん、聞いたこともない。村の名前だけがわかったところで今の僕にはあまり意味がなかった。
すると、トウガさんはどうやら僕に聞きたいことがあるようで、注意されて不満げなラナちゃんをよそに、僕に問いかける。
「それより、少年、君はどうしてロロの森に一人でいたんだい? 身なりからするとこの村の子ではないみたいだけど」
「えっと……僕はロロの森ってところに倒れていたんですね。それが、僕自身よくわからないんです。気が付いたらここにいたという感じで、自分がどこに倒れていたのかも今知りました」
「それは、本当なのかい?」
「はい。記憶喪失……なのかもしれません」
今の僕は自分自身の置かれた状況に関して皆目見当がつかなかった。だから、記憶喪失だというのも、あながち間違いでもないのではないだろうか。そう言っていたほうが向こうとしても対応しやすいだろう。
僕の言葉を聞いて、三人は驚いた表情を浮かべている。
「これは、驚いたな」
「アンタ、本当に記憶喪失なの?」
「うん。僕にも信じがたいけど、状況からするとね」
「それなら、落ち着くまでここにいて頂戴ね。うちのラナも遊び相手ができてうれしいでしょうしね」
そうサマンサさんが言ってくれる。
僕としては願ってもない提案だった。知らない場所に一人放り出され、体つきも子供である今の僕にとってはまさに渡りに船だ。
しかし、向こうからすれば僕は得体のしれない存在だ。もしかしたら、監獄などから逃げ出した凶悪犯という可能性も考えられるわけだ。そんな僕を簡単に家に置いてもいいものだろうか。
「いいんですか?」
「ええ、ここを家だと思って大丈夫よ」
「ありがたく思いなさいよ」
「こら、ラナ、その言葉遣いはよくないぞ」
「う、うるさいわよ! 子ども扱いしないで!」
「ふふ」
彼らの好意から大きな懸念が取り払われて僕は安堵した。すると、ラナちゃんの父親への反抗が微笑ましく感じられ、思わず僕は笑みをこぼしてしまう。見ると、彼女の母親も僕と似たような感情を抱いているのだろう。ニコニコと二人のやり取りを見ている。
「ちょっと! 何笑ってるのよ」
不満そうな彼女の表情が何だか面白くて、僕は笑いをこらえられなかった。
僕の反応が面白くないのか、彼女はわざとらしくこちらを威嚇し始める。
しかし、しばらくすると、彼女はどこか不貞腐れたように自分の部屋へと戻って行ってしまった。
何はともあれ、こうして、僕の新しい生活が始まったのだった。
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