第31話 事件の行方4

 敵の場所は、詩音の父の邸宅。詩音にとって、そこに向かうのは複雑な思いがあった。


 捨てられたから、だけではない。そもそも捨てられて十五年ほど経過した相手とどういう感情を見せたらいいかわからなかったからだ。


 そもそも――

 恐らく父は、詩音は死んだものと思っているだろう。


 死んだと思っていた人間が目の前に現れたら、どう思うだろうか?


「いや、そんなこと考えても仕方ないな。もうなるようになるさ。俺はただやることをやるだけさ」


 詩音はそう声を発し、街を駆けていく。


 父の邸宅があるのはこの地区の一番奥だ。マップを確認する。詩音よりも数百メートル先に光点があった。あれが最後の一人だろう。


 もし、詩音がここで失敗して、父の異能力を盗まれたとしたらどうなるだろうか?


 父は、異能力者たちを束ねる存在だ。異能力者はその身に持つ異能力によって権力を保持している。そのトップに君臨する人間の異能力が盗まれ、消えたら、大きな混乱が起こるだろう。


 駆ける、駆ける、駆ける。


 残された力を精一杯振り絞って、異能力を駆使する。マップに目を向ける。詩音と敵の距離は着実に縮んでいた。これなら、邸宅に辿り着く前に、始末できる――


 もう自分の身体がどうなっているのかもよくわからなかった。もともと希薄な感覚がさらに鈍っている。緩やかに死に近づいている、そんな感触だ。これが終わったら、死ぬのかもしれない。そんなことを思った。


「だけど、全員始末し終えるまでは終われねえよな」


 詩音はさらに加速する。身体を操作し、人体の可動域を超えて自らの身体を操作。その姿はもはや、人から限りなく外れていた。


 角を曲がる。マップを確認。さらに距離は縮まった。加速加速加速。


 異常な動きをしている詩音に街を歩く異能力者から奇異の視線を向けられた。だが、そんなものは気にしていられない。この街の危機なのだ。自分がどう見られていようと知ったことではない。


 異能力者から追放された自分が、異能力者を救う。なんともまあ滑稽な話だ。だが、嫌いじゃない。映画だったなかなか悪くない筋書きじゃないか。


 敵の姿が見えた。そして、邸宅もすぐそこだ。いまの速度なら、一瞬で近接できる。詩音はさらに加速した。その姿はもう、獣同然である。


 邸宅の前まできたところで、前方を歩いていた敵が、後ろから迫ってくる異様な存在に気づいた。足を止め、詩音の方向に身体を向ける。


「そこで、しばらく夢でも見てろ!」


 敵のそんな声が聞こえて――

 詩音は、闇に落ちていった。



 詩音は気がつくと別の場所にいた。どこかあやふやで、明らかに東京ではない場所だ。ここは、どこだ?


 身体が動かない。まるで全身麻酔をしたかのように自分の身体が自身の制御を受けつけなくなっていた。なにが、どうなって――


 わけもわからずにいると、詩音のもとに何者かがやってくる。黒い仮面をつけた、大男。その手には細身の剣のようなものが握られていた。大男は、それを一切躊躇することなく、詩音の腕を突き刺した。痛みはなかった。


 大男はこちらの様子などまったく気にせず、どこかから二本目の剣を取り出して今度は逆の腕に突き刺した。やはり、痛みはない。


 そこまでされたところで、詩音は気づく。

 これは、幻覚だ。


 恐らく、最後の敵の異能力だろう。それを食らって、こんなものを見させられている。


 大男は三本目の剣を取り出す。今度はそれを詩音の腹に突き刺した。やはり痛みはない。


 痛みはまったくないが、詩音は焦っていた。こんなろくでもないものに時間を使わされるわけにはいかないのだ。やはく脱出しなければ――


 だが、詩音が焦ったところで、大男は剣を取り出しては突き刺し続ける。いつまでこの時間は続くのだろう。早く、終わってくれないだろうか?


 ああ、そうか。これは幻覚なんだ。幻覚は脳に情報を流し込まれて見させられているものである。脳を操作して見させられている情報を排除すれば、この幻覚は消える。脳の操作なんてどうやったらいいのかわからないが、この状況を打破するためにはやらなければならない。


 とにかく、脳を操って、正常な状態に戻せ――

 自らの脳を滅茶苦茶に操作していると――



 ふと、詩音は元の場所に舞い戻った。あたりを確認する。父の邸宅の前。おかしなものは見えていない。間違いなく、現実の世界だ。


 しかし――

 敵の姿は見えない。詩音が幻覚に囚われている間に、中に入ったのか――


 邸宅の方を見ると、扉が開け放しにされていた。

 遅かったか。詩音は自分の拳を振り下ろした。


 いや、まだ終わったわけではない。父だって異能力者だ。自分の家に侵入してきた相手には自分の力をもって迎撃するだろう。


 いまからでも邸宅の中に入って――

 そこまで考えた時――

 開け放された扉から誰かが出てくるのが見えた。現れたのは――


「ほう、驚いた。まさか生きていたとはな」


 出てきたのは、詩音の父、神木幹也だった。その手には、敵の首を持っている。


「倒した……のか?」


「そうだ。俺を誰だと思っている。盗む異能力だが知らんが、異能力者になったばかりの初心者に負けるほど俺は弱くない。邪魔だ。いるなら持っていけ」


 父はそう言って、手に持っていた首を詩音に向かって投げ捨てた。


「まあ一応、貴様には礼を言っておこうか。お前がこいつらがやろうとしていた粗相を防いだのだろ?」


「まあ、一応は」


 遅れたせいで、完全に防げたわけではないけれど、それは言う必要はないと判断した。


「というかあんた、俺のことわかるのか?」


「わかるさ。捨てたとはいえ息子だからな」


「…………」


「お前がなにをしているのかは知らんが、今日のところは見逃してやる。さっさと消えろ」


 その言葉を聞いて、詩音は踵を返して歩き出した。一度も振り向くことなく、異能力者たちが住む地区を出て行った。


「終わった」


 詩音は待機状態を解除し、凍花に話しかける。


『そうですか。ありがとうございます。ところで――』


「なんだ?」


『神木幹也の邸宅前まで向かっていたようですが、なにかありましたか?』


「なにもねえよ。残念ながらな――」


 と言ったところで、自分の目の前に地面がせり上がってきた。いや、詩音が倒れたのだ。というか、身体が動かない。もう限界か。


『ちょっと、どうしたのですか?』


「すまん。少し疲れた。休ませてくれ」


 死の匂いがむせ返るほど強くなっていた。ああ、そうか。自分はこれから死ぬのかもしれない。


 まあ、でも――

 はじめてなにかを成し遂げられたのだし、それで終わるってのも悪くない。


 耳もとで凍花はなにか言っていたが、なにを言っているのかよくわからなかった。あいつのことだから、自分のことを心配しているのだろう。


 恐怖はなかった。

 そのまま多幸感に包まれて――

 詩音の意識は遠くに消えていった。

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