第29話 事件の行方2

 三人、倒した。


 住居の裏に隠れている詩音は現在の状況を確認する。

 敵は、全部で十人。そのうち三人は倒した。残りは、七人。


「あと七人、か。持ってくれるだろうか」


 詩音のまわりに漂う死の匂いはさらに強さを増していた。身体は重く、力が入らなくなってきたし、目も霞んでいる。呼吸も荒い。思った以上に消耗していた。


 だが――


 止まるわけにはいかない。遼の野望を叩き潰すためには、ここに現れた十人の『異能力を盗む異能力者』を始末しなければならない。そうしないと、いまの秩序が完全に破壊される。破壊されればきっと、いま以上に混乱した街になるだろう。


『大丈夫ですか?』


 詩音の耳もとから凍花の声が聞こえてくる。案ずるような声だった。


「ああ。大丈夫だ」


『ですが、あなたのバイタルを見る限りは――』


「そんなもん見てどうする。こっちは死んでるのに動いているんだぞ。そんなもん役に立つか。お前は、やれることをやった。今度は俺の番だ」


『そうですか。わかりました。またなにかあればこちらから連絡します』


 凍花はそう言って通信を切った。


 自分は、あとどれくらい動ける? プルプルと震えている自分の手を見ながら詩音は自らに問いかけた。


 どれくらいかはわからないが、長くは保たないだろう。


 しかし、残りの七人を倒すまではこの身がどうなろうと耐えなければならない。死なぬ身体なのだ。その程度の無理くらいできて当然だろう。


 それに――


 ここからが本番だ。三人やられたとなれば、なにか不測の事態が起こっていると向こうは判断するだろう。先ほどの三人のように、隙を見て近づいて、一撃で殺すという芸当はもう無理かもしれない。そうなると、異能力をいくつも盗んだ人間と戦うことになる。場合によっては、複数人同時に相手にすることになるかもしれない。そんなこと、やれるだろうか?


 いや、と詩音は自分の中に湧き出つつあった弱気を振り払った。


 なにがどうなったとしても、やらなければ今日と同じ明日は来ない。今日と同じ明日を迎えるためには、この困難を無理やりにでも突破しなければ始まらないのだ。


 やるしか、ない。


 馬鹿みたいな理想を持っている主人が、その理想を叶えてやれるように、このミッションを達成しなければならないのだ――


 詩音は荒い呼吸をなんとか整えて、異能力者の居住地区を進んでいく。端末を操作し、近くにターゲットがいるかどうかを確認する。近くに、一人いる。


 詩音は駆ける。


 自らの身体を操作し、身体能力を向上させ、東京とは思えない綺麗な街を駆けていく。


 敵の姿が、見えた。

 こちらはまだ見つかっていない。なら、このまま隙を狙って一撃で――

 そう思った矢先――

 敵と、目が合った。明らかに、自分を見ていた。まずい、見つかった。


「現在我々を襲撃している敵を発見した」


 敵は端末に話しかける。


 くそ。もうすでにこちらの顔が割れていたのだろうか。まさかそんなことになっているとは思わなかった。予想外だ。やはり、敵も必死だということなのか――


「これより、攻撃に移る」


 敵がそう言うと、詩音のまわりで風が吹き抜けてきた。なんだ、と思った瞬間――


 詩音の腕と足がいきなり切り裂かれる。なにが起こった? 状況を確認しようとしていると――


 再び風が吹き抜けてきて、詩音の残された四肢は細切れにされ、頭部と胴体は輪切りにされていた。あたりが、詩音の血で赤く染まる。


「目標、完全に死亡。繰り返す、目標、完全に死亡」


 どうやら、こいつはまだバラバラにされても死なないことはわかっていないらしい。なら、このまま死体のふりをして――


 バラバラにされた詩音は斬られた自分の腕を操作する。操作して、敵に接触させた。


「なに? 動いた? 馬鹿な……」


 驚愕する敵。無理もない。四肢を切り裂かれ、胴体と頭部を輪切りにされて動く存在など普通はいないのだから。そんなもの、あまりにも常識から外れすぎている――


 敵に接触した手はそのまま敵の腕をつかんだ。

 そして――

 死の概念を流し込む。


 死よ。

 死よ。

 死よ。


 あまねく生物にいずれ訪れる死を与えたまえ――


「なに……敵の、攻撃を受けている。攻撃は、ふめ……」


 そこで敵の言葉は途切れ、身体が崩れていった。


 詩音は身体を操作してバラバラにされた胴体と頭部と切り裂かれた四肢を接合させる。身体が元に戻り、立ち上がると同時に、視界がぐわんと歪んだ。膝が折れる。いまの復活でだいぶ力を消耗したらしい。


 自分はあと何度死ぬことができるのだろう。

 自分はあと何度復活できるのだろう。


 それが気になった。


 しかし、それがわかるものは誰もいない。詩音にわからなければ、きっと誰にもわからないことだろう。


 それでも、止まるわけにはいかない。


「俺が死んだら、あいつはどう思うのかな」


 思い浮かぶのは凍花の顔。


 彼女は詩音が死んだら悲しんでくれるだろうか? ああ見えて、意外と繊細なところのある娘だ。たぶん、そうなったら悲しんでくれるだろう。いや、もしかしたら『死んだ』なんてのは馬鹿みたいな冗談だと思うかもしれない。


 だけど――

 自分が死んでも、誰かに覚えてもらえるというのは、それほど悪くない。


 これで、もう一人。あと残りは六人。残りは、どこにいる?


 端末を起動し、ホログラムディスプレイを出現させた。マップを確認。光点が二つ、こちらに近づいている――


 まずい、と詩音は思った。このままだと、二対一の状況になる。もうこうなったら、隠れている場合ではない。正面から堂々と叩き潰すしかない。


 詩音はマップを確認する。こちらに向かう二つの光点は離れていた。なら、どちらかに強襲をかけ、二対一になるまえに勝負をつける。それしかない。


 詩音は踵を返し、マップにある光点に向かう。距離は百メートルを切っている。すぐに辿り着くだろう。


 走る。

 走る。

 走る。


 膝が砕けそうだった。

 息も切れている。

 視界も霞み、歪んでいる。


 それでも、止まるわけにはいかない。

 この街が守れるかどうかは、詩音の手にかかっているのだから――


 敵の姿が見えた。明らかにまわりの異能力者とは違う様子の詩音を見て、相手も敵がやってきたと察知する。


 詩音の視認した敵は炎の壁を放つ。人間を平気で焼き殺す温度の炎。その壁に遮られても詩音は止まらない。


 走れ、走れ、走れ、走れ、走れ。

 もっと早く、もっと早く、もっと早く。


 詩音は炎の壁に突っ込んだ。炎の壁に突っ込む瞬間、敵の驚いた顔が見えた。身体を焼かれても、詩音は止まらない。


 全身を焼かれながら、炎の壁を突破した詩音は、身体を操作して、さらに加速を行う。


 そして――

 焼かれ爛れた腕を伸ばし、敵に触れ、死の概念を流し込む。


 死よ。

 死よ。

 死よ。


 あまねく生物にその死を等しく与えたまえ――


 死の概念を流し込まれた敵は、すぐに動かくなり、崩れて消えていった。


 これで、五人。残り半分。

 もう一人もやる。


 どうせ、いまの奴がやられたことはすぐに伝わるのだ。それならさっさと倒してしまった方がいい。


「死の概念を遠くに放てればもっと楽だったんだけどな」


 死の概念を放つこと自体はできる。しかし、死の概念は詩音自身にすら見えないため、指向性をもって放つことはいまの詩音にはできなかった。詩音の全部の力を使い果たせば、この地区を死の概念で飲み込むことは可能だが、そんなことをすれば関係ない人間も大勢死ぬ。さすがにそれをやるほど詩音は馬鹿ではなかった。


 やるべきは、近づいて触って流し込む。それが一番だ。それなら、御剣のようなデタラメな異能力者が出てこない限り必殺である。


 全身を焼かれ、異様な姿になっても詩音は止まらない。もう一人、倒していく。表示したマップを参照して、敵を示す光点に近づいていく。


 すぐに敵の姿が見えた。敵は、なにかを探すようにあたりを窺っている。こちらには気づいていない、チャンスだ。


 身体中から煙を上げながら、詩音は自分の身体を操作し、身体能力を向上させる。どん、と踏み込んで敵に近づいた。これで触れれば、終わりだ。


 しかし――


 敵は詩音が三メートルほどの距離まで近づいた時に、気づいた。詩音の方を向き、その身体を、ぐちゃり、と液化させた。その異様な姿に一瞬だけ度肝を抜かれたものの、詩音は手を伸ばし、その液体に触れる。


 触れると同時に、じゅう、という音が聞こえた。どうやら敵が変化した液体はなにかに劇物らしい。


 だが――

 液体に変わっていようと、生物であることに変わりはない。

 死の概念を、流し込む


 死よ。

 死よ。

 死よ。


 あまねく生物に無意味に死を与えたまえ――


 死の概念を流し込まれた液体は、すぐに蒸発していった。

 これで、あと残りは四人。

 詩音の戦いは、まだ終わらない。

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