第26話 剣戟

 詩音は剣を構え、仮面と相対する。その距離は約五メートル。お互い、一瞬で詰められる距離。だが、詩音も仮面も動こうとしない。氷に包まれた部屋の温度が数度上昇したかのような緊張感に包まれている。


 武器というのは心強い。手に持つだけで自分が万能になったかのような錯覚さえも得られるという。その感覚は、はじめて武器を握った詩音にも何となく理解できる気がした。


「どうした?」


 一瞬で詰められる距離で相対した仮面が話しかけてくる。仮面の声は機械で変えられているものの、その声からは余裕が感じられた。詩音と違って、あの仮面は剣を扱う心得があるのだろう。


 どうする――

 詩音は剣を構え、仮面を見据えたまま考える。


 自分を殺し得るあの剣を防ぐために、とっさに谷山の死体を利用して剣を作ってしまったが、これは悪手だったかもしれない。詩音は剣などろくに振るったことのない素人である。相手が丸腰の素人であれば圧倒できるだろうが、そうではない。御剣ほどではないと言っていたが、あの仮面が相当の手練れであることは、相対した詩音にもそれは理解できた。打ち込める隙がない。


 そもそも、こうやって構えているのだって見様見真似だ。やはり、素人が武器なんて使おうとするのは間違いだったか、と思う。


「来ないのか?」


 仮面は再び詩音に声をかけてくる。奴の狙いは、詩音をここから出さないことだ。時間が経てば、それだけ遼の計画は進むことになる。奴の野望を阻止するためには、いますぐにでもあの仮面を倒さなければならない。


「生憎、こっちは素人なんでね。こうやって剣を作ってみたはいいものの、どう扱ったらいいのかわからないんだ」


 詩音はできるだけ余裕を見せながら仮面に言葉を返す。こちらが切羽詰まっているというのは悟られてはならない。命を賭けた戦いにおいて焦りを悟られるのはあってはならないことだ。できるだけ自分を余裕に、そして大きく見せなければ――


「ほう、その割にはなかなか様になっているな」


「そりゃどうも」


「私としては、このまま貴様が動かずにいてくれるのであればありがたいのだがね。私の役目は貴様を個々から逃さないことだ。ここで時間を使ってくれるのなら、それだけ我らの野望の達成が近づくことになるのだから」


 調子を変えられた声で、このように話されるのはなんとも滑稽だ。だが、それを言えるほど詩音には余裕があるわけではなかった。


 とにかく――


 なにがなんでも、あの仮面を倒し、ここから出て、遼の野望を阻止しなければならない。どうする、と詩音は再び己に問いかける。


「あんた、他人の異能力を盗めるんだろ? ならここで俺の異能力を盗んだ方がいいんじゃないのか?」


 ふと、そんなことが気になって詩音は訊いてみた。


「そうしたいのはやまやまだが、戦いの最中に盗んでいられる力ではないのでな。それとも、その力を私に献上するのかね? それはそれで我らの目的に近づくことではあるが」


「まさか。お前らに俺の異能力を渡してなんになる? あんたらのろくでもない目的が達成に近づくだけじゃないか。そんなことするかよ」


 それに――


 詩音が異能力を盗まれれば、間違いなくこうしていられなくなるだろう。いまの詩音を動かしているのは、己が持つ忌々しい異能力のせいなのだから。捨てれば楽になれるのは間違いないが、いまここで捨てるわけにはいかない。捨てるのなら、こいつらの野望を叩き潰してからだ。


「交渉は決裂というわけか。まあそうだろうな。ここで頷くのであれば、先ほどお前は我々の仲間になっていただろう」


 仮面は少しだけ腰を落としてからそう言った。


「私の目的は貴様をここから逃がさないことだ。だが、それでは足りないと思っている。貴様はここで殺しておかなければならない。貴様をここの縛りつけておくだけでは、間違いなく我々の障害になる。障害は、排除しなければなるまい」


 来る――

 仮面が身に纏う空気が変わったことが感じられて、詩音は身構えた。


 コンクリートが割れる音が聞こえると同時に、仮面が一気に距離を詰めてくる。仮面は詩音の身体を肩口から両断すべく斬撃を放つ。詩音は身体を操作し、仮面の剣が自身の身体を斬り裂く前に手に持つ剣でそれを防いだ。


「く……」


 異能力で身体能力を強化されている仮面の力はすさまじい。上から与えられる力によって膝が折れそうになる。だが、相手の力がどれほどすさまじくとも、詩音は負けるわけにはいかない。身体を操作して、習慣的に力を増大させ、自身に与えられている圧迫を押し返す。仮面は二メートルほど後ろにずり下がった。


「やるな」


 一度、防いでも仮面の余裕は揺るがない。仮面はすぐに体勢を立て直して剣を構える。


「こういうのはどうだ?」


 仮面の言葉が聞こえると同時に感じられたのは、冷たい風。仮面の姿が消えるとほぼ同時に、気配が詩音の背後に現れた。詩音の身体に死の斬撃が迫りくる。詩音はとっさに身体を向き直し、自身に迫りくる剣を防いだ。しかし、体勢が悪かったため、耐えることはできず、後ろに弾き飛ばされる。


 仮面は止まらない。


 体勢を崩した詩音に追い打ちをかけてくる。距離を詰め、剣を振るう。一撃、二撃、三撃。堅い音が氷に閉ざされたビルの中に響き渡る。三発の斬撃を詩音は身体を操作して、無理矢理防いだ。詩音が特殊な異能力者でなければきっと三度死んでいただろう。仮面はそれでも止まらない。


 その時――


 詩音の足もとが動かなくなる。なにが起こったと、一瞬だけ自分の足もとに目線を向けると、両足が凍結していた。それでも剣は迫ってくる。身体を操作し、迫ってくる剣を切り払い、そののちに両足を操作し、凍りついた両足の氷を振り払った。そのまま背後に飛んで着地する。距離は十メートル。


「やるな」


 一つも息を切らせていない仮面はそう言った。


「さすが、あの御剣が殺し得なかっただけはある。やはり、死なぬ身体というのは、戦う者としては羨ましい限りだ」


「そいつは……どうも」


 このまま責められているだけでは埒が明かない。そう判断した詩音は、身体を操作し、一気に距離を詰める。剣を構えて、自身の身体を操作して発揮する身体能力を生かした突きを放つ。


「甘い!」


 仮面は詩音の突きを切り払って防ぎ、剣を弾かれて態勢を崩したところに剣を振り下ろしてくる。詩音は身体を操作したものの、回避はかなわず、両腕を切断された。剣と両腕が宙を舞う。


 だが――


 詩音は両腕を切り落とされた程度では止まることはない。腕くらい斬られるのは織り込み済みだった。自身の手を離れた剣を操作する。谷山の死体から作り出された剣は無数の弾丸と化し、仮面を襲う。


「やるな」


 仮面は無数の使者の弾丸に取り囲まれても、その余裕は消えることはない。襲い来る弾丸を、剣を振るい、凍結させて、防いでいく。


 詩音は、切り落とされた腕を操作し、自分の身体に接合させる。


 そして――

 身体を再び操作し、身体能力を上昇させ、仮面の背後に回り込む。


「なに?」


 はじめて仮面の余裕が崩れた。仮面にはまだ無数の弾丸が襲いかかっている。詩音は、自身が弾丸に貫かれることを顧みずに接近したのだ。詩音の身体も、自身が生み出した弾丸によっていくつも貫かれた。死なぬ身体であるからこそできる芸当だ。


「やらせるか!」


 背後に回り込んだ詩音に仮面の剣が襲いくる。それを詩音は自身の身体で受け止め――


「捕まえた」


 自らの身体を賭して剣を受け止めた詩音は、腕を伸ばす。伸ばした腕が仮面の身体に触れる。


 触れて放つのは、死の概念。


 死よ。

 死よ。

 死よ。


 あまねく生物に等しく死を与えたまえ――


「馬鹿な……」


 詩音から直接死の概念を流し込まれた仮面は動き止める。それから間もなくして、仮面の身体は崩れて、消えていく。


「やった……な」


 無数の弾丸で身体を貫かれた詩音は膝が折れそうになった。だが、ここで止まるわけにはいかない。


 凍花を助けなければ。

 彼女の力を借りて、遼の野望を打ち砕くのだ。

 詩音は氷に閉ざされた扉を無理矢理破って、奥の部屋へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る