第25話 終わらぬ窮地
「それは、私の申し出を断るということかね?」
遼の声は相変わらず心を撫でて、心地よく耳に吸い込まれていく。しかし、その言葉から感じられるカリスマ性とは打って変わって冷たい言い方だ。
「そうだ。わからなかったのか? それくらいわかると思ったんだけど、意外と頭悪いんだなあんた」
詩音は安っぽい挑発をしてみた。
だが、詩音はそんな遼の様子に気にかけることはない。なにをどうやったとしても、遼が自分たちの敵であることに変わりないのだ。それなら、挑発をしようがなにをしようが変わらない。
「何故断る? きみに断る理由などないはずだが」
詩音が自分の思い通りの答えを返してくれなかったためか、遼の声には怒りが滲んでいた。
「あるよ。あんたらの仲間になるってことは凍花を裏切るってことだ。悪いけどそれはできないね」
「どうしてかね?」
怒りが滲んだ低い声を出して遼は詩音に問いかける。
「そりゃ決まってるだろ。あとからポッと出てきた連中にいい条件を出してやるからといって裏切るのは性に合わない。それに、フェアじゃないしな。俺に、先に声をかけたのはあいつなんだ。先に協力を持ちかけた相手に協力する。ただそれだけの話。簡単だろ」
「ふ、ふはははは」
遼は笑い声をあげた。ひとしきり、笑い声をあげたあと――
「先に、きみに協力してほしいと持ちかけたのは凍花だったから、我々には降らないというわけか。意外だったよ。きみがそこまで義理堅いとは思わなかった」
私はきみのことを思い違いしていたらしい、と遼は言う。
「別にそれだけが理由ってわけでもないさ。それに俺は異能力者だ。異能力者を憎んでるあんたらが俺の待遇をよくしてくれるとは思えなくてね」
無論、実際に詩音が奴らの仲間になったら、どうなるかは不明だ。本当にいい待遇で扱ってくれるかもしれないし、そうでもないかもしれない。だが、異能力者を憎み、異能力者から能力を奪ってなにかをしようとしているこの男が、異能力者である詩音をいいように扱ってくれるとは思えなかった。
「交渉は決裂か」
「そうだね。だから、俺は凍花を助けて、あんたの悪だくみを潰す」
詩音は身体に力を入れる。いつでも戦える体制を整える。
「ふ、もう遅いよ。先ほど賽は投げられたと言わなかったかな?」
「なに?」
なんだそれは。そもそも、どうしてこの男は詩音を目の前にしてここまで余裕でいられるのだ。護衛に仮面がいるからか? いや、それだけではない。なにか、あの男は隠している――
「最後に種明かしをしていこう。きみが止めるべき計画はすでに動き出している。この私と話している間もな」
「…………」
詩音は、まだなにか隠している遼の言葉に反応することができない。背中に嫌な感触が走った。
「我々が計画のために生み出した異能力者――異能力を盗む異能力だが、これはそこにいる彼だけが持っているものではない。先ほど量産も可能だと言っただろう。盗む異能力を持つのは、他にもいる。そして、その他にいる盗む異能力を持つ者たちは、異能力者たちが住む区画へとすでに侵入している」
「……!」
遼の言葉に、詩音は衝撃が隠せなかった。
「我々はこの日、すべての異能力者から異能力を盗み、異能力者の権威を失墜させる。異能力者の力は、異能力なのだから。そうすれば、この街には新たな秩序が形成されるだろう。今日が運命の日だ!」
遼は天を仰ぎながら言う。
「異能力者かから異能力を全部盗んで、異能力をすべて独占して、お前らはどうするつもりだ?」
遼が行う計画は最終的に遼の配下がすべての異能力を手に入れることになる。それを一体、どうするつもりなのか? 自分たちを権力にするのか?
「簡単だよ。異能力者全員から異能力を盗んだら、盗んだ奴には死んでもらう。盗まれた異能力は、盗んだ奴が死んでも返還されることはない。これでこの東京から異能力を駆逐できる。素晴らしい計画だと思わないか?」
遼は両手を広げた。心から、自分が立案した計画が素晴らしいと思っているのだろう。
「だが、これから生まれてくる異能力者はどうするつもりだ?」
「盗む異能力を発展させ、システム化する。そうすればこれから生まれてくる異能力者も異能力を消してやることができるだろう。それはそれほど難しいことではない」
遼は、自身の考えをまったく疑っていなかった。自分が究極的に正しいことをしていると思っているだろう。
だが――
「それでは、私は異能力者どもの権威の失墜を見に行くことにする。彼をここから逃がすな。貴様の命に代えても」
遼はそう仮面に手を置いて語りかけた。仮面は、「はい」と短く首肯する。こいつも、遼の正義をまったく疑っていないようだ。それから遼は歩き出す。
「待て」
詩音は異能力を発動し、遼を確保しようとする。しかし、遼を遮る形で仮面が詩音の前に出てくる。じりじりとにらみ合う。にらみ合っている間に、遼は奥にある扉に開けて消えていった。
「行かせない。貴様はここで計画が達成されるのを無様に見ているがいい。止めたいのなら、私を倒すのだな。我が命に代えても、貴様をここから行かせない」
仮面はそう言って、冷気を一気に放出する。エレベーターホールは凍結し、詩音が入ってきた入口も、先ほど遼が消えていった扉も、エレベーターも厚い氷で閉ざされた。
「いいのかお前」
詩音は問いかける。
「お前、死ねって言われたんだぞ。それで本当にいいのか?」
「なら、貴様を殺すまで。そうすれば私はもう少し長く生きられるだろう」
この仮面は、遼を狂信している。詩音はそれを確信した。狂信している人間に在り方を変えさせるのは不可能だ。説得は、通じない。
「貴様こそ、考えを改めるべきではないのか?」
「なに?」
「貴様は、自分の異能力を忌々しいと思っているのではないのか? 貴様にそんな異能力がなければ、酷い目に遭うこともなかったのではないか? 貴様こそ、我らに異能力を盗まれることを望むべきではないのか? なのに何故、私たちに反抗する?」
「それは……」
そんなこと決まっている。答えるまでもない。
「凍花はきっと、あんたらの考えは間違ってるって言うからさ。俺はあいつに雇われている以上、あいつのことを立ててやらなければならないからな。ただそれだけのことだよ。わかりやすいだろ」
「馬鹿者め……」
仮面は吐き捨てるように言う。
「いいだろう。貴様が考えを改めないのはわかった。なら、ここで死んでもらう」
「死んでもらう、ねえ……あんたに俺を殺せる手段があるのか?」
「ふ……これはどうだ」
仮面はそう言って、手に先の丸い剣を出現させた。
「それは……」
仮面が持っている剣は、間違いなく御剣が持っていたものだ。斬ったものを殺す、死んでいるものさえも殺す魔剣。どうしてそれを、仮面が持っている?
「盗んだ異能力は、盗んだ人間が死んでももとの持ち主に返還されることはない。
だが、盗んだ異能力を誰かに与えた場合は違う。与えられた人間は死ねば、与えた人間に戻ってくる。御剣にあの能力を与えたのは私なのだよ。御剣がきみに殺された以上、私のもとに戻ってくるのは必然だ」
仮面は先の丸い剣を正眼に構える。
「無論、私は御剣ほどの手練れではないがね。それでも他に盗んだ異能力を駆使すれば、彼に迫ることも可能だ。この能力が死なぬきみに有効であることはわかっている。この剣を使って、きみを殺す」
構えた仮面は、一気に地面を踏み込んだ。空間そのものが消失したかのような加速で詩音との距離を詰め、刀の間合いに引きずり込む。詩音の首を刈り取るべく剣を振るう。詩音は身体を操作し、首めがけて振り払われた剣を回避して、後ろにステップする。あの剣と、素手で戦うのはまずい。なにか武器になりそうなものはないか? そこまで考えたところで――
谷山の死体が目に入った。
遠隔で谷山の死体に干渉し、分解、再構成をする。そして、創り上げたのは一本の剣。オーソドックスなロングソード。
「ほう、そんなこともできるのか。便利なものだな」
言葉こそ驚いているように見えるが、仮面の余裕は揺るいでいない。
この剣で、どこまでやれるか。しかも、詩音は剣なんていままでの人生で一度も触ったことがない正真正銘の素人である。しかし、やれるところまでやるしかない――
氷の部屋での決戦が始まった。
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