第24話 異能力者を憎悪する男

 さらわれた凍花がいるビルの間近まで来て、詩音は考える。


 敵のこと、そして、凍花のこと。


 恐らく、凍花は生きているだろう。そうでなければさらう意味がない。ただ邪魔だったのなら、殺してしまった方が解決策としてはベストだ。殺さないのはそれなりの理由があるからだろう。ということは――


「やはり、俺が目的なのか?」


 詩音は呟く。


 詩音が目的だったとするなら、なにを狙うのだ? 詩音の特異な異能力のことか? それとも他になにかあるのだろうか。


 考えてみても――

 わからなかった。


 だが――


 相手の目的がなんであったにしても、詩音は凍花を救わなければならない。詩音が凍花に雇われている以上、あいつを守るのは義務だからだ。守って、取り返して、仮面の奴らを動かしている連中も全員殺す。それで、この事件は終わりだ。


 そこまで考えたところで――


 詩音の足がガクンと折れた。両足がプルプルと震えている。轟との戦い、御剣との戦い、木間との戦いで相当力が消耗している。普段であれば、こんな風に足が震えることなんてないのに。


「もしかしたら、俺、死ぬんじゃねえのか?」


 そんなことを一人ごちた。


 死ぬ――


 それは、異能力を使い過ぎたせいなのか、それとも、御剣の剣を食らったことが原因なのかはわからない。


 あまりに遠くにあったそれがいままさに近づいている。それが感じられて、なにか得体の知れない匂いが漂ってきた。これが、死の匂いなのだろうか?


 限りなく死に近いところにいながら、死ぬことがなかった自分。腹から臓物をぶちまけられても、炎で身体を焼かれても、雷に匹敵する電流を受けても、身体を串刺しにされても、身体を十二分割にされても、死ななかった自分に死が迫っている。なんとも笑えない滑稽な話だ。


 だけど――


 感じられる死の匂いはそれほど不快ではなかった。これはこれで、悪くないものだと思う。スラム街を満たす悪臭よりはマシだ。なんといえばいいのだろう。この匂いを嗅いでいると、不思議と心が昂ってくる。


 詩音は、ビルの扉に手をかける。ビルにはロックらしきものはかかっていなかった。


 扉を押す。中は、十畳ほどの広さのエレベーターホール。放置されて久しいのか、随分と埃っぽい。そして、その先には――


 三人、いた。そのうちに一人が倒れている。


 詩音はエレベーターホールを進んでいく。倒れている誰かの横を通りかかる。倒れていたのは――


「谷山?」


 倒れていたのは谷山だった。彼が手に持った熱線銃で頭部を打ち抜かれ、事切れている。死を操る詩音には、彼が確実に死んでいることはすぐに理解できた。


 残りの二人は――

 一人は先ほど現れた仮面。

 もう一人は――


「涼風遼?」


 仮面を従わせていたのは自警団トップの涼風遼だった。どうして、自警団のトップがこんなところに――


 いや、考えるまでもない。


 あの男が、凍花の叔父であるあの男が、この事件の黒幕だったのだ。あの仮面を指揮し、異能力者の異能力を奪い、それを与え、この街でなにかを起こそうとしている。その首謀者だ。


「湊くん、だったね」


「谷山も、あんたが殺したのか?」


 詩音は倒れて動かなくなっている谷山に視線を向けながら言う。


 谷山とはたいして関わりがあったわけではない。あのアジトに雇われている使用人として普通に関わっていただけだ。語るような思いではなにもない。


 だが、それでも詩音はその死を悼んだ。彼はまだ、死ぬような人間ではなかったはずだから。


「いや、違う。彼はここの凍花を連れてきたあと自ら命を絶った。よほど凍花を裏切った自分のことが許せなかったらしい。義理堅い男だ」


 やれやれ、と遼はため息をついた。


「弱みでも、握っていたのか?」


「まあね。少し金を貸していた。それをチャラにしてやるから、凍花をさらえと言ったら引き受けてくれたよ。やはり持つべきものは親友だな」


 ぱん、と手を叩いたのは死した谷山を賞賛しているかのように見えた。


「……外道め」


 ここで、殺してしまおうか。その衝動に駆られたが、隣に立つ仮面が目に入った。ここで遼を殺そうとしたら、あの仮面と戦うことになるだろう。凍花の無事が確認できない以上、仮面と戦うわけにはいかない。


「外道で結構。それは事実だからな。だが、異能力者よりはましだ」


「あんたも異能力者を恨んでいるのか?」


「そりゃそうだとも。この東京に暮らす非異能力者は大なり小なり異能力者のことを憎んでいるよ。なにしろ、この街では奴らがルールなのだから」


 はん、と笑っておどけた調子で遼は言った。


「きみだって、異能力者のことを憎んでいるのではないのか? きみは幼い時に、両親によってスラムに捨てられているのだから」


「…………」


 詩音は言葉を返さない。


「そんなことはどうでもいい。凍花はどこだ?」


「奥の部屋にいるよ。きみの返答次第では無傷で返そうじゃないか。いや、そもそも私は凍花のことを傷つけるつもりなんてないよ。彼女は、私の可愛い姪っ子なのだから。我々のことを追っていなければ、こんなことしたくなかったのだがね」


 そう言った遼の顔は本当に悲しげに見えた。姪にこんなことをしたくなかったというのは事実なのだろう。


「意外と人間味のある答えだな。あれだけ容赦なく人を殺しておいて」


 轟や木間、不動のことを思い出した。


「なにを言っている。きみだって必要であれば人くらい容赦なく殺すだろう。私は必要だったから彼らを殺した。であるならば、私たちは同じではないかね?」


 遼はニタニタとしたいやらしい笑みを浮かべて言う。


「かもしれないな」


 詩音はそう言って頷いた。それを否定しようとは思わなかった。


 自分だって、御剣を殺した。であるならば、必要になれば詩音は容赦なく人を殺せる。目の前にいる、遼と同じように。そもそも、詩音は死なないせいで他者の命に一切の関心が持てないのだ。詩音と遼に、それほど差などありはしない。


「凍花をさらったのは、我々の邪魔であった以上に、きみと話をしたかったからなのだ」


 おもむろに遼は言う。滔々と、そして雄弁に語る彼にはどこか人を惹きつけるカリスマがあった、詩音も、何故かその言葉に聞き入ってしまう。


「きみは異能力者に恨みを持っているのではないかな?」


「…………」


 詩音は答えない。


 恨みを持っていないといえば嘘になる。両親が詩音を捨てなければ、自分はきっとスラム街で底辺の暮らしなどしていなかったからだ。


「沈黙、ということは肯定しているということかな?」


 薄い笑みを浮かべながら、遼は雄弁と語る。


「我々の目的は異能力者の排除だ。いまいるこの異能力者ども全員から異能力を盗み、権力の座から失墜させる。それが我々の最終目標だ」


「馬鹿な、そんなこと……」


「できるわけがない、と? なにを言っているのかねきみは。できる算段があるからこそ私はこれを計画した。人工的に異能力を作る施設は破壊されてしまったが、あの程度いくらでも作り出せる。盗む異能力は量産できるのだよ。まあ、復旧するのに時間がかかるがね。すでに賽は投げられた」


 平坦な口調で熱弁する遼。その姿は、偉大な経歴を持つカリスマ溢れる政治家のようだ。


「一つ、訊きたい。金までやって能力を与えていたのは何故だ?」


「異能力者と戦うための戦力が欲しかったのだよ。戦争になるかもしれないからな。戦力は必要だ。残念なことに目論見は外れてしまったがね。轟というのは悪くなったが、きみに捕らえられてしまった以上始末しかなくなってしまったが」


 そう言った遼の口調は冷淡であった。本当に轟のことを残念と思っているのは詩音にはわからない。


「それと、俺が異能力者を憎んでるって話とどう繋がるんだ?」


「ああ。簡単だよ。私はきみに協力して欲しいんだ」


「仲間になれってことか?」


「その通りだ。異能力者のコミュニティから追放されたきみの敵は異能力者なのではないのかね?」


 それは……。


「異能力者の敵であるなら、そして異能力者に恨み持っているのなら、我々は協力すべきではないのかね? 同じ敵を打倒する、仲間として、共に行こうじゃないか。異能力者どもを駆逐して、新たな世界を作り上げよう」


 どうかね、と遼は大仰に手を広げて言う。雄弁に語られるその言葉は異様なほど心地よく詩音の耳に吸い込まれていく。


「無論、きみが望むいい環境も与えようじゃないか。なにを望む? 好きなものをなんでも望むがいい」


「ところで」


「なにかね?」


「ノーと言った場合、どうするつもりだ?」


「排除すべき敵として排除させてもらう。我々の仲間にならないのであれば、きみは敵だ。そもそもきみは異能力者だからな」


「そうしたら、凍花はどうするつもりだ?」


「どうもしないさ。そして、どうにでもなる。きみという力ある手足を潰されてしまえば、あの娘はなにもできない。あの娘がどのような理想を持っていようと、力なきものに正義など語れないのだから。この街は、力こそが唯一のルールだ」


「要はなにもしないってことか?」


「そういうことになる」


「ああ、それなら安心した」


「なに?」


 遼は訝しげな顔をする。詩音の言葉が予想外だったらしい。


「それで、どうするつもりかね。私たちの仲間になってくれるかい?」


「ああ、それね。それだけど――」


 詩音は一度そこで言葉を切って――


「遠慮させてもらうよ」

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