3章 死神と黒幕と父

第23話 再びの窮地

 凍花がさらわれた。突如として場面に介入してきた仮面から言われた言葉によって詩音は狂騒に襲われる。


 どうしてこんなことになった? 詩音の中を埋め尽くすのは無数の疑問符。


 あの三人の襲撃者は詩音と凍花を引き離すために攻撃を仕掛けてきていたのか? だが、どうやって凍花の居場所を、あのアジトの場所を知られたのは何故だ? 少なくとも、詩音があのアジトに戻る時に尾行されていた覚えはない。そのあたりについては、ちゃんと警戒していたつもりだ。なのに、何故――


「いや、焦っても仕方がない。まずは落ち着け。状況を確認しろ」


 自らに言い聞かせるように詩音は呟く。


 木間は、不動によって殺された。その不動は、突如現れた仮面をつけた何者かによって殺された。


 不動の死体を確認してみる。不動は氷づけにされ、砕かれて殺されていた。これは、間違いなく異能力によるものだ。


 そこで思い出した。


 仮面を追わなくては。詩音は屋上から飛び降りて消えた仮面を追いかけるために同じく屋上から飛び降りる。身体を操作して無理矢理高所から飛び降りても耐えきれる強度へと変化させて着地。ぐにゃり、というぬるついた感触が足もとから伝わってくる。木間が起こした津波の残りだ。あたりを見回すと、ところどころに津波に呑まれかけていた人が転がっている。なんという惨状を起こしてくれたものだと、詩音は思った。


 しかし、どこを見渡しても仮面の姿はない。すでに逃げたか、それとも、近くに隠れているのか――


 そこまで考えたところで、詩音は耳につけた端末のことを思い出した。


「凍花、応答しろ。聞こえているか?」


 やはり反応はなかった。いつもであればすぐに返ってくるはずの声が返ってこない。その事実は嫌でも詩音に凍花がさらわれたという現実を認識させる。


 それにしても、どうして凍花の居場所がバレた? それがわからない。仮に詩音がつけられていたとしても、あのアジトにはそう簡単には侵入できないはずだ。仮面の連中がかなりの技術と資金力を持っていたとしても、あんな富裕層の人間が住んでいるような場所で堂々と破壊工作などできるとは思えない。なにしろいまは真昼だ。明るいうちから、そんなことをするのはリスキー過ぎる。東京が常に霧に満たされた視界が悪い街であってもだ。


「くそ……俺の平穏な生活を邪魔しやがって」


 詩音は吐き捨てる。だが、そんなことを吐き捨てても、状況が変わるわけではない。とにかく、凍花を見つけ出さなければ。凍花に雇われている以上、彼女の身の安全を確保が最優先である。


 その時――


 詩音のまわりで急に温度が下がるのが感じられた。痛覚が機能せず、全体的に反応がそのものが鈍い詩音は察知が遅れてしまう。見ると、自分の身体が凍りついていて――


 身体が動かなくなると同時に、上からの衝撃によって、凍りついた詩音の身体は砕かれた。


 しかし、全身を砕かれても、詩音の意識は残っていた。氷漬けにされ、身体を砕かれた程度では、詩音の異能力は己を死なせてはくれない。身体が砕かれるとほぼ同時に、己を守るかのように異能力が発動し、砕かれた身体を修復していく。身体を操作し、砕けた身体を繋ぎ合わせ、体温を上昇させて身体を覆っている氷を吹き飛ばす。詩音は立ち上がった。


「驚いた。殺しても死なぬとは聞いていたが」


 凍結され、砕かれた詩音の目の前にいたのは不動を殺した仮面。仮面は、無慈悲に、優雅にそこに佇んでいる。


「お前……」


「動く死体と聞いていたから、もっと死んだような奴かを思っていたが、そこまででもないらしい。つくづく異能力というのは奇妙なものだ」


 仮面の声は、機械によって変えられていた。その声からは性別も年齢も判然としない。


「凍花をどこにやった?」


 詩音は仮面に問いかける。問いかけざるを得なかった。


「気になるか? いいだろう教えてやる。私がお前の前に現れたのはそれを伝えるためだ」


「なに?」


「焦るなよ異能力者。私たちもお前らに感づかれてそれなりに焦っているんだ。まあ、あの娘を確保できたのは運がよかったのだがね」


 仮面は機械で変調された声で喋りながら端末を操作する。すると、詩音の端末にメッセージが送られてきた。送られてきたのは地図。間違いなく、さらわれた凍花がいる場所だ。


「これで用件は終わりだ。私は失礼させてもらう」


「待て」


 詩音は異能力を発動し、身体を操作して一気に加速する。


「私も時間が惜しい。お前の相手をしているわけにはいかないのだ。異能力者どもすら忌避したお前の異能力は有用であろうが、お前と戦いながら盗むほど、私は戦えるわけではないのでな」


 仮面がそんなことを言うと同時に広がったのは冷気の波。圧倒的な冷気が詩音の身体を凍結させる。詩音は再び凍りつき、動けなくなった。仮面は詩音が動けなくなったところを確認したところで上に飛び立つ。待て――そう言おうとしても、凍りついてしまっては言葉を発することはできなかった。凍結し、身体が動かなくなっても、死んでいるはずの詩音を動かす異能力は駆動をやめることはない。この程度では、死ねないのだ。


 詩音は身体を操作し、体温を上昇させ、自らの身体の凍結から逃れた時には、仮面はどこかに消えていた。残されたのは、氷河のごとき凍結した街並みだけ。


 だが、ここで止まるわけにはいかない。詩音が凍花に雇われている以上、彼女を守るのは義務だ。ここで逃げてしまえば、詩音はスラム街で最低の暮らしをしていたとき以上の敗北者になるだろう。


「そうだ、端末は……?」


 先ほど仮面から情報を送られてきたことを思い出し、端末を操作する。氷漬けにされていたというのに、端末は問題なく稼働していた。メッセージアプリを起動し、先ほど送られてきたメッセージを表示する。


 仮面から送られてきた場所は、異能力者たちが住む区画との境にあるビルだった。そこに、凍花をさらった何者かがいる――


 凍花には恩がある。自分を最低の暮らしからすくい上げてくれたという恩が。そして、その恩の代わりに、詩音は彼女が追い求める理想のために疾走する。それが、二人にかわされた契約だ。


「奴らは、なにを求めている?」


 自分たちが、奴らの邪魔だったのは間違いない。だが、邪魔だったのならわざわざさらって詩音をおびき出す必要なんてあるだろうか? 邪魔だったのな、殺してしまえばいい。情報が漏れることを嫌って、轟を殺したように。そのほうが簡単だったはずだ。なのに、何故――


「殺したくない理由があったのか。それとも――」


 自分のことを狙っているのか。どちらなのか、知る由もない。


 自分は失敗をした。判断を間違えた。詩音が狙われているのであれば、凍花も狙われる可能性があると言っておくべきだった。それさえ伝えていれば、こんなことにならなかったはずだから――


 そこまで考えたところで、気づく。


 自分と凍花以外に、あのアジトに出入りしている人間のことを、やっと思い出した。


「谷山……」


 そう。品のいいあの男だ。あの男は、凍花の仕事部屋にこそ入る権限はなかったはずだが、あのアジト自体には自由に出入りできた。もしも、あいつが敵と繋がっていたのなら――


 凍花をさらう、チャンスはあった。


 凍花の仕事部屋に入れずとも、なにかの理由で凍花を外に出すか、部屋の中に入れてもらうことは可能だっただろう。


 くそ、やられた。凍花が信頼できると言っていたから、信頼していたが、まさかこんなことになるとは――


 いまさら、それを後悔したところで、凍花がさらわれたという事実は覆ることはない。


 まあいい。


 こうなったら、なるようになれだ。自分は、自分にできることをやるしかない。結局人間は、異能力なんてものを手に入れても、自分にできることしかできないんだから――


「奴らがなにを考えているかは知らんが、やるならやってやる」


 詩音は凍りついた地面を蹴り、三度宙へと飛び上がった。

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