第12話 対立

「どういうことか説明してください」


 詩音がアジトに戻ると、凍花が待ち構えていて、そんなことを言った。


「説明しろ、というのは一体なにを?」


 どうやら凍花はなにかご立腹らしい。それはなんとなく察することができた詩音だったが――


「先ほどのことです」


「生井がやったことか?」


「そうです。どうして止めなかったのですか?」


「止めるって……止められるもんじゃなかっただろ。相手は異能力者なんだぜ。俺にできないことなんていくらでもある。今日はそういう時だったんだよ。それとも――」


 そこで詩音は一度言葉を切った。


「生きている人間が殺されるのをはじめてみたのか?」


「…………」


 凍花は答えない。しかし、彼女のその沈黙は詩音の問いを肯定しているように思えた。


「まあ別に、殺したり殺されたりするのが嫌だってのはわかる。俺だって別に好きじゃねえしな。無論、この街をなんとかしたいと思っているあんたが、なにかしたわけでもないその他大勢の東京都民が殺されるのを見てられないというのもわかる。


 だが、なにかを守りたいと思うのなら、同時になにかを犠牲にすることも考慮に入れなきゃいけない。人間が助けられる人の数ってのは限界があるんだ。その限界を超えてやろうとすれば必ず破綻が訪れるぜ。


 仮にそれが善行であったとしてもな。俺もあんたも人間だ。できることには必ず限界がある。どうやったってその手から溢れるものはでてきちまう。あんたは、それすらも許容できないってのか?」


「そういうわけでは、ありません。それくらい、わたしだってわかります。救えないものは出てくるでしょう。ですが、あの場にいた彼ら彼女らはあなたになら誰か一人くらい救えたはずではないのですか?」


 凍花は普段から身に纏っている氷のような冷徹さがなくなっていた。どうやら、あの生きた人間が一気に燃やされるのは堪えたようだ、と詩音は思った。


「できたかもな。だか、できたところでなんだっていうんだ? あそこで生井に殺された連中のうちの何人かを救ったとして、それであんたの目的は達成されるのか?」


「それは……」


 凍花は口ごもった。


「そりゃあ、助けられた奴は感謝をするかもしれない。だが、それで終わりだ。お前の目的にその助けた『誰か』が俺たちの助けにはなってくれない。俺に自分の異能力が通用しなかった生井はなりふり構っていない状況だった。


 そのうえ、俺はあいつを殺さずに捕えなきゃいけない。事件を追うためにな。ま、結果的にあいつはなんの情報も知らなそうだったから、異能力を封じただけだったわけだが。俺はあんたが思うほど許容があるわけじゃねえんだ。自分の知らない誰かを守りたいと思うほど、満たされていたわけじゃない。


 たぶん、何度同じ場面に遭遇しても、俺は誰も救えなかったと思うぜ。あんたには、それくらいわかってほしいところだけど」


「…………」


 凍花は沈黙した。詩音の言い分にやはり納得できないところがあるのかもしれない。しばらく無言の時間が続く。


「……わかった。俺はあんたを雇ってるんだ。なら、俺はあんたの意向に従わなきゃいけない。今度同じようなことに遭遇したら、一人でも守るようにしてやるよ。それでいいか?」


 根負けした詩音は譲歩した。こういう時は、さっさと折れてしまったほうが面倒臭くない。


 詩音の言葉に、凍花は少しだけ驚いた顔を見せる。詩音がそう言ったことが、意外だったらしい。


「しかし、優先順位はちゃんと決めてくれ。どこぞの知らねえ誰かを救うのが優先なのか、事件を追うのが優先なのか。どっちもやれっていうのはなかなか難しい。特に切羽詰まってる状況ではな」


 事件を追っていれば、確実に関係ない人間を巻き込まざるを得ない状況に出くわすだろう。この街でなにかたくらんでるような連中が、そこらにいる人間に躊躇するとも思えない。今日のようなシチュエーションは今後も起こり得るだろう。


「わかりました。あなたが言うことはもっともです。基本的には事件を追ってください。誰かを守るのは、余裕があるときで構いません。その判断はあなたに任せます。現場に赴くのは、あなたですから」


「わかった。そうさせてもらう」


 やれやれ、と詩音はため息をついた。一応解決、という感じだが、この育ちのいいお嬢様が納得してくれるかどうかは微妙なとこだ。


「で、なんか新しい情報はあるか?」


「残念ながら、めぼしい情報はありませんでした」


「そうか。敵さんも随分と慎重なんだな。さすが悪だくみするだけはある」


「それは、褒めているのですか?」


 小首を傾げて凍花は問う。


「さあな」


 敵のことなんて知ったことではない。詩音の興味は、いかにいい暮らしができるかである。


「で、三人目はどいつだ? 明日になったらまた追いかける」


「わかりました」


 凍花はキーボードを操作して、詩音の端末に情報を送信する。すぐに情報が目の前にポップアップされた。


 三人目の名前は轟雷太。


「なんか、いままでの二人とは違って情報が少ないな」


 凍花から送られてきたのは顔写真が入った簡単なプロフィールだけだった。以前の二人は、もう少し多く情報があったはずだが――


「申し訳ありません。この男の情報を探ったのですが、驚くほど見つからなかったのです。なんというか、その……意図的に情報が消されているような感じです」


 その言い方はどこか歯切れが悪かった。


「意図的に情報が消されてる?」


 これだけの情報化が進んだ社会で、そんなことは不可能な気がするが――


「もしかして、なにかの異能力か?」


「かもしれません。接近する際は注意をしてください」


「わかった。じゃあ今日は休む。なにかあったらまた連絡してくれ」


「あの……」


 凍花はいつもと違った声を出し、詩音を呼び止めた。


「なんだ」


 詩音は足を歩き出そうとした足を止め、振り返る。


「お願いが、あります」


 いつも涼しげで冷徹な声で喋る凍花は少し様子がおかしかった。


「別にいいけど、どうしてそんなに改まってるんだ?」


「あの轟という男、必ず生きたまま捕らえてください。個人的に話したいことがあります」


 その重苦しい口調から、詩音はなにかあるなというのを察する。


「わかってるよ。そいつ、なにか関係あるのか?」


「別に……」


 顔を曇らせて否定する凍花。それではなにかあるのは丸わかりだった。


「これでもう終わりか?」


「はい。構いません」


 凍花の言葉を聞いて、詩音は「じゃあな」と言って手を挙げてから仕事部屋を出る。


 部屋を出ると、なにか家のことをしていたらしい使用人の谷山の姿が目に入った。


「これは湊様、お疲れ様です」


 谷山は立ち上がり、恭しく一礼する。


「あんたいま暇? 暇ならなにか飯を作ってくれないか?」


「わかりました。なにかリクエストはありますでしょうか?」


「なんでもいい。任せる。飯なんて腹に入れば一緒だからな」


「わかりました。では、こちらで自由にお作りさせていただきます。では、どの部屋にお運びすればよろしいでしょうか?」


「凍花の仕事部屋から一番近い部屋に持ってきてくれ」


「了解いたしました。では、少しお待ちください」


 谷山はもう一度一礼をしてから歩き出した。谷山の姿が見えなくなったところで、詩音は凍花の仕事部屋の隣室の扉を開けた。


 そのままベッドに寝転がり、考える。


 思い出すのは、先ほど凍花が見せた表情。普段身に纏っている、氷のような冷徹さがなくなった彼女を顔――


「……どうしてそんなもん気になってんだ」


 もしかして自分は、凍花の意に沿えなかったことを気にしているのだろうか?

「まさかな。そんなことあるわけ……」


 ない、とは思ったものの、確信は持てなかった。


「……シャワーでも浴びて着替えるか。まわりが燃えてたせいで煙臭いし」


 どうせ、谷山が料理を持ってくるまで時間はあるだろう。


 詩音は、ベッドから起き上がって、部屋に取りつけられているシャワールームへと足を運んだ。

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