第7話 理解不能の脅威
突進した剛田は若者を見据える。やたらと顔色が悪い、まだ二十にも達していないガキだ。まるで死人が動いているようなツラをしている。異能力で自身の身体を強化し、一瞬で距離を詰めた剛田は若者に向かってパンチを放つ。異能力で強化された筋力で放たれた、鉄すらも簡単に貫通する拳だ。これが当たれば、たとえ異能力者であってもボロクズみてえに引き裂かれるだろう。こいつがなんだか知らねえが、俺の邪魔をするのなら殺してやる……。
剛田の放ったパンチは若者にヒットした。剛田の拳と腕は若者の脇腹を貫いている。間違いなく重傷だ。そのまま刺さった腕を振って腹を引き裂いてやればこいつは死ぬ。間違いなく。
だが――
若者は、自分の腹に突き刺さっている剛田の腕に手をかけ、思い切り振り払った。
「な……」
剛田は若者の予想外の行動に驚愕する。
突き刺さっていた剛田の手を振り払ったことで、若者の腹はばっくり裂けていた。しかし、若者は流れる血も裂けた腹すらまったく気に留めることなく、剛田に向かって拳を放つ。若者の予想外の行動によって、剛田は反応が遅れた。若者の拳は剛田の腹に突き刺さる。
「がっ……」
腹に拳が突き刺さった剛田は二メートルほど後ろに吹っ飛んだ。だが、すぐに体勢を立てなおす。異能力で身体を強化しているため、剛田にはダメージはほとんどなかった。
「ひどいな。腹に穴が空いちまったじゃねえか」
若者はさして気にしている様子で裂けた腹に手を当てている。痛みを感じているようには見えない。剛田にはその姿が、あまりにも異様なものに思えた。
「はみ出た内臓は……適当に押し込んでおけばいいか。ほっときゃ治るし」
若者は腹から飛び出ている血と臓物を押し込みながら剛田に近づいてくる。
「てめえ……」
こいつは……なんだ? 剛田にはいくつもの疑問符が生まれた。
あの若者の異能力は、なにかを操る能力じゃないのか? はじめに自分に襲いかかってきたあの白いなにかを操っていたことを考えればそれは確かだろう。
しかし――
いま目の前にいるこの男は、腹を裂かれて平然としている。異能力者だって人間だ。指を切れば痛いし、心臓を潰されれば死ぬ。それは普通の人間と変わらない。
なのに、奴は普通なら死んでもおかしくないような重傷を負っても平然としている。あいつの異能力は、剛田と同じ身体機能を強化するものなのだろうか? まさか、二つの異能力を持っているなんてことがあるのだろうか?
なんだ? なんだ? なんだ?
得体の知れない脅威に襲われ、剛田は恐慌に陥りそうになる。
しかし、舐められた以上、こいつを放っておくことはできない。これから輝かしい生活を始めるためには、このクソガキを殺さなければ、それは始められないのだ。
やってやる……。
剛田を支配しかけた恐怖を踏み潰し、自らに発破をかける。
「まだやる気なの? ちょっと別にあんたの生活を脅かそうなんてまったく思ってないからさ。さっさと協力してくれない? ちょっと訊きたいことがあるんだって」
「知ったことかそんなの! てめえみてえなクソガキに舐められて『はい、そうですか』って下がれるわけねえだろうが!」
剛田は自身に滲みだした得体の知れない恐怖を打ち消すために怒号を上げる。
剛田はさらに力を引き出す。すると、身体中にいままででは考えられなかったほど大きな力に満たされていく。
剛田が手に入れた異能力はシンプルだ。自分の身体を強化する。ただそれだけだ。だが、シンプルである以上、その力を汎用性が高く、どんな時でも使いやすい。
それに――
シンプルなこの力は人をぶっ殺すのに適した能力だ。腹が裂けても死なねえのなら、五体をばらばらに引き裂いてやる。それでも死ななきゃ細切れのミンチだ。やってやる、やってやる、やってやる。俺の輝かしい生活を取り戻すためには、このクソガキをぶっ殺さなきゃ始まらねえ。
「なんていうか、歳の割には血の気が多いよね。力っていきなり手に入れるとそういう風になるのかな」
「黙れクソガキ!」
剛田は再び床を蹴った。強化された身体能力で床を蹴ったため、人智を超えた速度で若者に向かっていく。そのまま速度を落とすことなく、剛田は手を伸ばして、若者の首に自分の腕を叩きつけた。人智を超えた力で行われたラリアットを食らった若者はコンクリートの床に叩きつけれる。首の骨を折った感触と、頭を叩き割った鈍い音があたりに響く。
「はあ、はあ……」
大きな力を使った反動と興奮によって、剛田の息は切れていた。だが、油断しては駄目だ。なにしろ奴は腹を割いても平然としていたのだ。首の骨を砕いて、頭をかち割ってやったくらいでは止まらないかもしれない。首の骨が折れ、頭から血を流す若者を思い切り踏みつけてやろう。強化された身体能力を持って動かない若者に向かって足を振り下ろした。
「え?」
剛田の足が触れようとした瞬間、若者の身体が動き出し、振り下ろそうとした足になにかが触れた。
「なんだ……」
と思ったその時――
剛田の身体から力が抜けていく。先ほどまで自分の身体を満たしていた圧倒的な力が、栓を抜かれた風呂桶のように流出する。
一気に力が抜けて、ぐわん、と世界が回るような感覚を味わった。
なにをされた? これも、奴の異能力なのか? そういえば、足になにか――
剛田は自分の足を見る。足首に手錠がかけられていた。
こんなもの――と思ってそれを引き千切ろうとするが、まったく力が出ない。まるで、異能力者でなくなってしまったかのように。
「くそ……なんだってんだよ!」
手錠を引き千切ろうとしてみるも、びくともしない。先ほどまで自分を満たしていた力がどこかに消えてしまっている。なにが、起こった?
「その手錠は特別製でね。異能力を封じる素材でできているらしい」
首を折られ、頭を叩き割られた青年が、ゴリゴリと音を立たせ、首の位置を直しながら立ち上がる。
「よかったな。ちゃんと異能力者にも効くぞ」
若者は、まだ剛田ではない誰かに話しかけている。
「というわけだ。異能力が使えなくなった以上、抵抗はできないはずだけど、どうする? まだやる?」
「…………」
剛田は若者を無言で睨みつけた。しかし、若者は相変わらず飄々としている。剛田の態度を気にしている様子はまるでない。
「とりあえず、念には念を入れておくか」
若者がそう言うと、ビルのまわりを覆っていた白いなにかの一部が剛田のもとに集まってきて、両腕と両足をびっちりと固定した。
「これで手足も完全に封じられたわけだけど、まだやる?」
「いや……」
能力を封じられ、手足も拘束された状態で足掻くほど剛田は馬鹿ではなかった。
「一つ訊きたい。てめえらは何者だ?」
「そうだね。このクソみたいな街を変えていきたい正義の味方的な感じの奴です」
「馬鹿言ってんじゃねえよ……」
「そうだね。俺も馬鹿だと思う。ま、冗談は置いといて。あんたに訊きたいことがあるんだ」
「なんだよ?」
「あんたを異能力者にした奴のことを、話してくれない?」
「……っ」
「その反応をするってことはなんか知ってんだな?」
「い、いや、知らない」
そこで剛田は自分に向けられた脅しのメッセージのことを思い出した。
「ほ、本当だ。確かに変な奴から異能力をもらったのは確かだ。だけど、俺はあいつらのことなんてまったく知らねえ。本当だ。だ、だから……」
「…………」
若者は無言で剛田を見つめている。
「ただ、時々向こうから連絡があって、わけわからねえことをやらされたけどよ。それだって金もらえるからやっただけで、どんな意味があったのかなんてまったくわからねえんだ。だ、だからさ。もういいだろ。は、放してくれよ」
「……どうする?」
若者はまた剛田ではない誰かに話しかける。よく見ると、耳につけるタイプの情報端末を装着していた。あれで、誰かと通話しているらしい。
「そうか。わかった」
若者はそう言って、手足が拘束された剛田を担ぎ上げた。
「うちのボスは慎重でね。念のため、あんたが嘘を言ってないのか確かめたいんだとよ。解放はそれが終わったあとな」
「本当に、話を聞くだけなんだろうな?」
「ああ。たぶんそうだと思うぜ。うちのボスは善良だからな」
若者は剛田を担いだままビルの外に飛び降りた。
やっぱり、自分は愚かだったのだ。
あの仮面の男から異能力をもらったのは間違いだった。
そうしなければ、こんな目に遭うこともなかったんだから。
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