第6話 これからなにをしてやろうか?
なにをしてやろう、剛田は霧の中を切って進みながら考える。
いまの自分を止められる者はいない。いるとすれば、同じ異能力者だけだ。そして、異能力者の連中は同じ異能力者がやることを咎めたりはしない。過去の経験から、剛田はそれを知っていた。ならば――
堂々と金を強奪するか? さっきみたいなチンピラから金を巻き上げるのではない。もっと金を持っている金融機関や企業に押し入るのだ。この閉ざされた東京にも金回りのいい奴らはいくらでもいる。そいつらから金を巻き上げてやるのだ。それだけで、剛田はこの東京でひとかどの富豪になれる。
気をつけるべきなのは、他の異能力者の尾を踏まないことだ。他の奴らに関心がない異能力者であっても、自分に関係するものに危害を加えられれば別だ。そうなったら、異能力者どもは徹底的に追い詰めてくる。剛田の人生の中で、馬鹿をしでかして異能力者の逆鱗に触れて無残に報復され破滅した奴がいた。そのような馬鹿どもと同類にならないためには、力を持っているからといっても用心する、それが大事だ。
さて、どこがいいだろう。
剛田は腕に装着した端末を操作しながら考える。
いまのご時世、ちょっと調べればそこが異能力者の息がかかっているかどうかなどすぐにわかる。異能力者の息がかかっていない、金回りのいいところはあまりないが、あることは間違いない。そこを見つけて、真正面から押し入って異能力を使って脅しかけて金を奪い取る。なんてシンプルでエレガントなプランだろう。こんなことができるようになったのだから、あの仮面の男には感謝してやらねばならない。
「ひひひ、異能力ってのは最高だぜ」
剛田は端末を操作する手を止めて、けらけらと笑う。
もうすでに剛田には先ほどまで仮面の男に抱いていた恐怖はすっかり消え去っていた。あるのは、自分の力に対する嗜虐心の全能感。
「どこにいくかはあとで決めればいいか。それにしても腹が減ったな」
色々なことが起こったので、飯を食べ損ねていたことを思い出した。どこに行ってやろう。金ならそれなりにあるが、いまの剛田は異能力者だ。無銭飲食も許される立場である。
だが――
異能力者の息がかかった店でそれをやるのはまずいだろう。奴らは自分たちに無礼を働くのを許さない。この東京にある高級な店は、異能力者の息がかかっている店が多いはずだ。
「高級な店を踏み倒してやるのはちょっと調べてからの方がいいかもしれんな」
であるなら、今日のところは行きつけの飯屋に行くとしよう。異能力者になった剛田には不相応な小汚い店だが、ただで食えるのなら悪くない。千里の道も一歩から、なんて言葉もあるくらいだ。最初のうちはできることからやっておく。それがいい。異能力者になったからといって、慎重さを捨てるのはこの東京ではご法度だ。この街は、理不尽が支配する最悪の都市なのだから。
かさかさかさ。
「……なんだ?」
どこかから、剛田の近くから乾いた音が聞こえてくる。背後を振り向く。そこにはなにもない。いるのは、自分一人だけだ。
「気のせいか?」
剛田は再び歩き出す。進み出そうとしたその時――
かさかさかさ。
またしても乾いた音が聞こえ、歩き出そうとした足を止めた。これは、気のせいではない。剛田は足を止め、再び背後を振り返る。やはり、そこには誰の姿も見えなかった。
しかし――
かさかさかさ。
先ほどまで微かだった乾いた音はさらに大きくなっていた。剛田に近づいているように思える。
「なんだってんだ……」
剛田は言いようのない恐怖を感じた。なにか得体の知れないものが近づいている、ような気がしてならない。
もしかして――
あの仮面の男が、なにかしてきているのだろうか? いや待て。剛田は先ほど仮面の男の写真を使って検索した時に脅しかけられたのは事実だ。しかし、あれから仮面の男について調べたりはしていない。これも、奴の脅しなのだろうか?
かさかさかさ。
姿の見えない乾いた音はさらに大きくなっていた。気のせいとは思えないほど、はっきりと聞こえてくる。
なら、さっきのチンピラどもか? それはもっとあり得ない、はずだ。もし、奴らが異能力者に縁のある奴らなら、剛田のような寂れた中年から金を奪い取ろうなんて必要があるとは思えない。そもそも、このダウンタウンに異能力者がわざわざ足を運ぶ必要が――
かさかさかさ。
乾いた音はさらに大きくなった。まるで、自分の近くを這いまわっているような――
「な……」
剛田は足もと見る。すると、自分の足になにか白いものが這い上がってきているのが目に入った。それはまるで、自分を侵食する奇病のようにかさかさと乾いた音を立てて駆け上がってくる。剛田は一瞬悲鳴をあげそうになったが、すぐに自分が異能力者になったことを思い出した。身体に力を込め、一気に解き放つ。剛田が発動した異能力によって、自分の身体を這い上がってきた白いものは粉々になって吹き飛ばされる。
だが――
吹き飛ばされた白いなにかはまるで生物のように蠢いている。
「くそくそくそ」
剛田は吐き捨てて、自分のまわりで蠢いている白いなにかから背を向けては逃げ出した。異能力を解放し、どん、と地面を踏み込み、自分の出せる限りの力を解き放つ。細々としたコンクリートの迷宮のような街を超高速で進んでいく。ただ距離を取るだけでは駄目かもしれない。そう思った剛田は自分の力を駆使してコンクリートの壁を駆け上がっていく。
「逃げきれたか……?」
超高速で迷宮のようなダウンタウンを進み、駆け上がった剛田は足を止めてまわりを見渡した。白いなにかは見えない。
「なんだってんだ……畜生」
せっかくいい気分だったのに台なしになってしまった。どうして自分がこんな目に遭わなければならないのだ。こんな風にわけもわからず狙われる理由など――
そこまで考えたところで――
かさかさかさ。
振り切ったはずの乾いた音が聞こえてくる。それに気がついた時には、あの白いなにかは剛田が立つビルのまわりに押し寄せていた。それは、かさかさ、と耳障りな音を立てながら距離を縮めてくる。
このまま逃げていたのでは駄目だ。あの白いなにかを操っている奴を見つけなければ、安心して眠ることもできない。くそ、どうする。どこにいやがる。あの白いものを操っている異能力者は――
「そのまま無抵抗でいてくれればさっさと終わったのに、どうして逃げるのかね」
その声が聞こえた直後、ビルのまわりで蠢いている中から誰かが現れた。剛田より一回りは年下の若い男。というか、まだ十八かそこらのガキだ。
「なんだぁ……てめえ? これはお前の仕業か?」
「そうだけど。だからなに?」
若者は剛田が脅しかけても、知ったことではないというような空気を身に纏っている。
「てめえ、俺が誰だかわかってこんなことやってんのか?」
「知ってるよ。剛田毅。十日ぐらい前に、異能力者になった男でしょ」
飄々と言う若者。奴は、剛田が異能力者になったことを知ってて、手を出してきているらしい。
「ちょっと協力して欲しいことがあるんだけど」
さて、とでも言うように切り出した若者。こいつは一体、なにを言っている?
「なにぃ?」
「……手は貸してくれなさそうだ。どうすればいい? 殺しちゃ駄目だよな?」
剛田ではない誰かに話しかけるように言う若者。自分を目の前にして知らない誰かと話されるのは無性に腹が立った。
「わかった。じゃ、死なない程度に痛めつけてから持っておくわ」
「てめえ! 誰と話してやがる!」
勝手に話を進めている若者に、剛田は怒鳴りつける。しかし、若者は動じる様子はまるで見られなかった。
「ぶっ殺してやる……」
俺は異能力者だ。力がある。この街を支配する者たちが持つ圧倒的な力を俺は持っている。こんなガキにやられるはずがない。この街でのし上がるんだ。俺に無礼を働いたこいつを、許すわけにはいかないのだ。怒りを力に変えろ。こいつの血で、俺がこれから歩く道を飾るのだ。
「できるんならやってみな」
剛田が脅しをかけても、若者は変わる様子はない。そのいけ好かない態度に剛田のボルテージはさらに上がる。
「舐めやがって!」
怒りが頂点に達した剛田は、ビルの床を踏み込み、若者へ一気に突進した。
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