第5話 俺はどうしてこんなことを?

「それでは今回の報酬だ。協力を感謝する」


 顔を不気味な仮面で隠した男は剛田毅にそんな言葉を投げかける。腕に装着した端末にカードが接触され、剛田の口座にクレジットが振り込まれた音が聞こえた。金額は百万。


「どうかしたのか?」


 仮面の男は疑問の声を発した。その表情は一切窺えない。


「いや、その、俺は一体なにをやらされてるんだ?」


 剛田がやらされていたのは子供の使いとしか思えない数々の行為。この仮面の男がなにを意図してこんなことを自分にやらせているのかまるでわからない。


「なんだ知りたいのか? そうなると我々に深く関わることになる。それでもよければ我々は歓迎しよう。貴様も貴重な戦力に違いないからな」


「いや……やめておく」


 剛田は仮面の男の申し出を断った。この仮面の男がなにを目的にしているのか不明だ。それに、これ以上深入りするのは危険だと感じたからである。


「では、またなにかあればこちらから連絡しよう。よろしく頼むぞ」


 仮面の男はそう言って霧の中へと消えていく。彼の姿が見えなくなったところで逆方向に剛田は歩き出した。


 あいつは一体何者なのだろう。金を簡単な小間使いをして大金を得られるのは嬉しい限りである。だが、ヤバい雰囲気を醸し出しているのも確かだ。関わるべきではない。そう思うが、いつも奴が提示する金に目が眩んで奴の言う『仕事』を手伝ってしまうのだ。


 それに――


 あいつから金を渡されて異能力を手に入れたこともある。売るのではなく、金を渡してまで異能力を自分に与えた。しかも、普通だったら絶対に手に入れられないような大金だ。これは一体、どういうつもりなのか?


 剛田は歩きながら考える。

 しかし、その意図がわからない。

 剛田は、すぐに思考を打ち切った。


 そんなこと、考えなくてもいい。あいつは俺に金を与えて、なにかをやらせている。普通だったら絶対に得られないような大金を得ている。ただそれだけだ。あの仮面の男から異能力をもらってから十日ほど経過したが、その間にいままで自分が稼いできた金額よりも大きい金も手に入れた。それでいいじゃないか。あいつの言う通り、剛田は深入りする必要などない。あの仮面がどこでなにをしていようが関係ないのだ。ちょっとしたうまい話に乗っているだけなんだ――


 しかし――


 剛田の心には、なんとも言い知れない不穏さ立ち込めている。なんと表現すればいいのか、それは剛田にはわからない。だが、剛田の本能はあの仮面に関わるのはまずいと警鐘を鳴らしている、ようにも思えた。


 剛田は、腕に装着した端末を操作し、ホログラムディスプレイを表示した。そして、以前こっそりと撮影した仮面の男の写真を検索してみる。出てきたのは、東京にあるおもちゃ屋のページだった。どう考えても真っ当な会社にしか見えず、あの男が滲ませる危険さなどまるでない。


「やっぱり駄目か……」


 剛田は一人歩きながら呟く。写真を使って検索してみれば、なにか情報が出てくるかもと思ったが、どうやらそのあたりも考えているらしい。相手は恐らく、かなりの資金と組織力を持っているようだ。自分のような、取るに足らない有象無象が調べられるわけがないのだ。


 表示したページを閉じよう、そう思った瞬間――


 表示していたホログラムディスプレイがじりじりと小さな音を立てて乱れ始める。なにが起こった? そう思った矢先――


『次に同じことをやってみろ。容赦なく殺す』


「ひっ」


 無機質な電子音声の声を聞いて、剛田は思わず悲鳴を上げた。


 それは明らかに、いま剛田が行った行動を咎めるもの。もしかしてあいつの仲間が近くにいて、自分を監視しているのかと思ってあたりを見回す。しかし、まわりには剛田に関心を持っている人間など誰もいない。各々がそれぞれの目的をもって、この雑踏を形成している。


 気がつくと、乱れたホログラムディスプレイは元に戻っていた。先ほど表示したおもちゃ屋の紹介ページ。剛田はまわりを警戒しながら、その表示を消した。


「くそ……なんだってんだ……」


 やはり、奴らについて調べるのはまずい。それは明らかだ。そうでなければ、検索した途端にあんなメッセージを流すがない。


 もしかして、この端末になにか仕込まれたのだろうか? 金を支払った時に、なにかを仕込んだというのは充分あり得る。そう考えて、剛田は端末を操作し、セキュリティソフトを起動し、スキャンをしてみた。スキャンは十秒ほどで終わり、結果は脅威なし。だが、あのようなメッセージを聞いてしまった剛田は、それで安心などできなかった。


 自分のような輩に大金を惜しげもなく支払う奴らだ。セキュリティ会社が探知できないソフトを仕込まれていても不思議ではない。


 どうする――


 このままでいて、自分は大丈夫なのか? 金は充分すぎるほどある。だが、その程度であの仮面の男が属している謎の組織をどうにかできるとは思えなかった。


 ほとぼりが冷めるまで、どこかに逃げるか? いや待て、どこに逃げるというのだ。この東京は外部から閉ざされている。霧の中に入ることはできるが、出ることはできない。そんなもの、ここで暮らしている人間には常識だ。この街からは、絶対に逃げられない。


 どうする、と再び問う。

 しかし、答えは出てこなかった。


 どうせ、東京で暮らしている者は、このクソみたいな街に一生囚われたままなのだ。この街で平和に暮らすのならば、金と力が必要だ。いまの剛田には、それがある。


 そうだ。自分は異能力者になったのだ。この閉ざされた東京におけるヒエラルキーの最上段に位置する存在になれた。


 なら、その力はあのようなわけのわからない奴ではなく、自分のために使うべきではないのか?


 自分を満たすために、この力を使う。それがこの東京では正しい選択だ。あの仮面の男のことなどさっさと忘れてしまえ。関わらなければそれでいいじゃないか。俺には、力があるんだから。


「ふふ……そうだよな」


「おい」


 背後から声をかけられ、剛田は後ろを向く。そこには、数人の若い男の姿。手にはナイフやら鉄パイプやらを持っている。その風貌からして、強盗の類であることはすぐにわかった。


「おっさん、金持ってんだろ? どうせたいした使いみちなんてねえんだから、俺たちに寄越せよ」


「…………」


 剛田は無言のまま男たちに近づいていく。剛田は、一番近くにいた男の胸倉をつかみ、そのまま投げ飛ばした。男は、ビルの壁面の衝突し、動かなくなる。殺しても構わないつもりでやったが、死んではいないだろう。


 剛田がそんなことをされたのが予想外だったのか、若い男たちは一歩ずり下がった。それでも構わず、剛田は距離を縮めていく。


「な、なんだよ……ぐえ」


 なにか言おうとした手近な若者に一発くれてやると、彼は反吐を吐いたのち倒れ、ぴくぴくと痙攣していた。なんとも無様な姿である。


「て、てめえ……」


 若者はいきがってみたもの、その口調には恐怖が隠しきれていなかった。


「おい」


 剛田は若者の首を鷲づかみにし、片手で持ち上げた。首を締め上げられた若者はじたばたとするものの、剛田の圧倒的な力の前にどうすることもできない。


「俺が、異能力者だってわかってからんできてんのか?」


「な……」


 残った若者たちはたじろく声を上げた。


「でも、俺は寛大だから、お前らの有り金を渡すのなら今回のことについては不問にしてやる。どうだ?」


 剛田はそう言って、持ち上げていた若者を思い切り地面にたたきつけた。地面にたたきつけられた若者は、実に間抜けな声を出して動かなくなった。彼はぴくぴくと轢かれたカエルみたいに痙攣している。それを見て、残った若者たちはアホ丸出しな悲鳴を上げた。


「わ、わかりました。勘弁してください。で、出来心だったんです」


「腕につけてる端末を外せ。倒れてる奴のもだ。いいな?」


 剛田がそう言うと、若者たちは倒れている若者が装着している端末をはぎ取って手渡した。


「ほ、本当にすみません。異能力者だってわかんなくて、その……」


「さっさと消えろ」


 剛田が脅しをかけると、残った若者たちは倒れている三人を放置したまま全速力で逃げ出していく。剛田は、彼らの姿が消えたところで歩き出した。歩きながら、先ほど若者たちから強奪した端末を操作し、自分の口座に金を振り込んで、奪い取った端末を投げ捨てた。


「少ねえな」


 若者たちから奪い取った金はいまの剛田にしてみればはした金だった。


 しかし――


「奪い取るっていうのはなかなか悪くない。俺は異能力者だ。自警団だって、俺をどうにかすることんてできねえんだ。なら――」


 奪う側になって、この街でのし上がってやろう。それだけのことをする権利を手に入れたのだ。それを使ってなにが悪い?


「俺も特権階級の一員か……なかなか感慨深いな」


 剛田は忍び笑いをしながら、霧に閉ざされた東京を進んでいく。

 次は、なにをしてやろうか?

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