第3話 湊詩音は静かに暮らしたい

 少し昔の話をしよう。湊詩音という異能力者についての話だ。


 彼は異能力者だ。しかも異能力者たちを束ねる顔役の息子である。なに不自由なく彼は異能力者として、暮らしていける――はずだった。


 父や母に問題があったわけではない。普通の人たちから恐れられているといっても、彼らもまた人の子である。子供は可愛いもの。そう思っているはずだった。


 ただ、違ったのは――

 詩音の持つ能力のこと。


 忘れるはずもない。あれは、はじめて詩音が能力を使った日のこと。詩音が、自分の異能力を自覚し、それを見せに行った。それは、異能力者の家庭ではどこでも見られるもの。


 だが――


 詩音の異能力を見てたとき、両親の顔はまるで見てはいけないものを見てしまったかのような顔をしていた。


 いままで、なに不自由なく暮らしてきた詩音には、彼らがどうしてそんな顔をしているのかまったく理解できなかった。


 だけど、いまならばそれがなにかわかる。


 あれは恐れだ。両親は詩音の能力を恐れていたのだ。間違いない。詩音の持つ、あの力を、普通の人々が異能力者に向ける視線と同じように、恐怖を、嫌悪を、忌避を向けていた。


 あのときはどうしてそんな顔をしているのだろう、そんなことを思ったけれど、いま考えてみればそれも当然だ。


 なにしろ、自分の能力は――



「どうかしましたか?」


 前を歩いていた凍花が立ち止まり、詩音の顔を覗き込んでいた。よく見てみると綺麗な顔をしている。ふわりと涼しげな香りが詩音の鼻をくすぐった。


「別に……ちょっと昔のことを思い出してただけ」


 別にたいしたことではない。もう過ぎ去った、どうにもできない過去のことだ。


 詩音は凍花の顔を見る。


 この娘も、氷のように冷徹な凍花も、詩音の能力を知ったら、あの時の両親のような顔をするのだろうか? そんなことを思った。


 いや、そもそも自分のことを調べたのだから、詩音の能力のことなど知っているはずだ。


「昔のことですか……どうしてあなたは異能力者のコミュニティから追放されたのですか?」


「ただ、俺の能力が気味悪かったんだ。だから俺は異能力者のコミュニティを追放され、家からも勘当された。それだけのつまらない話さ」


 詩音は自嘲する。


 気味が悪い。それが詩音の異能力をもっとも端的に表している言葉だ。


「能力が気味悪い……? その程度で大事な中までもあり戦力であるあなたを手放したのですか?」


 凍花は小首を傾げて質問する。その仕草は、自分と変わらない年相応の娘に見えた。


「そうだよ。それだけ俺の異能力が不気味だったんだ。俺のこと調べたあんたならそれくらいわかってるだろ?」


「いえ……大変申し訳ないのですが、あなたの能力についてはわかりませんでした。異能力者たちのオンラインコミュニティにも侵入しましたが、あなたの能力についてはなにもデータが見つからなかったので」


「…………」


 どうやら、親父たちは本気で俺のことを抹殺していたらしい。いや、スラム街に放り捨てられて、とっくにおっ死んだと思っているのか。まあ、とにかく、異能力者たちの間では詩音は死んだことになっているのだろう。


 それにしてもこの娘、異能力者たちのオンラインコミュニティに侵入するとはなかなか勇気がある。そんなことをしてバレたら、下手すれば殺されかねない。そんな危険を冒してまで、利用価値があると思っているのだろうか。


「じゃああんたは俺の能力のことは知らないってわけだな」


「はい」


「それでいいのか?」


「いいのかっていうのは、どういうことです?」


「だって、俺に協力して欲しいんだろ。能力がわからなくてもいいのか?」


「あなたは先ほど、『自分の能力は気味悪がられた』と言いましたね」


「ああ、それが?」


「なにかを気味悪がられる、その感情が現れるのは、自分に理解できないものと出会った時です」


「そりゃそうだが……」


「であるなら、あなたの能力は異能力者のトップが気味悪がるほど理解できないものだったのではありませんか?」


「……そうかもな」


「それなら、あなたの異能力は、ただ強い力を持っているだけではないと考えられます」


「ほう……」


 なかなかの慧眼である。さすがは自警団トップの娘。教育が行き届いている。それとも、この娘自身非凡な知性を持ち合わせているのか。


「なかなか鋭い観察眼だ。だが、俺の能力が気味が悪いだけで、なんの役に立たないものだったらどうする?」


「それはありません」


「なんでだよ」


 詩音は怪訝な顔をする。


「気味が悪いだけで、なんの役にも立たないものであったのなら、自分の子を家から追い出して勘当するなんて真似はしないでしょうから」


「……ほんと、頭いいみてえな」


 そうでもなきゃ、異能力者たちのオンラインコミュニティを覗き見なんてできるわけねえか。


 馬鹿と付き合うのはごめんだが、頭が切れすぎる奴と付き合うのもそれはそれで面倒だ。仕事相手としていいかもしれんが。


「ですから、あなたの能力がわからなくてもわたしは一向に構いません。ここ何日かの様子を見ている限りでも、あなたは自分の異能力を隠しているようですし、お互い都合がいいでしょう。仕事仲間であっても、お互いのプライベートには詮索しないのがマナーというものです。不満ですか?」


「いいや。まったく。それでいこう。


 だが、俺となにかやるってのなら、いつまでも隠しておけるとは思えないけどな。俺にやらせようとしているのは危険が伴うんだろ? 俺だって、危険を感じたら能力を使うからな。それで、あんたは俺の異能力を知ったらどうする?」


「別に……どうもありません。仕事相手として関係を続けていくだけです」


 そう言った凍花からは強さが感じられた。

 

 本当にこの娘はよくできているな。さすが非異能力者の富裕層にいるだけはある。やはり人間を決めるのは生まれか、なんてことを思った。


「……ふうん」


 いまのところは大丈夫そうだが、詩音の能力がわかった時、あの娘がどうするかは考えておかなければらない。最悪、また元通り底辺で泥水啜って盗みを繰り返す日々に逆戻りすることも頭に入れておこう。


「なあ、一つ訊きたいんだが」


「なんでしょう?」


「お前、街をよくしたいって言ったけど、あれ本当か?」


「……本当よ。私は、このクソみたいな街を変えたい。誰もが普通に暮らせる、前世紀言われていたような世界一安全な都市しない、そう、思っているわ」


「ならいいけど。ま、なにか隠していることがあるのならさっさと言ってくれよ。俺はあんたに雇われるんだからな。あんたの目的がなんであったとしても、俺は対価が支払われるのならそれに従う。犬のようにな」


「犬って……少し自虐が過ぎませんか?」


 憮然とした顔になって凍花は言った。


「いいだろ。自虐くらいしかできることがないんだよ。恥の多い人生だったからな」


 それに、言われるがまま動くのなんて犬そのものだろ。まあ、犬といっても危険な猟犬だが。


「そろそろ行きましょう。ここで話をして、あなたの素性がバレると面倒ですから」


 そう言って凍花は前を向き直して歩き出す。詩音もそれに続いた。


 廊下を進み、角を折れ、階段を降りたところで正面入り口が見えてくる。やっとこの重苦しい場所から、クソみたいな生活から解放されると思うと、心が躍った。


 その時――


「凍花」


 後ろからそんな声が聞こえて、前を歩く凍花は足を止める。続いていた詩音も立ち止まって背後を向く。


 そこには、四十過ぎくらいと思われる男が佇んでいた。びっちりとスーツを着込み、いかにもエリートそうな雰囲気を醸し出している。


 凍花は後ろに振り向いて――


「おじさん。なにか用ですか?」


 いつもの吹雪のような冷たい視線を男に向ける。


「いや、見かけたので声をかけたのだが、彼は?」


 男は詩音に視線を向ける。そこからは何故か、敵意のようなものが感じられた。さっきまでの話を聞かれていたのだろうか。


「ちょっとした協力者。これから本部にはあまり顔出せなくなるけどいいかしら?」


「なにをするつもりだ?」


「別に、おじさんには関係ないわ。わたしはわたしのやり方で街を変える。自警団じゃ無理ってわかったから」


「……そうか、わかった。だが、危ないことはするなよ。お前にまで死なれたら、兄に示しがつかない」


「わかってるわよ。気をつけるから、心配しないで」


 凍花の言葉を聞くと、男はもう一度詩音に睨むように視線を向けたあと、二人が歩いてきた方向に向かって歩き出した。


 詩音と凍花も、男が消えていったのを確認してから歩き出す。


「あれが、自警団のトップ?」


「そ。叔父の涼風遼よ」


「あんた、両親はいないのか?」


「ええ。十年前の異能力者を狙ったテロ事件に巻き込まれて、死んだ」


 凍花は少しだけ悔しそうな表情になってそう言った。


「そうか。悪いことを聞いたな。すまない」


「別にいいわ。あなただって詮索されたくないことを聞かれたでしょう。これでおあいこね」


 凍花は正面出入り口の扉を開ける。開けると同時に、東京を包む霧が一気に押し寄せてきた。東京を閉ざし、異能力者を生み出すようになった謎の霧である。


「で、あんたのアジトってのはどこにあるんだ?」


「こっちよ。ここから五百メートルくらいだから、それほど遠くはないわ。詳しい話はそこでしましょう。それでもいいかしら?」


「ああ」


 これで、底辺生活ともおさらばか。いままでずっと「クソみたいな生活だったので、まったく感慨が浮かばない。むしろ脱出できて清々する。


 凍花の目的は未だ不明だが、いまよりも遥かにいい生活ができると思うと、詩音は嬉しくなった。


 さて、一体自分はなにをさせられるのか。これはまったく楽しみではないが、一応、覚悟しておこう。危険な目に遭うと言っていたし。犬らしくそれに従ってやろうじゃないか。それについて考えながら歩いていると、詩音たちは霧に紛れて消えていった。


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