第2話 氷の花からの申し出
「協力だと? なんだそりゃ」
詩音は突如言われた言葉に首を傾げるしかなかった。
確かに詩音は異能力だ。異能力者ではない人々しかいないスラム街で暮らすにあたってそのことについては隠しているけれど、凍花が言った通りそれは事実である。
だが、異能力者でない者は普通、異能力者を恐れたり、忌避したりするものだ。ましてや、協力をお願いするものではない。
「そのままの意味です。あなたの力をわたしに貸してほしい」
凍花は、冷たさは感じられるものの、真摯な口調でそう言った。嘘や酔狂でそんなことを言っているようには聞こえない。
「…………」
「もちろん、相応の対価は支払うつもりです。なにしろ、危険が伴いますから」
「協力ってことは、自警団に入れっていうのか? 本当にわかってそれ言ってる?」
異能力者はこの閉ざされた東京において特権階級である。その力をもって、あらゆる横暴を欲しいままにしている存在だ。当然、異能力者ではない人々は、大抵は忌避感を持っている。特に、裕福な層が多い自警団には反異能力者の人間が多いと聞く。詩音も、スラム街で暮らすにあたって、ずっとそれを隠し通してきた。
「勘違いをしているようですが、あなたに自警団に入れと言っているわけではありません。素性を隠したまま、自警団に所属させるわけにもいきませんし、あなたが異能力者であると知れたら、大事になりますから」
「わかってんなら、なんで協力してくれなんて言うんだ。わざわざこんなところに連れ出してまで」
本当にわけがわからない。しょっぴくつもりがないのなら、さっさとここから解放して欲しい、と詩音は思った。
「というか、俺が異能力者だってわかってんなら、こうやって拘束するのは危険でしかないだろ。どうしてそんな危険を冒してんだ?」
「なら逆に訊きます。どうしてあなたは自分の能力を使わずにこうやって拘束されることに甘んじているのですか? それ以前に、能力を使えばあなたの家に訪れた自警団の人間から逃げるなり追い払うなりできたはずでしょう。それをしなかったのは何故ですか?」
「別に……面倒ごとが嫌なだけだよ」
「そもそも、能力を隠して生きているのは何故ですか? 異能力者であるなら、こそこそと盗みを働いて日々をしのぐ必要もないでしょう」
「あんたにそれが関係あんのか?」
そう言って詩音が睨みつけても、凍花はまったく動じる様子はない。
「ありませんね。なので、嫌なら別に答えなくてもいいです。ただ、あなたのことを調べているうちに気になっただけですから」
「気になった、ねえ」
この娘、一体どこまで詩音のことを調べているのだろうか。少し気になったものの、早くこの面倒な状況から脱したい気持ちが大きくなったので、すぐにその考えを打ち切った。
それにしても、今日は色々と面倒が重なっている。詩音が暮らしているボロアパートの近くにある、よくわからない施設が異能力者の摘発を受けて、その轟音で深夜に叩き起こされろくに眠れず、それがやっと落ち着いたと思ったら、自警団の人間が現れてこうやってわけもわからず拘束されたかと思いきや、育ちのいいお嬢様から協力して欲しい、なんて持ちかけられている。
なにがどうなっているのだ。どうでもいいから早く帰らせてほしい。
「まあいいや。で、改めて質問する。俺に協力して欲しいってのは一体どういうつもりだ?」
「先ほども言いましたが、異能力者の力をわたしに貸してほしいのです。自警団に協力するのではありません。個人的に、私に対して力を貸してほしい」
「個人的に?」
なんだそりゃ? と詩音は首を傾げる。
「わたしはこの街を変えたい」
おもむろに、凍花は口を開いた。その言葉からは、先ほどまでとは違うなにかが感じられた。
「この街は最悪です。外部から閉ざされ、犯罪が跋扈し、多くの人が苦を味わっている」
「まあ、そうだな」
詩音は凍花の言葉に頷く。外部から閉ざされたこの東京は、前世紀では世界一安全な都市と言われていたとは思えないほど荒れ果てている。
「わたしは、運がいいことにいままで裕福な暮らしをしてきました。あなたのように一日を凌ぐために盗みを働いたこともない。わたしは恵まれている。それはわかっています」
「…………」
「だからこそ、わたしはこの街の状況をどうにかしたい。異能力者だとか、生まれだとかそういうのは関係なく、この東京をまともな街に戻したいのです。そのためには、力が必要です。異能力者にも対抗できる力が。だからわたしは、こうやってあなたに協力を持ちかけている」
詩音を見据え、凍花はその身に纏う冷たい空気とはまったく違う、熱を持った口調で語っていた。その感情はなかなか悪くない、なんてことを思う。
「ずいぶんと志のお高いことで」
詩音はそう言って、ため息をついた。
「でもいいぜ。協力しても」
「……本当ですか?」
凍花は驚いた、という表情を見せている。どうやら、詩音がそう言ったことが予想外だったらしい。
「ああ。本当だよ。なにしろ、こっちは一日を暮らすのだって困ってるんだからな。あんたがなにをさせようとしているのは知ったことじゃないし、あんたのお高い理想も知ったことじゃないが、あんたに雇われるのは悪くないはずだ。なにしろあんたはお嬢様だからな。スラム街で盗みを働いて暮らすよりはよっぽどいい。なんだよその顔。そんなに意外だったのか?」
そもそも詩音だって好きでスラム街で暮らしていたわけではないのだ。もっと普通に暮らせていたのなら普通に暮らしたかったのである。
「……ええ。そうです。まさか内容も聞かずに協力してくれるとは思っていませんでしたから」
「こっちは底辺で暮らしてるんだぜ。そんないい話を断るほど、俺は酔狂でも馬鹿でもねえよ。スラム街にある汚い飯屋で働くよりずっとマシだろ」
それに、使いみちのない能力を使って金と飯と住み家がもらえるというのならそれほど悪くない。
「ありがとうございます」
凍花は礼儀正しく一礼する。
「で、早速だが、どんな条件で、なにをすればいいんだ?」
「住み家については、わたしが買い取ったアジトに住み込んでもらうのが条件です。給料は言い値で支払いましょう。その他の費用についてはもちろん別途で支払います。どうですか?」
「どうですかって……そりゃまたずいぶんといい条件で」
悪くない、というかかなりいいだろう。よくもまあ、素性も知れない異能力者にそんな条件を出すもんだ、と詩音は感心するしかない。
「そうですか? 先ほども言いましたが危険が伴うので、それくらいは当然だと思うのですが」
言われてみれば確かにそうかもしれない。物心ついてから、ずっとスラム街で暮らしていた詩音には、その「当たり前」ですら非日常である。
きっと、詩音の日常が彼女にとっての非日常なのだ。
「では、ここを離れましょうか。いまこの場所には誰も立ち入らせてはいませんが、どこに耳があるとも知れませんので」
そう言って凍花は立ち上がり、詩音を促した。詩音もゆっくりと立ち上がる。ずっと安物の固い椅子に座っていたせいで尻が痛かった。
凍花は扉を開け、外に出る。詩音もそれに続く。コンクリートで建造された自警団本部はなんとも重々しい空気に包まれていた。
一体これからなにをするのだろう、と考えたものの、いまよりいい暮らしができそうだからいいか、と結論を出した詩音は思考を打ち切って、凍花の後に続いて歩いて行った。
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