異界を駆ける死神は普通に暮らしたい
あかさや
序章 死神と氷の花
第1話 氷の花との出会い
「これはどういうことなのかね……」
誰もいない自警団の取調室にて湊詩音は呟いた。当然、その声に反応する者は誰もいない。
一時間ほど前、詩音の住み家にやってきた自警団の人間に連行されてからずっとこの状態だ。一体なにがどうなっているのだろう。自警団に捕まるような覚えは、あるのだが。
とはいっても、詩音がやっていることはよくある盗みの類である。現在の東京では詩音のような姑息な窃盗魔に費やすほど時間などない、はずだ。その証拠に以前、盗みに入って自警団に捕まった時には調書を取られたあと何日か留置場に入れられた程度で終わっていた。
なのに、どうして今日になってこんなに時間がかかっているのだろう? ここ最近、脚がつくようなヘマをしでかした覚えはない。叩けば埃が出てくるのは事実ではある。だが、詩音のような生活に困窮している、盗みの常習犯などいまの東京には掃いて捨てるほどいるのだ。自警団の連中はよくやっているほうだと思うが、だからといって今日になっていきなり方針が変わるほど人員のリソースがあるわけではないだろう。
それに、詩音をしょっぴくつもりなら、このように一時間も放置したりはしないはずだ。いくら人員が不足しているといっても、見張りくらいは置くだろう。しかし、今日はその見張りすらいない。これはどういうことだ?
まったくわけがわからない。
ただ自分は、静かで平穏な暮らしがしたいだけだ。それなのに、詩音は物心ついた時からずっと自分が望む平穏な暮らしなどできた覚えがまるでなかった。この閉ざされた都市となった現代の東京で、『平穏な暮らし』を求めるのは少し高望みかもしれないが。
座ったままの詩音は椅子から立ち上がる。できるだけ音は立てないようにして取調室の中を歩き、扉に手をかけた。
「開かない……まあ当然か」
自警団の連中がなにを狙っているのかはわからないが、ここから逃がすつもりはないらしい。それなのに、詩音に手錠の一つも書けないのは何故なのだろう。やはり、自分が拘束されているのは数多ある窃盗が原因ではないのだろうか。
「…………」
このように拘束されている原因を考えてみたもののよくわからず、ここでできることもないので詩音は再び椅子に腰を下ろした。その椅子は、「犯罪者にかける金などない」と主張しているかのように固くて座りにくい。
やれやれ。自分はいつまでここにいればいいのだろうか? 盗みを働いて暮らしている詩音には定職があるわけではないので、ここにずっと拘束されていたとしても別に困りはしない。だが、このようにわけもわからずに放置されているのが我慢できるほど辛抱があるわけでもなかった。そんな辛抱があるのなら、詩音は盗みで日々の糧を得るなんて暮らしはしていなかっただろう。もっと要領よくできていた、はずだ。たぶん。よくわからないけれど。
詩音はあらためて取調室を見渡した。安物のライトが載った汚い机と、詩音が座っている椅子以外、窓すらもない部屋。ここからの脱出には使えそうなものはなにもない。
「ドアを蹴破って逃げるか……?」
そんな言葉が口から漏れ出た。だが、なんの理由があって、ここで拘束されているのか不明であっても、扉を蹴破って逃げ出したら捕まるのは確実だろう。面倒はごめんだ。できることなら、穏便に出たい。
早く終わってくれないか、と詩音が思ったその時――
一時間閉ざされたままだった扉が開き、誰かが中に入ってくる。
現れたのは、自分と同年代の娘だった。部屋に入ってきてすぐ、彼女が持つ吹雪のような怜悧な視線に詩音は射抜かれる。その少女の顔を見て、詩音はさらに疑問符が浮かんだ。
「どうも」
少女はそう言って一礼したのち、扉に鍵をかけて詩音の向かい側に座った。
「驚いたな」
「……なにがですか?」
怜悧な視線を詩音に向けたまま、少女は首を傾げる。放つ視線とは裏腹に、その動作は年相応で、どこかおかしみが感じられた。
「あんた、知ってるぞ。自警団のトップの娘だ。そんなお嬢様が俺の調書を取るなんてな。自警団も困窮してるのか?」
ま、困窮してるのは俺もだけど、と言い添える。
「で、何用? わざわざ家からここに連行してきてさ。どうすればさっさと解放してるわけ? 表沙汰になってない罪状は腐るほどあるが、たいしたもんはねえぞ。それとも俺のことをここで飼ってくれるのか? それはそれでありがたいけど」
「生憎ですが、自警団に人を飼う趣味はありません。誰かに飼われたいのであれば、どこかの金持ちの変態に営業をかけてはいかがでしょうか?」
彼女は涼しげな口調で詩音の減らず口に言い返してきた。どうやら、その程度の駆け引きはできるらしい。自分と同年代の娘ならどうにかできるかと思ったが、さすが自警団トップの娘である。簡単にはいかないらしい。
「それもそうだ。じゃ、さっさとここから出してくれない?」
「言われなくても出してあげますよ。その前に、いくつか質問に答えていただきます」
彼女は呆気なくそう言った。あまりにも呆気なく言われたので、詩音は少しだけ驚く。
「いいけど。なんだよ質問って。あんたみたいなのが望むものなんてなにも持ち合わせちゃいないぞ」
「わたしが望むものかどうかはあなたが決めることではありません。わたしが決めます。勝手に決めつけないでください」
一切表情を変えることなく、娘は言った。
「……はいはい」
詩音は固い椅子に背中を預けた。なにを質問するつもりなのかは知らないが、適当に答えてさっさとここからずらかるとしよう。
「それでは、まずあなたの名前について。あなたの名前は湊詩音ですね」
「はいはい。そうですよ」
「そして、この東京を支配する、異能力者たちトップの息子」
「はいはい。そうですよ……って、いまなんて言った?」
予想外の言葉を言われた詩音は、思わず聞き返す。
「言葉通りの意味です。あなたは、異能力者たちのトップ、神木幹也の息子」
「…………」
詩音は無言になった。無言になった詩音に対し、娘は相変わらず吹雪のような視線を傾けている。
「答えてください。別にわたしはあなたに危害を加えるつもりはありません」
「……そうだよ。それがどうした?」
「どうして異能力者であるあなたがこんなところで暮らしているのでしょう?」
「別にどうだっていいだろ。こっちにだって色々あるんだ。それともなんだ、あんたも反異能力者なわけ?」
「別にそういうわけではありません。ただ気になっただけです。異能力者であるのなら、盗みで糊口をしのぐなんて真似などする必要などないんじゃないですか」
「俺がなにして暮らしていようがいいだろ。異能力者が慎ましく盗みやって暮らすのは悪いっていうのか?」
へん! と吐き捨てるように言って、娘を睨みつける。だが、娘は詩音に睨みつけられてもまったく様子はかわらない。
「異能力者であろうとなかろうと、盗みは犯罪です」
「そりゃもっともなご意見で。さすがいい暮らしをしてるお嬢様は違えや」
詩音は茶化すように言ったが、娘はまったく表情を変化させない。
「というか、どこで俺が異能力者だって知ったんだ?」
詩音は娘に視線を向け、質問する。
「少し調べさせいただきました。手段については、伏せさせていただきますが」
「ふうん」
娘には、異能力者に対する恐怖は感じられなかった。気負いなく、詩音を前にして、質問をしてきている。
「そういえば名乗っていませんでした。わたしは涼風凍花といいます。どうかお見知りおきを」
凍花は育ちのよさを感じさせる一礼をした。
それを見て、詩音はやっぱりお嬢様だな、と思う。
「で、俺が異能力者ならなにかあるわけ? 悪いけど、実家とはかなり前から縁が切れてるし、俺のことを知ったからって出せるものはなにもないぞ」
「あなたになにか出してもらう必要はありません」
「じゃあなに?」
「異能力者であるあなたに協力をしてほしい。今日はそのお願いをしに来ました」
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