淀――②



「急な話……ってほどでもねえか」


 薄雲で星が霞む夜の下。

 ビルの屋上で疾凍はやてと通信をしていた迅護じんごは、気だるそうに両手を赤いスカジャンのポケットに突っ込んだまま、指令を受けていた。


「ああ……ああ、分かってる。じゃな」


 通信が終わり、イヤホン型の通信機のボタンを一度押すと、それきり疾凍の言葉は聞こえてこなかった。

 迅護は一度、大きく深呼吸をすると、月すらも隠れてしまっている空を眺めた。

 いや、眼を細く、鋭く、睨み付けた。


「あちらの目的は俺の始末か。それとも御依里みよりか」


 迅護はイヤホン型の通信機に指を掛けるとボタンを押す。数秒後、そこから聞こえてきた声は御依里のものだった。


〈迅護、どうしたの?〉

「俺はこれから習術海しゅうじゅつかいの指令で任務に向かうことになった」

〈ええっ? もうっ、またリーダーの私よりも先に……〉

「ンなことにイチイチこだわるな。ともかくだ、俺は今すぐ任務に行く。それでお前には、俺が――」


 と、何かを伝えようとして、迅護は言葉を一瞬詰まらせた。


〈……どうしたの?〉

「いや、なんでもない。後の動きの指示は後で親父からあるはずだ。お前も気を付けろ」


 通信機のボタンを押し、会話は終了。


「ま、親父もそう簡単にらせはしねえだろう」


 脈術で姿を夜に溶け込ませ、ビルの屋上を強く蹴って空へと飛び上がる。そして数秒と経たないうち、迅護の姿は町の光の届かない空高くへと消えていった。


「……気を付けろ、って言ったって。どういうことだろ」

「なあに、そんなに気にすることでもないよ。ここ数日は敵術者の侵入もないし、かといって気を抜かずに仕事に励めってことでしょ」


 山のオンボロな平屋建て住居の地下にある居住施設。そこのダイニングで御依里は衣月いつきと夕食の固焼きソバを食べながら迅護の通信の内容について思案していた。


「うん、そのくらいのことなら良いんだけど、ね……」

「ともかく、迅護が抜けた後の警邏けいらの仕事は僕がやるよ。君は今日の修行の疲れもあるだろ。しばらく休んでいると良い」

「もう、衣月君までっ。私がリーダーなのになぁ。……でも、ありがとう。任せるね」


 御依里の礼を聞いているのか、衣月は口元をティッシュで拭って立ち上がると、とくにこれといって準備をするでも無く、さっさと金属製の重厚な階段を登って外へと出てった。

 衣月を見送り、食事の後片付けをしていると再び通信があった。


「はい。御依里です」

〈すまないね音古鐘ねこがねくん、君に任せたい仕事が入ってきた〉

「私に……?」

〈明日の昼頃、詳細な時間は聞いていないが、乱術衆らんじゅつしゅうから一人の術者が向かうことになっているらしい。その人物についての詳細な情報は聞いてはいないが……なんでも君の知り合いらしい〉

「へ? 私のですか?」


 言われて、御依里は口元に人差し指を当てながらう~んとうなる。


「そう言われても、私は術界に入ってからずっとこの町にいますし、乱術衆にも知り合いなんてほとんどいないはずなんですけど……もしかして、結雨ゆうさんや陸人りくひと兄さんの知り合いなのかも」

〈ともかく、その人物については君に応対してもらうことにしようと思う。……それとだね、その人物が到着してでかまわないが、君に渡している地図端末も私に預けて欲しい〉

「えっ? それだと警戒が……」

「私と濡常ぬらつねくんが対応する。君は構わず、その人物に対応していて欲しい」

「は、はい。わかりました」


 疾凍との通信を終えた後も、御依里は首をかしげながら、自分の知り合いであるという人物について思いを巡らせていた。うーん、と唸って考え込んでいる間にも、流し台に置かれた食器の上に、ちょろちょろと水が流れ落ちていく。


「私の知り合いで、もしいるとすれば……。でも、そんな昔のこと覚えてるわけないか」


 流し台の上のスポンジを手に取り、洗剤を付けて食器を洗い始める。水で泡を洗い流してすぐ、食器を宙に浮かべて脈術を注ぎ、水滴を取り払いながら熱も加えて水気を取る。そして、これまで一度も使用したことの無い食洗機の網の上に重ね、洗い物を終えた。

 自室まで歩き、シャワーを浴びるために着替えをタンスの引き出しから取り出しながら、ふと思い浮かんだまだ幼い頃を思い出し、御依里は小さく笑った。


「うん。みんな、覚えてるわけ……ないよね」


 

 **********


 

 後日の早朝、迅護はとある習術海の拠点にいた。

 周囲を窓の無い壁で覆われているのは、その施設が地下にあるためであった。象霊能力や極盾道具の能力で空調が管理されており、天井には照明の他、エアコンのような機械も見られない。空調を管理する通気口があるくらいだ。

 迅護はその施設の一室で、二名の習術海の人物たちと対面していた。細身で背の高い壮年の男性と、横に体格の大きいボサボサ頭の女性。身に着けるのは白い着物にたっつけ袴。その下には黒いインナー。肩から脇に掛けられた軍服のサッシュによく似た形の布には、それぞれ違うきらびやかな紋様が描かれている。習術海の階位により紋様が違うらしい。

 迅護は机の上に置かれた資料を眺め、口を開く。


「『テンペストブルー』……か。聞いたことねえな」


 背の高い壮年の男性は、険しい表情で説明する。


「ンム、5年ほど前に盗術者とうじゅつしゃに墜ちた極盾きょくち術者じゅつしゃだ。年齢は二十代前半の女。実力は上位術者以上。術界の被害が目立って出ているわけでは無いが、その女の手により幾人もの実力者達が敗北している」


 迅護は渡された資料に目を通しながら、考え込むように顎に手を当てる。その視線の先に映る文字は、数多くの「不明」「不明」「不明」……の二文字。


極盾きょくち武器ぶきの名前は分かってんのに、能力の詳細が不明ってのはどういうことだよ。出身も不明、血縁も不明、元所属も不明、不明、不明……アホか」


 ボサボサ髪の女性は眼を伏せ、しかし胸を張りながら答える。


「理由もまた不明ですが、対象に関する情報の多くが削除されています」

「なんでそんなことが起こンだよ。情報管理部署はクソの集まりかよ」

「ンム、申し訳ない……と謝りたいところだが、戦闘員である我々の知るところでは無い」

「対象は現在、乱術衆の幼年教育施設として使われていた海中施設にいるという情報が入っています。今現在も動いた様子は見られません」

「そいつを俺に始末しろって言いたいわけだろ。ま、それは一向に構わねえが……俺一人で、ってのはどういう意図があっての話だ?」


 二人の白装束の術者は表情一つ変えず黙り込んでいる。しかし視線は鋭く、それ以上同じ質問をする意味はないと直感で分からせるすごみがあった。


「わぁったよ。言われた通りにやる」

「ンム、作戦の決行は二時間後。三十分後には目標地点に向かって移動を開始する。作戦には習術海から十二名の泰葉たいば泰枝たいぎの位の術者を同行させる」

「乱術衆でいう上位術者クラスか……俺の見張りか?」

「そう警戒しないでください。敵の、です」


 作戦の共有を終えて、迅護は案内の術者に誘導され、一つの部屋の中に通された。


「まあ、よくこんだけ揃える」


 その部屋には様々な武器が並び、銃火器までも部屋の一画に並んでいた。迅護はそれに目もくれず、刃渡り20センチほどのナイフを手に取り、眺めると……やはりそのまま置く。次に、螺旋状の彫りの無い、長さ3センチほどのビスのような金属片を手に取ると、隣に置いてある小さな革製のウエストバッグを掴み、その中にまとめて入れ、腰に装備した。

 その他にも使える物がないか吟味しながら、頭の中で作戦の動きを考えていた。


「ハァン、電気系の術に使える携帯バッテリーもあるのか」


 その長方形の物体を握ると、ふと数日前の猫に心臓マッサージで脈術の電気ショックを行ったことを思い出し、燈水ひすいと御依里の悲しげな顔も浮かんできた。

 ……いや、燈水の顔はかすんでいるのに……妙にはっきりと、御依里の悲しそうな顔だけが思い浮かべられる。


「……バカか俺は。似ても似つかねえのによ」


 迅護は携帯バッテーを慎重に観察すると、丁寧に扱いながらウエストバッグの中に収納する。

 準備を整え、出口へ向かう。扉を数回ノックすると外から扉が開いた。外に構えていた白装束の術者が顔を出し、迅護に後ろを付いてくるように声を掛ける。歩き出した白装束の術者の背中を追いながら、迅護は頭に浮かんでいた御依里の顔をかき消そうと意識を集中させた。

 パチン、と頭の中のスイッチが入った気がした。

 御依里の顔は、次第に薄れて……消えた。


「――はっははは、来たか。そうか、来たか。黒鉤くろかぎよ」


 その地下施設の一室。真っ暗な空間に無数のモニターが並び、施設内部の監視カメラからの映像がいくつも映し出されている部屋があった。

 そこで情報を監視している数名の職員とは別に、一人の老人の姿があった。

 身につけているのは習術海の白装束。肩に掛ける布には、一段とはなやかできらびやかな紋様が描かれている。頭部は年相応に禿げており、老眼鏡を掛けているが、体格は筋肉質で、姿勢はピンとまっすぐに保たれている。

 奇妙なことに、老人は笑いながら両目に涙を浮かべ、モニターに映る迅護を見ながら何かを呟いていた。

 その手には、一枚の写真がある。その写真には、まだ幼い双子の少年が、老人に抱きしめられている姿が写っていた。


「いやいや、そうかそうか。ついに来たか。……なあ左内さない右内うない、お前達の未来を奪ったバカがようやく来た。あれから、苦しく、屈辱で、怒りに震える日々を過ごしたろう……どうしてお前達があのような目に遭わなければいけなかったんだ……実に最悪だ……理不尽だったなあ……」


 老人は震える手で口元を覆い、嗚咽を……いや、小さな笑い声を漏らし始めた。モニターを見つめる職員達はその老人の異質な空気に内心戸惑いながらも、じっとモニターを見つめて静かに職務を遂行し続けた。


「はは、は……今日が奴の終わりだ……お前達のように、両手を切り落とし、後悔すら間に合わない深い深い絶望に絡め取ったうえで……終わらしてやるから……ちゃんと見ててくれ……」


 老人は、大粒の涙をこぼしながら、不適な笑い声を漏らす。

 その気味悪さに、モニターを見つめていた職員達は冷や汗を落としながらも、ただ静かに黙っていた。

 

 

**********



「待ち合わせの時間にはちょっと早すぎたなあ。……うぅ、緊張するっ」


 時刻は太陽も真上の昼過ぎ。

 まだ姿を現していない乱術衆の客人というのを待ちながら、御依里は町の小さなカフェでグラスに入ったアイスコーヒーを飲んでいた。なお、周りには他の客は一人もいない。年老いたマスターらしき老人が一人、椅子に座って新聞を読んでいる。


「う~ん……う~……」


 これから会う人がどんな人物なのかと考えたり、どんな挨拶からすればいいのかなど頭の中でシュミレートするたび、緊張で喉が渇く。服装も普段通りと指定されたため、白い半袖のブラウスに薄茶色のショートパンツというだいぶラフな恰好をしている。

 カフェに来る前に疾凍の指示でジーニアスのカウンターに地図端末を置いてきた事もあり、術者が町の結界の内部に入って来てもわからない。そのため気持ちの整理にあとどれだけ時間を使えるかも予測できないため、何度も大きく深呼吸をしながら頭の中の悪いイメージを追い出していた。

 学校の友人らなどを除き、他人との接触がほとんどない環境で育ってきた御依里は、初対面の人間に対し少しばかりコミュニケーションに難があった。


《カラン カランカラン……》


 その時、カフェの扉を開くベルの音が鳴り、御依里はそちらへと顔を向ける。

 そこに立っていたのは――


(あっ……誰だろ)


 オープンショルダーの水色のミニスカワンピースに身を包む、明るい雰囲気の短めのツインテール髪の少女がいた。年の頃は御依里と変わらないように思える。


(もしかしてあの子かな? でも、やっぱり知らない人――)


 と、その少女と目を合わせた瞬間、


「あ~~~~っ!!」


 ツインテールの少女は声を上げて御依里を指さすなり、早足でピンクのパンプスを鳴らしながら駆け寄る。そして御依里の両手を掴み、ぐっと引き寄せる。


「久しぶりね御依里さん! 会いたかったわ! とても会いたかった! ずっとずっと!」

「え……あ、はは……えっと、久しぶり。うん、私も……」

(誰だろ)


 少女は御依里から両手を離すと、感情をたっぷり動作に現すように、両手を踊らせながら自分の思いを語る


「そう、私たちが離ればなれになってからもう十年にもなるのね……あなたがいなくなってからというもの、私のライバルとも思える術者は結局現れることがなかったわ! 寂しく、むなしい日々が続いて……あなたの顔を思い出す度、どうすればまたあなたに会うことが出来るかを考えて……今日! ようやく! あなたの顔を見ることが出来て! とてもうれしく思うわ!」

「えへへ……そ、そう? それなら、よかった……」

(誰だろ)


 このまま流されていては名前を聞くタイミングを完全に失ってしまう。そう思いながらもツインテールの少女の強烈な勢いに流され、尋ねるタイミングが見つからない。


(ここは……うん、私の知り合いみたいだし、ちゃんと聞かないと!)

「あ、あの!」

「はい! なにかしら御依里さん」

「その、悪いけれども、名前を……うん、名前を聞いてもいいかな? ごめんなさい、思い出せな……くて?」

「…………ぴ?」


 瞬間、少女は、真顔のまま固まり、周囲は一気に静寂に包まれた。

 そして次の瞬間、


「ええええええええええええええええええええええ~~~~っ!?」


 少女は大声を上げ、ビョンと大きく飛び跳ねながら後ろに下がる。そして白目を向いたかと思うと、カタカタと身体を震わせはじめた。


「そ、そんな……わたしはこの十年間、あなたに……御依里さんに会うことをこんなにも心待ちにしていたというのに……あなたは、私のことを……」

「ごめんなさい! でも、でも、ほんっとうに思い出せなくて……!」


 震える少女の前に立ち、頭を下げる御依里。

 しかし、少女の口から聞こえてきた言葉は、少し予想外なものだった。


「――さ、すが」

「……え?」


 白目を向いていた少女の目に、強い黒目の光が灯る。


「さすがっ! 私のライバルだった女性! 同じ施設で成長を競い合ったわたしのことなど微塵みじんも相手にしない胆力! ほれぼれするわ!」


 少女は再び活力を取り戻し、ビシビシッとポーズを決めながら御依里に指を差し向ける。

 カフェのマスターである老人は、耳が少し遠いのか特に気にする様子も無く、静かにカップを磨いている。


「同じ施設で……?」


 言われて、御依里は過去を振り返る。

 記憶にあるのは、幼い頃に数ヶ月だけいた乱術衆の海中施設。そこで一つ二つほどしか歳の変わらない子供達が集まり、一緒に訓練や勉強を受けていたことを思い出す。

 その数名はなんとか思い出せたが……どうしても目の前の少女と結びつかない。


「あの、やっぱり名前――」

路畑ろばた木実このみ!」


 少女は叫ぶように名乗る。


「えっ?」

「路畑木実よ! これでも覚えてないの、御依里さん?」

(ろばた、このみ……ろば、たこ、のみ……)


 頭の中で名前を反芻する御依里。

 そして次の瞬間、


「――あっ!?」


 過去の記憶と、目の前の少女が結びついた。


「もしかして、タコちゃん?」

「ほらーーーーー! 思い出してくれたぁーーーー! さすが私のライバルね!」


 御依里の両手を掴んでブンブンと上下に振る笑顔の少女。


「わ、わ、わ、わ、わ……ほんとうにタコちゃんなんだ」

「そのあだ名も呼ばれるのも久しぶりよ!」


 間違いない。木実は御依里がまだ七歳ほどの幼い頃、短い期間ではあったが乱術衆の海中施設で教育を受けていたときに出会った、数少ない知り合いの一人であった。

 木実は小さなころから非常に積極的で快活な性格であり、分からないことや気になることはなんでもストレートに教員に聞いてはすぐに覚えて、足りない知識を貪欲に覚えていくような、周りからみても性格も学力も優等生な女の子だった。


(やっと思い出せた。けれど……)


 一方の、まだ術界の雰囲気にも馴染めておらず、どちらかというと引っ込み思案で、実力も不安定だった幼少期の御依里。ただ木実のような同世代一人ひとりが眩しく見えていた事を思い出す。

 なので、木実にライバル視されるほどの理由を思い出せず、手を握られたまま困惑の表情を浮かべていた。


「私、ちょっと前に上位術者に位が上がったばかりなの! その話をあなたにしたくて、ここまでやってきたのよ!」

「えっ、すごい! 私はまだ中位術者なのに」


 単純に関心する御依里だが、鼻をフンフンと鳴らす少女はそれ以上の何かを求めているように見えたが……その気持ちが読めない。


「私、もう上位術者なの!」

「え、あうん、もう聞いたけど……」

「上位術者なの!」

「うん、うん、だからちゃんと聞こえて――」


 御依里は目をつぶり、う~んと唸りながら考える。

 一秒、

 四秒、

 七秒、


「さ……さすが私のライバルのタコちゃんだ、ね」

「そうなのよーーーーーっ!」


 再び掴んだ両手をブンブンと振る木実。御依里は内心「確かにタコちゃん、こんなキャラクターだったなあ……」と思いながらも、うれしそうにはしゃぐ木実が収まるまでじっと待っていた。

 数秒後、ようやく両手を解放された御依里は席に付き、アイスコーヒーで喉を潤した。知らない人と会うより、ずっとエネルギーを食われたような気分だ。

 木実も前の席に座り、ニコニコと微笑みながら口を開く。その様子はご褒美をもらった子供のような無邪気さと幼さを感じさせるところがある。


「話は少し聞いてたけど、ここもなかなかの田舎ね」

「タコちゃんは……あっごめんなさい、つい昔のあだ名で呼んじゃって」

「ううん! 御依里さんにならそう呼ばれたほうがうれしいわ!」

「それじゃあ、私のことも、さん付けじゃなくていいよ。別に呼び捨てでも――」

「いいえ! 私が御依里さんと呼びたいの! このままで良いわ!」

「あ、うん、なら、それでいいよ……はは」


 また木実の気迫に押し切られてしまった。ひとまず、彼女の激しいエネルギーに逆らうことは無理そうだと悟る。


「そうそう、タコちゃんは今、どこの拠点にいるの?」

「ん? 今は関西の外れにいるけど、ほんの少し前までは都心の方にいたわ」

「そうなんだ。なんだかんだ、私って都会らしい都会に行ったことが無いからよくわからないんだよね。もし行ってもすぐに迷子になりそう。フフ」

「ああっ、できることなら私が案内してあげたいっ! 御依里さんと一緒にいろんなとこに遊びに行くの。それってとても素敵じゃない?」

「うん、すっごく憧れるなあ」


 まだ目にしたこともない都会の風景を思い描きながら、御依里はアイスコーヒーをストローでゆっくりとかき回す。

 すると、木実はキラキラとした目で急に立ち上がる。


「それじゃあ、行きましょう!」

「え? なに? どこへ?」

「御依里さんがどんな町で過ごしたか、見てみたいの!」

「ええ……」


 言われて、正直に困る。

 案内しようにも、この町の中に見て面白いところなど……そう、一つも思いつかない。


「期待されても……本当に何もない町だよ?」

「かまわないわ! あなたが私と離れて後、どう過ごしたかを私は知りたいの! 素敵なところじゃ無くてもいいわ!」

「……うん。それじゃあ、わかった」


 この町を案内するなんて、少し恥ずかしい思いがあった。

 けれど、ただ素直に自分の過ごした町を見せて欲しいという木実の思い。それが少しだけうれしくて、御依里はわずかでも共有しようと思えた。

 残ったアイスコーヒーを飲み干し、年老いたマスターに料金を支払うと、二人はカフェを出て歩き出した。外は雲がほとんどないほどの快晴で、陽射しがとても眩しい。


「じゃあ、適当に回るね。どこがいいかなあ」

「ええ! どこでもかまわないわ!」


 二人は顔を合わせると、笑い合った。

 少しだけ過去の一緒に遊んだ記憶が思い出され、御依里は胸の奥がワクワクと、楽しくなるのを感じた。


「少し、思い出話をしましょうよ!」


 御依里の過去を振り返る散歩に向かう最中も、木実が話すのは幼い御依里がどれだけすごかったかということだった。

 まだみんなが小さな物しか動かせないようなレベルでも、重量10キロ以上もあるブロックを浮かべたり、水を器用に操り動物を形作って動かしたり……それでもしばらく周りに置いて行かれてくすぶっていたかと思うと、ある日から急に火も水も自在に操れるようになり、みんなを驚かせたこと。


「そのとき、あなたは私の最高のライバルになると確信したのよ!」

「買いかぶりも激しいなあ」


 押しつけがましい性格だが、自分と同じくらいの歳の術者と接したことも少ない中、こうして好意を向けて話しかけてくれる人がいることは、素直にうれしかった。

 

 ――その同時刻


 敵が潜伏していると言われる乱術衆の訓練施設に到着した迅護。すぐに中へ入ること無く、整備もされず、すっかり寂れて老朽化した海上の運動場をゆっくりと見回っていた。

 腐って座面の折れた木製のベンチを見ながら、迅護は両手に装備した鉤爪のある黒いグローブの極盾武器『エクスペディション』を、何度も握ったり開いたりを繰り返していた。


「そうそう。あそこでいろんな体術の訓練もしたけど、御依里さん、あなた運動はあまり得意ではなかったわね」

「は、恥ずかしいからあんまり思い出させないで」

(ずっと家に閉じ込められていたから……なんて言えなかったしなあ)


 迅護は地上に出ている建物の大きな金属の扉を開き、中へと侵入する。

 ホコリが巻き上がる床を見ると、明らかに古い足跡の他に、真新しい靴の跡を見付けた。


「そうそう、みんなで追いかけっこするときは、絶対外に出ちゃダメってルールだったのに、わたし負けず嫌いだからこっそり時間ギリギリまで入り口の扉の裏に隠れたりしてたわね。たはぁ~、今思うとすっごく恥ずかしいっ!」

「でもでも、タコちゃんはそんなことしなくても運動神経良かったし、男子でもかけっこで追いつける子は少なかったじゃない?」

「ああ恥ずかしいっ! だって、だって、小さな頃ってその辺の融通が利かない思考回路してるじゃない? 負けるのが絶対に嫌だったから~っ!」

「ほんっとに負けず嫌いだったんだね。私はそんなに強い気持ち無かったなあ」

「でも、みんなが操身術ソウシンジュツを覚えはじめてすぐの頃から、御依里さんはとても飲み込みが早くてみんなですっご~いって関心してたわ。操身術での駆けっこは全然追いつけなくて、すっごく悔しい思いをしたのを覚えてるわ」

「そうだったっけ。私はぜんぜん覚えてないけど、なんだか恥ずかしい……」


 迅護は警戒しながら長い階段を降りていく。

 廊下が見えると、壁に背を隠したまま覗き込む。いくつかの大きな部屋が並ぶ通路に出たようだ。

 敵がいないことと、足下や天井に罠が仕掛けられていないことを確認すると、部屋の引き戸の前に歩み出て、扉をを動かす。

 部屋の中には、いくつかの机や椅子が並んでいるのが見える。まるで小学校の教室のように背の低い椅子や机がいくつか並んだり床に転がっており、壁には大きなホワイトボードが掛かっている。ここでは、幼い子供達に座学が行われていたことを思わせる。


「タコちゃんはすごく勉強熱心って言えば良いのか、ほんとになんでも先生に聞いてはノートにしがみついて書き込んでるって印象があったなあ」

「ンフフフフ、ホホ、あーやだ恥ずかし。でもあれって、ファッション優等生っていえばいいのかしら。ノートも汚くて後で読めたものじゃなかったし、私はみんなより頑張ってるのよ~っ、ってアピールしているだけだったのよね」

「そんなことないよ。みんなの質問にも答えられるものはちゃんと答えて、分からないときははっきりわかんないって言い切ってて、ちょっとお茶目だけどなんか恰好良かったなあ」

「あ~、う~……なんだか顔が熱いわっ!」


 迅護は教室らしき部屋を出ると、廊下にわざとらしく残された足跡に従って進んでいく。

 さらに、長い階段で階層を下ると、ほぼ最下層と思わしきところに出る。廊下だけでも遠く見上げるほど高くなり、大勢が一気に移動しても支障が無いように廊下も広く、横幅は30メートル前後はあるだろうか。外壁側には縦2メートル、横10メートルほどの窓があり、水深450メートル近い海の中の様子を水族館のように眺めることができる。術界特製の特殊な透明なガラスか樹脂で作られているとは思うが、海はすぐそばにあるように見えても、その厚さは7~80センチは下らないだろう。

 よく見ると、壁にホコリを被った小さな箱が取り付けられているのが見えた。ホコリを手でこすって落とすと、黄色と黒の警戒色に包まれた小さな箱のような物が現れた。ガラスのような板で仕切られているが、中には赤いボタンがある。どうやら、緊急時の防災扉を閉じるための仕掛けのようだ。頭上を見上げると、色違いの幅1メートル近い厚さの壁が、少しだけ天井から出ている。

 廊下のその先に視線を向ける。すると、新しい足跡があるのを確認し、迅護は警戒を強める。手に装着している黒い極盾武器のグローブを握り込み、ギリギリと音を立て、ギチリと爪を立てる。


「そういえば、タコちゃんは覚えてる? 地下訓練場ってあったでしょ。あそこ、いつも上の位の術者達が使ってたから、あんまり印象に無いんだよね。年末年始にはあそこでお祝い事したりするって聞いてたけど、その前に私、いなくなっちゃったから」

「でも御依里さんは――」

「ねえ、やっぱり、さん付けじゃなくても……」

「いいえ、本当に気にしないで! 私が御依里さんと呼びたいのよ!」

「そ、そう……」

「御依里さんはすぐいなくなっちゃったから、そんな感じかもしれないわね! 私はあの訓練場で上位の術者から術の手ほどきをうけたりした経験があるから、上の運動場より、あそこでキツい思いをたくさんしたな~、って感じ!」

「見たかったなあ。みんな、どんな訓練を受けたんだろ」

「ンフフ。これから話してあげるっ。きっと思い出す子もいると思うわ!」


 迅護は、地下の訓練場の真ん中で、地面にあぐらをかいて座っている一つの影を見つけた。


「……フン」


 隙だらけに見えるが、すぐに攻撃はしなかった。そのまま歩いて座っている人物に近づき、声が届く距離で歩みを止めた。

 少し周囲を見渡して確認する。最も深く、最も広い空間になっており、訓練場全体だけで縦横7、800メートル以上の広さはあるように思える。今は水が流れていないが、川や湖を想定したような窪んだ場所や、木々が生えている林のような区画も見られる。他にも岩場や、ボロボロの建物が並んでいる区画も存在する。様々な環境に合わせた訓練が出来るようになっていたらしいことがわかる。天井の高さも200メートルは軽く越えているだろう。

 迅護は黒い手を強く握りしめ、集中を高める。そして地面に座る人物……タバコをくわえ、迅護の姿を見つめている女に声を掛けた。


「オイ、なんつー名前だったか、その極盾武器……」


 言って、女の横に転がる白銀の巨大な筒……というか、大砲のような武器を指さした。

 女は全身に薄いプロテクターが施された青いスーツを身につけている、が……そのファスナーをヘソの下まで下ろし、両手の袖を腰の辺りで結んでいる。スーツの下の上半身は黒いタンクトップのインナーを身につけている。黒いショートボブの髪は内側が薄ピンクのインナーカラーで染められており、右の髪はこめかみまで短く刈り上げられている。そして右の耳に光る、三連のリングピアス。

 女は巨大な大砲の極盾武器に手を伸ばすと、火の付いた煙草をプッと吹き捨て、気だるそうに立ち上がった。


「ざっくり聞いてはいるヨ。アンタ、なんとなく自分の立場わかってるでショ」


 言葉に妙ながある。というより、日本語に慣れていない要素が感じられる。見た目はアジア系ではあるが。

 女は大砲に付いた土埃を払うように撫でる。その大砲の砲口内部を見ることが出来たが……単純な空洞では無く、筒の大きさに合わせた三層ほど重なる12枚羽のファンがゆらゆらと動いている。


「察しは良い方なんでな。なにせ、直近にあった習術海がらみのちょっとした騒動。そのあとに来る習術海からの依頼。それも正体不明の術者と支援もなくやり合え、ときた。脳みそボンクラなヤツでもなけりゃ、色々と察するだろ」


 迅護は赤いスカジャンのファスナーに指をかけ、勢いよく引き下ろす。そして全身に力をこめ、鍛え上げられた凹凸の激しい筋肉を隆起させる。


「ぐ、る、ルゥルルルルルルォオオオオオオオぁああああああ――ッ!」


 叫び、力を巡らせ、両手の爪を立てる。

 女は持ち上げた大砲を手で擦り、大声を上げる迅護に鋭い視線を送る。


「一方的にヤル気だすのはいいけどサ、アンタ私を当てられた意味、分かってないじゃン?」

「速攻で……食、い、ちぎっ、て、ヤる…ゥ…ッ!」


 迅護の背後に複数の光球が生まれる。


「まあ聞けヨ」


 女の言葉を無視。

 そして光球を爆発。

 強烈な加速力が迅護の体に与えられる。


「うルぅおぉおおおおルルぁあああああああああァァ!」

「ようするにサ、悪いんだヨ」


 女は手にする大砲をグォンと手元で一回転させると、砲口を迅護へと向けて固定、引き金に指を掛けた。


「アンタと私の相性はネ」


《ガァンッ》


 引き金を引くと同時、重たい金属がぶつかり合うような音が鳴り響く。

 

 ――瞬間、大砲から放射状に放たれる、真っ白な暴風。


 迫る迅護が瞬間に見た、一瞬で白に凍り付いていく空気と地面。


「それがどうしたァ!」


 迅護は片手を前に突き出し、バリアを展開。直径1メートルほどの輝くバリアが正面に現れ、暴風の威力と超低温を吸収する。

 次いで、その逆の手の爪を立て、空気の刃の脈術を放つ準備を整える。


「もう聞いてんのヨ。あんたの弱いトコ」


 大砲から放たれる暴風が急に途切れる。そしてそのまま構えを変えず、女は再度引き金に指を掛ける。


「死ぬまでの間、覚えておきナ。私の極盾武器『テンペストブルー』って言うノ」


《ガァンッ》


 再び、重たい金属が叩き合うような音が鳴り響いた――

 迅護は、その砲口にまばゆい輝きを見る。


(あれは……まさか)

 

《 ズドォオオオオオンッ 》


 直後、地面を揺らすほど響き渡る爆音。

 すさまじい力で放たれる、蒼い、超高温の炎の竜巻。


(クソ、そういうことかッ!)


 放射状に広がりながら迫る、業火の塊。

 迅護は攻撃術を放つのを中止。直進を止め、その場で向かってくる轟音を両手のバリアで受け止める。バリアの範囲に収まらない炎が、周囲の空気や地面を一瞬で焼却。

 迅護はそのまま炎を受け続けること無く、バリアを展開させたまま射線から抜け出し、外の空間へ着地。地面に付ける足を擦りながら、横に数回転旋回しながら移動し、ゆっくりと回転を止める。

 そして瞬時に、宙に無数の土で作った球と矢じりを浮かべ、女の動きに警戒する。


「チィッ……」


 迅護は舌打ちし、炎を吸収した方の黒い手を見ながら、数回、握ったり開いたりを繰り返す。


(クソ。吸収した冷気が『エクスペディション』の中で完全に相殺されちまった)

「フーン。アンタの顔を見ればサ、なんとなく察しは付くヨ。情報通りだネ」


 地面に残された、凍り付いた白い跡と、焼け付いた黒の軌跡。


「わかってると思うけド、私を極盾武器だけの無能な術者と侮ると、即、死ぬかラ」

震詩シンシ展衝波テンショウハ


 女性の全身から放たれる強力な衝撃波。

 地面が亀裂を奔り、無数の破片が宙に浮かび上がる。


土鋲ドビョウ花爪カソウ

空牙クウガ旋弓波センキュウハ


 それらが集まり、鋭い矢じりとなって宙に固定される。さらにその背後に六本の旋風が生み出され、空気の矢となって迅護に狙いを定める。


「私のあざなは、アンタんトコのほうの呼び方で、『蒼蓮そうれん』」


 大砲を迅護に向けて構え、引き金を引く。


《ガァンッ》


 瞬間、青の輝きが灯る。

 それは凍気か、豪炎か――。


「死ぬまでの間、覚えておきナ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る