駆――⑧

 直上から陽射しが降り注ぐ、正午を前にした時刻のこと。

 半袖のパーカーにデニムパンツ姿の御依里みよりは、両手に買い物袋を下げてブツブツと独り言を漏らしながら古書店ジーニアスへと進んでいた。


「エビにイカ……豚肉は冷凍庫にいっぱいあったから……タケノコも買ったし野菜はそろってるかな? まったくもう、迅護じんごってば食べるだけ食べたら、食料の補充も全然しないんだから。なぁ~にが『冷食がまだ山のように残ってる』よ。それであのゴリッゴリの体に栄養足りるわけないじゃん。いっつも大きなソーセージばっかり持ち歩いてるし……」


 独り言の内容は迅護から買い出しを頼まれた事と、迅護が普段の食生活でちゃんとしたものを食べているのかなど心配するような、成人した子を心配する母親のごとき内容だった。

 その途中、


「あ」


 うっかり……と言うほどのことでも無いが、学校の友人である英美理えみり笹子ささこの姿を見付けた。

 向こうがこちらに気づくのもほぼ同時。自転車を押しながら近づいてくる。


「おやおやおやぁん? マイワイフのネコちゃんじゃないですかぁ」


 陽気で背の高い英美理から親しげな声色が届く。淡い青のオフショルダーのトップスと、ダメージジーンズを身につけている。


 なお、あえて言うならば、彼女は御依里に尋常では無い好意を抱いている。


「やあネコ。親戚のとこへ行ってるんじゃ無かったのかい?」


 背が低く地味な印象の笹子は軽く手を振る。

 どこか事務的な印象を受けるが、それが彼女の性分であり、決して御依里を嫌っているわけでは無い。服装は質素な白のワンピース姿に頭のサイドに小さなリボン。

 この二人だけでなく、親しい友人やクラスメートらには、夏休みの間は町の外に出ていると伝えている。普段から町にいても、任務のために連絡を取ることが難しいからだ。


「ちょっぴり久しぶりだね。今日はちょっとだけ用事で戻ってきてるんだ。またすぐ行かなきゃならないんだけど」


 御依里は買い物袋を持った手を左右に振る。当然、英美理の目にその買い物袋が留まり、いぶかしむような表情で袋の中を覗き込む。


「むむむむ、それはなんじゃ?」

「あ、これ? 今からお昼を作りに行こうと思って」

「ふむ、そうか。私たちはこれからファミレスでお昼を食べようと思ってたところだ。一緒に……というわけにはいかなそうだな」

「むむっむむ、ぐるる……」


 何かを察したように英美理はうなり声をあげる。


「おぬし、もしや……自分のお昼を作るだけ、というわけでは……」

「あ、うん、そうなんだ。今から迅護のところに行ってお昼を作ってあげようと思って材料を買って来たところなの。わかる? 迅護っていっつもあの赤い上着を着てる――」

「ハイハイわかったわかったわかりましたストォオオオオップ! ちくしょぉおおおおおお!」


 それ以上聞きたくないというばかりに、英美理は頭を抱えるかのように両手で耳を塞いで首をぶんぶんと横に振りながら大声を上げる。


「ほんとさぁ! そういうのヨクナイと思いますよ私ゃ! ネコはさ、あんなさ、なんかさ、夏場なのにド派手なスカジャン着込んでるようなファッションのセンスも死んでるあからさまな不良男子だよ! それをえっと、なんだ……そう! 私はあんな男に尽くしてもネコの為にならないと思うんですよォ! えと、その、なんつーか、男を甘やかしちゃ、メッ!」


 笹子は隣でそれを見ながら静かに口角を上げ、楽しんでいる。御依里は「フフフ、変なの」と笑いながらも英美理の繊細な気持ちには全く気づかない。


「あ、そういえばトモは?」


 トモ、とは同じく御依里と付き合いのある智美ともみという名の少女のことだ。ツンとした性格と、華やかでスレンダーな容姿が思い浮かばれる。


「ヤツならずっと勉強漬けだ。予備校の模試も近いからと余裕が無い様子だったぞ」

「ハァ、ハァ……まあ、私たちもべつにヨユーってわけじゃないんだけどねえ。それでも、夏休み始まったばっかりだし? もうちょいゆっくりしたいなーってカンジかな。……あそうだ。今度、トモが時間取れる日に三人で外の海に行こうかって話してたんだけど、ネコはどうですかい?」


 友人からの嬉しい誘いに顔をほころばせるが、少し考えたあと、表情をわずかに曇らせてう~ん、とうなり声を上げる。


「いつ時間が取れるか全然わからないし……もし時間が取れても、この町から離れた場所まで出るのは難しいかなーって思う。ごめんね」

「いやいやいや、いーのよいーのよ。えっとなんだ? 困らせてごめんな!」


 英美理と笹子とは本当に仲が良いのだが、高校三年間で遠出をするような遊びに一緒に出かけた記憶はまったく無い。御依里自身、高校を卒業して大学に行くつもりは全く無い。

 せっかくの夏休みだが、普段の任務を忘れるほど友人と楽しく遊ぶ時間を取ることはやはり難しいだろう。


「じゃあ、私もう行くから。うん、もし時間が取れたら、ちゃんと連絡するね」

「え、あ、ふぅん……もう行ってしまうんですか。ちょっとだけファミレスで話すとか」

「エミ、諦めろ。ネコは優しいが自分の行動に関してはまったくブレない」


 再度、買い物袋を持った手で手を振り、二人と別れようと――

 その瞬間、


「わわっ、たあっ!?」

「うおっとと。悪いね」


 後ろを向いたまま急に大きく一歩下がったため、通行人の男性と軽くぶつかった。

 御依里は大きくよろめいたが持ち前のバランス感覚で耐える。一方の男性は背も高く見事な体格と言うこともあり、少しブレただけでほとんど動いていない。

 男性の顔を見上げると……男性?という表現も的確ではないだろうか。どこかあどけなさを感じさせる童顔であり、がっしりと鍛え上げられた体格でなければ御依里と同年代と言われてよい風貌をしている。

 なにより特徴的なのは――火を灯す木炭の中心のような、ほのかに輝くような錯覚を思わせる赤い髪の毛。不思議なことに、眼の色も青、というよりは鮮やかなエメラルドグリーンをしている。顔の作りは日本人的だが、肌も白く北欧人的な印象を持たせる。

 それはどこか、人工的な造形の印象を持たせる。


「ご、ごめんなさい」

「いや、俺が悪かったよ。少し遠くを見ていたからね」


 互いに頭を下げる。後ろで英美理が飼い主を守る犬のように「ぐるるる……」とうなっていたが、互いに謝罪をすることで特に衝突することも無く、赤い髪の男は再度頭を下げて去って行った。


「ったくなんじゃあの男は! 気安く御依里の体に触れて良いのはワシだけじゃボケぇ!」

「気にしないでよエミ。買い物も無事だし、ケガもしてないし」

「エミ、そんなに欲望と発言がまっすぐだと、いつまでもたっても報われないぞ」


 笹子の忠告を聞くこともなく、英美理はぶつかった御依里の肩をなで回すように擦る。


「あはは、くすぐったい。エミ、本当にだいじょうぶだから心配しないで。……じゃあ、私もう行くね」

「ああ。しかしエミが言うことにも一理ある。もしもの話だが、変な男にのめり込むのは良くないぞ、ネコ」

「うん……? よくわからないけど気をつけるね。フフフ」


 笑顔で離れていく御依里に手を振りながら、英美理は笹子の頭頂部を見下ろしてぼやく。


「アンタさぁ、この前また彼氏変わったばっかりなのに、人にはよう言うねぇ。高校入って十六人目だっけ?」

「私はいい。クズやアホを見分けるだけの男を見る目はある。それに高校生の内にたくさんの恋愛経験を積んでおきたいだけだ。失敗は少ない」

「そんなアンタの大人びた考えで、一方的にフラれて未練タラタラの男を量産しているのは罪深い気がするのだゾ」

「それで私に被害が及んだことは今のとこ無い」

「あっ、そすか……」


 御依里の背中が小さくなるほど離れて、英美理はやはり御依里が迅護のとこへ行ってしまうことが耐えられなくなり、陸にあげられた海老のように体を曲げたりのけぞらせながら

 「ああああああああやっぱり嫌じゃぁああああああああああぁぁ!!」

 ……と大声を上げていた。

 その英美理を置き去りに、笹子は自転車を押しながらファミレスの方へと歩き出した。


 …………

 ……

「二人とも、昼食を前にすまないね」


 御依里が昼ご飯の支度をしている途中、急遽疾凍はやてに呼び出された迅護と御依里の両名は、薄暗い古書店ジーニアス店内の中、カウンターに置かれた店長人形……では無く、疾凍本人の前に立って言葉を待っていた。

 店のすぐ奥のキッチンで調理をしていたため、材料や調味料を炒めた香りが漂ってくる。

 一瞬、二人の体を疾風が吹き抜ける。それは疾凍が再び自身の極盾武器きょくちぶきである『霊針剣れいしんけん』を二人に使った為であった。御依里はまだ刃物でことに慣れておらず、体を緊張させて深く眼をつぶる。

 朱と白の両刃の短剣が、疾凍の両手に握りしめられている。それは光の粒となり、消滅する。


「それでは始めよう」


 疾凍の口調は、普段から分かりやすくはつらつとしているワケでは無いが、今日はすぐに感じ取れるほどに気分が落ちこんでいるようだ。ただ、線のように細められた目はとくに変化を感じさせない。


衣月いつきのクソババ呼んでねえってのはなんだ? また象霊しょうれい絡みか?」

「いや、今回の件は単純にこの町を守っている我々に影響する話だからだ。こっそりと町の秘密を嗅ぎ回っている濡常ぬらつね君に悟らせるわけにはいかない」

「えっ、衣月君そんなことしているんですか!?」


 迅護は「気づいてなかったのかよ」と呆れるような表情を見せるが、あえて口には出さないでいる。すると、御依里も自分の間抜けを察したらしく、「えぇ~……」と小さく漏らした。

 疾凍の説明が始まる。――それはこの町に働いている二種類の結界の話だった。

 一つは、術者が結界に接触した時に働くおなじみの警報。

 そしてもう一つは、この町を脅威から遠ざけるために疾凍の能力を強化して広域に働きかけているものだという。


「どうも、ヤバそうな空気だな」


 迅護は察する。今まで自分たちにまともな説明の一つも無かった後者の結界の話をすると言うことは、深刻な問題はそこに起きているということなのだと。


「端的に説明する。もっとも、深く聞かれたところで詳しく説明はできないがね。……私の能力による結界の効力が、ここ一月ほどの期間の内に急激に失われている。ちなみに、先に言っておくならば、別に私の極盾能力が効力を発揮しなくなったわけではない」

「それはつまり、疾凍さんの極盾能力きょくちのうりょくを強化しているその『何か』に問題があるって話ですか?」

「ああ、その通りだ」

「じゃあよ、それを具体的に説明できない理由は何だ?」

「あえて言うならば、私が説明することで君たちの肉体や精神に何らかの影響が現れた場合、即座に削除対象にリストアップされることになっている。このことは私自身と三術界のほんの一部の上層部のみしか知ることが出来ない。理解出来ずとも今は理解してくれ。これ以上の説明はできない」


 その言葉は一切の揺らぎが無かった。疾凍は御依里と迅護を天秤に掛けても、術界の命令を優先し正しく遂行する覚悟があることを感じさせる。


「その点を踏まえて、今後の三術界による調査次第では、我々はこの町から離れることになるだろう。私自身の身にどのような影響があるのかも調査される。その結果次第では、私が削除される可能性も有り得る」


 御依里は口を押さえ「そんな……」と小さく漏らすが、迅護の表情は変わらない。それはどんな感情を抱いているのか、あえて作り出していないようにも見える。


「今後は今回のように私が直接君たちに霊針剣を使って、この町の危険度を抑えることになるだろう。結界の効果には及ばずとも、個人個人に起こる危険と衝突するリスクは大きく低下するはずだ。濡常くんに使えないのが実に惜しい」


 話すべきことはすべて話したと言うように、疾凍は椅子に座り込む。

 迅護は顔色一つ変えないまま黙って立っていたが、その視線は疾凍の顔を常に捉えていた。


「あ……えと、あ……」


 重苦しい空気に耐えかね、御依里は数秒ほど思案を巡らせる。

 そして適当な言葉を思いつき、深く考える様子も無く口を開いた。


「あっ、あのね、そういえばさっきこっちに来る前に、赤い髪の男の人を見たの。なんだか迅護、赤い髪の人探してるみたいだし、ね? もしかして、ね?」


 迅護の、そして疾凍の表情も一瞬で引き締まる。

 ただ場の空気を和ませようと目を泳がせている御依里はそのことに気づかない。


「どんなヤツだ。背丈タッパは俺と同じくらいか?」

「え? うーんと、背は迅護よりずいぶん高かったかな? 185センチくらいはありそうな感じの。でも、私たちより年上って顔でもないけど、どこか大人びた雰囲気というか、落ち着いた雰囲気というのか」

「そんなに背丈のあるヤツじゃねえ。人違いだ」


 わずかに落胆したように、肩を落とし、顔を伏せてフーッと息を吐き出す迅護。

 しかし、次に御依里が放つ言葉により、その様子はまるで変わる。


「その赤い髪もなんだか不思議で……なんて言うんだろう、まるで鉄を真っ赤になるまで熱したみたいに、髪の芯が赤くて、外側に向かうほど黒く見えるみたいな感じ。でも実際に光ってるってわけじゃなくて……」

「そいつはどこにいたッ!!」

「わひっ!?」


 迅護の放つ突然の大声に、御依里は軽く飛び上がる。


「どこで見かけた! 早く言え!」

「だめだ迅護」


 疾凍の鋭い声が通る。御依里に掴みかからんばかりの迅護を制すように。


「もし本物だとすれば、まだお前に会わせる時期じゃ無い。抑えろ」


 迅護は疾凍をにらみ付けて数秒ほど動きを止めていたが……直後、バネが弾けるように素早い動きでジーニアスの正面シャッターへと掛けだした。

 そしてシャッターを上げると外へと飛び出し――


「やー。話は終わったか?」

「ッ――!!」


 外に立つ、背の高い赤髪の男を見て、眼を見開いたまま動きを止めた。

 後に追いかけてきた御依里も立ち止まり、男を確認して指さした。


「こ、この人だけど……」


 迅護は赤い髪の男を鋭く睨み付け、ギリリ……と奥歯を噛みしめた。


「テメー、どうして此処ここがわかった?」


 男は無言のまま、ポケットから迅護らが持つようなカード型の地図端末を取り出し、御依里の顔を指さした。


「さっき会ったときに発信器を取り付けておいた。ちょっとしたツテがあってな、この町にいる術者のことは先に調べさせてもらってる」


 御依里は驚き、自分の全身をまさぐる。すると、パーカーの首元あたりに、ちょこんと小指の先に乗る程度の小さな四角い発信器を発見し、「ほんとうだ……」と驚きの声を漏らした。

 迅護はソレを奪い取り、指先で潰す。その両手にはすでに黒いグローブの極盾武器きょくちぶき『エクスペディション』が装備されている。


「おいおい……その発信器、借り物なんだけどなぁ」


 困り顔の赤髪の男の声を無視し、迅護はアゴで外を指す。


「ちょっと付き合え、話したいことがある」

「ふぅん。ま、いいぜ。俺も同じだしな。ゆっくり話せる場所に案内してくれよ」


 迅護は周囲に人気が無いことを確認すると浮かび上がり、周囲の景色に溶けこむ脈術『負湖フコ』を発動し、あっという間に姿を隠す。

 それの後を追うように赤髪の男も浮かび上がる。風を大きく巻き込む迅護らの飛び方と違い、脈術による移動エネルギーを主とした、風をほとんど利用しない飛行術を使っている。その精度の高さに、御依里は驚いた様子で二人を見上げる。

 そして空高く浮かび上がると、二人は方向転換し、高速で飛び去っていった。その方角から、かつて衣月と戦った旧採石場の方向であることはわかった。


「わたしも――」


 すぐに後を追いかけようとする御依里の肩を、疾凍が掴む。


「慌てる必要はない。『霊針剣』の能力も働いている。そう悪い方にはならないだろう」

「でも! 私が……私のせいで二人が会って……なんだか嫌な予感がするんです!」

「気のせいだ。君は自分が関わる事柄に少し神経質になっている」

「それでもっ、行きます!」


 疾凍の手を振り切り、地面を蹴り出して空へと飛び上がろうとする御依里。

 ――しかし、


「許可できないと、言っている」


 疾凍は御依里の行動よりも遙かに早い速度で御依里の後頭部を掴み、脈術を発動していた。


泡鳴アワナり』


 バチンッ、と紫電が御依里の体を走る。


「きゃっ、はっ……!?」


 全身が硬直し、意識が吹き飛ぶ。

 疾凍は倒れ込む御依里の体を受け止めると、そのまま担いでジーニアス店内の畳部屋へと運び込む。


「しかしあの男、霊針剣の能力を超えてここにたどり着くとは……普通では無い。いや、通常の確立や運に左右されない特異点だとでも言うのか……」


 そして椅子にもたれかからせると、迅護が飛び去って行った店のシャッターを見つめて、独り言のように小さく漏らした。


「……まただ。私はまた、私の都合だけで家族を見捨てている」


 軽く広げた自分の手のひらを見つめる。その手は、かすかに震えているように見える。


「なあ凜護りんご……やっぱりダメだ。私は弱い。この生き方を変えられない」


 疾凍は、まぶたを力一杯閉じる。涙も何も、こぼれ落ちないように。

 

 ――そこに立つ人影は、誰の目から見ても頼りない壮年の姿にしか捉えられない、寂しい背中をしていた。


 

「人目もない。視線を遮る木々もある。戦うにはもってこいの空間だけれども――」


 迅護に背中を向けて呟く赤髪の男。案内された旧採掘場をゆっくりと見回している。


「オイ、ヨユー見せてんじゃねえぞ……ッ」

空牙クウガ旋弓波センキュウハ


 そのガラ空きの背中へ向けて、迅護はわずかの容赦も無く、渾身の旋風の矢を放つ。


「あーあ……」


 赤髪の男は微動だにせず、術の直撃を食らう。

 周囲に衝撃波が巻き起こり、風が吹き荒れ、周囲は砂埃に包まれる。


「……ったく、やめてくれよ。この服も借り物なのに」


 にもかかわらず、赤髪の男は涼しい顔でゆっくりと迅護の立つ背後へと振り返る。

 直撃した背中を見ても、シャツ背面の真ん中に五百円玉ほどの穴が開いただけで、肌には傷一つ付いていない。


(効いていない? いや……)


 おそらく、目視も難しいほどの速さで相殺された。


「いきなり不意打ちとか止めてくれよ。こっちは戦うつもりなんてまったく無いってのに」

「チッ、何なんだテメェ……。去年とは見た目もキャラも別人じゃねえか。前はもっとナヨナヨしてたクセに。つか、記録上は処刑されたはずだろうが。俺は信じて無かったけどな」

「キャラが微妙に違うのはそっちもだろ? 前はもっと自信と殺る気に溢れていた」

「その自信をテメーにへし折られたんだよ」

「へえ、それは悪かった。まあ、なんていうか、こっちもこっちで色々と都合があるんだよ。具体的に言えば、【望魔ぼうま】と戦うための中核となる戦力を探し回っている」

「それで俺に会いに来たってワケか? エラそうに。スカウトのつもりかよ」


 迅護はいまだ戦うつもりで構えを解かない。両手の黒い爪を数センチ伸ばし、大きく広げ、その爪先に白い輝きが灯る。


 ――それでも、赤髪の男は余裕の表情で立つ。


 正面から、迅護の敵意に満ちた目を捉える。


「なあに、別に今すぐってわけでもない。準備を整えていくためにまだ数ヶ月はかかるだろうし、術界との関係性もいずれはっきりとさせるつもりだ。だがその前に、【望魔】との戦いの中心を担える高い実力の術者を捜しておかなければいけない。……お前はその中でも、信頼する一人だ」

「勝手に信頼だのなんだの話を進めてんじゃねえよ。俺はテメーの下に付くつもりなんざ更々ねえ」


 肩の高さで両腕を大きく広げる迅護。

 そして力の限り拳を握ると、胸の中心で激しくカチ合わせ、轟音を鳴り響かせる。


「俺を負かすことができれば別だが――な」


 言い放つ直後、迅護は背後に輝く光球を作り出し、赤髪の男へと爪を立てて飛び出した。


散脚サンギャ


 瞬間、迅護の背後で生み出された光球が爆発。同時、蹴り出す地面が次々に連続して爆発し、さらなる推力を与える。石の欠片が周囲に飛び散り、砂埃が巻き上がる。


「まあ、お前ならそう言うよな」


 刹那、赤髪の男の両手に白い輝きが灯る。その光を握りしめる一瞬、赤髪の男の両手の中に刃渡り50センチほどの乳白色の片刃の短剣が一対形成され、構えを取らせる。


《バキィイイイインッ》


 ぶつかり合う両名。

 乳白色の短剣は迅護の両手の爪を押さえ込んでいた。

 衝突した中心から衝撃が広がり、地面に亀裂が走り、二人はそのまま全身を震わせながら一歩も動かない。

 眉間にシワを寄せ牙を剥く迅護と対照的に、赤髪の男の顔は涼しげなまま。


「言っとくが、今日はそのつもりで来たわけじゃない」

「テメーの都合はいいんだよ、俺の気分に合わせろつってんだよ……ッ!」

「ここで戦って何が変わる? 本当にお前の気分が晴れるのか? そうは思えない」

「やってみなきゃわかんねえだろ。いいか、俺は、お前に勝つために爪を研いできた。クソ親父でもなく、神罰でもなく、お前に勝つため第一に……ッ!」


 迅護の両手首に光が灯る。すると一瞬のうちに長さ5メートルほどの鎖が形成され、赤髪の男の全身に巻き付く。鎖は骨を砕かんばかりに締め付けるが、赤髪の男は気にするそぶりすら無い。


「もう一度言うぜ。――今日はそのつもりじゃない」


 赤髪の男の目の色が、わずかに攻撃性を帯びた。


震詩展衝波シンシテンショウハ


 直後、赤髪の男を中心に強烈な衝撃波が起こる。地面の亀裂がさらに深く広がり、迅護の全身をも揺さぶる。

 しかし、迅護はその衝撃のほとんどを『エクスペディション』のバリアで吸収する。


「フッ!」


《バギィンッ》


 そして赤髪の男に巻き付かせた鎖を手首から分断すると、大きく後ろに下がり、両手を広げて脈術を構成する。

 そして両手の爪に渾身の力と脈を注ぎ込むと、鎖で拘束され身動き一つ取れない赤髪の男へ、一切の躊躇ちゅうちょもなく全力で撃ち放った。


空牙クウガ憑怪剣ビョウカイケン

「はぁ~……話が通じないな」


 交差しながら直進する十本の風の刃は、立ち尽くす男へと直撃。


《ズゴォ―― ドォオオオオオオン》


 拘束していた鎖が粉砕し、肉体をバラバラに断ち切らんとする十本の風の刃に押されて吹き飛び、岩の崖に轟音を立てて衝突した。


「……どうだ? すこしは目が覚めたかよ」


 立ち上る土煙。迅護は風を操り、即座にはらう。

 視界が透明になるなり現れる、崖壁に刻み込まれた交差する巨大な十本の傷跡。

 地面に転がる二本の乳白色の短剣。それらは光と共に消失する。

 赤髪の男の体は、頭と両腕が岸壁の中に突き刺さり、一切の身動きが無い。


「チッ……テメー、前より化け物じみてるじゃねーか」


 ピクリとも動かない赤髪の男を見つめる迅護の表情は硬い。


《カラ――》


「……、~~~~! ッ……~~!」


 直後、赤髪の男の両足がバタバタと暴れる。

 そして突き刺さっていた右腕、左腕、そして頭を引き抜き、「ぷはぁっ!」とわざとらしく大きく息を吐く。


「うわぁ、もう全身ボロボロ。一月半ぶりにまともな服を着たってのに……」


 上半身のシャツは×状に生地が吹き飛び、下のジーンズにも穴が大量に開いている。赤髪の男は軽快な動きで立ち上がると。笑顔を見せて迅護と向き合った。


「ははっ。いいや、もう止めだ」

「なに……?」

「今のお前とは冷静に話は出来そうにない。今日は帰る」


 背中を向け、軽く手を振り立ち去ろうとする。


「待てよテメェ!」


 迅護の叫ぶような声に、赤髪の男は一瞬立ち止まる。

 しかし振り返り見せた表情は、今までとはまったく違う気迫を放つ。



「――わ き ま え ろ」



「ぃィィッ!?」


《――ゾクゾクゾクゾクゥ》


 脳が揺れるほどの尋常では無い殺気――

 背中に感じる体が震えるほどの悪寒――

 全関節に感じる痛みにも似た重圧――


「いいか、次に会いに来たとき、だ。その時は全力で相手してやる。場所も、時間も、邪魔する物何一つ無い状況で。掛け値なしだ」

「……テメー、どういうつもりだ?」

「俺の体はまだ未完成なんだよ。その完成の最後のピースがお前なんじゃないかと思って来てみたが……それを試すにはこんなとこじゃ狭すぎる。それだけの話だ」


 最後に、赤髪の男は正面から向かい合う。


「たぶん覚えてないだろ? 俺の名前は皇円おうまる緋ノ器ひのきだ。またな、大業おおわざ迅護じんごさん――」


 赤髪の男、緋ノ器は名前を言い残し、空へと浮かび上がる。


「逃すわけがねえだろ――」


 迅護は両手の鉤爪を立て、その切っ先に脈術と渾身の力を込める。

 そのまま大気を引き裂き、巨大な刃を放とうとした――瞬間、


「いい加減、空気を読めよ」


 緋ノ器は手を軽く横に振る。


縮光旋弓波シュクコウセンキュウハ


 たったそれだけの予備動作にも関わらず、周囲に一瞬にして輝く旋風の矢が無数に生み出される。

 その数、70は越えるだろうか。


「なん――ッ!?」


 素材となる膨大な量の大気が一瞬にして圧縮された影響で、一帯は竜巻が生まれたかと思うほどに風が暴れ、渦を巻く。


(この一瞬で、それだけの規模の脈術を――!?)


 迅護の動きが止まったのは、驚きからでは無い。

 これから自分の身に降りかかる、尋常では無いレベルの破壊を予測したからだ。


「ゆけ」


 緋ノ器が手を軽く前に振ると同時、

 膨大な数の輝く旋風の矢が、迅護へ向けて放たれた。


「ちィイイッ!」


 迅護はとっさにバリアを正面に展開。


《 ドドドドドドドドドドドドォ……―― 》


 前に突き出す両腕へ、いくつもの旋風の矢が直撃し、輝く光を伴って爆発を起こす。

 バリアで防ぐ場所だけではない。真横や頭上、足下を通り抜ける無数の輝く旋風の矢が、圧倒的な破壊力で周囲の地面をえぐり飛ばして行く。

 

 ――その圧倒的な脅威が襲った、わずか数秒後。

 

 周囲の地面には無数の小さなクレーターが生まれ、大小の石の破片が無数に転がり、周囲に土煙が漂っていた。


「ふざけんなよ……」


 脈術の風で土煙を吹き飛ばし、緋ノ器が居た宙を鋭くにらみ付ける。

 だが、そこにはすでに緋ノ器の姿は無かった。


「待てよ……オイッ、待てよテメェ! 待て……ふざけんなぁあああっ!」


 取り残された迅護は両手を強く握りしめ、行き場の無い憤りを発散することも出来ず、奥歯をギリギリと噛みしめていた。


「テメェこそ、俺の足りないものを埋め合わせる何かだと……そう思って来た俺は……」


 迅護は拳を振り上げ、地面に叩き付けた。それは脈術を伴っていない、素の拳撃だった。

 それでも地面を削り、破片を飛ばし、拳の跡を深く残す。


「くそがぁああああっ! クソクソクソぁああああああッ!」


 何度も、何度も拳を叩き付ける。

 しかし気分が晴れる事は無く、迅護は拳を叩き付けた地面をにらみ付けながら呪詛のように何かを呟いていた。


「守れない……また失うだけだ……奴にも勝てないような俺は、俺は……」

 


 人知れず、悲哀の満ちた眼で涙を流していた……――。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る