駆――④

「ええっ!?」


 御依里みよりは昼食のきんぴらゴボウを炒めているフライパンを持つ手を止めて叫んだ。


「そんな話聞いてないっ!」

「だぁら、さっき指令が来たばっかだっつってんだろ。耳の穴ちゃんと通ってんのかテメーはよぉ」


 古い平屋を隠しの住まいとした地下施設。その階段に背中を預けたまま、迅護じんごは面倒臭そうな顔で料理をしている御依里の背中を見ていた。

 御依里はフライパンをコンロの上に置くと、制服の上に掛けたエプロンで両手を拭きながら迅護に問い詰める。


「ふーむ…………」


 その二人を横目で見ながら、ダイニングの席に座った衣月いつきはせんべいをお茶請けにボリボリと小口でかじっていた。


「そんな急に言われたって……迅護だって燈水ひすいちゃんと遊んであげるって約束してたじゃない。どう伝えれば良いのよっ」

「仕方ねぇだろ、また今度時間が出来たら遊んでやる。つか、そんなに言うだからお前が遊んでやればいいだろ」

「燈水ちゃんは迅護と遊ぶのを楽しみにしてるの! その気持ちをぜんっぜんわかってないんだから!」


 御依里は背中を向けて階段を上り始める迅護を追いかけ、二人は機械的な構造の階段を上っていく。


「そもそも一昨日、迅護が見栄を張って高さ50メートルのくらい楽勝だって言うから、燈水ちゃんも楽しみにしてすっかりその気になっちゃったんじゃない」

「見栄じゃねえよ。日の出てる時間ならそのくらい余裕だっつっってんだろ」

「そういう話じゃ無いでしょ、燈水ちゃんがガッカリするって話してるのっ。燈水ちゃん、学校も夏休みに入ったのに、上からの命令で自由に遊ぶ時間も限られてるんだからっ」


 二人が階段を上り、平屋の畳部屋の上で言い合っているうち、衣月は片手にせんべいの袋を抱えながら階段を上ってきた。ボリボリとせんべいを噛み砕く音が鳴る。


「あーあー、わかったわかった。今回の任務が終わったら時間作れるように親父に伝えておけばいいんだろ? 忘れずにやっとくっつの」

「先のことは先、今日のことは今日! 燈水ちゃんだって家がゴタゴタしてて大変なんだから、こういう些細なことで気を落とさせたくないのっ! わかんないの!?」


 迅護は土間の上がりかまちに手を掛けてレンジャーブーツを取ると、片足に通しながらぶっきらぼうな声で返す。


「だぁら、わかったっつの」

「都合が悪いと、すぐそう適当な返事するぅ……」


 御依里は諦めるように、両手を腰に当てて大きな溜め息を吐いた。


「……ったくもう、いつ頃帰って来る予定なの?」

「んなもん知らねえっつの。敵の数は少ないって事だけは聞いてるが、アッチについて作戦会議するまでは状況も何もわかんねえよ」


 衣月は二人の背中を眺めながら、黙々と新しいせんべいをかじり始める。


「もう、ちゃんと通信機は持った? 忘れ物はない?」

「ぜんぶアッチで用意されてるっつの。じゃな」

「ほんとうに気をつけてね。ケガしたら変なケチ付けないで治療してもらいなさいよ?」


 迅護は返事を返すことなく、玄関の引き戸をピシャリと閉じて出かけていった。


「ほんとに、もう……」


 衣月は醤油ダレの付いた指をペロリとなめると、肩を落としている御依里に質問をする。


「君らさあ、いつからそんな出来の悪い夫婦漫才みたいなことをする仲になったのさ?」

「……ん? どういうこと?」


 御依里は振り返ると、真顔で首をかしげた。

 衣月は数秒黙っていたが、肩をすくめて小さく溜め息。


「いーや、なんでもないよ」


と言うと、背中を向けて階段を降りていった。


 御依里は変わらず、なんのこと……?と繰り返し言いたげな表情を浮かべていたが、昼食の調理がまだ途中であったことを思いだし、慌てて階段を降りようと一段目に足を掛けた。

 その時、


《ピンポーン》


「……あっ」


 玄関の引き戸の磨りガラスの向こう側に、ウキウキとした様子で左右に揺れる小さな少女の影が見えた。


「あーあ……どうしよう」


 御依里は肩を落とし、眼をつぶりながら大きな溜め息を吐き出すのだった。


 

**********



 二日後、夕方の山の中。

 木々の開けた空間に二人はいた。

 迅護はまだ帰ってきていない。


 まだ日が落ちない内。御依里は乱術衆らんじゅつしゅうから配備されている全身を黒いプロテクターに包まれた黒装束とフードの付いた黒いマントを身につけ、両手をダラリと垂らした状態で、構えを取る衣月と正面から対峙していた。二人の間は、手を伸ばせばすぐに届くほどの距離しか離れていない。


「スゥ……フゥー……」


 御依里は細く長い呼吸を繰り返しており、全身を脱力してリラックス状態にある。


「すっすっふっふっ……」


 対する衣月も対人戦をイメージさせてか、本来する必要のない呼吸をしながら、両足で軽やかにステップを踏んでいる。

 次の瞬間――


「シィッ!」


 小さなかけ声と同時、大気を突き破るような速さの正拳が衣月から放たれた。


「……ッ!」


 衣月の拳が御依里の胸に当たると思われたほんの一瞬、御依里の肉体は弾けるような速さで身をよじり回避。同時、高速の中段蹴りを繰り出し、衣月の脇腹に足の甲をめり込ませた。


《 ズムンッ 》


「けハぁっ――!」


 重々しい打撃音と共に、衣月の体が地面を擦りながら大きく横にズレ動く。

 両者の姿勢は攻撃を繰り出した時の状態を維持し、数秒間、そのまま動くことはない。


「……ふーっ」


 先に息を吐き出して構えを解いたのは御依里だった。衣月も拳を突き出した状態を崩し、蹴りの刺さった脇腹を押さえる。内臓が存在しないためダメージはないが、脇腹が大きくめり込み、もしも人間であったなら肋骨が数本折れて臓腑に刺さるだけの威力が十分にあったのは間違いない。


「今までで一番速くできたと思うけど、どうだった?」


 御依里は中段蹴りのモーションを再確認しながら衣月に尋ねる。衣月はやや満足げな雰囲気だが、その言葉は甘くなかった。


「まだ脱力が足りないね。それじゃあ実戦で使うと体を痛める」

「自分でもわかってる……けれど、やっぱり敵と向かい合うと緊張がまだ勝る感じがある」


言う通り、意識を巡らせると体中の関節が軋むような感覚が残っている。


「今まで高いレベルの操身術ソウシンジュツの訓練を続けてきたとはいえ、この無拍子は近接格闘術における一つの奥義だ。実践で使うときに、力みが少しでもあれば体中の関節に大きな負荷がかかる」


 衣月は全身を脱力させ、先ほどの御依里と同じようにただ二本の足で突っ立つ。

 直後、空気が破裂する音と共に、一瞬で超高速の中段蹴りを放った。


「……っ!?」


 御依里は全く反応出来なかったが、自分の胴の間近数ミリを回し蹴りが通り抜け、文字通り肝を冷やした。


「ちょっとセコイけれど、僕の体は君も知っての通り筋肉も関節も関係ないから、肉体があった時よりも簡単に無拍子ができるようになってるんだよねえ。君らは脈術で自分の肉体の動きをすべて操作するから、本当に自分自身の筋肉の流れ、関節の可動域を把握出来ていないと本当の無拍子はできない。そこに脈術で技の威力を高める堅撃ケンゲキも備えるから、一朝一夕にというわけにはいかないよ」

「でも、迅護はできるんだよね」


 御依里の目が熱く輝く。


「……思い返せば、僕と彼が戦った最後の瞬間、彼は無拍子を放つ構えを取っていた。君の横槍がなければ、僕の剣と彼の無拍子、どちらかが勝っていたかはわからなかっただろうね。……それはそれとして、いきなり彼と同じレベルを目指しても無謀というものだ。焦らず、訓練を少しずつ進めていけばいい」

「そうだよね、迅護は、私と違うから……。迅護は――」


 天才、といいかけて御依里は口を強引につぐんだ。

 その言葉は努力の不足を認めず投げ出す言葉のような気がしたからだ。


「はい、勝手に落ち込まないっ」

「ひぎゃんっ!?」


 衣月は御依里の尻を思い切り平手で叩いた。バシィッと大きな音が木々に反射して吸い込まれていく。御依里は悲鳴を上げて軽く飛び上がり、叩かれた尻をさすった。身に着ける黒いプロテクターは腰の両サイドを守ってはいるが、叩かれた尻の中心部分は守られていない。文字通りの穴。


「それはそうとして、先日の件は落ち着いたのかい?」


 休憩、と言葉にするまでもなく、衣月は切り株の上に置かれていた水のペットボトルを脈術で手の中に引き寄せた。御依里はまだ尻をさすりながら、あの数日前の迅護と言い合いを思い出して、ウ~ンとうなる。


「えっと、なんていうか……私もどうしてあんなに強く言い合いをしたのか、よくわかんなくって」

「自分の気持ちがわからないってことかい?」


 ペットボトルの蓋を開けると、飲み口を自分の口ではなく、頭に直接突き刺すという独特な水分補給方法を取る衣月。ゴポリゴポリと水が吸収されて減っていく。

 御依里は片手を尻に当てたまま、頬をポリポリとかいて自分の考えを整理させようとする。


「本当は……燈水ちゃんとの約束なんかはどうでもよくて……いや、どうでもよくはないけどね? 迅護が急に外の任務に行くって言ったことに、なんだか頭がカッとなっちゃって。理由はなんでもいいから、行って欲しくなかったのかな……って。ううん、やっぱりよくわからない。なんでだろう」


 衣月は頭からスポンッとペットボトルを引き抜き、蓋を閉める。そして、「ほう……」と意味ありげな声を漏らしながら御依里の言葉を分析する。


「僕が思うに」

「うん?」

「君は今言った通り、迅護に任務に行って欲しくなかったんだろうね」

「……うん、でも」


 その理由が、わからない。頭にモヤがかかる。


「答えは簡単さ。つい最近、君の身内が亡くなったり傷ついたばっかりなんだろ? 君みたいなタイプの人間は別に珍しくない。君は単純に、彼が自分の目の届かない場所、危険な場所に行くのを心の底でおびえているのさ」

「おびえてる?」


 わからない。モヤがかかる。


「わからないって顔をしてるね。それは同じ経験を避けるため、頭が仲間の死をシュミレートするのを無意識に避けてしまっているのさ。君はそれだけ傷ついて、その傷はまだ癒やされていない」


 言われて、御依里は無意識にごくりとツバを飲み込んだ。

 衣月はペットボトルをひょいと放り投げ、切り株の上にストンと底から着地させる。


「それはすぐにどうにかなるものじゃない。時間が解決してくれるのを待つか、迅護が君に絶対の安心感を与えるなにかしらのイベントを起こしてくれるしかない。といっても彼が君のためにそんなことをしてくれるとは考えづらい。やっぱり単純に、君が時間を掛けて仲間の死を乗り越えて行くしか無いだろうね」

「乗り越える……」


 御依里は胸元に手を当て、陸人と結雨のことを考えた。

 言われる通り、思い出すだけでも、胸が痛む。


「これはちょっと意地悪な答えだけど、諦めるって方法もある。というか常に前線に出てる戦闘術者のほとんどはこの考え方だろうね。仲間はいつか傷つくもの、死ぬもの、消えてしまうもの。悲しんでいる意味なんてないってね」

「それは……私は……」


 戸惑う御依里に歩み寄り、衣月はデコピンをした。軽く小突く程度で、痛みはほとんどない。


「考え、悩むといい。君はそのたび、ずる賢くなる」


 衣月は背中を向けて距離を取り、「再開しよう」とでも言うように手を振って合図をした。御依里はまだ少し慌ただしい頭を整理させつつ、向かい合う衣月の構えに神経を澄ませていく。


「今日は大業おおわざ疾凍はやて警邏けいらをしてくれるから時間がゆっくりとれる。もうすこしだけ根をつめてみようか」

「はいっ、おねがいします」


 今はただ、目の前のことに真剣に、一心不乱に技を磨こう。

 そう思い込むことにした。

 

 ――その、直後

 

《ファーウン ファーウン……》


「この音はっ!」


 御依里と衣月はポケットに入れていたICカード型の地図端末をほぼ同時に取り出す。画面を見つめると、緑色の点が一つ輝いていた。


「なんだ、疾凍さんか。今日は結界の調査をしたいから反応するかもって言ってたもん――」


 と安心した瞬間、


《ファーウン ファーウン……》


 ふたたび警報が鳴り響く。

 そして画面に浮かび上がる、赤い二つの点。


「これは……大業疾凍なわけないよねぇ」

「敵襲? でも、この速さは……」


 地図に描かれた道を、そのまま道なりに進んでいく二つの点。速さはせいぜい4、50キロ程度だろうか。


「考えられるに車での移動かな? ちなみに他の術界から訪問の連絡は来ていたかい?」


 衣月に問われ、御依里は首を左右に振る。


「と言うことは敵側の術者と考えられるけれど……この町の結界のことを全く知らないのか、それとも民間に紛れ込んでいれば表立って戦えない術界の弱点を上手く取っているのか」

「とりあえず、急いで現場まで飛んで術者の姿を捉えないと。地図のマーカーが消えたらわからなくなっちゃう」


 二人は示し会わせたように同時に地面を蹴って空へと飛び上がった。



 二人から離れて、結界の調査に赴いていた疾凍。

 町の海岸から少し離れた海の上に、脈術で姿を隠して浮かび上がりながら、地図端末が示す結界の線の内側をなぞるように周回していた。その目の先はICカード型の地図端末に向けられている。


「表示されている範囲の術者検知には問題が見られない。しかし――」


 疾凍は腰に下げている大きめのポーチから8インチサイズほどのアクリル製のような透明なタブレット端末を取り出す。その画面には、普段持ち歩いているICカード型の地図端末よりもはるかにしっかりした地形情報を画面に映し出している。

 気温、気圧、風向、風量、太陽の位置、紫外線や赤外線の量、地形の高低差に人口の密度などをはじめ、一言では説明できないほど膨大な量の情報が詰め込まれている。

 そしてそれよりも注目すべきは、普通には視覚化できない疾凍の極盾能力の範囲や町を覆う結界の範囲が、ゆらゆらと揺れる光の線となって画面にはっきりと映し出されていた。


「結界と私の能力の範囲、どちらも問題は見られない。しかし実際の効力は違うようだが……」


 そのとき、ICカード型の地図端末から警報が鳴り響く。赤い二つの点が輝き、地図上ではゆっくりとした速さで道路をたどって移動しているのが見える。

 すでに二人は動いているものと思ったが、念のためにイヤホン型の通信機で連絡を取る。


「そうか、すでに動いて……ああ問題ない。あと申し訳ないが、念のため濡常ぬらつねくんは姿を変えて対応するように。私のほうでまだ確認できていない事柄があってね。頼んだよ」


 通信を終了し、ふたたびタブレット端末に目を向ける。


「もし、【理囚りしゅう】の極盾きょくち能力のうりょくが効力を失いかけているとしたら、もう私の役目を果たすことはできない」


 ICカード型地図端末に灯る二つの赤い点を見つめながら、疾凍は深く考え込むように眉間にシワを寄せ、長く小さな溜め息を吐いた。


「いや……私はもしや、安心しているのか?」



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