駆――②
「すみません、女の子を探しています。誰か――」
町の東側にある駅に降りた
声を掛けられた人々は、それほど積極的な姿勢では無いものの、人探しと聞くとしばらくは前向きな姿勢を見せてくれていたが……。
「なんだよ、そんなことで呼び止めるなよ」
二言三言交わすうち、すぐに素っ気ない態度に変わって御依里のそばから離れていく。御依里も諦めずに食い下がろうとするが、関心を失った人々は誰一人として御依里の言葉を聞こうとはしない。
「……ぜんぜんダメ、やっぱり話を聞いてくれない」
声かけを始めてから20分弱。夕暮れの日も沈み、仕事帰りのサラリーマンの姿すらまばらにしか見えない状況で、十数名に声を掛けることができたことがそもそも幸運かもしれない。
しかし、声を掛けられた人々は、決まって同じ無関心な態度へと変わり、御依里から離れていく。その流れを延々と繰り返していた。
(どうすればいいの。「女の子」だとか、「猫」だけならまだ止まって聞いてくれるけれど……服装や猫の色なんかを出すだけでみんな離れていっちゃう。特定のキーワードや情報が出そろった時点で、関心や興味が無くなるように能力が効いているのかもしれない)
試しに、家出した少女を捜しています、という情報だけで探そうと思ったが……
「あのう、家出した女の子を捜しています」
「へえ、どんな子供?」
「だからその……家出した子なんです」
「だからさ、髪とか服装とか、特徴が色々あるでしょ」
「はい、でもその……家出した子なんです」
「ハァ……悪戯かい? それとも罰ゲームか何か? からかってるのか?」
当然それだけで尋ねられる人も有益な情報を出したり足を止めてくれるはずが無い。
そして、どんな少女なのか?と質問されても、御依里がNGワードを一つでも引っかけた途端、尋ねられた人々は出来の悪いジョークでも聞いたかのように興味を失い、無情にも去って行く。
そんな無駄足踏みだけが、この20分間で過ぎていた。
「急いでるのに時間だけが過ぎてく。
御依里はポケットからICカードサイズの地図端末を取り出し、町の地図を表示する。もし仮に術者である捜索対象が町の結界を抜ければ、即座にアラームが鳴り、数分間だけ居場所を表示してくれる。それが鳴らないと言うことは、捜索対象はまだこの町の中にいるということだ。
(外に出るつもりならバスか電車……と思うけど、これ以上駅で捜してても意味は無いかも)
ふと、御依里は駅の外にある外食チェーンの並びに視線を移した。
「そういえば、もう八時も過ぎてるって言うのに、ご飯はどうしているんだろ。お金は持ち出していないっていうことだし、お店に入って食事をするってことは……ああそっか、聞いた
そう思ったとほぼ同時、駅前に並ぶ外食チェーンのひとつ、平日にもかかわらず列を作る回転寿司屋の中で、何かを騒いでいる一人の男を見かけた。外にも漏れる大声で、店員に何か文句を叫んでいる。
髪の色は一目見るだけで印象に残る真っ赤。そして耳に青いピアスが輝いている。雰囲気は見るからに粗暴で、大人しく世渡りするタイプからはほど遠い。
ただ、その叫び声の中に「家出した子が」だとか「可愛そうじゃねえのか」という単語が聞こえたような気がして、御依里は神経を立てながら男の一声一声に耳を澄ま、遠くから内部をのぞき込んだ。
見れば、中で騒ぐ男の話を聞いていた店員は、まるで御依里が駅前で声を掛けていた時と同じように、無関心な表情で離れていく。
「はっ、クソがっ!」
ツバを吐き捨てながら出てきた男は、外に置かれている改造された年代物のオープンカーに待たせていたもう一人と合流し、自分が運転席に座ると荒々しい運転操作をし、滑るタイヤから甲高い音をかき鳴らしながら走り去っていった。
姿は一瞬で遠のいていくが……まるで居場所を教えるかのように、破裂するような音が連続してマフラーから鳴り響いている。
「……どうなるかわからないけど」
『
車が視界から遠ざかるより速く、御依里は脈術で周囲の空気の密度を操り、夜闇の中に姿を隠す。そして地面を強く蹴り出して空に浮かび上がり、走り去っていく車の後を追いかけ始めた。
そしてすぐさま、耳に掛けていたイヤホン型の通信機のホタンを押し込み、別の場所で捜索している
〈どうした?〉
迅護の声はいつも冷静で、感情が読み取りづらい。しかし何度もやりとりするうち、御依里はその迅護の雰囲気の端々から感情が少しずつ読み取れるようになり、今ではあまり気にならなくなっていた。
「確証はないけれども、ちょっと気になる人を見かけて……その人を追いかけてみるけれど、良いかな? って言っても、もう追いかけてる途中なんだけど。赤い髪の男性が――」
〈赤い、髪の……男?〉
その言葉に、迅護の声音がわずかに変わるのを感じた。
〈そいつはどういう、たとえば身長は……って馬鹿か俺は。アイツがここにいるわけねえ〉
「えっ、迅護、何?」
〈いや、なんでもねえ〉
そうは言うものの、迅護のあきらかな動揺は声を聞いているだけの御依里にも伝わるものだった。
それからほんの数秒ほどの沈黙をもって、普段通りの迅護の声が聞こえてきた。
〈とにかくだ、もう外の術者たちが来るまで時間がねえからな、賭けに出るのも悪くねえ。親父の極盾武器の効果も侮れねえからな。やってみろ〉
「うん」
〈それとだ、ネコメガネ〉
迅護はやや張った声で、しかし威圧感は感じない声で御依里に言った。
〈リーダーはお前だ。自分で決めたことに迷いがあるなら聞くが、自分でこうしたいと決めたことがあるなら自信を持って言い切れ。いいな〉
その言葉に、御依里は胸の中に熱い何かを感じて、少しだけうれしそうに微笑を浮かべながらコクリとうなずいた。
「うん、わかった!」
通信を終えて、迅護の声が聞こえなくなっても、胸の中の暖かさは残ったままだった。
「あんな言い方だけど、迅護はちゃんと私の意思を優先してくれる」
そのことがはっきりと汲み取れるだけで、陸人と結雨がいなくても、孤独を感じることはなかった。
決して陸人や結雨のような、表立って支えてくれる人の代わりになっているワケではないが、自分が仮初めのリーダーだったとしても、不安に心が圧迫されそうになることはなかった。
(ちゃんと、仲間と思ってくれているんだ)
そのことがわかるだけで、背中を片手だけでも支えられていると実感することが出来た。
――単純にうれしかった。
「あっ、止まった」
追跡していたオープンカーがコンビニの駐車場に止まるのを見て、御依里は建物そばのフェンスに隠れるように地上へ降りた。
追跡していた車から二人の男が降りてくると、コンビニの前でたむろしていた数名の男たちと合流し、何かを話し始めるのが見えた。
「ここは声を集めて……」
『
御依里は周囲の空気を操ると、何層もの蜘蛛の巣のような密度を変えた空気の膜を広げ、離れた場所の音を集める。ただ隠れて盗み聞きするより二倍、三倍ほどに聞こえてくる音の質が変わり、話声を拾うことが出来た。
「だーくそっ、あそこの寿司屋は駄目だ。持ち帰りの注文を早くしろって言ってるだけなのに急に無視しやがった。ここらへんに一つしか無い寿司屋じゃなけりゃ二度と行かねえよマジで」
「つか、寿司屋なんかあんま行かないけどさぁ」
「ピザ班は無事購入してまぁーす。と言っても集まってる人数分作ってるの待つと一時間じゃ終わるわけねーやと思ったんで、お嬢様の分プラス1枚しか買ってないから」
「俺らの分はコンビニで済ますしかねえよな……」
「そう言うと思って中でコンビニ班が買ってくれてンよ。寿司班の分もカネ余ったし、あいつからもらった金額で足りるでしょ、多分」
「てか早く帰ってあげないとお嬢ちゃんが可愛そうなワケで。コンビニの会計を今のトコで一回切ってもらって先に払うべ。待ってるだけでいつ終わるかわかんねっし」
「頭良ゥィー」
そこにいるだけで六人ほどの男たちが見られる。会話の内容からその男たちが「お嬢様」やら「お嬢ちゃん」と呼んでいる女の子の食事を買い出しに来ていることはなんとなくだが把握することが出来た。
(これがもし捜索対象の女の子なら、疾凍さんの能力、本当にすごい)
コンビニで買い出しをしてた三名が合流すると、先に買い物を積んだ二台の車が動き出し、どこかへと向かって走らせ始める。二台とも、改造車のけたたましいマフラーの音を鳴り響かせながら御依里から離れていく。
「……追いかけよう」
御依里は再び脈術で姿を隠すと空へと浮かび上がり、先に走り出した車を追いかけ始める。その速さは法定速度を軽くオーバーするほど出ているように見えるが、車から聞こえる騒がしい音のおかげで見失うことはない。
(このくらいの速さなら、私の実力でも余裕で)
道路を走る車の数は決して多くは無いが、先行する他の車と距離を詰めるたびに御依里と車の距離は詰まる。追跡に余裕があるのを感じて、御依里は再び迅護に連絡を取った。
〈――どうした〉
「まだ確定じゃ無いけれど、さっき報告した男たちがどこかの女の子のために食べものを買いに出てるってことはわかった。まだ車を追いかけてるところだけど、なにかアドバイスがあるなら教えて」
〈ンなもん無えよ。テキトーに追っかけてくれてりゃ十分だ。こっちはまるで手応えがねえから、もう少ししたらそっちと合流する。お前の
「わかった」
通信を切り、御依里は上から二台の車を見下ろす。道路は路面こそしっかりとアスファルトで固められているものの、左右の脇を挟んでいるのは広く長い田畑である。街灯も少ない。遠くを眺めれば、ビル群や住宅地の明かりが輝いているのが見えるが、やはり基本的にやや田舎じみた風景である。
夜だからと言うこともあるが、走る車の数は極端に少ない。ほとんど直線だけの道を二台の車は加速しながら進んでいく。
御依里レベルの『
集中しながら空を飛び続けて追跡すること五分ほど経過。二台の車は外にわずかばかり光を漏らす大きな倉庫……というかガレージだろうか。それが建つ広い土地へと侵入し、騒がしいエンジンを切った。
御依里は空から急速に落下し、着地の瞬間に脈術で衝撃を分散して着地する。そして車から出てきた四人の男たちを物陰から見ながら様子をうかがう。
二人の男が車庫のシャッターを手でつかんで持ち上げると、中から明るい光があふれだす。そして四人の男たちは素早く中に入り込み、すぐにシャッターを引き下ろして中の様子を見せようとしない。
「どこか別の場所から見えるところ……あった!」
御依里が車庫の上を見上げると、簡単にガラリの通風口を見付けることができた。
今までと同じように脈術で姿を隠したまま浮かび上がり、4メートルほどの高さにある通風口にまで上がる。隙間から漏れてくる風は思ったより涼しい。それなりに古い車庫に見えるのだが、エアコンでも設置されているのだろうか。
しかし、ガラリの通風口は斜めに付いた複数の板と、その奥が虫除けの目の細かい金網で塞がれており、中の様子を把握するには厳しい。
「ん……やっぱり穴を開けるしかないみたい」
『
御依里はガラリの金属板に触れると、脈術により簡単にぐにゃりと変形させてこじ開ける。そして生まれた隙間から手を突っ込むと、金網に手を触れて同じく脈術で変形させる。
指先で触れる中心から金網の穴が広がり、先ほどよりも少しばかり改善した視野で中の様子をうかがうことが出来た。
そこから中の人数を確認しようとしたところ――
「……あっ!」
穴から見える、ソファーに座った少女が一人、眠たそうにコックリコックリと船を漕ぐように頭を前後させている。少女の膝の上に座る猫は、ゆっくりと瞬きをしているだけでピクリとも動こうとはしない。中にいる男たちが「超かわいい」「ずっと見守りたい」「これが父性ってやつなのか」などと呟いているが、詳細に聞き取ることは難しい。
少女、猫、共に報告書に書かれていた情報や写真と一致した。御依里はすぐに通信機のボタンを押して迅護との通信を始める。
「見付けた。大きな倉庫の中に女の子も猫もいっしょにいる」
〈わかった、すぐに向かう。お前は中にいる人数とガキの様子を調べて俺に伝えてくれ〉
「うん」
〈まだ派手に動くなよ。俺が指示するとおりにしろ。まずはガキを外に追い出さねーとな〉
「倒しちゃだめなの? 気絶させるくらいなら――」
〈それはできるだけ避けろ。中の状況は完全に把握できているのか?〉
「ううん、まだ。通風口の隙間からじゃ、倉庫の真ん中くらいしか見えなくて」
〈壁に穴を空けろ。時間が押してる〉
「雑な案だなあ……。分かった」
御依里は通風口の隙間から中の様子を確認して下に降りると、車庫の側面に立つ。そして左手を壁に添えると、右手の人差し指を左手の上に指した。
『
《シャパァ――》
御依里が脈術を唱えると、超高温の熱線が右の指先から放たれる。熱線はその高温で車庫の金属壁を融解させながら切り取り、
切り取った金属板を捨てて生まれた穴から中を覗き込むと……今度はハッキリと中の様子を見て取ることが出来た。
「イチ、ニ、サン……民間人が八人。外の車には……誰も乗ってない。あれで全員ね」
〈そのくらいならお前の
「うん、わかった」
御依里は力強くうなずくと、今度は車庫のシャッター正面へと向かった。そして身を隠していた脈術『
当然、中にいた男たちは異変に気付き、全員の視線が御依里へと向けられた。
眠そうにしていた少女も、はじめは仲間が帰ってきたのかと気の抜けた様子だったが……現れたのが制服姿の女子高生だったため、不穏な様子で御依里と視線を交わした。
「燈水ちゃん、家に帰ろう」
その言葉は、燈水の浅い眠気を吹き飛ばすには十二分。決定的だった。
「みんなっ、その人を追い払って!」
慌ててソファーから立ち上がり、猫を抱えたまま叫ぶ燈水。その背後からはハッキリと目視できない白いモヤのようなものが浮かび上がり、何か波動のようなものが男たちに広がっていく。
「おお? なんだテメェはよぉ」
「お嬢ちゃんを探しに来たヤツか。ここを見られちゃ無事に帰せねえな」
「冗談じゃねえぞオイ、ヒスイちゃんは帰りたくねえってんだよォ!」
その場にいた男たちは全員、静かな殺意にも似た感情を込めた視線で御依里を貫く。ある者は転がっていた鉄パイプを握り、ある者は拳を胸の前で叩き、敵意をむき出しで御依里を囲うようにジワジワと半円の陣形を作っていく。
「ダメだよ燈水ちゃん! それ以上、象霊の力を使わないで!」
「うるさぁーいっ、私は帰らない、絶対に行かないのぉーっ!」
白いモヤから放たれる波動が男たちの背中を押し、男たちは一斉に御依里に向かって襲いかかった。
『
真横に振り抜かれる鉄パイプを素早くしゃがんで回避。
直後、殴りかかってくる男の拳を手のひらで受け流し、別の角度から襲いかかってくる男の方へと体勢を崩してぶつける。
さらに向かってくる二名の男の足をしゃがんで払い、男たちの顔と地面を激突させる。
「なんだこいつ!? 強ェえ!」
「クソッ、挟め挟め!」
御依里のアクション映画ばりの戦闘力に驚きの声があがる。しかし男たちは燈水が背後から放つ波動によって敵意をまったく削ぐことなく立ち向かい続ける。
(ここでちょっとだけ隙間を……)
囲い込む男たちの陣形から、御依里は攻撃の間を縫って側転、バック転を何度か行い、わざとシャッターから離れるように動く。そして男たちに押されるように車庫の隅へと追いやられ、燈水が外へ逃げやすいように動線を作り出す。
すると御依里の想定通り、
「おい
「ああ、まかせとけ。お嬢ちゃん、行くぞ」
「うん!」
赤髪青ピアスの男、勇也は燈水の手を取り、シャッターをくぐり抜けて外のオープンカーへと乗り込む。そして素早くエンジンを掛けると、けたたましいマフラー音を鳴らしながら道路の外へと走り出して行った。
「あとは迅護とのタイミングだけ」
今度は男たちの猛攻を巧みな体術でくぐりながらシャッターへ向けて前進し、逃げていった燈水を追いかけて外に出る。
そして追いかけてくる男たちに目撃されるより早く姿を闇の中に溶け込ませ、地面を強く蹴って空へと飛び上がった。
「いねえぞ!? どこ行った!?」
「消えやがったぞあの女ァ」
「道路にも出てない……たぶんそこら辺に隠れているぞ、探せ!」
すでに空を飛んで車を追いかけている御依里が見つかるはずも無いのだが、男たちは血眼になりながら御依里の姿を探し続けた。
「燈水ちゃん、それ以上はやめて……!」
空を飛んで追いかける燈水の乗った車は、ブレーキを一瞬も掛けること無く道路を駆け抜けていた。すでに何台もの先行する車を強引に追い抜き、さらに向かう先にはビル群の灯りの輝きがぽつぽつと見えてきている。
このまま危険な運転を続けたとしても、あの象霊能力がある限り燈水の乗る車が警察に捕まることは無いだろう。通報する人間すら一人もいないはず。
しかし、それとなにかしらの事故を起こさないかは全くの別問題だ。このままでは最悪、車同士がぶつかるような大きな事故を起こしても、誰も関心を向けずに放置されるといった未来も起きかねない。
勇也はギリギリの荒々しい運転をしながら舌を鳴らす。
「クソッ、もしサツが来たらお嬢ちゃんを連れて逃げらんねぇな!」
「大丈夫、私とニンがいる限り見つからないわ!」
猫を抱える少女の背後から白い幻が浮かび上がる。
「……? よくわかんねぇけど、お嬢ちゃんの言葉は信じられるぜ。念のため、もうちょい飛ばすぞ! お嬢ちゃんは口閉じて座ってろ」
高速で走り抜けるオープンカーはついにビル群の通りに入り、田んぼに挟まれた道よりも車が少々増えたことで、強引な追い抜きによる危険運転に拍車がかかっていく。
空から眺めているだけでも、何度か対向車と正面衝突しそうな瞬間すらあった。しかし対向車はブレーキを掛けることもクラクションを鳴らすことも無く、平然と運転を続けている。
今、世界から燈水たちは消えたも同然の状態だった。
「――待たせた」
その時、御依里の隣に並ぶ迅護の声が聞こえた。
「迅護!」
御依里に一声返す間もなく、迅護は御依里よるも遙かに早い速度で暴走するオープンカーへと迫る。
その間にズボンの両ポケットに手を突っ込み黒い何かを取り出す。迅護の極盾武器のひとつ『エクスペディション』と言う名の漆黒のグローブだ。それを素早く両手に装備し、五指を立ててギリギリ……と音を立てながら力を込める。
(車から約200メートル先……車も、人の姿も無い)
「よし、いくか」
迅護は一気に加速し、オープンカーより先行した地点へと隕石が墜落するかのような速度で落下。
「よっ、と」
《タンッ――》
そのまま両手を地面に付けた逆立ちの状態で、道路の上にほぼ無音で着地した。
極盾武器『エクスペディション』の能力により、着地の衝撃をすべて吸収したのだ。
「前に誰かいる!?」
「んなっ!? ブレーキ、間に、合わ、ねえっ!」
勇也はもはや無意味な急ブレーキ。
オープンカーの正面に逆立ちでいる迅護は、下半身を回転させながら体をひねり、両足を地面に付けて上体を起こし、立ち上がる。
そして黒いグローブを装着した両手のひらを向かってくるオープンカーへと向けて、そのまま正面衝突で受け止めた。
「いやぁああああああああああっ!」
燈水の甲高い悲鳴が空に響き渡る。
しかし、
しかし、
「……あ、れ?」
衝突の衝撃も音も一切なく、燈水と勇也の乗るオープンカーは静かに制止していた。
そして正面を見れば、車を両手で受け止める迅護の姿。
「今だ! 取れっ、ネコメガネっ!」
「了解っ!」
「きゃっ!?」
燈水が状況を飲み込むより間もなく、御依里によって脇を抱えられ空に持ち上げられた。
それでも燈水は猫のニンだけは手放さず、ギュッと抱きしめ、宙で横に三回転ほどクルクルと回りながら、オープンカー横の歩道に足を着いた。
直後、全身から力が抜けて、燈水は猫のニンを抱えたまま、ぺたんと地面に座り込んだ。
「女っ、お嬢ちゃんに何をして――」
赤髪青ピアスの男、勇也がオープンカーから乗り出し、御依里に殴りかかろうとした瞬間――
《ガシッ》
「う、ぉっ!?」
迅護の黒い手が勇也の頭をつかむ。
そして――
『
手のひらから脳を揺らす強い衝撃が発生。そのまま意識が吹き飛び、勇也は気絶した。
迅護は地面に座り込んだ燈水に歩み寄り、震える燈水から思い切り猫を引き剥がし、その首根っこを指でつまみ上げた。
「やめて! ニンを返して!」
「条件を飲め。猫を返す代わり、今まで自分のために使った象霊能力をすべて解除しろ」
「わあぉ」
(迅護って、子供にも容赦ないなあ……)
と御依里は思いながらも、事態が緊急を要するため、言葉にはしなかった。
「……うう、わかったわ」
しょんぼりとしながらも、燈水は手渡されるニンを優しく両手で抱え、その小さな猫の頭にコツンと自分の額を当てて、「お願い、ニン」と呟いた。
すると、猫の身体からあふれ出すように白いモヤが立ち上り、何かの姿をうっすらと見せた。
「象霊『ティカノンド』お願い、やって」
それは下半身が木の根、その背中には蜘蛛の巣のような模様の三対の蜻蛉の羽。
上半身は長い髪の若い女性のように見える、不思議な姿をした幽霊のようなものが見えた気がした。
そしてその象霊と呼ばれる存在の三対の蜻蛉の羽が震えると、フワフワと波打つ波動のようなものが町一帯に広がり、燈水が行使していた問題の能力はすべて解除されたのだった。
「これでいいの……?」
弱々しく迅護を見上げる少女の目には、もはや抵抗の意思はカケラも無い。
「術界の最終確認が終わるまで俺たちといてもらう。警察が来る前に動くぞ。来い」
「わかったわ……」
迅護はニンを御依里に預け、少女を背負いながら空へと飛び上がった。追いかける形で飛び上がった御依里は、少し速度を上げると迅護と平行に並んで声を掛けた。
「これで、なんとかなるよ……ね?」
御依里は迅護の背中で大人しく顔を埋める燈水を見て呟いた。
しかし迅護はあくまで冷静に「親父のやりよう次第だ」と呟き、それ以上は返さなかった。胸の中に抱えた猫は本当に大人しく、繰り返す小さな呼吸だけが抱える腕に伝わってきた。
眼下では象霊能力による無関心から解放された幾人かが、道路の真ん中に停まったオープンカーで気を失っている勇也を見付けて、救急に連絡しているのが見えた。
――ほんの少しの不安が、御依里の胸の中によぎった。
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