駆――①


 時刻は夕方の7時を過ぎているが、真夏の陽は長い。

 まだ強く影を残す夕暮れの時に、コンビニの前で五名ほどの不良グループが地面に座り込み、タバコをふかしながら何やら楽しげに語り合い、笑い合っていた。

 そばには彼らの愛車である改造されたバイクや車が乱雑に並び、駐車スペースを無駄に占拠している状態になっていた。

 コンビニに入る客らや中に居る店員は、時折、彼らを煙たそうな目でチラリと見るが……目が合う前にすぐ逸らしてしまう。もっとも、注意されたところで簡単に言うことを聞く様子の彼らではないが。


「ぃよっと」


 一人の男が立ち上がり、ズボンに付いた砂をパシパシとはらう。

 その男の外見特徴は、赤い短髪と耳に付いた青いピアス。


勇也ゆうや、どこいくんだ?」

「ションベン」


 にぎやかなグループの中で、やや物静かな印象の赤髪青ピアスの男は、コンビニの扉を抜けてトイレへ向かう。

 しかし扉のマークは赤。中にはすでに誰かが入っており、男は乱暴にトイレのドアを二度蹴たぐった。

 しかし返ってきたのは、おびえたように控えめな、コンコンという扉を叩く音だった。


「チッ!」


 強い舌打ちを残して、男はコンビニの外へと出た。そしてそのまま駐車場の外へと歩いていく。

 そこで初めて分かったが、コンビニの周囲は田んぼに囲われており、二車線のアスファルトに舗装された道路だけが隣接していた。通る車はほとんどないものの、この町に二つしかないコンビニのうちの一つであり、訪れる一般人や学生はけっして少なくはない。

 赤髪青ピアスの男は、コンビニの外周をぐるりと回って、コンビニの横にある田んぼの畔道に入ると、そこでズボンのチャックを下ろし、用を足しはじめた。


「フゥ……」


 リラックスした様子で大きく息を吐く。たまたま通る人はおらず、男の素行に気分を害する人はいなかった。

 ――ように、思われたが


「何をしているの。みっともない」

「あん?」


 話しかけられて、男は用を足しながら声の方へと顔を向けた。

 子供の声。そして目の中に入ってきたのも、年は七つか八つほどの少女。胸に黒色の猫が抱えられており、猫は嫌がる様子もなく静かに四つ足をブラブラと揺らしていた。


「あ? ガキはあっちに行ってろ」


 水音が途切れて数秒後、男はチャックを閉めてその場から一歩も動こうとしない少女と向き合った。しゃがんで最初に目を向けたのは、少女の胸に抱えられた黒毛金眼の猫。

 男は用を足した後の洗っていない指を伸ばし、猫のアゴ下あたりをくすぐる。


「これお前の猫か? 俺、猫好きなんだよなぁ~。コショコショコショ……」

「まあ! あなた猫が好きなの!?」


 少女の声は急に大きく明るくなった。男は驚いてビクリと体をすくめ、「お、おう……」と小さく返して立ち上がった。

 少女の風貌を見るからに、どこか普通の家庭の子供らしからない。お人形のような、紫色を基調にしたフリルが散りばめられた服。先端にウェーブのかかった髪は栗色をしており、頭の左右に服と同じ紫色のリボンでツーサイドアップに飾られている。


「猫が好きな人に悪い人はあまりいないわ。そうおばあさまが言ってたもの。そう、あまりね」


 おばあさま、なんて普通の子供は言わない。間違いなく、どこかの良家の子供だと男は納得した。


(できれば、あんまり関わりたくねぇ)

「……じゃあな。さっさと、そのおばあさまのトコに帰りな」


 そう言って少女の横を通り抜け、コンビニの方へと歩き始めた。

 そのまま三歩、四歩と歩みを進めるが……


 どうしてなのか――

 少女のことが妙に気になる――

 

 振り返ると、まだ少女はそこに立ったままだった。


「おばあさまは……おばあさまは、いなくなってしまわれた……」


 そう呟いて、見るからにしぼんでいく少女。


「……ん?」

(なんだ? なんか一瞬、フワっとしたもんが……)


 男は、少女の背後に何かの影が見えた気がして、人差し指と親指で両の目をこする。

 煙でも、霧でも、モヤでもない……陽炎が揺らめくようなものとも違う、とにかくはっきりとしないが見えた気がしたが、断定もできない。

 気のせいと思うのが普通。


 しかし、しかし……


(なんなんだ、このガキ……)


 男の中で、妙な感情が湧き上がってくる。


(さっきまでただのガキと思っていたが……なんかよくわかんねえが……)


 姫のように、玉のように、

 大事にしなければいけないという気持ちが

 吹き出すように心の中を満たしていく


「お、おいガキ……いやお嬢ちゃん、名前はなんて言うんだ……!?」

「わたくしはヒスイ。この子はニン。おじさんは?」

「まだオジサンなんて歳じゃねえが……勇也だ。困ってるなら何でも言いな!」


 赤髪青ピアスの男の態度は急変。その様子を遠くから見ていた不良仲間たちは、何があったのかと立ち上がり、近づいてくる。

 すると、彼らも少女の可憐な姿を見るなり、まるで主人にひざまずく奴隷のように、あるいは女神を仰ぎ見る信徒のように、少女の足元に駆け寄り、いっせいに少女をおだて始めた。


「なん、この……なんだ、すげぇ可愛いなぁ!」

「どうしたんだよ、迷子か!? クソッ、こんないたいけな子供を放置する親とか絶対に許さねえ!」

「ヒスイちゃ……いやお嬢さん、何があっても俺たちが守ってやるぜ!」


 やいのやいのと少女をおだて上げる不良たち。

 少女は天使のような微笑を浮かべながら「おうちには帰りたくないの……どこかいい場所を知りません?」と問いかける。

 すると不良たちは我先にと次々に提案。妙な熱気に侵された様子で、少女のために行動を始めていく。

 少女はその様子を眺めながら……


「……ンフー」

 

 ほんの一瞬だけ、滲み広がっていくような、悪戯を企む子供の笑顔を浮かべた。


「ホテルは金が掛っちまうからどうも……つってもこのへんボロ宿しか無ぇけどな。カラオケはどうだ? あそこの店長なら話つくだろ?」

「いやいや、そんなのすぐに探しに来るところだろ。親だの警察に見つからねぇところで安全な場所を探すんだよ」

「じゃあお前が考えろよこのボォケ」

「あ?」

「ん?」

「ケンカすんな! ……それよりだ、あそこなら滅多なことじゃバレないし、もともと私有地だから警察も簡単には手が出せねえんじゃねーか?」

「おお、あの倉庫だな!」

「いいじゃねーか! よし、いろいろ運べるように、車出せる奴にも何人か声かけとくか」


 次々にアイディアが浮かび上がり、話が進んでいく。

 先ほどまで無気力にテキトーな笑い話で時間を無駄に潰していた連中とは思えない行動力と集中力で、ヒスイと名乗る少女のために尽くしていた。


「そう、もっと早くからこうしてれば……ンフフ、ンフフフフ」


 その一方、盛り上がる五名の不良たちの外側、コンビニを利用している一般客や店員らは彼らと真逆……少女にも不良にも一切の関心を示さず、ただ普段通りの行動をしていた。

 

 まるで世界から彼らが消えてしまったかのように、

 誰一人こちらに視線を向ける人はおらず……。


 ――その少女の背後で静かに、何かがうごめいていた……。



**********



 影深い森の中を二つの影が高速で動いていた。

 山に棲む獣すら追いつけないだろう速度で木々の隙間を縫って移動する二つの人影は、まるでどちらか止まった方が命を落とすとでも言うかのように、一瞬たりともその動きを止めない。


「はぁ、はぁ……くぅっ」

「もう息が上がってきたのかい? それじゃあ集中も続かないよ」


 人影の一つ、学ランをイメージしたような銀色のヒーロースーツに身を包み込む14歳ほどの少年は、動きが鈍ってきたもう一つの影の方に檄を飛ばしながら森の木々の影から影へと姿を隠しながら移動を続ける。

 そしてもう一つの影、全身を黒いプロテクターで包み込み、その上に黒いフード付きのマントを身につけた17歳ほどの少女は、汗だくになりながら移動する少年を追いかけていた。

 そして一瞬でも姿を露わにすると――


空牙クウガ散小鳥チリコガラス


 小さな声で呪文のようなものを唱え、自分の周囲にテニスボール大の圧縮空気の塊を複数作りだし、それを高速で銀色の少年へと放つ。

 しかし空気の塊は少年にかすめることもなく、木々の幹や地面の地面に当たり、土砂を散らして消滅する。


「だから言ってるだろ、遅い遅い遅い! 僕が顔を出す方向を予測して撃つんだ、見つけてからじゃ遅すぎる! 操身術の集中も切らしちゃ駄目だ!」

「はぁっ、はぁっ……はいっ!」


 不思議な力を用いた二人の訓練は、まだしばらく続きそうだった。

 少女の名前は音古鐘ねこがね御依里みより乱術らんじゅつと呼ばれる魔法のような力を操る、『乱術衆らんじゅつしゅう』と呼ばれる集団に属する戦闘術者の一人だ。黒い癖のあるショートカットヘアーと三白眼、顔に掛けた赤フチのめがねが特徴的な17歳の女子高生である。

 現在は乱術衆の組織の指定装備である全身を黒いプロテクターに覆われた戦闘装束に身を包んで、戦闘の訓練をしている。ちなみに装備の重さは10キロほど。

 そしてもう一人、学ランをイメージした銀色のヒーロースーツに身を包む十三、十四歳ほどに見える美麗な容姿の少年は、その少女が属する術界と呼ばれる集団から抜け出した、盗術者とうじゅつしゃと呼ばれる抹消対象の敵術者であった。しかし、とある理由により少女の教育係を任される形になった。その名を濡常ぬらつね衣月いつき

 現実味のない銀色の髪に金色の瞳が特徴的であるが、その正体は40半ばを歳を超える元女性であり、錬金術にも似た『極盾きょくち』と呼ばれる特別な術により、自分の肉体を作り出し少年の体を維持している。

 ――なお、どうしてコスプレをしたあどけない少年の姿なのかとい言うと、単純に本人の趣味である。


「よし、一区切りしよう」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……あ、ありがとうございました」


 訓練を始めて二時間強、ようやく動きを止めることができた御依里は、膝に手を突いたまま全身で呼吸しながら息も辛々に衣月へと頭を下げた。


「だいぶ身に付いてきたようだけど、まずは地形を利用して敵を追い詰めることだ。そのために、脈術を放つときは敵を狙うものと、敵を不利な地形へと追い込むものを二種類使い分けるんだ。そして自分自身も常に動きながら有利な地形を維持する」

「はぁっ、はいっ……!」

「まだ先の訓練になるけれども、行動中に脈術で有利な地形を作り出すのもそのうち考えなきゃいけない。本来、複数でチームを組んで作戦行動を行うときは役割を分担するものだけど、少数精鋭の僕たちは何でも自分でできるようにならなくちゃいけない」

「わかり、まし、た……はぁっ、はぁっ」


 人工の肉体を持つ衣月は涼しい顔だが、人の肉体であり、なおかつ未熟な実力の御依里は本当に精一杯といった様子で、全身を小刻みに震わせながら深呼吸をくりかえした。

 季節は七月の中旬。まだ夏の中頃であり、夕暮れでも蝉の鳴き声がひたすらにうるさい。御依里は呼吸の落ち着きを大分取り戻すと、息を吸い込みながら背筋を大きく反らしながら伸ばし、大きく息を吐き出して視線をまっすぐ正面へと向けた。


「はぁ……衣月くんの訓練のレベルにも少しずつ慣れてきたけれど、やっぱり陸人兄さんや結雨さんたちとの訓練よりも厳しくて……」

「ん? 辛くなってきたかい?」


 そういって悪戯な笑みを浮かべる衣月。しかし御依里は小刻みに震える自分の両手を見つめながら、全身に感じる疲労感を実感しつつつぶやく。


「ううん、楽しい。その分、やっぱり今まで自分は兄さんたちに甘やかされていたんだなって思うけど、衣月くんに言われることを身につければ絶対に強くなれるって実感があるから」

「フフフ、それはよかった。……そろそろ山を降りようか。交代の時間も近いしね」

「あっ、もうそんな時間なんだ、迅護じんごがまた不機嫌になっちゃう」


 先に麓の方へと歩き出す衣月を追いかけるように、御依里も震える体で山の斜面を歩き出す。途中、御依里は空中で指先を振りながら自分の周囲に少しずつ空気中の水を集めると、それにパクリと食いついて水分の摂取を行う。全身が乾くかのような大量の汗をかいた後だけに、一口一口が染みこむように体の全身に行き渡る気がした。


「おや?」


 と声を上げたのは衣月。彼の向ける視線の方を見ると、徐々に紺色に染まっていく橙色の空から、一人の男性がゆっくりと降りてくるのが見えた。

 真夏にもかかわらず、業火に焼かれるドクロが描かれた赤いスカジャンを身につけ、下は迷彩柄のカーゴパンツにレンジャーブーツを履き、ツンツンとした黒い髪は男の鋭い視線と相まって、野犬のような獰猛さを見る者に思わせる。


 「あ、迅護。どうしたの?」


 彼の名は大業おおわざ迅護じんご。衣月が元所属していた『極盾きょくち』と呼ばれるところに席を置く術者の一人である。三日前に衣月と戦い、御依里の支援もあって辛くも勝利した経緯がある。歳は十九歳。

 迅護は二人の前に降りると、その鋭い目で二人をにらみつけるようにして口を開いた。


「緊急事態になった。ワケは後で話すから先にこれを身につけろ」


 といって迅護はカーゴパンツのポケットから二つの指輪を取り出し、二人に投げて渡した。


「これはなんだい? 婚約指輪にしちゃ地味だけどね」


 衣月は軽い冗談を言いながら、手渡された指輪を夕日で照らした。


「フーン、これは……普通の指輪じゃないね。習術海しゅうじゅつかいがらみのものかな?」

「とても綺麗だけど、なんだか不思議とひんやりしてる気がするね」


 見たことのない赤味を帯びた金属でできており、内側には見たことのない複雑な模様が刻み込まれている。そして御依里が言うとおり、指先で触れると夏場の気温に左右されない冷感をじんわりと感じさせる何かがあった。


「いいからさっさと黙って付けろ、ネコメガネ、クソババ」


 迅護は御依里のことを名字の音古鐘と顔に掛けている赤フチの眼鏡とかけて、ネコメガネと呼ぶことがある。衣月に対してはたまにクソババと呼ぶ。


「はいはい、わかってるって」

「ご、ごめん……」


 苛立つ迅護をこれ以上刺激しないように、二人は速やかに指輪を身につける。サイズは共通だったが、衣月は中指に、御依里は人差し指に通した。

 しかし、身につけたからと言って特別何か変化があるわけでもなく、二人は指輪を通した手を眺めながら迅護の言葉を待った。


「テストだ」


 急にそう言うなり、迅護は緊迫した面持ちで言葉を続けた。


「これから俺たちは人捜しをする。いや、人以外も捜さなきゃいけねえが、とにかく急を要する最重要事項だ」

「ふぅん、僕にはどうでもいい話だね……」

「人捜し? めずらしいね、どんな人?」


 迅護は指輪を渡した二人を見定めながら、特に無気力そうな衣月の方を見てもう一言声をかけた。


「捜すのはガキと猫一匹。親父からの厳命だ。形でも守らねえと、お前の得にはならねえぞ」

「そう言われてもね、関心が湧かないのはしょうがないだろう?」


 そう言って衣月は手を振りながら迅護に背を向ける。


「待て、フケるなら指輪は置いていけ」

「付けろって言ったり外せと言ったり、一体なんなのかなぁ」


 飛び立とうとする衣月を呼び止め、与えた指輪を回収する。


「……ところで迅護、君の体が少し焦げ臭いようだけれど、見回りをサボって訓練でもしているのかな?」

「お前には関係ねえ」

「ふぅん、そっか」


 衣月はいぶかしむように、迅護のそっけない顔をジロジロと眺める。


「気持ち悪ぃな。言えば手伝うのかよ」

「そんなわけないだろ。じゃあね」


 衣月は、人捜しに本当に関心のなさそうな表情で宙に浮かび上がると、風が暴れるような速さで夕暮れの空を飛び、姿を消した。


「えっと、それでこの指輪っていったい何なの?」


 迅護と衣月の二人のやりとりもあって、御依里は空気を変えようと気まずそうな顔で迅護に尋ねる。迅護は変わらずそっけない表情のまま、しかし御依里の気持ちも汲んでなのか、小さく溜め息を吐きながら御依里の質問に返す。


「説明は後で親父と詳しくする。今わかってることは、衣月のクソババはアテにならないってことだ」


 そう言って迅護は風を巻きながら浮かび上がり、「ジーニアスに集合だ」と言い残して先に向かいはじめた。


「あっもう、待ってよ。せめて着替えさせてっ」


 すぐに御依里も地面を蹴り出し、飛びながら迅護の背後を追いかけた。


 …………

 ……


「さて、迅護から詳しい話は……どうせしていないだろうね」 

「わかってんじゃねーか」

「もうっ、自慢げに言うことじゃないでしょ」


 制服姿に着替えてきた御依里は頬をプゥっと膨らませながら小さく愚痴る。

 彼らの拠点である古書店ジーニアスに集合した迅護、御依里の二名は、カウンターの席に置かれた人型の大きな人形、通称、店長人形の前に立ち、小さな雑音の混じるスピーカーから聞こえてくる彼らの司令で迅護の父親、大業おおわざ疾凍はやての言葉を聞いていた。

 ……というのがいつもの光景だが、今日は具合が違った。

 店長人形の隣に、大業疾凍本人が座っていたからだ。カウンターの上に腕を置いて指を組んでいる姿と、笑っているように細められた目の奥からは、いつものように余裕あふれる光を感じ取ることはできない。

 誰から見ても、明らかな苛立ちが現れていた。


「濡常くんの姿が見えないが……想定していたことが悪い方に働いたかな?」 

「ああ、衣月のヤロウには霊癪金れいしゃくきん……指輪の効果が効かなかったみてぇだ。親父を引き合いに出しても無関心だったからな、間違いなく能力にアテられてやがる」


「仕方ないことだが……」と呟きつつ、疾凍は大きく溜め息を吐いた。


「それで、迅護が言ってた、捜さなきゃいけない人って誰なんです? なんでも、子供と猫だとか」


 沈んでいる疾凍からの言葉を待つより早いと、御依里は自身から質問を投げかけた。


「そうだね、まずはそのことから説明しよう。――迅護、音古鐘くんに資料を」 

「ほらよ」


 迅護はカウンターの上に裏面の状態で置かれていた二枚の資料を手に取ると、御依里に手渡す。

 受け取った資料の一枚目に目を通すなり、御依里の目が輝いた。


「うわぁ、可愛い……」


 そして二枚目にも目を通すと、速やかにその二つが捜索対象であることを理解し、「なるほど、わかりました」と返事をして疾凍の言葉を待った。


「一枚目の資料に書かれた対象は、この町で最も重要なものの一つと言っても過言ではない特殊な象霊能力を持っている。端的に言えば、その能力により我々術界の秘密を守る役割を長年果たしてきているからだ」


 ――『象霊しょうれい能力のうりょく


 それは『乱術』、『極盾』と固有の脈術を使う彼らとは異なる、第三の異能力を持つ術界『習術海しゅうじゅつかい』が用いる能力のことである。


「ネコメガネは象霊使いと会った経験はあんのか?」

「ううん、無いの。……正確に言えば、遠くから陸人兄さんと結雨さんが、盗術者の象霊使いと戦っているのを一度だけ見ていたことはあるけれども」

「だろうな、習術海は三術界の中でも規律も組織体系も一番優れているからな、盗術者にオチるヤツも極端に少ない。だが今回の問題は盗術者ってわけじゃあない」


 御依里はアゴに手を添えて、昔勉強した習術海についての情報を徐々に思い出してゆく。


「習術海……象霊使いは確か、普通には見ることの出来ない象霊と呼ばれる霊的存在と契約することでその能力を使うことが出来る。一つの象霊で一つの能力しか持たないけれど、複数の象霊と契約してチームで行動することでその欠点を補うことができる。そう、教えられています」


 疾凍はうなずき、話を続ける。


「先にはっきりと捜索対象の能力を言えば、広い意味で興味、関心といったものを操る能力を持っている。その能力はかなり広範囲にわたるため、この町で私たちが活動した上で起こる術界の痕跡から、人々の関心をゼロに近く向けることで術界の存在を隠してきた。少女の名前を湖元こもと……燈水ひすいといったね。湖元家は永くから習術海に保護されている、特定の象霊との血系統契約家系けっけいとうけいやくかけいというわけだ。うん、カ行が多くて噛みそうだ」


 言われて、御依里は思い当たる節があり、「ああ」と小さく漏らした。


「この間も、運動公園での戦いの跡もまだ残っているのに、外の誰も気にしないから不思議だなとは思ってたんです。そんなにすごい能力が効いてたんですね。陸人兄さんも結雨さんも教えてくれなかったから知りませんでした」

「これは術界の隠蔽に関わる重要な能力だからね。その存在は術界内部で比較的重要視されていたため、御依里くんのような末端にはまだ伝えていない情報の一つだった。しかし――」


 疾凍が一瞬、言葉に詰まると、迅護から言葉を挟んだ。


「その能力持ちが、あろうことか家出しやがった」

「い、家出?」

「そう、監督下から失踪……と言えば手厳しいが、ようは単純に家出だ」


 返す疾凍の声は、内容のわりにとても重たい空気を孕んでいた。御依里は渡された資料に再度目を通し、紙に書かれた『七歳』という項目を読んで、「なるほど」と漏らした。


「ただの家出なら単純に捜せばいい話だ。しかし問題は、捜索対象が今言ったような能力を持っていることがクソ面倒くせぇ」

「捜索対象はすでに都合の良いように能力を使っている。濡常くんが今回の捜索に協力的ではないことからも、すでに対象が自分たちから関心を失うように能力を発現していることがわかる。ちなみに、音古鐘くんたちに渡している指輪は、霊癪金と呼ばれる象霊の能力を制限する効果を持つ特殊な金属で作られている」

「でも、どうして衣月くんには効果が無かったんですか?」

「多分、あのクソババの体が極盾道具で出来てンのが原因だろう。指輪は人間の体に効果が発揮できるように作られているから、アイツみたいに変わった体には効果が無いんじゃねーのかってのはすでに予想していたが……ま、そうなっちまったな」


 そう言って迅護はズボンのポケットから衣月に渡した指輪を取り出し、カウンターの上に置いた。疾凍もその指輪を受け取り、ふところから取り出した銀色の箱の中に指輪を納める。

 御依里も自分の手に付けた指輪を眺める。赤みが主体で光の角度で虹色に輝く不思議な色合いと、いつまでも消えない冷感こそあるものの、そんな特別な能力を持っている指輪には一見して見えない。


「もし仮にこの象霊を失えば術界の大きな損失につながり、私たちだけの責任問題ではなくなる。なので、二人にはそれの捜索にあたってもらう。すでに応援は要請しているが、これまでと同様に早くても一時間半から二時間ほど先になるだろう。それまでに、君たちには対象の確保を、それが無理でもできる限り捜索範囲を限定しておいてもらいたい。なお町の警邏けいらは濡常君がするように私が連絡しておこう」

「わかりました」


 御依里が返事をすると、疾凍は不意に椅子から腰を上げ、両手の平を二人に見せつけるように持ち上げた。

 その手の中が一瞬、大きな輝きを放つと――その両手の中にそれぞれ、艶やかな金と黒に輝きを見せる両刃の短剣が握りしめられていた。刃渡りは20センチほどだろうか。


「今回は緊急を要するため、例外として使用する」

「ああ、わかった」

「えっ? えっ?」


 迅護は落ち着いた様子だが、御依里は疾凍が極盾武器を作り出すのを見るのも初めてであり、またそれを見せる意図が読めず、疾凍の顔と金黒の短剣を交互に見比べ、戸惑いを見せた。

 疾凍は左右の短剣を握りしめたまま、一歩ずつ、早足で迅護へと近づく。


霊針剣れいしんけん』 


 そして迅護の正面に立った一瞬、疾凍の両腕が残像を残すほどの速さで、迅護の胸元を二回、十字に切りつけた。

 あまりの速さに風が巻き起こり、迅護の髪やスカジャンをかき乱す。


「はっ、へっ? な……」


 驚き、理解出来ず、身を守るようにじりじりと後ろに下がる。しかし疾凍は説明も何もなく、今度は御依里の正面にまで歩み寄り、刃物を振るった。


「きゃ……ッ!」


 悲鳴を上げる暇も無い。風圧が御依里の髪をかき乱し、しゃがみ込むより速く、御依里の胸元には二重の輝く十字傷が生まれていた。


「…………んん?」


 しかし、痛みは全くない。

 御依里がゆっくりと顔を上げながら立ち上がると、胸元の十字に輝く光の傷は御依里の体に染みこむように徐々に消えて、十秒もたたずに無くなった。立ち尽くしているだけの迅護の胸元も同様に、十字の輝きは消えて無くなった。


「あ、れ?」


 疾凍の方を見て、その両手に握られた短剣の変化を御依里は御依里は見逃さなかった。さっきまで金と黒の二色だった刃物は、映えるような紅と白に変化していたからだ。しかし、じっくりと観察している間もなく、疾凍の両手の中から短剣は光の粒となって消えた。


「私は所用で別の場所に向かう。迅護、音古鐘くんに霊針剣の説明など頼む」


 迅護の返事を待たず、疾凍は二人に背を向けるなり早足でジーニアスの裏口から出て行ってしまった。


「……行っちゃった」

「よし、探しに行くぞ」

「ああもう早いってばっ。ちょっとは説明とかしようよ」

「るせえな、ったく……めんどくせえ」


 本心からめんどくさそうに呟く迅護の腕に取り付きながら、御依里は自分の体に起こった何かの説明をせがむ。御依里は本当に不安そうな顔で迅護のスカジャンを引っ張っている。


「わぁったよ。……あのな、親父の極盾武器、『霊針剣れいしんけん』は……俺も完全に把握しているわけじゃあねえが、運とかを操ることが出来る。本人は確率がどうこう言ってたが、詳しくはわからん」

「えっと……つまり?」

「簡単に言えば、スゲー運が良くなっているっってことだ」


 実感のない効果に対して、御依里はどう反応すれば良いかわからず、ただ首をかしげた。


「条件は限定的に、たぶん捜索対象を見つけやすくなってるとかそんなところだろうけどな。効果がどれくらい続くかも知らねえが、効果の具合によっちゃすぐに見つかるかもしれないし、最後まで見つからないかもしれねえな」

「な、なんか、すっごく曖昧な能力だね」

「だが効果は限定的でも確かだ。それこそ運がよけりゃ、適当にぶらついているだけでも対象を見付けることができるかもしれねえ。そういうアンバランスな能力なんだよ、アレは。多分な」

「うん、なんとなくわかった」


 御依里が小さくうなずくのを確認するなり、迅護は背を向けて歩き出した。


「対象が家出した北側は親父がすでに回ってる。お前は町の東側を捜せ。俺は南から攻める」

「え、ちょっと、ちょっと、まだまだ!」


 御依里はあわてて離れていく迅護の背中をひっぱる。スカジャンの襟で迅護の喉が締まり、ケホケホと小さく咳き込みながら止まった。


「コノヤロウ……」


 にらみつけるように振り返る迅護。喉をさすりコホコホと小さく咳をする。

 しかし御依里が浮かべる不安そうな顔つきに何かを察して、文句を吐き出すのを止めた。


「疾凍さんは言わなかったけど、どうして応援が来る前に捜さないといけないの? 敵が結界に侵入してきているのならまだしも、敵に奪われる仮定で動くにしても強引な気がする」

「…………」


 御依里が察した不安に対し、迅護は明確な答えを持っていることを匂わせつつも、なかなかすぐには答えを発しようとしない。

 しかし、小さく溜め息を吐いて、迅護は御依里と向き合った。


「人がすぐ死ぬだの殺されるだのってことにアレルギーがあるお前には言うのが面倒だったんだけどな……今回の捜索対象はどういう状況下で管理されているかはわかってるのか?」

「うん、渡された資料には、術界の監視下において一族で特定の象霊を管理や運用を認められている血系統契約家系である、って書かれている」

「つまり、一族の存続を保証する代わり、術界の言うことをちゃーんと聞いてください、それ以外の不要な能力の行使は認めません、つーことだ。当然だが、私的濫用は絶対に許されない。……ところがだ、逃げ出したガキはすでに自分の都合の為にその能力をバンバン使ってやがる。言うまでもねえが処罰対象だ。つーか最悪は削除だろうな」


 削除――つまり、殺すと言うこと。


 御依里の息がつまり、瞳孔が大きく開いた。


「術界にしちゃ問題のあるヤツにそのまま象霊を渡しておくより、管理しやすい人間に渡して運用する方がよっぽど安全だ。肝心の象霊さえ無事なら、運用なんざどうにでもなるってのが正直なところだろ。ただでさえ今の時代、血系統契約なんざ重要視する必要性が無くなりつつある感じだって聞いてるしな」

「それで疾凍さんは――」

「俺たちが先に見つけて適当に誤魔化しておけば、ガキの命くらいはなんとかできるかもしれねえ。だが、一度術界の応援を借りてしまえば、もう誤魔化しは効かねえ。ガキの処罰の判断も親父より上部に委ねられる。その意味……いちいち言わなくてもわかるよな?」


 御依里は迅護の襟首をつかんで引き寄せ、鬼気迫る表情で、叫ぶ。


「早く、早く探しにいこう!」


 迅護の襟から手を離すなり、今度は迅護を置き去りにして走り出した。


「覚悟しとけ……って言っても、アイツには意味ねえだろうな」


 裏口から出て行った御依里の後を追い、迅護もまた早足でジーニアスを後にした。


 ――その一方


「わたくし、お腹が空きました」


 とある空の巨きな倉庫……というか農業用機械のガレージの中、どこから持ってきたのか、少し古びた大きなソファーや絨毯、簡易ベッドが持ち込まれた環境で、燈水はソファーに腰掛け、胸に黒色の猫ニンを抱えながらポツリとこぼした。


「ハイ! 『おなかが空きました』来ましたァ!」

「どーするどーするのさ? コンビニで買ってくるか?」

「いやピザとか頼もうぜ、そのほが楽だろ」

「いやいやヒスイちゃん待たせるの酷だろ? つっても、デリバリーと買いに行くのどっちが早いよって話だけどさ。ニンの餌もいるだろ?」

「猫の餌ならもう買ってる。コンビニでちょっとな」


 そういって赤髪青ピアスの青年、勇也はコンビニの袋を持ち上げた。


「さすがだな勇也ぁ!」

「へへへ……」

「でもそれならヒスイちゃんの飯も買っとけって話だよな」

「ぐっ!」

「やっぱ勇也はダメだなぁ!」


 沸き立つ男たちの数は十二名ほど。空のガレージの中に男たちの声が騒がしく響き渡るが、その様子を燈水は口角を上げながら眺めていた。


「じゃあこうしようぜ。コンビニに買いに行くしデリバリーも頼む。これなら問題ねーだろ」


 おおおっ、と沸き立つ男たち。


「天才ってこういうときに出てくるとホンモノだよなぁ。関心するぜ」

「フッ、金は俺に任せとけ」


 懐から三枚の万札を取り出す男。それぞれを買い出しに出かける男たちに手渡す。


「お前お前お前おまえ……いくらなんでも男気ありすぎんだろ……濡れるわ」

「はいはいはーい! それ、次は俺がやりたいでーす!」

「さっさと出るぞォ! なんか必要なの追加であったらすぐ連絡しろ」


 自分のために散財も惜しまない男たちの哀れな姿を眺めながら、燈水はこらえられない笑いをクスクスと漏らしながら、膝に置いたニンをそっと何度も撫でた。


「おばあさま、わたくし……ここに、わたくしだけの秘密基地を作ります」

 

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