会――⑨
採石場の跡地に時間通りに到着した
雨の勢いは一時間前よりやや弱まってはいるものの、脈術で雨をドーム状に弾いていなければ、足元の靴のようにすぐにズブ濡れになってしまうだろうことは確かだった。
「疾凍さん、まだ来ていないね」
「そうだとは思ったよ。それよりも気を引き締めて」
「え――」
御依里が疑問符を言葉にするより早く――空からひとつの影が降ってきた。
そう、人影だ。
《ドシャアァッ――》
着地したその人物は、地面に染み込んだ水を勢いよく広い円形に周囲へと弾き飛ばす。その砂利が混じる水しぶきを、御依里と衣月は脈術でドーム状に弾く。
「……ふぅ」
ゆっくりと立ち上がり、ズボンのポケットに手を突っ込んだ状態で仁王立ちするその人物は疾凍ではなく――
「なるほど、やはり君がここに来るか」
衣月は不敵な笑みを浮かべ、姿を現した赤いスカジャンの男を指した。
「えっ、そんな、なんで……」
想定内という雰囲気の衣月と対照的に、御依里は戸惑いの表情を浮かべる。すると衣月はすぐに御依里と視線を交わし「大丈夫、まかせて」と言って一歩前に進み出た。
スカジャンの男はゆっくりとポケットから両手を引き抜くと、少し広げた状態で黒いグローブに覆われたその手を大きく広げる。
すると、その両手首に輝きが灯ったかと思うと――
「こっちは本気の許可が出て
《ジャララララララァッ》
金属が激しく擦れる音と共に、輝きを突き破って両腕に一対の長い鎖が生まれた。
手首には手錠のような金属の輪で繋がれていて、鎖の長さは3メートル以上はある。その見た目も鉄色と言うより、鈍く輝く黒に近い。
その一対の鎖は、まるで生き物の舌のようにゆっくりとうねり、御依里は昨日脳裏に強く刻まれた印象から、
衣月は変わらず不敵な笑みを浮かべているが、その姿勢は御依里が外から感じられるほど張り詰めた臨戦態勢であることは間違いない。
『
その両手に氷の武骨な小剣を作り出し、鋭く振って張り付く雨水をはらう。
続けて唱える。
『
その散らばる雫の一つひとつが空中でとどまり、集まり、ピンポン玉ほどの大きさへと成長して衣月の周囲に浮かび上がる。
いつ戦いが始まっても、お互い準備は万全といった様子である。
「
口を開いたのはスカジャンの男。
衣月の背後を黒いグローブの鉤爪で指さし、警告を促す。
「話があるンなら、今のうちにしといたほうがいいぜ」
その指さす方は御依里ではなく――
「こらこら
「えっ!?」
驚きの声を上げる御依里。
いつの間に現れたのだろうか。衣月の背後、そして御依里の真横に立っていた壮年の男性に驚き、思わず一歩身を引く。
だが、御依里の身体が下がるより早く、男性に力強く腕を掴まれて止まる。御依里は目を白黒とさせながらも、その顔をはっきりと捉えた。
「
常に笑っているように細められた目。耳の上ほどの高さまで刈り上げられた、清潔感のある真ん中分けの黒いストレートヘア。整った背筋と、メリハリのある筋肉質な細身の身体をした壮年の男性。
「……
「チィッ!」
大きく舌打ちをし、しかし戦闘姿勢を崩さない衣月。しかしそれは同時に、背後は全くの無防備を晒しているのと同じ。
しかし今、背後へと注意を向ければ、正面に立つスカジャンの男が一瞬のうちに詰めてくるだろうことは確実だ。
「挟み撃ちとはずいぶんと卑怯な手口……なんてことは言わないけど、消極的な戦法を取るんだな。
「ハハハハ、君が勝手に後ろをガラ空きにしていただけじゃあないか。私はのんびりと空から降りてきただけだよ。それに――」
正面で、今にも衣月へ飛びかからんと姿勢を低くし、グローブの指を握って閉じてを繰り返す、
「この戦いに私はいっさい手を出さない。いい歳の中年だ。音古鐘くんの身を守るだけで精一杯さ」
「冗談を言うなよ大業疾凍。僕は何のためにここまで来たと思っているんだ。……貴様が何を考えているかなんて知ったこっちゃないけどね、僕はこんな下位互換と戦うためにこれまで腕を磨いてきたわけじゃねぇんだよっ!」
「人の息子を安易に下位互換なんて表現するものじゃあないよ。なにせ迅護は――」
疾凍は肩をすくめ、しかしどこか嬉しそうな声で言った。
「まるで私に似ていない……そう、ほとんどが母親
「は? おい親父、俺にもケンカ売ってんのか?」
眉間にシワを寄せてケンカ腰になるスカジャンの男――その名は、
一歩足を進めて前のめりの姿勢を取ると、一対の鎖を蛇のようにユラユラと動かしながら片手を地面に付け、その視線の先を衣月へと絞り込む。
「テメェもいい加減にしやがれカス。いま戦り合ってんのは親父じゃなく、俺だろうが」
「親子そろって自己中心な野郎どもが……っ!」
衣月の四肢に力がこもる。
迅護の両腕にもまた渾身の力が込められる。
雨水の落ちる速度がゆっくりになる。
地面に広がる水たまりが波打つ。
泥だらけの地面が揺れる。
氷の小剣がゆらりと軌跡を生む。
衣月の周囲に浮かぶ水の弾が震え、形が紡錘形へと変化する。
――戦いが、動き出した。
「僕の目的はお前だけだぁああああああっ!」
背後に向けて大きく足を踏み込む衣月。
『
衣月の足元から巨大な土と石の槍が三本生み出され、後方の疾凍と御依里へと襲い掛かる。同時、宙に浮かぶ紡錘形の水の弾丸は、すべて正面の迅護へと発射されていた。
衣月の体は、素早く切り返しを行い、背後にいるはずの疾凍へと、両腕の氷の小剣を構えながら飛び出していた。
しかし、
「だから言っているだろう、君の相手はアッチだと」
疾凍は腕をつかむ御依里ごと真後ろへの超高速移動。土の槍が届くより早く衣月の間合いから飛び出し、御依里を手荷物のように振り回し、持ち上げ、両腕の中でお姫様だっこにする。
「う、あ、ひゃぁっ!?」
御依里は体験したことのないほどの速度、そして雑な扱いに
『
疾凍は息をつく間もなく、周囲の雨水から泥水、ありったけを集め、全身を覆いこむほど巨大な水の膜を作り出し、それを超高速で回転させて衣月の攻撃から身を隠し、守る壁にする。
「目の前に集中しろ、コスプレ野郎」
『
迅護の行動も早い。
自分の真後ろに光り輝く火球を作り出すと、それを爆発させて驚異的な初速を得る。そして迫りくる無数の水の塊を両手のグローブですべて叩き落し、迫る勢いを落とさない。さらに、進む体の背後に次々と火球を生み出しては連続で爆発を起こし、加速し、一瞬のうちに衣月までの距離を詰めた。
衣月は完全に逃げの姿勢に入っている疾凍の速度に追いつけず、超高速で襲い掛かる迅護に追い詰められ、その氷の小剣と黒い鉤爪をぶつけ合わせてた。
《バキィイイイイイイインッ》
「うっとうしい、うっとうしい奴だ! これ以上、お前の相手なんかしていられるかァ!」
「キャラがブレてるぞテメー。そっちの方が好印象だがな」
《ヒュパッ ジャラララララァッ》
空気を切り裂くような音と共に、左右へ広がっていた一対の鎖が衣月の体に襲い掛かる。
「チィッ!」
『
衣月は踏みしめている地面を爆発させ、石の破片を迅護へとまき散らして目つぶしを図る。
次いで、その爆発の勢いに乗って背後に下がり、体に触れる寸前だった鎖をブリッジで回避して、バック転を繰りかえしながら距離を取る。
視線をチラリと疾凍たちの方へと向けるが、二人を包む水のドームはすでに採掘所の切り立った崖の上にあり、正面の迅護を無視しての攻撃はほぼ不可能に近かった。
「クソッ……あーあー、はいはい、わかったよ、わかったよ。いいだろう、お前の息子を先にブチ殺してから話をしようじゃあないか。ちょっとでも隙があれば、その女もツブしてやる」
今までの余裕あふれるキャラクターとは一変。完全に攻撃的な姿勢を見せた衣月は殺意のこもる視線で迅護をにらみつけ、奥歯をミギリ、と噛み締めながら小剣を握りしめる両手に力を込めた。
『
衣月が独り言ちるうち、爆音とともに爪を構える迅護が迫る。今度は爪が届く間合いの外から鎖が先に襲い掛かり、衣月はそれらを両手の小剣で弾いて叩き落とす。
無防備な隙が生まれた瞬間を逃さず、迅護の振りぬく両手の爪から術が放たれた。
『
四本と四本が交差する八本の空気の斬撃波が、衣月の体へと襲いかかる。――しかし衣月はまったく回避する様子を見せず、それどころか向かってくる斬撃波へと自分から飛び込む。
「もうね、恰好がつかないかどうかなんて、どうでもいいんだよ……ッ!」
ザクン、と胴体に深々と刻まれた交差する八本の傷跡。
しかし次の瞬間、傷跡から一瞬のうちに金色の粘液があふれ出し、肉体が復元され、衣月はまったくの無傷となって迅護へと氷の小剣を振るう。
「君に、この僕の極盾防具『
風を切り裂く高速の氷の小剣、跳ね上がる石ごと断ち切る豪快な黒い鉤爪、そして命を持つかのように暴れる鎖が、一切の間を置くことなくぶつかり合う。
互いの近接武器がぶつかり合う合間にも、わずかな隙を狙って空気の弾丸や水の弾丸、小さな氷の塊などが飛び交い、それらを二人は拮抗した状態でさばきながら一切の直撃は受けない。
「超回復つったな。言っとくが、テメーの極盾道具の能力はすでに割れてんだよ」
豪快なぶつかり合いの直後、二人の間にすこしばかりの間合いが生まれる。
その瞬間、迅護は片手のひらを衣月へと向け、脈術を放った。
『
まったくの予備動作も無く、その手から前方に集約して放たれた有効範囲20メートルに届くほどの強烈な衝撃波。
地面に溜まる水と降り注ぐ雨水が空気ごと大きく弾けて霧と化し、衣月の全身を、脳をかき乱さんばかりの衝撃が襲う。
「くっ、が……かはっ」
(やっぱり吸収だけじゃ無い。吸収した術を開放できるのか)
《――ジャラララリィッ》
「くそっ!」
そして、気付いた時には衣月の右腕に鎖が巻き付いていた。直後、すさまじい力で引き寄せられ、爪を構える迅護の前へと引きずり込まれてしまう。
展衝波の衝撃で脳が揺らされ、すさまじい不快感が襲う中、腕に巻き付く鎖を引きはがすために衣月が取った行動は――
「めんどくせぇなぁあああッ!」
叫び声を上げながら瞬時に行われた、氷の小剣による自身の右腕の切断。
切り口から金色の粘液があふれ出し、それをこぼしながら衣月は背後へと飛びのく。
しかし――
《ジャラァッ――》
その対応を予測されていたのか、すでに左足にも鎖が巻き付いていた。
「しつこい!」
しかし衣月は、今度はためらいすら一切見せることなく、氷の小剣で自分の左足を切断する。
そして目くらましのために目の前で氷の小剣を粉々に爆発させると、迅護から距離を取りながら、あふれ出る金色の粘液を変形させて、失った右腕と左足を形成していく。わずか二秒も経たず、切断された右腕と左腕は、失った服ごと完全に再生されていた。
迅護はその様子を観察するように、攻めることなく止まったまま、地面に落ちる手足と衣月を交互に見つめた。
しばらくすると、切り落とされた手足は徐々に形を失い、金色の粘液となって地面の上に広がり、雨に叩かれて波紋を作りながら泥水の中へと溶けてしまった。
「なるほどなあ、頭ン中の脳みそ以外は全部作り物っていうのは、こういうことかよ。……チッ、親父の奴、最初から情報を渡しとけってんだよ、クソ」
衣月は再生した右腕の中に再び氷の小剣を作り出し構える。そして再生した左足のつま先で地面をトントンと蹴る。すると無数の泥水が塊となって宙に浮かび上がり、空中で制止した。降り注ぐ雨水がその塊に吸い寄せられ、徐々に大きさを増していく。
「そっかそっか、バレちゃっていたのか。……ま、だからといってそれが弱点になるわけでもないし、僕の能力がただ不死身なだけってワケでもないしね」
「不死身だぁ? 脳みそ吹き飛ばせば俺の勝ちだ。わかりやすいじゃねーか」
迅護は一度、全身を濡らしていた雨水を操水術ですべて弾き飛ばし、背筋を伸ばして大きく息を吐いた。
そして腹に力を込めながら背筋を丸め、スカジャンのファスナーに指を掛ける。
「ぅるおぉおおおおおおッ!」
気合を込めた叫びを放ちながら力強く引き下ろしたファスナー。
そうして開かれたスカジャンの下から現れたのは、古傷だらけの素肌。それも、岩のように鍛え上げられた大胸筋や腹筋が浮かび上がり、その単純な肉体の戦闘能力の高さを見る者に思わせる。
「ぐ、は、おおおおっ……頭ンなかに血がめぐるぜ……さっさとお前をブチ殺したくてたまんねえってなぁ……ぁああああアッ!!」
両手足を大きく広げ、全身を旋風で包み込む。大量の水が頭上に集まり、振り回す鎖は降り注ぐ雨を砕き、黒い鉤爪の先端からは獣の涎のように雨水がボタボタと
「ふーん、それが君のルーチンかい?」
衣月は高揚する迅護の姿を見て、取り
いや、それは逆に、彼にとって一番自然な表情なのかもしれない。
『
両手だけでなく、同じ形の小剣を空中に四本作り上げる。
『
さらに、宙に浮かべた泥水と雨水の塊を高速で回転させると、薄く鋭い円盤状に形成し、凍り付かせて形状をとどめる。
「なるほどね。ちょっと話しただけだけど、確かに君と大業疾凍は似ていないのかもしれないね……。そして、君みたいにわかりやすいヤツの方が、僕は好きだ」
キンッ、と鋭い音を立てて、衣月もまた全身を覆う雨水を弾き飛ばす。お互いに最高の準備が整ったことを確認した両者は――
まったく同時に、行動を開始した。
「切り裂けェ!」
衣月が放つ、いくつも氷の円盤。それらを発射すると同時、衣月は宙に浮かべた氷の小剣と共に、踏みしめる地面を連続で爆発させながら超高速で前進してゆく。
「ぐるぉォオオオ!」
『
雄たけびと共に、頭上の水球に両手を突っ込む迅護。そして、そこから水を引きずり出すように、全身の筋肉に力を込めて両腕の爪を振り下ろした。
そうして放たれた八本の水の刃は鋭い水の斬撃となって飛び出し、超高速で突撃してくる衣月へと襲い掛かる。先に放った氷の円盤のいくつかは、水の斬撃とぶつかり合い簡単に打ち壊される。
「君は前に出るか、それとも――」
衣月は迫りくる水の斬撃を、体を独楽のように回転させながら横へと回避。即座に水の斬撃の裏側へ回り込む。
だが、その斬撃の向こう側に迅護の姿は無い。
(疾凍の息子がいない? どこへ――)
刹那、衣月は両手に構えていた氷の小剣を宙に投げ、身体の回転を止めずに地面に両手を触れて、周囲の水を集める。
衣月の真横を通り抜けた水の斬撃は、そのまま宙を凄まじい速さで直進し、採石場の崖に直撃。無数の石の塊や破片をまきちらし、文字通り深々と巨大な爪痕を残した。
『
地面を滑る衣月は両手を地面につけたまま脈術を唱える。すると一瞬のうちに大きな泥水のドームが覆われ、衣月の姿は濁った分厚い水の壁の中に守られる。
その直上から――
「ぐ、ルルゥぉッ!」
宙に飛び上がっていた迅護は右の拳を渾身の力で握りしめ、脈術でその威力を破壊的な域にまで高め、衣月の作り出した水のドームへと叩き込んだ。
《ドゴォオオオォォォォッッ》
一切の抵抗を感じさせないほど容易に水の防壁を突き破り、地面に突き刺さる拳。地面がクレーター状に凹み、無数の亀裂が奔る。
そのドームの真下にいた衣月もまた、拳の威力によって砕かれ、周囲に水しぶきとなって弾け飛んでいく。
「――チッ」
しかし、迅護は当然のように違和感に気づく。
(これは『
水で造られた衣月の分身体は、なんの手ごたえも無く水しぶきに、そして水たまりへと変わる。周囲は霧状のしぶきに包まれ、それが目くらましとなり衣月の居場所を隠す。
迅護が周囲を探る瞬間、衣月は音もなく迅護の背後に現れ、その両手に構えた氷の小剣の先端を、ガラ空きの迅護の背中へと高速で突き出す。
《キィンッ》
挟みあうようにぶつかり合う二つの小剣。
その先端には一本の鎖が巻き付き、小剣をしっかりと絡めとっていた。
「へえ、これを読むか」
衣月は即座に小剣から手を離し、宙に作られていた四本のうちの二本を手に取る。
しかしその瞬間、
「……ッ!?」
(足が――)
衣月は何者かに片足を引っ張られ、バランスを崩して腰を着く。
それは何者でもない。迅護のもう一本の鎖が衣月の脚に巻き付き、すさまじい力で引っ張ったのだ。
「脳ミソ、ぶっ潰す」
地面に仰向けに倒れる衣月の頭部へめがけ、ギリギリと音を立てるほど力強く握りしめられた迅護の拳が迫る。
「ハッ、怖いねぇ!」
瞬時、鎖の巻き付いた衣月の脚が金色の粘液に変化。鎖から抜け出すと、叩きつけられる迅護の拳を、体を回転させながら飛び上がり、回避。
迅護の拳は地面を殴り付け、そのすさまじい破壊力は土砂と石の破片をまきちらしながら陥没し、大きな穴を作り出した。
衣月は回避と同時に地面を転がりながら迅護から距離を取る。欠損した足を一瞬で再生させながら、そのまま地面に両手を置いて態勢を立て直すと、二人の間が5メートルと離れていない距離で脈術を唱える。
『
直後、地面の泥水が一瞬で集まり、巨大な氷の槍となって迅護へと突き出される。それも一本だけではなく、続けて五本が生成される。
自身へめがけて突出してくる氷の槍に対し、迅護は両手を広げ、氷の槍の先端へと手のひらを向ける。
「意味ねーぞ」
両手のひらに触れた二本の氷の槍の先端は、静かな音と共に砕け散り、迅護はそのエネルギーを黒いグローブの中に蓄える。そして地面を踏みしめると、自分にめがけて放たれた氷の槍の一つへとその両手を触れた。
『
氷の槍の衝突を吸収した力を解放。強烈な衝撃波によって氷柱を破壊し、氷塊の散弾として放つ。
すさまじい威力で放たれた氷の塊は、地面にいくつも突き刺さり、かすめる衣月の肉体も削り飛ばしてしまう。幾つかは胴体にも突き刺ささり、風穴を開けたが……その程度の傷は、後方に吹き飛ぶわずかな時間の間に修復してしまう。
(とはいえ、このままじゃ攻め手に欠けるなあ)
地面を転がる衣月は、地面に手を当てた瞬間に脈術を起こし、軽い衝撃波を放って体をバウンドさせる。そして体勢を立て直すと、三回転ほど後方回転しながら両の脚で地面に着地して、宙に浮かせていた氷の小剣を手に取り、構える。
そして背後に輝く火の球を作り出し――
『
爆発を起こし、その勢いを全身に乗せて迅護へと突進する。
その判断は、迅護も同じく――
『
彼もまた背後に爆発を起こし、衣月へめがけて急接近する。
「シイイイィィッ!」
「ぐルォ、ルルオァァッ!」
《 ゴォギィイイイイイインッッ 》
激しい衝撃を起こしながらぶつかり合う鉤爪と小剣。
続けて襲い掛かる一対の鎖を、宙に浮かべた二本の氷の小剣が対応する。
二人は空中へと浮かび上がりながら、迅護は鉤爪による強力な攻撃を連続で放ち、衣月は氷の小剣による繊細で鋭い攻撃を無数に繰り出す。
「とはいえ」
衣月が口を開く。
「このままじゃあ決着がつかないことはわかってきたんだよね……と言うわけで」
衣月は襲いかかる鎖を右手の小剣で弾き飛ばすと、次いで振り抜かれる迅護の黒い鉤爪へとその右腕をさらす。
とっさの出来事に迅護は判断する間もなく鉤爪を振りぬき、衣月の身体からその腕を分断した。
《――ざくんっ》
真上に弾き飛ばされ、宙で回転しながら金色の粘液をまき散らす衣月の右腕。衣月は攻撃の手を止めることなく、今まで見せた中でも最速の再生力で右腕を生み出す。
その直後、頭上で回転していた右腕はドロリと形を失い、雨と混じって金色の液体をまき散らして、一瞬のうちに蒸発していくかのように空気の中へと溶け込んでいく。
「なんのつもりだテメェ!」
「味わうと良い、僕の極盾防具の……最後の、能力を」
衣月は攻撃の最中、宙で操る氷の小剣で迅護の鎖を絡めとり、自分から無防備な左腕を突き出して、迅護の右腕の鉤爪にぶつけ、撃ち砕かせる。
衣月の左腕は金色に溶け、粘土のようにずぶりと迅護の爪を飲み込む。
「チィっ!」
「逃がさないよ」
そして撒き散る金色の粘液は、衣月の意志を感じ取ったように一瞬で気化し、動きが止まった二人の周囲をただよう。
「くっ、テメェ!?」
ねっとりと金色が絡まる衣月の左腕から、鉤爪が抜けない。残された迅護の左腕も、両手首の鎖も、衣月の空中で操る小剣の攻撃を防ぐので精一杯だ。
「滅多に使わないけれどね、僕の極盾防具『
衣月の肉体ダメージを計算から外した行動は続く。残された迅護の左腕もまた、衣月は自分から捨て身の攻撃を放ち、わざと右腕を黒爪に食わせる。
もう、捕らえて、逃がさない。
「ホラ、捕まえたよ」
「ぐ、ギッ……!」
迅護に残された武器は一対の鎖だけだが、それも衣月が操る氷の小剣をさばくので精一杯だ。迅護が爪を引き抜こうと身をよじるほど金色の液体が周囲に巻き散って、瞬時に気化して空間を満たしていく。
「その、なんでも攻撃を吸収する極盾武器を塞がれた状態で、どう防ぐか見せてみろよ――」
瞬時、衣月の口の中が真っ赤に輝き、捉えた迅護の顔へと火を吐き出した。
そしてその炎は周囲に気化して漂う衣月の極盾道具『琥珀湯』と反応し――
「う、る、ぐぅるオオオラァああああッ!」
迅護は叫び、両手の黒を震わせる。
『
迅護が刹那に放ったのは、両腕のグローブに吸収した力をすべて解放した、周囲に拡散する衝撃波。その強烈な破壊力により、迅護の両腕は衣月の身体から引き剥がされたが……
――爆発を防ぐには、間に合わない。
《 ズドォオオオオオオオォォン 》
二人のいた空間を、真っ青な輝きの炎が包み込んだ。
爆風と業火を受け、全身を炎に包まれた二つの影が炎の中から吹き飛び、鈍い音と共に地面に落下する。
「がはっ!」
「ぐぁっ……うぅッ!」
両者とも、受け身もロクに取れていない体勢で地面にぶつかり、泥水の上を人形のように転がっていく。全身を包んでいた青い炎もまた、雨水で消えていく。
二人はしばらく動けずにいたが、先に動き出したのは――
「……はははっ、もうちょっとだ。もうちょっとなんだ」
衣月だ。
砕けた両腕だけでなく、体のあちこちが裂けて金色の粘液をこぼしている。衣月はその傷をゆっくりと再生させると、見た目はまったくの無傷のようになって立ち上がる。
「……ぐ、ぉ、……かは」
全身を震わせながら、両手を地面について立ち上がろうとする迅護。
身に着けていたスカジャンは左右に裂けてしまい、上半身は目に見てわかるほど火傷に覆われている。見た目のダメージはそれほどではないが、爆発の衝撃は脳や内臓にもダメージを与えており、思うように肉体を動かせない。
だが、それは普通の反応ならば――の話だ。
「……やって、くれたじゃねえか、このクソ野郎ォ……」
破れたスカジャンを脱ぎ捨てながら立つ。幾多の訓練と実戦によって刻みつけられた習性のように、体のダメージとは関係なく立ち上がる。鼻から垂れる血をぬぐいながら、闘志の一切衰えていない眼光で刺す。
そして口元に浮かべるのは、余裕すら感じさせる笑みだ。
「ここで立ち上がるのは流石、と言いたいけどね……もう終わらせるよ」
『
衣月は自分の周囲に脈術をうながす。周囲の雨水や泥水が小さな弾となって無数に浮かび上がる。
そして一拍を置く間もなく、迅護へ向けて発射した。同時、足元を爆発させながら迅護へと迫る。その手に握るのは、得意とする氷の小剣だ。
「すぅ――……はぁ――」
ふらり、と迅護の体が左右に揺れる。だらりと垂らした両腕の鎖が激しくうねりながら浮かび上がり、襲い掛かる無数の水の弾丸を叩き落としてゆく。
《ジャララララララララァッ――》
そして向かってくる衣月の体に一瞬で巻き付くと、衣月の肉体を絞り切るように荒々しく締め付ける。
――その直前、衣月は氷の小剣を頭上に投げていた。
「ソレはもう学習済みさ」
そして鎖が全身に絡まった直後、衣月の頭部を除く全身が金色の粘液となって形を失い、衣月の肉体は拘束する鎖をすり抜けて、迅護の眼前で再び肉体を構築した。
その動作すべて、二秒に満たない。
「これで――仕舞いさ」
衣月は頭上から落ちてきた氷の小剣を受け取ると、一切の回避行動を見せない迅護へと、躊躇無く振り下ろした。
「――ンだよ、もう俺しか見えてねえのか」
迅護がそう呟くより早く、衣月は不穏な何かを感じ取っていた。
しかし、剣を振り下ろそうとする腕は止まらない。いや――
迅護の首筋に触れる直前で、一切動かなくなった。
『
気付いた時、すでに衣月の頭部を除く全身は凍り付いていたからだ。
「な、なぜ……なんで……」
「間に、合った」
「なんでお前がそこにいるんだよぉおおおおおっ!?」
凍り付く衣月の体を背後から抱きしめていたのは、決して疾凍などではない。
もう一人、この戦場にいたのは――
そう、御依里だ。
「……させない」
密着しすぎるあまり、自分の身体まで霜に覆われることも
その身体は、寒さや恐怖とは違う感情によって激しく震え、両目にはうっすらと涙も浮かべていた。
「私は……私のせいで誰かを失うのは、もう嫌……嫌だっ!」
「ふざけるなよ……こんな終わり方……こんな終わり方で納得できるわけがッ――」
声を上げて
「俺も納得できねえよ。だがな、俺との死合に飲み込まれたお前の負けだ」
迅護は御依里に「危ないから離れていろ」と声を掛けると、空いた左手を凍り付いた衣月の胴体へと当て、静かに脈術を唱えた。
『
迅護の手から放たれた衝撃波により、凍り付いた衣月の肉体は粉々に砕け散る。
《ガシャァアアアアアアンッ》
「クソがぁあああああああああアアアッ!!」
残された頭部が宙で弧を描き、泥水の上へボチャリと落ちる。
金色の断面を持つ肉体がばらまかれると、一つ一つが泥水の上に落ちて、雨水をはじきながら水の中に沈んでいく。
御依里は衝撃で軽く吹き飛び、泥水の上に腰から落ちて尻もちを付いた。
ほぼ同じタイミングで雨は急速に勢いを失い、霧のような小雨だけが柔らかく降り注いでいた。
「ふっ、ぐふっ、ちくしょう……肉体、身体の再生さえできれば……ちくしょぉうっ」
衣月は生首になっても最後まであらがう。しかし、いくら残された力を振り絞っても、あふれ出てきた金色の粘液は首筋までしか再生できず、頭を動かすことも満足にできなかった。
――衣月もまた、再生能力の限界だった。
「ああああああああああっ、あああああああああああぁ! なにやってんだよテメェらぁ! ふざけっ、ふっざけんじゃねぇええええ! 僕は、僕はこんなことで終わりにするわけにはいかないんだよぉおおおおおおオオオッ!! ぐがぁっ――!?」
迅護に髪の毛を掴み上げられ、生首のまま宙ぶらりになる衣月。それを迅護は尻もちをついたままの御依里の前に突き出し、問いかけた。
「この決着はお前が作った。どうする?」
「……えっ?」
どうする、という問いの意味がわからず、御依里はとぼけた表情で迅護を見上げていた。
「殺るか、逃がすか。お前ならどうするかって聞いてんだ。言え」
「私が、決め……」
立ち上がりながら、迅護の手につかみ上げられた衣月と目を合わせた。衣月の視線にはいまだに強い敵意が感じられ、いうなれば、死に
御依里の煮え切らない様子を察して、衣月は口を開いた。
「どうして迷ってるんだよ? もしかして今まで敵を殺したことがないなんて言うのかい?」
「……ええ、その通りよ」
真剣な表情で答える御依里の言葉に、衣月は鼻で笑って返した。
「なんでこんな奴に最後の手を打たれたのか……無念にもほどがある」
そう衣月が漏らした瞬間――
御依里の平手が、衣月の頬を叩いた。
「人の命を奪うのも自由なら、生かすことだって自由なはずよ! そこに変な価値を決め込んで格好つけないでよ!」
衣月の生首は迅護の手の中で振り子のように揺れて、しかしその目はじっと御依里をにらみつけていた。
気づけば雨は上がり、雲間から星の輝きすら覗いていた。
「私、決めた。こいつを殺さないで」
「ダメだ」
冷たく答えたのは迅護。
「えっ……?」
「俺はお前がどうしたいかを聞いただけだ。最後は俺が決める」
「じゃ、じゃあなんで私に聞いたりしたのよっ!? どうして、そんなこと……」
思わぬ答えに動揺しながら問いかける御依里。しかし迅護の見せる表情はいたって真剣で、それ以上御依里が口を挟むことを許さなかった。
「ほんの少しだが以前、
「陸人兄さんに……?」
「命だ何だと、状況によって価値が簡単に左右されるものを中心に考えて、目の前に見えている危険性や問題を無視して敵を生かそうとする。……あのなぁ、お前、本当にさっきの戦いを見てたのか? 単純に言って、自分より遥かに強く、危険性の高い敵を殺さず生かす……そんな馬鹿みてぇな決断があるかクソ」
そう言って、衣月の髪を掴む手と反対の手に、脈術を備えた拳を構える。
衣月も、これが最後だと観念し、目を閉じてその瞬間を待った。
――しかし、そこに彼が降り立つ。
「いや、音古鐘くんの決断を尊重しよう」
迅護の手を掴み上げたのは、大業疾凍だった。
「親父――」
迅護は掴まれたその手を見ながら「チィッ」と強く舌打ちをし、疾凍から手を振りほどいた。そして衣月の頭を手荷物のように一回転振り回し、疾凍へと投げつける。
疾凍は衣月の頭部を両手でキャッチすると、その小さな頭を正面から見据えてニコリと笑みを浮かべた。もっとも、常に笑みを浮かべているような顔ではあるが。
「たしか
「ふぅん……聞かせてみなよ」
もはや自分に選択肢は無いと観念しているのか、衣月は白けた表情ではあるものの、聞くだけは聞こうといった表情で疾凍と視線を交わした。
「実はそこの女性、音古鐘くんの教育係がしばらくいない上に、仕事の人員も足りなくて困っているんだ。……というわけで君、一か月間ほど私に協力してくれないか?」
疾凍の提案に真っ先に反応したのは迅護だった。信じられないと言った顔で疾凍を鋭くにらみつける。御依里も驚き、口に手を当てて目を丸くしている。
「つまり、御依里ちゃんの教育と保護、そして町の守護もしろということかい?」
「その通りだ」
「見返りは?」
「君をここで殺さないこと。そして君が望むだろう、私と正面から本気で戦うチャンスを一度だけあげよう。その二つでどうだろうか?」
疾凍は細めた目をうっすらと開き、ニヤリと笑っている衣月の瞳の奥を覗きこむ。
「ふぅん、いいんじゃないかな。なにせ、御依里ちゃんも僕に死んで欲しくないそうだからね」
疾凍は空気を読んで衣月の顔を御依里へと向けた。御依里はわたわわと手を動かし、困ったような様子で迅護の方を見たが、迅護は両手を組んで背中を向けていたため、意見を仰ぐことはできそうになかった。
「だ、だからって私は、あなたに教育なんて……」
「ふふーむ、これはツンデレってやつなのかな?」
「ツンデレ……え? なに、え? ……そ、そんなことより、さっき疾凍さんから聞いたわよ、あなた本当は四十半ばも超えてるオジサンだそうじゃない! あーもう騙された、くやしい!」
「オジサン、じゃなくてオバサンなんだよねぇ。未成熟な男の子の体ってサイコー。はははははははっ」
ケタケタと笑う衣月をじっとりとした視線でにらみながらも、御依里は諦めたように大きなため息を吐いた。
「この人、変態性が高い……」
「だってさあ、自分の望む姿になれるチャンスがあるんなら、逃さない手は無いでしょ?」
「まあまあ、両者の了解が取れたところで、お開きにしようじゃないか」
「疾凍さん、私は全然納得できてないんですけど……」
疾凍は感情のこもっていない「ハハハハ、ハハハハ」という笑い声ですべてをごまかした。
「しかし本当にいいんだね、大業疾凍?」
「うん?」
衣月は疾凍の笑い声に合わせて笑顔を浮かべていたが、間を置かず真剣な表情になって疾凍に尋ねた。
「僕の消耗した素脈も体力も、三日もあれば十分に回復できる。そうすれば逃げることだって考えられるだろう。この二人を裏切ったり、君の寝首を掻くことだって――」
「ああ、それなら心配に及ばない。そもそも私はほとんど姿を出さないし、そんなことがあれば私は君の前に二度と姿を現さない。逃げても裏切っても、君にとって得なことはそれほど無いよ」
「……ふぅん。ま、いいだろう」
互いにニヤリと笑い、影を感じる「フフフフ……」という笑い声を漏らしながら話は終了した。
「それでは私は先に退散するとしよう。二人はジーニアスに向かうように。医療班がすでに向かっているからね」
といって疾凍は衣月の頭を抱えたままフワリと浮かび上がり、御依里に「迅護をよろしく頼む」とつぶやいて夜空の中へと消えて行った。
「よろしく頼むって、別に私が何をしなくても……」
そういって迅護の方を見た瞬間、迅護の姿はすでになく、御依里はあわてて周囲を見渡した。
「いつの間にいなくなって……――って!?」
御依里は地に視線を向けて驚き、軽く飛び跳ねる。
迅護はいなくなっていたのではなく、気づかぬうちに音もなく地面に倒れこんでいたのだった。御依里は慌てて駆け寄り、その体に触れた。
「熱っ……!」
燃えるように熱いとはこのことを言うのかもしれない。全身に火傷の跡や裂傷が見られ、先ほどまで平気な様子で立っていたということが信じられない。
御依里はすぐに迅護を背負い、ぬかるむ地面を両足でしっかりと踏んで身体を支えた。
(この人、すごく、重い)
迅護の身長は決して特別高いわけではない。172センチ程度だが、筋肉の鎧に覆われた肉体はとても重く感じられた。――しかし感じられた重さは、単純にそれだけではないような気がした。
旋風を巻き起こし、浮力を起こしながら浮かび上がる二人。御依里は背中に迅護の熱さと鼓動を感じながら、先ほど迅護が御依里に突きつけた言葉を思い出していた。
(――命だ何だと、状況によって価値が簡単に左右されるものを中心に考えて……)
「……本当に、そうなのかな」
今すぐ答えを求められない疑問を頭の中で巡らせながら、ただ夜空を進んでいく。
「わたしはまだ、その選択ができないから、弱いのかな……」
雨が止んだ夜空は、先ほどわずかに見えた雲間も隠れるほどの厚い雲に、再び覆われていた。
「それでも、誰かを助ける力になりたい」
今はもう、雨は降らない。
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