会――⑧
「これは、どういうことだい」
「え? 話をしたいっていうから、ここに。
しかし、
数秒の沈黙のあと、衣月は大きなため息を吐き、頭をボリボリと掻いて「ま、今はこれでいいとするか」と呟いて御依里の顔を見た。
「今すぐコイツと話をすることはできるかな?」
そう言って、ぶっきらぼうに親指でクイッと店長人形を指す。
「ええぇ、コイツって言い方……うーん、向こうが反応してくれれば、だけれどね」
御依里は店長人形の首に下げられたペンダントのような機械に手を触れる。そしてそのペンダントの中心にあるボタンを押した。
数秒間、プツプツとスピーカーから小さな雑音が聞こえる。すると、すぐにマイクを触るような雑音が人形から鳴り、人の声が聞こえてきた。
〈――やあ、どうもはじめまして〉
「いやいやいや、実際のとこはじめまして~、じゃあないんだよねえ」
〈アハハハハハ。なに、構わないじゃあないか。私は君のことなど大して気にも留めていないよ〉
「だからそういうのやめてよ! ……まったく、気の触る奴だなぁ」
疾凍の挨拶が聞こえてくるなり、衣月は頭を掻きながら店長人形の目の前へと近づいた。御依里は、衣月が醸し出す、旧知の友や同級生といったような雰囲気に戸惑いながらも、衣月と店長人形を交互に見ながら「えぇ~……」と漏らしていた
「ま、挨拶なんてどうでもいいや。僕に与えられた任務はそれほどややこしいものじゃあない。単刀直入に、今キミはどこにいるんだ? 直接会いたい」
〈アハハハハハ、面白いことを言うね。たとえ術界からの命令であっても、私は君の前に姿を現すつもりは無いよ。それに今日は定められた規則を無視して、御依里くんのために数時間も現場に出ていたんだ。もう仕事は十分じゃあないか〉
「なぁにが規則だよ。自分勝手な取り決めのくせに。……まあ、いいや。あらかじめ言っておくこととして、僕はしばらくこの子と行動を共にするよ。それについて何か意見はあるかい?」
衣月は親指で御依里を指し、当の御依里はきょとんとした表情で二人の話を聞いている。
疾凍は数秒間の沈黙のあと、答えを返した。
〈ふむ……そうだね、御依里くんの安全を保障するのであれば君に預けておくのは問題ない。これでも、以前より大切にしないと、つい最近失った部下に面目が立たない状況になってしまったのでね〉
「ふーん。それは大変なことで」
〈ともあれ、君が私の望む働きをせず、音古鐘くんの身を保証しないというようなことであれば、わたしも姿を見せるのは致し方ないと考えている。音古鐘くんへの謝罪もしていないしね〉
「そうだね、言うまでもなく、すべてはお前と会ってからの話だ。答えはそれ一つしかない」
疾凍は沈黙し、答えを返さない。
衣月もまた疾凍の答えを待ち、自分から口を開こうとはしない。
(むむむ……妙な、空気だなぁ)
昨日までの普段の流れであれば、陸人と結雨の二人が部下として神妙な態度で疾凍の指示を受け、特にぶつかり合うこともなく話を終えて指示を御依里に出すという流れ。――それを何年もやっていた。
それだけに、衣月の疾凍への態度、ぞんざいな噛みつき具合をすぐには受け止められず、かといってその空気に口をはさむこともできず、目をつぶって腕を組み、「う~ん」と唸っていることしかできなかった。
〈わかった。きみの要望に応えよう〉
口を開いたのは疾凍の方からだった。
「具体的には?」
〈今からちょうど一時間後、私が指定する場所にて落ち合おう。音古鐘くんの持つ端末に情報を……今送った〉
御依里がポケットに入れているICカード型の地図端末から、ポーンと音が鳴り、御依里はポケットから端末を取り出して確認をした。
「えっと……これは採石場の跡地?」
頭の中に「どうしてそんな場所で?」と疑問符が浮かんだが、それを言葉にするより早く衣月が口を開いた。
「わかった、そこでいいだろう」
〈以上で話したいことは終わりかな? ――では一時間後に〉
そう言い残し、店長人形から聞こえていたスピーカーの雑音は途絶えた。
衣月も少しは緊張があったのか、ふぅー、と大きく息を吐くと、両手を腰に当てて背筋をグイッと伸ばした。
「疾凍さん、直接ここに来ればいいのに……」
「彼にも考えがあってのことなんだろう。僕は大して気にしないよ。それより、何か食べ物はあるかな? 戦いで消耗したからお腹がすいちゃって」
「それなら奥の部屋の冷凍庫に冷凍食品がたくさん買い込んであると思う。趣味期限が大丈夫かわからないけど」
「あっ、そう……ま、今はそれでも良いや。冷食なら多少過ぎてても大丈夫でしょ」
言って、衣月は勝手知ったるとでも言うかのようにカウンターの奥へと進み、障子を開けて畳部屋の中へと上がり込む。
「あ、ちょ、土足はやめて――」
「ん? もう靴なら消したよ」
言われて足元を見ると、先ほどまで履いていたはずの衣服と揃いの銀色の靴が消えてなくなり、足を覆うのは黒いソックスだけになっていた。
「この服と同じで極盾道具だから、自由に出し入れできるんだ。普通の靴の何倍も丈夫だから戦いの中でも壊れたりしないしね」
「ほぁ、すごい」
御依里は衣月の後を追って畳部屋に上がると、先に進んで冷凍庫の中を物色する。
「ピザにパスタ、エビピラフとグラタン……炭水化物ばっかりしかないけど?」
「全然気にしないよ。適当に持ってきて」
御依里はピザとエビピラフを持つと、食器棚にある大きな器二つにピザとエビピラフを広げ、スプーンを持つとそのまま衣月のいる畳部屋へと持ってきた。
衣月は部屋の隅に立てかけられていたちゃぶ台を広げると、その上に凍ったままのピザとピラフを置かせ、座り込んだ。
「それじゃあ、いただきまー―」
「え? ち、ちょっと待った、まだ温めてないよ!?」
「あ……っと、そうだったね。お腹がすいてたから焦っちゃって」
「焦ってるからって、普通は冷たいまま食べたりしないでしょ……」
衣月は軽く手を叩いて笑い、そのあとピザの上に手をかざして、ボソリとつぶやいた。
『
両手のひらから放たれる
「それじゃあ、いただきまあす」
「食べながらでいいけれど、質問してもいい?」
「もぐ……かまわないよ」
「衣月くんの任務は疾凍さんに会って何をすることなの?」
衣月は頬張るピラフを咀嚼しながら腕を組み、考え込むように上半身を左右に揺らしながらうなり、ポンと手を叩いてピラフを飲み込んだ。
「その前にまず、君は
「うぇ!? ……い、言われてみるとほとんど知らないけど……それが疾凍さんの能力に必要なことだって聞いているから」
「まあそうだろうね。僕も知っているのは、彼が戦闘術者として活躍していた二十代はじめ頃までだけれども、ね」
ピザに手を伸ばし、チーズをびよんと伸ばしながら頬張る。
「もぐ……端的に言えば、彼は天才と呼ばれていたんだよ」
「天才?」
「そう、天才さ。個人での活動も集団での戦いも、彼がひとり加わるだけで作戦の成功率は格段に跳ね上がり、損失も激減した。それを見てたくさんの人たちが彼を天才と呼んだのさ」
「へぇ……もう十年近く疾凍さんと一緒にいるけれども、そんなイメージは無いなあ」
「そう。彼は周囲の認識から自身が薄れていくのを狙って、自ら姿を隠したと言われている。でも術界としてはそんな実力者に隠居されてしまうわけにはいかないという考えもあった。なので術界は彼の意見を受けつつ利用する算段として、この町の守護の任務を与えたのさ」
「なる、ほど?」
御依里はうなずきつつも、疾凍に対して持つ、怠け者なイメージを拭えず「天才という言葉が独り歩きしているのでは?」と、内心ちょっぴり疑っていた。なにせ十年の付き合いにも関わらず、顔さえもまともに正面から見たこともないのだから。
「うーん……とはいえ、今までも何人か疾凍さんを狙って現れた敵の術者もいたしなぁ」
「僕が言いたいのはね、彼が、大業疾凍が現れたことで、その当時の同期である術者たちは常に彼と比較されることになった。どんなに功績を残しても、『ああ、やっぱり大業疾凍とは違うな』と言われ続け、評価を正当にもらえない術者も少なからずいた。それは彼がいなくなって数年経っても続き、任務のたびに『大業疾凍がいればもっと違う結果になったのにな』と言われ続けることになった」
「でもさ、なんでそんな昔の話のことを知ってるの?」
衣月は一瞬だけきょとんとした表情で固まり、数秒経ってから頬をポリポリと掻きながら口を開いた。
「えっとね……そう、僕の父がまさにその同期だったからね、苦い思いを何度も味わったと言われたんだ。僕は大業疾凍と直接面識があったわけじゃないけれども、そんな父の言葉をしっかりと受け継いでしまっているのだろうね」
「ふんふん」
(でも……さっきは、はじめましてじゃない、って言ってた気がするけど)
衣月は少し冷めたピザを持ち上げると、また脈術で過熱して頬張る。御依里はそれを見ながら「いや、さすがにそれは熱過ぎなのでは!?」と心配しながら見つつも、本人が表情も変えず食べるので、多分大丈夫なのだろうと胸を撫でおろしてホッと息を吐いた。
「……とまあ、そういうわけで、僕の仕事は大業疾凍がいまだこの地域の守護に適任なのか、ということを判断するべく送られてきたんだ」
「あー、それじゃあ、疾凍さんが言ってた追加の人員とは別なんだね」
「追加の……?」
ふたたび衣月はきょとんとした表情を浮かべるが、すぐに考え込むような表情で顎に手を当てて、ポンと手を叩いてにこやかな笑顔を見せた。
「僕は聞いてないけど、大業疾凍の指令があればこの地域の守護に当たるかもしれない。追加の人員とはそういうことなんじゃあないかな。続けて他の指令は聞いていないし。なるほど、そういうことだったのか。うんうん」
「ああ、そうなんだね、よかった」
御依里は納得した表情で両手を胸の前で合わせて、うんうんと首を縦に振る。衣月はスプーンでエビピラフを取りあげると、大口を開いて咥え、ぐもぐと笑顔で咀嚼していた。
「ところでさっきまで戦ってた敵は何者なの? あいつも信じられないほどレベルの高い術者だったけれども……衣月くんは何か知ってる?」
「むぐ……あいつは大業疾凍を狙ってきた盗術者だよ。さっきも話した通り、大業疾凍を倒したとなればその名前に箔がつく。もっとも、僕に倒されるようじゃ大業疾凍にはたどり着けないだろうけれどね」
衣月はふと台所の方へと指先を向けると、流し台の横に逆さまに置かれていたコップをフワリと宙に浮かせて、ヒュンッと一瞬で手元まで引き寄せる。そしてそのコップを握りしめると、脈術を起こし、周囲の空気から水気を集めてコップの中に水を溜めていく。
衣月がその水を飲んでいる間、御依里は衣月のその手際の良さと、高い脈術の技術に舌を巻いて「ほへぇ~」と小さく声を漏らしていた。
「ぷはぁ。ここに来る前に偶然にも接触したんだけれどもね、結局この町に着くまでに勝負はつかなかったよ。僕の想像を上回るなんて、大した実力者だ」
「でも、最後の方は押してたように見えたけど?」
衣月はニヤリと微笑んで御依里の顔を見た。それはまるで「わかってないな」とでも言いたげな雰囲気を御依里は感じ取り、むっと口を強く閉じた。
「情報によれば彼はまだ奥の手を隠していた。だから僕は不用意に接近せず、中距離からの甲拳弾で相手の状態を確認した。その結果、相手は僕が思うほどのダメージは負っていなかったし、あの黒い手袋でこちらの脈術を吸収してしまう便利な能力も余裕を感じさせるタイミングで使用していた。精神的にも余力が十分にあった証拠だ」
コップの中の水を飲み干し、ちゃぶ台にダンッとやや強めに置いて、決意のこもった眼で宙をにらみつけながら宣言する。
「今度会う時、さらなる命がけの深みに落ちたとしても、負けるつもりは無いさ」
「うんうん。でも――」
その言葉を聞いて、御依里はふと疑問が沸いて手を挙げた。
「敵の術者のことを、詳しく誰なのか知っているふうだけど」
「あー、んー、それはねー……そう、事前に入手していた盗術者のリストと彼の戦い方が合致したんだ。とても分かりやすい能力だしね。……まぁまぁ、とにかく、あいつの相手は僕に任せておいてよ。ね?」
衣月はテーブルに残されていたピザとエビピラフを一気に頬張ると、再び脈術でコップに集めた水で一気に流し込み「ごちそうさま」と手を合わせた。そして食器を脈術で流し台まで浮かべて運ぶと、ちゃぶ台をさっさと畳んで壁の隅に置いて、畳の上に胡坐で座り込んだ。
「予定の時間までまだ三十分以上もあるし、ちょっとだけ休ませてもらうよ」
「じゃあ私はそれまで周辺の見回りを――」
と言って御依里が立ち上がると、同時に衣月も立ち上がり、鋭い視線でにらみつけた。
「それはダメだ」
「えっ?」
「もし君と奴が接触した場合、君じゃまるで相手にならない。納得できないかもしれないが、順番としては僕の休息。大業疾凍との接触。そして奴の始末だ」
「えっ、でもそれだと町の警戒が――」
「僕は大業疾凍に君の安全を任された。つまり大業疾凍もこの流れについては十分に考えているはずさ。普段と違う流れかもしれないが、今は君を一人にするわけにはいかない。それに、奴もこのタイミングで動き出すとは考えずらい。一時間程度の休憩時間を与えてやったところで、極盾術で消費した脈はほとんど回復しない。僕がいれば大丈夫さ」
そういって御依里の手を掴むと、しゃがみながら引っ張り、御依里と同じタイミングで畳の上に座りこんだ。
御依里は胸の中に妙な寂しさ……そう、無力さを感じ、顔を伏せて唇をきゅっとしばった。
「じゃあ、時間まで少しここで寝かせてもらうよ」
そう言って衣月は畳の上で横になり、目を閉じるなり、呼吸をしてるのかどうかわからないほど静かな表情で眠りに落ちた。
御依里は畳部屋を出て、店長人形の座るカウンターのそばにパイプ椅子を広げて座り、椅子の上で体育座りのポーズで身体を丸め、じっと古書店の床を見つめていた。
「私、どうすれば兄さんや結雨さんに心配をかけないほど強くなれるかな……」
目を閉じると、先ほど目にした二人の戦いが鮮烈に浮かび上がった。
空気が破裂するほどの圧倒的な速さ。
火花が散るほどの鋭さ。
大地を揺るがすほどの力強さ。
自分が胸に刻んだ亡き陸人との約束が、実は果てしないものであるような気がして、御依里はうずくような不安を胸の中に感じていた――。
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