会――⑦

 月は見えない。輝きの無い空。

 怪しい空の雲行きを眺めながら空を飛ぶ御依里みよりは、すでに遠くを眺めると豪雨によって霧のようにもやがかかっている状況に、ふぃ……と子猫が鳴くような小さな音を立てながら溜め息を吐いた。

 現在、御依里が身に着けている服装は非常に簡素。上は化繊でできた簡素な白い速乾シャツと、上に羽織る黒いメッシュパーカー、下に履いているのは学校指定のあずき色のジャージ生地の短パンである。


「やっぱり、予報通り大雨が降るんだ。濡れてもいい服で来たけど」


 乱術を扱う術者にとって、決して雨だからと言って任務に大きな問題が生じるということはない。

 雨で濡れたとしてもすぐに操水術ソウスイジュツで水分をぬぐうことは可能だし、体が冷えても脈術を直接体に流すことで火を起こすより圧倒的に早く体を温められる。

 ただ、戦術においては視界が遮られたり、雨音で敵の動きが判断しずらい、火術の威力が低下するといったデメリットも発生するが、今の御依里のように警邏けいらを目的とした任務の場合、身を隠すにあたって前述の問題点は逆にメリットとなるため、それほど大きな障害が発生するわけではない。

 ようは、感覚的に、一度全身が濡れてしまうことが受け入れられるかどうかというところである。


陸人りくひと兄さんが見たら、体を冷やすぞッ!って絶対にレインコート着せてくるんだろうな。でも汗をかくと肌に張り付くし、気持ち悪いしでとっても邪魔なんだよね……。乱術衆の戦闘衣装にも撥水マントがあったけど、あの装備とっても重たいからなあ」


 ついつい、話す相手もいないのに言葉が出てくる。

 黙り込むと、意識が悪い考え事に飲まれ、嫌なイメージばかりが浮かんでくるからだ。


 ――いつものように、話を聞いてくれる人がいない

 ――ジリジリと胸の奥にせまる、焦燥、孤独


 疾凍に言われた交代の時間まで休んでいる間、体は動かしてなくても、頭の中はあまり休めることができなかった。

 陸人の死だけでなく、結雨の右腕を失わせてしまったことも、まるで自分の失敗であるかのように、自分を責める気持ちが幾度も幾度も湧き上がって来るからだ。

 これから疾凍と直接会うだろうことも、あまり気持ちが前向きではなかった。面と向かって謝ってくれたとして、いったいどんな気持ちでその謝罪を受け止めればいいのだろうか……。まだ心が決まっていなかった。

 自分を責める気持ちに負けて、むしろ自分の非を謝ってしまいそうで、「それは違う」と何度も何度も頭の中でシミュレーションしてはかき消すことを繰り返した。

 心の準備がまったくできていないまま、時間だけが無常に過ぎて、約束の零時を迎えようとしていた。


《――ピコンッ》


 そんなとき、耳に掛けていたイヤホン型の通信機から疾凍の声が聞こえてきた。


「あっ、はい! ……え、どういうことですか?」


 疾凍の口調は少し激しく、やや早口で、すでに緊迫した状態であることを察知させた。


「すでに戦闘状態ですか!? それはどこで……はい、地図に表示された場所に……え? 戦いはその術者に任せておけ、とは? 戦闘支援を……疾凍さんは来ない……それで、味方の術者はどんな姿で――」


 御依里の最後の質問に対し、疾凍の返事が返ってくることはなく、慌ただしい通信は終わった。

 御依里はふーっ、と長く息を吐いて気持ちを落ち着けると、ICカード型の地図端末を取り出し、そこに新たに点滅表示されている場所を確認した。


「ここは……たしか、建設途中の大型モールの場所……あっ!」


《ファーゥン ファーゥン……》


 御依里が声を上げると同時、地図に表示されている大きな緑色の真円、その端から、二つの赤い光が現れ、地図端末から警報が鳴った。

 緑色の真円の直径はおよそ18キロほどで、決して狭い範囲というわけではないが、入り込んできた二つの赤い光は疾凍が送ってきたポイントに向かって蛇行しながらすさまじいスピードで移動している。

 御依里は周囲を見渡す。しかし暗闇のうえ、雨の勢いもあり、目視で捉えることは難しい。


(とりあえず、疾凍さんの指定した場所に向かおう!)


 表示されている建設途中の大型モールはそれほど離れていない。御依里が出せる限界の速度で空を飛び進んでいると、すぐに周囲を背高い遮音パネルに囲まれた未完成の建物が目に飛び込んできた。

 コンクリートと鉄筋がむき出しの建物が大雨にさらされて、所々から集まった水があふれ出して地面へとこぼれていた。

 御依里はまだ天井すら作られていない三階ほどの階層に足を着けると、地図端末を取り出して画面を見つめる。しかし、すでに侵入した術者を追跡する時間は限界に近く、建物から1キロほど離れた場所を数秒間赤く点滅したのを最後に、画面に映る光の点は消滅した。


「でも、近くにいる!」


 御依里は周囲を見渡しながら、二人の術者が現れるのを神経を研ぎ澄ませながら待った。


 一秒――

 二秒――


(音が、聞こえたっ!)

「来るっ!」


 激しくぶつかり合う音を捉え、その方向へ顔を向けた―― 


 その、瞬間


《 バシュウゥゥゥゥッ 》


「きゃぁっ!?」


 突き抜ける風

 水を裂いて散る飛沫

 空気の割れる音


 ぶつかり合う二人の術者は御依里のすぐそばを交差しながら高速で通り抜け、階層に溜まる水を霧に変えて周囲に散らし、御依里の全身を濡らした。御依里の心臓は跳ね上がり、思わず背を丸めて固まる。


(ばかっ、動揺してる場合じゃ――ないっ)


 御依里はすぐに二人が通り抜けた方向へと視線を向ける。

 しかし、


「う、ォ、るルルゥアアアッ!!」

「アハハハッ、アハハハ!」


 背中に燃えさかる髑髏が描かれた赤いスカジャンを身に着けた男が、雄たけびを上げながら黒い手袋を付けた腕を振るい、銀色の少年に叩きつけている。

 それを涼しい顔を浮かべて笑い声を上げながら、脈術で作り上げたと思われる氷の小剣で受け流す銀色の姿の少年。

 二人が激しくぶつかり合うのも一瞬、今度は互いにすさまじいスピードで距離を取り合い――かと思うと、瞬間的に十数発の低級術を放ちながらまた距離を詰め、高速でぶつかり合う。幾度となく交差する。


「なに、こんなっ、追いつけな――きゃっ!?」


 邪魔とでも言わんばかりに、ただ立ち尽くすだけの御依里のそばを幾度も通り抜け、黒爪と氷の小剣の攻撃を瞬きの速さで交わす。

 次の瞬間には一気に急上昇したかと思えば、今度は一瞬で降下してコンクリートの上に落下し、建物を揺るがす。そして息をつく暇も無く、再び小威力の脈術を互いに牽制のため放ちながら、接近と離脱を繰り返す。


「待っ……は、速っ」


 あまりにも高速で展開する戦況に、中位の戦闘術者である御依里の目では、理解もままならず、追いかけるのすら難しい。


「なん……これ、こんなっ……」

(私はどうすればいいの!?)


 上位術者である陸人と結雨の二人ですら比較にならない、より高みにある実力を持つ術者同士の高速戦闘。

 御依里はまったく対応できず、なんの戦闘支援することもできず、どちらが味方かもわからないまま、遮蔽物となるコンクリートの壁に身を隠していることしかできなかった。無数の下級術の流れ弾がコンクリートの床や壁に突き刺さり、石やコンクリート、氷の欠片を散らす。

 だが、ほとんど理解の及ばない速さで繰り広げられる戦いではあるものの、遮蔽物の陰から見ていた御依里にもその拮抗がわずかに崩れ出したことを察知させた。


「ウぅおルルァアッ!」

「しまっ――」


 刹那、少年の隙を捉えたスカジャンの男の黒爪が、銀色の少年の胸部をとらえて深く切り裂いた。爪が指深くにまで食い込むほど、決定的な一撃。


「なーんて、ね♪」


 そう思わせた直後、銀色の少年はニヤリと笑みを浮かべる。

 そして体を高速でねじるように、スカジャンの男の脇腹へと風を裂くような鋭い蹴りを放った。


「ぐっはぁ――!?」

「甘いねえ、油断しただろ?」


 銀色の少年の脈術で強化した蹴りが突き刺さり、宙に激しい衝突音が鳴り響いた。


「いい音するなあ。決まったかな?」


 蹴りの威力そのまま、スカジャンの男は高速で斜線状に落下して、モールのコンクリート壁へと背中から叩きつけられる。


「かはっ、ごぁ……ゲホッ!」


 銀色の少年は空で構えを取り、コンクリートの壁に身を隠していた御依里に向かって大声を上げた。


「今だっ、君も撃て!」

「えっ?」


 戦いに見惚れ、すっかり自分の役割を忘れていた。


「あ……は、はいっ!」


 御依里は瞬時に両手の中に水と旋風の矢を作り上げ、身を乗り出し、壁にもたれかかって動かないスカジャンの男へと脈術を放った。


水輝スイキ旋弓波センキュウハ


 銀色の少年もまた空中で雨水を集め、その両手に脈術を作り上げる。


水輝スイキ甲拳弾コウケンダン


 放つのは、連続で突き出す拳から発射される、強力な衝撃波を搭載する水弾。


「チィッ、舌噛んじまった」

滑脚カッキャク


 スカジャンの男は脈術を唱えると、床を滑るように素早く移動して、高速で迫りくる無数の水弾を回避。水弾はコンクリートの床や壁にぶつかり、小さな爆発に似た音を立てながらいくつもの破片を散らす。

 御依里が発射した水と旋風の矢もスカジャンの男の眼前へと迫る。


(この位置は……当たるっ!)


 御依里は確信する。

 しかし――


「タルい術だな」


 ボソリと呟き、スカジャンの男は御依里の脈術を黒い手のひらで直接受け止める。

 すると、まるで暗闇に吸い込まれるように、水と旋風の矢は一瞬のうちに消滅してしまう。


(術が、消えた!?)


 驚く御依里のそばに銀色の少年が降り立ち、御依里の身を守るように前へ乗り出して自分の背中へと隠す。


「油断しないで。奴はまだ力を残している」

「え……あ、はいっ!」


 スカジャンの男は、地面を滑るような動きで壁のない建物のきわにまで距離を取ると、口元から垂れていた血を拭い取り、大きく息を吐いてヤンキー座りをした。

 無数の雨粒がスカジャンの男を叩き、だらりと下げたグローブの爪からボタボタと水がしたたり落ちる。まるで獲物を前に口腔いっぱいによだれを溜める獣のようだ。

 そして御依里と少年の顔を見比べて、一言だけ残した。


「チッ、腑抜けかよ。テメェはそれでいいんだな」


 スカジャンの男は後ろに跳ぶと、建物の外へと自由落下し、そのまま闇の中へと姿を消した。


「追いかけなきゃ!」


 前に出ようとする御依里を少年は伸ばした腕で制止し、静かに首を横に振った。


「深追いは危険だ。それに僕もだいぶ消耗してる」

「あ、えっと、その……」


 初めて会う人物との突然の出会いに、御依里はうまく言葉を選べずどもってしまう。見た目は御依里よりも幼く見えるのに、実力は圧倒的といえるほどに違う。いったいどんな立場にいる人物なのかも判断できず、御依里は困ったような表情で黙り込んでしまった。


「あー、そっか」


 それを察したのか、銀色の少年はポンと一度手を叩いて、提案するように人差し指を立て、笑顔を見せた。


「まずは屋根のある場所に行こうか。雨足がひどくて冷たいし、体に悪い」


 二人は一つ下の階層に移動すると、脈術で服や髪に染み込んだ水分を取り除き、熱風に体をさらして乾かし、一息ついてから自己紹介を始めた。


「はじめまして。僕の名前はイツキっていうんだ。濡常ぬらつね衣月いつき

 そう名乗る少年、衣月は握手を求めるように手を伸ばした。

 コスプレのような銀色の服を身に纏い、髪も銀髪、目も金色というあまりに非現実的な容姿をした少年を、御依里は戸惑いを隠すことなくじっと眺める。とりあえず、御依里はそれに応え、しっかりと手を握りながら名乗った。


「私は音古鐘ねこがね御依里、中位術者。すごい戦いだった。あなたは上位術者なの?」

「僕は極盾きょくち術者だからね、そういう位分けはされていないのだけれども、実力的には一般的な上位術者より上だろうね。あえて言えば、超位術者かな!」

「超……え、何? え? ……と、とにかくすごいんだね。私より若く見えるのに」


 そう言うなり、衣月は爽やかな笑顔でビシッとポーズをキメた。


「ちなみに歳は永遠の十四歳なのサ!」


 …………

 ……二人の間に、しばしの沈黙が生まれた。


「うーん、なるほど。君、ちょっと変な人なのね」


 御依里は冷静に流すことにした。

 衣月は静かに、しょぼん……と力なくうな垂れた。


「それよりも、さっきの戦いで胸を怪我したように見えたけど大丈夫? 気のせいだったのかな」

「いや、見間違いじゃないよ。これが僕の極盾道具なのさ!」


 衣月は自慢げに学ランのようなデザインの銀色のヒーロースーツをお披露目すると、やはりカッコ良く(?)ポーズをキメる。


「ふ、ふぅん……」


 御依里は少し冷ややかな視線を送った。


「まあまあ、そう引かないでよ。僕はこの服の能力で、ほとんどの傷は簡単に治すことができるんだ。このとおり傷跡もまったくないでしょ」


 そう言って衣月はヒーロースーツの前を開き、中の黒いインナーをめくりあげる。そうして見えた胸元には傷一つ入ってなかった。


「へぇ~、すごいんだね……ん?」


 しかし御依里は衣月の体をじろじろと見て、ふと疑問に思ったことを口にした。


「君、思ったより細いね」


 あれほど激しい戦いをしていたにも関わらず、衣月の体は一般人の中学生の身体かと思うほど筋肉は比較的少なく、がっちりとはしていない。

 身長も年齢に適当なのか、身長が163センチほどある御依里より小さく、160センチも無いように見える。下手をすれば同年代の平均より華奢かもしれない。


「ふふん。僕はね、身体を鍛えるのがいっっっちばん大嫌いなんだ。だから体を操る『操身術ソウシンジュツ』がいちばん得意なんだよね。体にかかる負担は普通の術者より少ないから、こんなもんじゃないのかな」


 そう言って、衣月は隠すように素早く黒いインナーを下ろす。

 

「ふーん、そっか」


 御依里は、これほどの実力者が言うのだからそういうものなのだろう、と納得し、「これからよろしく」とお辞儀をした。イツキも頭を下げて「よろしく」と笑顔で返した。


「ああそうだ、ところで聞きたいことがあるんだけどな」

「なに? あ……そういえばさっきからタメ口でごめんなさい。大丈夫かな?」

「気にしなくていいよ、好きにして。それより、どこに行けば大業おおわざ疾凍はやてに会える?」

「……疾凍さんを呼び捨てにするなんて、君って本当にどんな立場なの?」

「まあまあ気にしないで。僕が勝手にそうしてるだけだから」

「本当? えっと、そうだね、会いたいのならジーニアスって言う古書店に行けば話せると思う。そこが私たちの拠点なの」

「じゃあさっそく行こう。まあ僕はちょっとした特別な立場にいるからね、彼とは同格と考えてくれていいよ」

「うーん、ほんとうにタメ口で大丈夫なのかなぁ」


 御依里は戸惑いを感じながらも、衣月に背中を押されるがまま、まだ豪雨の降りしきる夜の空へと飛んで行った。


 ――その二人の影を、目視できるギリギリまで離れた距離で見ていたスカジャンの男は、耳にスティック状の通信機を当てて、何者かと通信をしていた。

 場所は背の高い木の上で、枝葉では雨水をすべて遮ることはできず、大粒の雫がボタボタと背中を叩く。だらりと垂らしたグローブの黒い爪に水滴がたまり、雫となって木の下へと落ちていく。


「ほんとうに、あいつの動く通りでいいんだな?」


 その声は、脅しかけるような圧すら掛かっている。

 通信先の相手はそれを軽く受け流すような返事を返し、スカジャンの男はチッと舌打ちをした。


「たとえ巻き込んでも、俺は知ったこっちゃねえからな」


 そう言い残し、スカジャンの男は通信機から耳を離し、スカジャンのポケットに手を突っ込んだ。


操水術ソウスイジュツ


《ボンッ》


 脈術を唱えた瞬間、全身から水が爆散し、衣服に吸い込まれていた水までもがすべて取り除かれた。スカジャンの男はダラリと垂らしていた手を空へと向けて上げる。すると落ちてくる雨水はすべてドーム状に弾かれて、男の体を避けて下へと落ちていく。

 男はそのまま木々の中へと落ちるように姿を隠し、闇に紛れて影すら残らず消え去ってしまった。


 雨はまだ止むことなく、その勢いをさらに増してゆくようにすら感じられた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る