会――⑤

 目を覚ました私の目にまず飛び込んできたのは、まぶしいほど白い天井。

 そして視線をわずかに動かした先に見える、医療術者の黒い装束の背中。


「んあ……?」


 上体を起こそうと思って腕を使おうとした瞬間――


「ぅ、おぁああっ!?」


 そう、右腕を失っていることを思い出した。

 元々あるはずの部分が布団をすりぬけ、バランスを崩し、右側に寝返りを打つような動きをしてしまう。


「くはぁー、そっかぁ……」

「あっ、目が覚めましたか」


 声をかけてきたのは医療術者の一人。

 頭には黒いかぶり物と口周りには黒い布、身につけている黒衣装はゆとりのある服なので、見た目だけではなかなか男女の区別も難しい。……ぶっちゃけると、舞台なんかで見られる黒子の姿と大差ないように思う。

 それでも、高く落ち着いた声と、目元に見える付けまつ毛とマスカラで、その術者が女性であることが判断できた。たぶんそう。


「名前は言えますか?」

「ええ。霧澄むずみ結雨ゆう、二十八歳です。……あ」


 歳は聞かれてないのに、つい口から出た。


「ありがとうございます。大丈夫そうですね」


 意識が鮮明であることを確認すると、医療術者は手元のボードに何かを書き留め、ニコリと眼を細めて白い天井の部屋を出て行った。

 ゆっくりと辺りを見渡すと、両腕につながる大きな点滴がふたつの他に、目立った道具や機械などは見られない。外を見るための窓も見当たらないので、地下にある施設なのかもしれない。

 壁に掛けられた電子時計に目を留めると、今の時刻があの戦いから十数時間ほど経過していることがわかった。


「はぁ~、良く寝たわ」


 上体を起こし、無くなったほうの右腕を持ち上げる。すでに処置済みらしく、骨をつめたぶん、ケガをした時より若干短くなっているような気がする。肘から先、残された前腕が10センチほどしかない。


「……さすがに、元通り生えてくることはないわよねぇ」


 がっくりと頭を落とし、大きなため息を吐く。

 高位の能力者に治療を受ければ、肉体を欠損してもかなりのレベルで修復されることもある……と聞いたことがあるけれども、有象無象の術者にすぎない私のためなんかに来ることを期待するのは、少々無理があったかナ。


「とはいっても、それ以外はなんか快適って感じかも」


 身体に掛けられていたシーツを取り、首をコキコキと鳴らしながら手足を動かしたりして調子を確認する。

 戦いの最中、白い触手にお腹を突かれた時なんか本気で「内臓ワタが破裂する!」って思ったけれど、なんとか無事だったし、今もその影響は感じない。もし突かれるんじゃなくて噛みつかれてたら、多分内臓をまき散らしてKOしていたことだろう。まあ運が良かったと思う。

 今のところ、彼のおかげで、私の人生の半分近くは運でなんとかなっているカンジ。


「ふぅ……」


 バタリと上体を寝かせて天井を眺める。LEDの円形シーリングライトが一つ備えられていて、一人用の個室の明かりには十分な明るさで照らされているけれど、べつに眩しいわけじゃない。

 その明かりをぼーっと眺めながら昨日の一晩で起きた出来事を頭の中で思い返し始めた。


「ああ……そっか。そっか」


 あのまゆとかいう敵の術者と向き合って、すぐに知らされたこと。


 ――おそらく、陸人りくひとは死んだ


 あの時は一瞬で頭に血が上ったけれど、一人でじっと思い出すだけでは、その怒りも沸いてこない。

 冷静に、冷静に、頭が、心が処理してしまう。


《コンコンッ》


「あ、どうぞ」


 扉をノックする音に、すぐ涙を拭いて上体を起こす。

 軽く会釈をしながら入ってきたのは――


「……あなたは」

「よかったよ。元気そうでね」


 服装は体系にぴっちりと合うポロシャツとスラックス。いつも笑っているように細められた目。耳の高さまで刈り上げられた、清潔感のある真ん中分けの黒いストレートヘア。決して長身というわけではないが、整った背筋が実際の数字以上に背を高く見せる、細身の身体をした壮年の男性――


疾凍はやて、さん……」

「顔を合わせるのは久しぶり。といっても一年半くらいかな?」

「あはは、じゅうぶん長いじゃないですか」


 疾凍さんはそのまま中へ進むと、壁に掛けられていた一脚の折りたたみ椅子を手に取ると、手早く開いて腰を下ろす。

 そして私の顔をじっと見つめながら数秒の沈黙を持った。


 ――はっきりいって、なんとなく気まずい。

 ――それは私の心持ちのせい。


「まず君に謝っておきたい」

「えっ」


 声を上げるより早く、疾凍さんは拡げた両膝に手をついて深々と頭を下げていた。突然の行動に私はどう反応を返せば良いのか分からず、口を開けたまま、しばらく黙り込んでしまった。


「私の力が及ばず、曽良根そらねくんを……陸人くんを失ってしまった」

「それ、は――」


 そこまで呟いて、なんと続ければいいのかわからなくなった。

 陸人が死んだことは事実とは言え、戦闘術者である以上、彼にその覚悟がなかったわけでもない。

 戦いの最中に疾凍さんがいなかったことに多少の焦りや苛立ちが湧き上がったものの、上官が戦闘に直接参加しないことなど別に珍しい事でもない。司令塔とはそういうものだと理解している。

 なので「そうだ、あなたのせいだ」と疾凍さんを責めることは明らかに違うと思うし、かといって「気にしないでください」と言うのも何か違うような気がした。

 なので私は、疾凍さんの謝罪だけを受け止め、追求しないことにした。


「……陸人は、見つかったんですか?」


 質問に対し、疾凍さんはゆっくりと頭を上げて、左右に振った。


「残念ながら、ね。……もっとも、あれほど高い実力をもつ敵が、潜入を目的としていながら痕跡を残しているとは思えない。捜索能力を持つ術者に対応してもらっているが、あまり期待しないほうがいいだろう」

「そう、ですよね……」


 そうだ。そのはずだと自分に言い聞かせる。

 私自身、何度も戦場に出ている身だからはっきりと理解している。

 これまでも陸人だけじゃない、今まで多くの仲間が戦いで命を失うのを見てきた。そのたび、せめて最期に死に顔だけでも見たい……と思う人は、少なからずいた。

 混戦する戦闘の場合、死体を隠蔽する手間など掛けられないため、多くの場合は損壊しつつも肉体は残る事が多い。もちろん言葉に形容できないほど無残な遺体も多くあったけれど――ほとんどの場合は後々回収されて、死に顔を拝むくらいのことはできた。

 けれど、今回のケースは違う。

 敵の潜入作戦の流れの一つとして、陸人は命を奪われた。その痕跡を残す程度の実力者でないことは、手を合わせた私だからこそはっきりとわかる。


(強いて言えば、彼女の変人ぷりがその期待を裏切っていてくれれば、と思う)


「気持ちが落ち着かないところ悪いが、君が繭と名乗る術者の特定に至った経緯を教えてはくれないか」


 私は小さくうなずき、記憶を深く探るように目を細めた。


「私が金髪の男を見つけたのは、陸人と交代してすぐでした。捕らえて尋問すると、男は簡単に口を開きました。私たちから狙われることも、手を組んでいる敵の術者に監視されていることも、すでに限界と言った様子でした。精神的にも肉体的にも追い詰められていたんでしょう」

「その男は、この町の結界に入る以前からすでに繭と名乗る術者と接触していた、と?」


 深くうなずき、言葉を続ける。


 「話を聞く限り、金髪の男をここに向かわせたのも繭という名の術者の指示だったようです。繭は金髪の男をエサに陸人をおびき寄せると、不意打ちで一瞬のうちに勝負をつけたそうです。しかし繭はその場で陸人を殺さず、そのまま手負いの陸人を担いで別の場所へ向かったということです。次に接触してきたときは、すでに陸人になり変わって……」


 無意識に、唇にグッと力がこもった。冷静に報告しなければいけないとわかっているのに、怒りや悔しさがこみあげてくる。自分の無力さと、陸人の変化を早期に見抜けなかったことに腹立たしさが湧き上がってくる。


「そしてこの三日間、陸人に成り代わって金髪の男と数回ほど接触しつつ指示を出し、出会った時の記憶を都合よくすり替えたり、消したりするなど、接触したことを私たちに悟らせなかったそうです」

「手負いの曽良根くんを担いで別の場所へ……」

「繭は言っていました、あの青い折り紙のような極盾道具による変装を完全にするには、全身の生皮が必要だと。おそらくはそのために、まだ生きている状態の陸人が必要だったので、しょ、う……」


 息が、詰まる。

 目頭が熱くなる。目蓋の端から水がこぼれ出る。

 苦しい。視界が暗くなる。

 悲しみを、つらさを、抑え込んでいられない。


「……すみません疾凍さん、関係のない話をしてもいいですか?」

「ああ、聞こう」


 大きく、大きく呼吸を二回繰り返して、言葉を出そうと口を動かす。

 でも、どうしても……声が、かすれてしまう。


「ら、来週が陸人の……誕生日であることをご存知ですか?」

「いや、申し訳ないが忘れていた」

「わたし、わたしは……その時に伝えようと思っていたんです。陸人への好意を、ずっとずっと伝えたかった言葉を、形にしようと考えていたんです……御依里に手伝ってもらって、後悔しない形で……」

「……そうか」


 両手で顔を包み込もうとして、失った右手が宙を掻いた。

 呼吸がまったく整えられない。

 冷静さが吹き飛んでいく。

 自分でも理解できない複雑な感情に頭が満たされていく。


「……すみません、少し席を外してもらっていいですか」

「ああ、また時間を置いて話を聞こう。今は休むと良い」


 疾凍さんは素早く立ち上がり、椅子を畳むと部屋の壁に立てかけ、早足で挨拶もなく部屋を出て行った。

 けれど、それがありがたかった。

 そうしてくれることが、今一番だから。


「う、うあ、うわぁああああああああああああっ」


 私の身体が、悲しみが、勝手に叫んでしまう。

 息を吐き出してしまいたくて口が開いて塞がらない。

 左手で服の胸元を握りしめる。失った右手が胸を叩く。


「くそ、クソ、ちくしょう、ちくしょぉおおおおおおおおおおおっ……うわぁああああああああああっ」


 頭の中によぎるのは怒りや悲しみだけなんかじゃない。もっと言葉で表現するのも面倒なほど複雑な思いが、絡まった毛糸のようにぐちゃぐちゃと混線してしまう。

 その中には子供のように自分勝手な思いや身勝手な感情が混じり、正気から遠のいていく。


「クソッ、くそぉっ、私が……私ならよかったのに……」


 枕に顔を突っ込んで、長さの揃わない両腕でベッドを叩く。口からよだれが落ちることも気にせず、ただただ喉から通り抜けるだけの言葉を、いくつもいくつも吐き出す。


「あああっ! だぁああっ! 疾凍さんが、あいつが初めからいてくれたら、それなら違ったんじゃないの……あんたの、あんたの能力はなんのためにあるのよっ! ……そうよ、御依里みよりがもっと早く気づいてくれてれば……って、そんなんじゃない、そんなことは関係ない! けど、けど……ぅうううううううう、イヤぁああああああああああああっ!!」


 かすかに、部屋の外で医療術者と疾凍さんが話す声が聞こえた。自分の喚き声でちゃんと聞き取れたわけではないけれど、「どうしたんですか?」「今は放ってあげてください」といったやり取りをしていたんじゃないかと思う。

 それが、きっと彼の示してくれた謝罪の意識なのだと思う。


 そういうことにしたい。


 その後も私は小さな子供のように、三十分以上も喚き続けた。

 この声を、みっともなくてもいいから、陸人に聞いてもらいたい。

 

 ……そう、願いながら。



 **********


  

 結雨さんが医療術者たちの準備した搬送用のベッドに乗せられて行くのを見届けてからおよそ七時間くらい経って、私は古書店ジーニアスのカウンター奥にある畳部屋に敷かれた布団の上で目を覚ました。

 体を起こすと、あれほどたくさんの傷を負ったのに不思議と痛みは無く、代わりにインフルエンザにかかったときのような強い気だるさや関節痛に襲われた。


「けほっ……か、ぁあ、うぅ……」


 頭がフラフラとするし、喉もとても乾いている。今すぐにも2リットルのペットボトルに入った飲み物を、丸々飲み干してしまいたいほどだった。


「なんでもいい……水が……」


 立ち上がり、畳部屋の奥に進むと、ほとんど使われている形跡のない台所が見える。蛇口に倒れこむように近寄ると、栓をひねって水を出す。おあずけをくらっていた犬のように流れ出る水に口を近寄せてがぶがぶと飲み込む。口から溢れた水が喉元から胸元に伝って床まで濡らしていくが、喉の渇きはすぐに収まるものではなかった。

 二、三分ほど水を飲み続けて、ようやく一息ついて蛇口から顔を離した。いつの間にか着替えせられていた白い大きなTシャツと黒い短パンの前面はびしょびしょで、フローリングの床には大きな水たまりが出来上がっていた。

 しかし喉を癒したのもつかの間、今度襲い掛かるのは強い空腹感。

 すぐに台所を見渡し、冷蔵庫を見つけると千鳥足でもたつきながらも近寄り、扉を開いた。

 中にはたくさんのゼリー状携行食が並んでいる。目に飛び込んでくるなり掴んで蓋を開き、握りつぶすようにして中身を胃袋の奥に流し込む。一つだけでなく、次に次にと口をつけては飲み込んでいく。


「……ん、ぐ、うぶっ!?」


 すると、満腹感とは違う、胃袋が圧迫される違和感に背中が震え、思わず流し台に駆け寄った。嘔吐するまでには至らなかったけれど「ぐえ、おえ……」と激しく何度かえずいた。

 数回、大きく呼吸をすると、全身から力が抜けて床にへたり込んでしまった。

 ふと開きっぱなしの冷蔵庫の方に視線を向けると、床に散らばったゼリー状飲料のパッケージの記載に目が留まった。デザインは似ているが、いわゆる市販されているものとは違う、業務用感のあふれる淡泊な文字で「高カロリー」「高タンパク」「マルチビタミン・マルチミネラル」と書かれていることに気付く。おそらく、私が目覚めるとこうなることがわかっていて用意されていたものだと察する。


「……そうだ、寝る前に治療を受けたんだった」


 記憶は妙にあいまいだけれども、たしか結雨さんをジーニアスに背負って連れてきて一分も経たないうちに、十数名の黒装束の術者たちが現れて結雨さんを連れて行ってしまったのだ。

 不思議なことに、一人の術者が持っていたルービックキューブほどの黒い小さな四角い箱の中に、術者や結雨さんが光となって吸い込まれるという、今まで目にしたことのない珍しい光景を見た。

 その間にも三名ほどの術者が私の治療にあたり、消毒のほか、なにかよくわからない不思議な力や見たことのない道具を当てて傷を癒していたことを思い出す。

 そういえばその内の一人の女性が事務的に、こんなことを言っていた気がする。


「この治療のあとはすごく眠くなるから。起きたら激しい喉の渇きや空腹に襲われると思うわ。それと、体感で二か月くらい老けちゃうから気を付けて」


 ……とても、とても恐ろしいことを言う。

 それに、いったいどうやって気を付ければいいというのだろう。


「けぽっ、お腹に空気も入っちゃった。苦しぃ……」


 気分がだいぶ落ち着いてきたので、ゆっくりと立ち上がって深呼吸をした。床にできていた水たまりに視線を落とし、指先を向けた。


操水術ソウスイジュツ


 水を脈術で操り、布の切れ端のように伸ばして排水口に流す。シャツや短パンに張り付いた水分も生地から染み出すようにして取り除き、同じように排水口へ。

 足取りも落ち着いてきたので、ゆっくりと歩きながら布団が敷かれている畳部屋へと歩いた。

 畳部屋に戻ると、一つの年季が入った姿鏡が置かれているのを見付ける。鏡の高さは160センチくらいだと思う。少し離れて立つことで、私の全身がきれいに映りこむ。私はそれでじっくりと自分の体を眺めた。

 一番気になっていたのは、食いちぎられたふくらはぎの傷。すっかり元通りというわけではないけれども、少し肉がへこんでいるだけで、傷跡はうっすらとしか見えない。

 次いで、シャツを脱いで上半身裸になり、上半身の傷跡も見定める。身体の所々を食いちぎられた傷も、肌の色が少し違うくらいでほとんど目立たないほどの跡しか残っていない。

 時計を見ると今は午後三時少し過ぎで、睡眠時間を合わせて十二時間と少しくらいの時間でここまで傷が癒えてしまったということになる。これが初めて医療術者に治療を受けたというわけではないけれども、ほんとうに魔法の様で思わず驚いてしまう。


「なんか、髪の毛もちょっと伸びてるような」


 もともとそんなに長いわけでもないし、髪に癖もあるので、そんなにはっきり目立ってるわけじゃないけれども、髪のボリュームが少し変わっている気がした。

 ……なるほど、たしかに二か月くらい老けてしまったのかもしれない。

 はっきり言わずとも、とても残念。


〈もう音古鐘ねこがねくんは目覚めたかな?〉


 突然、ふすまの向こうにある古書店のカウンター付近から疾凍さんの声が聞こえてきた。

 私はビクリと姿勢を正して「はいっ」と強く返事を返す。すぐに上にシャツを身に着け、カウンターの前に座る店長人形の前に整列した。


〈やあ、身体の調子はどうかな〉

「はい、すこし前に起きたばかりですけれども、多少のけだるさが残るだけで大丈夫です」

〈それはよかった。霧澄くんともさきほど少し話をしたところでね。彼女はまだ気分が落ち着かないらしいので、もうしばらく様子をみて色々聴取しようと思っている〉

「結雨さん大丈夫だったんだ……よかった」

〈安心しているところ申し訳ないが、君にも聞いておかなければならないだろうな、曽良根くんのことを〉


 ――ずくんっ


「……あっ」


 言われて

 言われて、頭の中に昨晩の出来事がよみがえる。


「……えっ、これ、あ……あれっ?」


 まず、胸を強く叩かれたような衝撃が走る。

 そして不意に、私の意識と関係なくこぼれ出てきた、一滴の涙。


「ちょっとまって、なんで、こんな」


 出てくる。出てくる。

 拭き取れば次に、また次にと。


〈……君もまだ、気持ちの整理がついているわけではないか〉

「すっ、すみません、これはその、私はまだ――」

 

 ――兄さんが死んだなんて、まだ受け止めきれていないのに

 

 いいえ。まだ、受け止めたくないだけなのか

 

〈まあいい、私の言葉を聞くだけで十分だ……〉


 それから疾凍さんは、気を遣うようにはぐらかすこともなく、誤魔化すような言葉を使うこともなく、まっすぐ、報告そのままの形で、兄さんの死を私に伝えた。

 現状も兄さんの遺体は見つかっておらず、この先見つかる可能性も非常に低いことを含めて。

 私はその間、呼吸も乱れていないのに、栓が壊れたようにこぼれ出てくる涙と格闘しながら、疾凍さんの言葉を聞いていた。

 拭き取る両手が涙で濡れそぼってしまうほどたくさんの涙が出てくるのに、頭の中はハッキリと明瞭で、兄さんの死を正面から突きつけられていた。

 初めて身内の死を体験する私にとって、家族の死の報告とはこれほど感情が動かないものなのかと、第三者が眺めるように他人行儀な意識で私は受け止めていた。

 

 どうしてだろう、なぜだろう

 そのような自分が恐ろしくすら思える……

 

〈音古鐘くん、君とは約束をしたね。どちらも裏切っていない場合、私は謝罪すると〉

「えっ……? あ、は、はい」


 一瞬、なんのことか本当にすっかり忘れていた。

 言われて、昨日のやり取りを思い出す。確かに疾凍さんが考えるには二人のどちらかが裏切っているはずで、もしそうでなかった場合、直接姿を現して私に謝ると言った。


「……でも、それは」


 今回の出来事を振り返る。結果的に言えば確かに二人は裏切っていなかった。

 しかし実状としては兄さんに成り代わっていた繭という術者が、兄さんの体を使ってこの町の秘密を探っていたという結果が残った。

 それは決して、疾凍さんの推理が的外れだったというわけではない。


〈たしかに複雑な結果に終わったが、君が願ったように曽良根くんも霧澄くんも我々術界を裏切ってはいなかった。今回は間違いなく私の失態だ。いますぐに謝ることは……少々難しいが、君はそれで大丈夫だろうか? いまは君の気持ちを優先したい〉

「はい、大丈夫です。いずれその約束を果たしてくれるというのであれば、そのお気持ちだけでも」


 私はシャツの胸元を握りしめ、大きく呼吸をした。涙もいつのまにか止まっていて、私の胸の内はおどろくほどさっぱりとしていた。

 ……それでも、目をつぶって兄さんのことを浮かべると、また涙が出てきそうになる。これは弱さなのか、私にはわからない。


(兄さんがいれば、教えてくれたのかな……?)


〈それとひとつ、重要な話をしたい。なに、難しい話ではない、君の処遇についてだ〉

「私の……?」

〈まずはっきりと言おう。君にはこの地域の守護から離れてもらおうかと考えている。理由は当然、曽良根くんの死だ。霧澄くんの容態も大いに関係している〉


 そのことは言われるかもしれない。そう察していただけに、私は疾凍さんの言葉に無言のまま、ごくりとツバを飲み込んだ。


〈この地域の守護は実質、君たち三人の力によってされていた。しかし曽良根くんというリーダーを失い、霧澄くんは片腕を失うという障害を背負ってしまった。考えるより短い期間かもしれないが、君を指導する人間も守る人間もいない。私は自身の能力を考慮したうえで、彼らの役割を私自身が請け負うわけにはいかない。……いや、私が一方的に拒否したい〉


 スピーカーの向こう側で、小さくため息を吐くような音が聞こえる。


「明日の夜には手配した新しい術者が到着するだろう。しかしその人物が君の指導や保護に適した人間であるかは判断しかねる。それは今後、今回接触した術者と同等以上の実力者と敵対した場合、君の命を保証しかねるということでもある」

 

 ――君は、どうしたい?

 

「…………っ」

 

疾凍さんのその言葉に、私は目をつぶり、再度大きく呼吸をして息を整えた。


「……まず、答えるまえに、今の私の気持ちを言ってもいいでしょうか?」

〈かまわない〉

「今回の経験をするまで、私は疾凍さんに言われていたの意味を本当には理解できていなかったのだとわかりました。決して私が敵の術者を殺めたことがないというだけじゃない……」


 思わず、喉が詰まりそうになる。

 けれど、受け止めると決めた。


「それは仲間の術者を失うことを知らないということでもあると、今ようやく理解することができました。私は戦いに身を置く術者として、その二つを決定的に知らない、特に仲間の死は、必ず直面するべきことと覚悟していなければならなかった。そう思います」

〈たしかに、私は君の中にその覚悟がないことを危惧きぐしていた。曽良根くんは君に対してそのようなことを絶対に経験させまいという覚悟があったのだろう〉


 疾凍さんはすぐに言葉を続けず、一呼吸の間を置いた。


〈……しかしどんなに実力の高い術者であろうと、戦いの中に身を置く以上、生き死にに絶対は存在しない。私は彼にそのことを何度か警告したことはあったが、彼はかたくなに君にそれを伝えることはなかった。結果として、自分の身をもって伝えることになるとは、皮肉なことだ〉

「私はそんな兄さんの気持ちを尊重したいと思います。尊重したうえで、まだこの町に残りたいと考えています」

〈……ほう、続けて〉


 ぐっと、両の拳を強く握りしめる。

 それでも手は震えてしまう。


「兄さんは昔、私に言いました。この脈術の力は私自身のものであると。けれど私は、私を守ってくれる人、助けてくれる人にだけ……兄さんと結雨さんのためだけに使うことばかり考えていました。それが知らずのうちに私自身の変化を抑え込んでいたんです」


声が、肩が、足まで震える。


「私は……まだ、私のためにこの力を使ったことがありません。いえ、兄さんと結雨さんに私の存在をアピールするために力を使うことが、私の意志で力を使うことなのだと思い込んでいたんです」


 疾凍さんは無言のまま言葉を返さない。私は続ける。


「けれどそれは二人への依存と甘えを維持するためのカタチにすぎなかったんです。そして客観的には自分以外の人のために力を使っているように見せて、私は役に立っているのだと思い込みたかった。それが私が本当に超えなければいけない問題だったんです」


 胸の中が熱い。燃え盛るように決意があふれ出てくる。


「私は、まだ私自身の成長のために脈術を使ったことがありません! 私はまだこのまま非戦闘術者に引き下がるわけにはいかないんです! 兄さんを失ったのならなおのこと、兄さんが与えてくれたこの戦うための力でどこまで成長できるのか試したいんですっ!」

〈なるほどね。しかしだ、もし曽良根くんの言葉が届くならば、彼は君がこの場に残ることを拒絶するだろうと私は思うが……それでも決意は変わらないんだね?〉


 私は大きくうなずく。


「やらせてください。私が考えうる限り、全力で私自身にできることを果たしたいと思います。それでも不適格であるというのであれば、その時は疾凍さんのご判断で私を退かせてください」

〈なるほど。わかった。君の意志を尊重しよう〉


 疾凍さんの声はどこか他人行儀。けれど、否定の意思は感じられない。

 言い終えてなお、握りこぶしから力が抜けない。頭の中でドクドクと激しく血がめぐり、軽い興奮状態に陥っていると気付く。

 一度、大きく息を吸い、長く吐いて心臓が静まるのを待った。まるでそのタイミングを見計らうように、スピーカーから疾凍さんの声が響いた。


〈君の考えを、こちらに来るだろう術者にも伝えておこう。君が言う通り、曽良根くんと霧澄くんの二人がいたことで君の成長に限界を作っていたことは非常に影響が大きいと私も考えていた。ただし――〉


 鋭く、重たい声で一言。


〈それさえ乗り越えれば自身に大きな成長が訪れるなどと、安易な期待はしないことだ。決意、覚悟、目標……それが定まったところで、すぐに何かが変わるものでは無い〉

「ぅ……」


 その言葉に響く冷たさに、私は背筋を震わせた。


〈明日の零時まで私が町の守護を引き受けよう。君はその間もしっかり休息を取り、できるだけ万全に近い形で復帰してもらいたい。霧澄くんから引き続き情報が出てくるようであれば、君にも連絡する。以上だ――〉


 最後の言葉には、今までのような優しさを感じられた。……けれど、背筋を震わせたセリフの鋭さが忘れられず、両手を胸元に当てて小さく震えた。


「……もう兄さんはいない」


 結雨さんも、いつ戻ってくるかわからない。だから私は自分を変えると決意したのだ。

 すぅっ、と大きく息を吸い込み、両手で胸をドンドンッと叩いた。背筋の震えが解け、意識がはっきりとしてくるのを感じる。


「よしっ」


 気持ちを引き締めると、まずは言われたとおりに休息するため布団の敷かれた畳部屋へと戻り、通り抜けて台所へ向かい、冷蔵庫からゼリー状携行食をいくつか手に取り、畳部屋へ戻って枕元へと並べた。

 疾凍さんと話しているうちに空腹感が戻ってきたため、今度はお腹の負担にならないようにゆっくりと絞り出しながら飲み込んでいく。

 ごくり、ごくりと飲み込んでいるうち、冷やされたゼリーが喉を通るにつれて胸の中が物理的に冷えて行くのを感じた。

 ――そう、物理的なはずなのに


「あ、あれ、また……」


 涙がこぼれて止まらなくなってしまう。


「ちょっと、これ、待って、だって私は……」


 兄さんの死を受け入れたはず。


 ――ちがう、まだ死を受け入れただけだ。


 疾凍さんの言った通り、何かが劇的に変化するはずもない。


「そうか、そうなんだ……私……」

 

 ――ちゃんと、兄さんの死を悲しんでいる

 

 ゼリー状携行食を壁に投げ捨て、

 布団をかぶり、

 枕に顔を伏せて私は吠えた。


 叫び声が出るほど悲しいことなんて、今まで経験したことはない。


 自分が何を叫んでいるのかもまるで分らないまま、私は涙が止まるまで叫び続けた。

 けれど、一つだけはっきりと思い浮かべていたことがある。それを、言葉にして繰り返す。


「兄さん……私、強くなる……兄さんに、心配をかけないようになる、から……」


 この声を、みっともなくてもいいから、兄さんに聞いてもらいたい。

 ……そう、願いながら。 


 

 …………

 ……

 疾凍がいるのは、とても広い部屋に机と椅子が置かれているビルの一室。

 色のついた窓ガラスは陽の光を遮り、内部はとても薄暗い。

 御依里との通信を終えて、スマートフォンの画面から指を放し、開口の広い窓から町を見下ろす。

 そこは御依里たちが守っている町とは明らかに違う、もっと都会的な雰囲気に満ちた市街地だった。

 一息置いて、疾凍はスマートフォンの画面を触り、通信開始のボタンを押して耳に当てる。


「お前の準備はどうだ?」


 通信先の主の声色はどことなく不機嫌そうだが、疾凍は声の調子を変えることなく話を続けていく。


「その通りだ。おそらく今回の件は、結界に反応しない特殊な四人目の術者が関係しているだろう。……そう、変身の能力を持ちながら、術者として多くの脈を体内に内包しないタイプだ。非常に珍しい存在なので、特定はそれほど時間がかからないだろう……ああ、お前が言う通りだ。もしまたその術者が大勢の敵勢力をともなって侵入してきた場合、対処することは容易じゃあない」


 疾凍は机へと近づくと、テーブルに置かれているノートパソコンのマウスに手を伸ばす。カチカチと画面に映る情報を操作し、術者の情報が書かれたリストをいくつか開いた。


「……なるほど、そうだな。お前が言うことは正しい。だが私はお前にそんな言葉は期待していない。私が行う必要最低限の支援で、お前の出せる全力の結果を残すんだ。それが戻ってくるお前に課す条件だ」


 スマートフォンを耳から離し、通話を終了して椅子に腰を掛けた。

 画面に映し出された術者のリストに目を通しながら、疾凍はニヤリと口元を歪めて笑いをこぼした。


「さて、音古鐘くんとあいつが出会ったとき、どのようなことが起こるのか――行く末を見守らせてもらおうじゃないか」


 

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