会――④


 ――もう両親と妹の顔を思い出せない。

 ――声すら。名前すら。

 ――いや、思い出せないようにしたのは、自分だ。


「敵術者八名を殲滅。三名を捕縛」

「生き残りは七名。内、非戦闘術者は一名……少年です」


 燃え上がる黒煙で黒く染まった少年の顔には、生きる力が感じられない。

 何が起こったのかさえ正しくは理解できていない。おそらく、自分の住んでいた乱術衆の拠点が敵の襲撃に遭ったのだろう……ということだけはハッキリと理解できた。


「きみ、名前は?」

「……妹は?」

「残念だが、亡くなったよ」

「……そう」


 救援に来た戦闘術者たちは気を遣う様子もなく正直に事を伝える。少年はうつろな目で地面に座り込み、崩壊した基地を眺めていた。

 山の中に立てられた白い大きな建物は崩壊し、所々に戦闘で死亡した術者たちの遺体が転がっている。

 地下深くにつながる階段からは真っ黒な黒煙が立ち上り、救援の術者たちがマスクと酸素ボンベを背負いながら中へ飛び込んでいく様子が見られた。


「君の名前は?」

「……曽良根そらね陸人りくひと


 二度目の同じ質問にははっきりと答えたが、意識が明瞭になっているわけではなかった。自分の家族が殺されてしまったことすら、まだしっかりと認識できていない。

 歳は九つを迎えてすぐの少年……を、幼いと考えるべきかどうかはわからないが、少年は自分に降りかかった悲劇を理解することも、しようとすることもせず、ただ目に映る光景をぼうぜんと眺めていた。

 しばらくすると視界が、ぐわぁんと大きく広がっていくような気がした。耳に入ってくる声も曖昧になり、自分に向かって何かをたずねられた気がしたが、まったく判別できない。その朦朧とした意識に飲まれるまま、陸人はゆっくりと目を閉じた。


(……覚えている)


 目を閉じると、ずっと昔の記憶を思い出すように、さきほど起きた出来事が再生される。


(父さんも、母さんも、妹も)


 何者かの襲撃にい、反撃をする間もなく胸を貫かれた父親。

 とっさに脈術で応酬するものの、戦闘術者との明らかな練度の違いによりあっさりと返り討ちにされた母親。

 離れた場所に立ち尽くしている幼い妹に手を伸ばしたものの、まったく届かないうちに業火が押し寄せ、全てを焼き尽くされた。


(殺されたんだ)


 両親も妹も、みな好きだった。大人の言葉で言えば愛していた。

 きっと大きく成長して術者としての自覚が生まれるまで抱き続けるだろう、「ずっといっしょにいたい」という気持ち。

 その思いが、たった数分の出来事のうちに砕かれた。


(もういい)


 幼い少年は背を丸め、両膝の中に頭を挟み込んで現実から逃げることにした。


(覚えて、いたくない)


 家族の死を忘れることはできそうになかった。

 そのかわり、家族の顔を忘れることにした。


(忘れてしまうんだ)


 好きだったもの、大切だったもの、失いたくないもの……。それらを忘却してしまうことで、喪失した現実から離れることができる。そう少年は考えたのだった。


「――ヒト」

(誰かが呼んでいる)

「――クヒト……陸人、ねえ!」


 騒がしい呼び声に、眠気で重たい頭を持ち上げる。

 どうやら講義室の机に伏したまま本格的に寝込んでしまったらしい。

 あくびをしながら背伸びをすると、鼻先に少女の突き出した人差し指が近づいた。


「あんた今日の清掃当番だったでしょ! もう、いつまで経っても来ないから、私一人でやったわよ! まったく、少しは悪かったとか思う気持ちがないの!?」

結雨ゆうかよ。お前はいっつもうるせえなあ……」

「あんたがいつもボケーっと腐ってるんじゃない」

「チッ、年下のくせにウルセ」

「んん? 年上のくせに役立たずの寝ぼすけが言うじゃない」


 女は十歳を超えると途端に大人の仲間ゴッコをはじめる……とか友人が言っていたが、今年で十一歳になる結雨もまたそんな感じなのだろうと陸人は思った。かといって十三歳になった自分の内面は……そこまで成長している感じでもないなと思った。

 椅子から立ち上がり、どこへ向かうともなく歩き出した。


「どこいくのよ?」

「どこだっていいだろ、付いてくるな」

「これはついて行ってるんじゃなくて、監視してるのよ」

「は? 意味わかんね」


 思えば、陸人がいるところのすぐそばにいつも結雨はいた。家族を失い、海の基地へと拠点を移してからずっと、結雨という少女は自分の周りにいた気がすると陸人は思った。


「私を妹と思って大切にあつかってもいいのよ? フフン」

「二度と言うな。ぶち殺すぞ」


 初めて会った時も、そんなことを押しつけがましく一方的に言い出す女に優しさを抱くはずもなく、陸人はいつも面倒くさそうにあしらいながら近づく結雨から離れようとしていた。


 それは時間が流れ、

 戦闘術者として訓練を続ける日々も

 はじめて戦いの前線に送られる時も

 今いる町で任務に就くことが決まった時も

 結雨は陸人のそばで身近な存在として「そこ」にいた。

 それをいつも疎ましく感じていたのは事実だが、時間が経つにつれてそばにいることが当然のようにも感じはじめていたことも、また事実だった。


 だが、初めて御依里みよりを連れてきたとき、結雨は驚きと戸惑いを顕著に現わしていた。


「……その子は、死んだ妹さんじゃないのよ」

「いいんだ。俺はこの子のために命を使うと決めた」


 ――これが、自分から忘れてしまった妹への贖罪しょくざいなんだ。


 大人に成長したその時にもなれば、もはや結雨の中でも陸人の両親と妹というものは触れてはならないものであることはハッキリと理解できていたため、結雨も簡単に口にすることもなかった。――その陸人自身から、御依里を妹代わりに守り続けると言い出したのだから、戸惑いも出てくるというものである。

 結雨は死んだ陸人の妹を見たことがない。なので、御依里を死んだ妹と比べることはできない。知っていることは、妹を亡くした時の年齢と、御依里と出会った時の年齢が重なるという程度のものだった。なので、それだけの情報で陸人の意志が決定してしまったことはどこか腑に落ちない感覚が残っていた。

 しかし、御依里のことを話す陸人の顔には、今まで見たことのない穏やかさがあった。陸人の表情と言えば、いつもどこか作られたような表情で、その目には氷のような冷たい青色が灯っているような錯覚を覚えさせる。それが御依里の話になると解けて、暖かな光を灯す。


「なんというか……なんと言えばいいんだ……歳が離れているせいか、妹というか娘のような感じすらする」

「はぁー……またその話?」


 乱術衆の海中基地に御依里を連れてきて数日後、術界に御依里の保護を申し出た陸人は、子供たちの輪にまだ入れないでオドオドとしている御依里を眺めながら、ベンチに座る結雨へ相談していた。

 結雨はわざとらしい大きなため息を吐きながらも、口元は笑みを浮かべながらそっけなく言葉を返す。


「うーん、じゃあどっちでもいいんじゃない? そもそも、親兄弟のいない私にそんなこと聞いても、ちゃんとした答えなんて出てこないわよ」

「どっちでもって……妹でも娘でもって、どんな感じだ?」

「たぶんテキトーで大丈夫よテキトーで。雰囲気を大事にすんの。大切にしてればね」

「なるほど、考えすぎる必要はないか。……ありがとうな、結雨」

「なんでこんな答えで納得できるのよ。なんかポジティブすぎて気持ち悪い」


 陸人の、心からの笑顔を初めて見た気がした。

 結雨はそのときはじめて、陸人の心の内を察することができたような気がした。

 陸人は、生きるために家族を失ったことを忘れた。――けれど、それは本心から望んでのことではなかった。だから、いつも自分だけが生き残っていることを責めるような気持ちを抱いて生きてきたのだろう。

 その気持ちの穴を、御依里の存在が埋めてくれたのだ。自分で生きるにはとぼしい力しか持たない少女の存在こそ、無力な中で失った妹の変わりに成り得た。

 きっと他の人から見れば、自身の弱さを、より弱い存在に押し付けているだけだと非難されることだろう。だから結雨は、自分の胸の内にだけ秘め、他言しないことを自分の中に刻み込んだ。


 陸人の心が、それで救われるなら――と。



**********


 

「……うう、ん? ここは……痛っつつ!」


 御依里が目を覚まして初めに気づいたのは、自分の手足が頑丈な鋼線でしばられているということ。そしてすぐそばには、神妙な顔つきで立っている結雨の姿があるということ。

 周囲を見渡すことで、自分がいる場所は気絶させられたビルの解体現場であり、周囲に金髪男の姿は無く、夜空の月の光のほか、電灯一つない暗闇に包まれているということを知った。


「あら、先に目が覚めちゃった」

「結雨さん。……これは、どういうことですか」


 御依里の鋭い視線に対し、結雨はすぐに顔をそらしてしまう。

 しばしの無言が続いたあと、結雨は空を見上げて口を開いた。


「……来たわね」


 空から降りてくる人影は速かった。結雨と御依里の姿を確認した陸人は、大きく肩を上下させながら呼吸し、額に流れる汗をぬぐった。このうだるような暑さの真夏の夜、外気温を調整して涼しさを得る術を使うことも無く、高速移動にすべてを注いでやってきたことが明確に受け取れる状態だった。


「結雨、何を考えている。御依里を放してくれ」

「すぐに解放するつもりよ。あなたの答え次第でね」


 結雨は暴力的に御依里の髪を掴み上げ、自分の胸の高さまで頭を持ち上げる。そして痛がる御依里の表情を見せつけると、すぐに髪から手を離した。たったそれだけのことだが、陸人の表情にわずかながらも怒りの感情を読み取れる動きが見て取れた気がした。


「何が目的だ?」

「さっき通信で話した通りよ。あなたはこの町で守る秘密を知っているんじゃない?」

「知らん。そう伝えたはずだ」

「そうかしら? 私の読みでは、陸人……あなたは相当な真実に近づいているはず」


 一息おいて、結雨は陸人を完全に敵視した目でにらみつけた。

 

「――だから、狙われる」


 次の瞬間、闇の中より音もなく出てきた金髪の男が陸人の背後をとり、その両腕に風を集めて今にも脈術を放たんと迫る。


「兄さん、後ろっ!」

「くっ……!」


 御依里の叫びに応えるように背後に振り向く。陸人もすでに右手の中に備えていた脈術を具体化させ、高圧の空気とその断層によって生まれた鎌鼬によって金髪の男を迎撃せんとする。


「よく言ってくれたわ、御依里」


 その、ほぼ同時、結雨が前に踏み出した。


散脚サンギャ


 御依里を突き飛ばし、自身の背後で爆発を起こし高速で前進。次いで、全身に風を巻き起こし、圧倒的な推力を得る。

 十数メートルほど離れていた陸人との間合いを一瞬で詰めて、無防備になった陸人の背後へと右手の手刀を構えて突き出す。

 陸人の背後にいた金髪の男はその両腕を前に突き出し、脈術の名前を唱えた。


波守ナミモリ

「なにっ!?」


 それは攻撃術ではない。空気の圧力を操り、防御する術だ。

 戸惑う陸人が迎撃に放つ鎌鼬は防がれ、空中で止まり霧散して消失する。そして金髪の男は前に突き出された陸人の両手を、風の防御術をかき分けながら掴み、そのまま次の術を唱えた。


空牙クウガ縛身術バクシンジュツ


 直後、高圧力の風が陸人の自由を奪う。首すらまともに回すことができず、背後に迫る結雨の姿を見ることすらできない。


青爪アオヅメ


 結雨もまた、構えた手刀に水を集め、一瞬で凍らせて鋭い氷の刃を作り出し、ガラ空きの陸人の背中へと鋭く突き出した。


「結雨さん、やめ――」


 御依里の叫びが届くよりはるかに早く、結雨の右手は陸人の背中を貫いていた。


 結雨の二の腕に至るほど深く刺さったソレは、陸人の背部中心よりわずかに左側――確実に心臓を破壊していた。


「――ッッ!」


 しかし、結雨は直感で気付く。

 そして二秒ほどのわずかな間をもって、その感覚は確信に変わった。


(手ごたえが、まるで違う……!)


 陸人の背部を深く貫いているはずの結雨の手が、胸の方に突き抜けていない。

 金髪の男もその事実に気づき、背筋に寒気が走る。


「なんか、ヤベェッ!」


 向かい合う結雨と目を合わせた瞬間、結雨の表情が大きく崩れた。


「うぁ……ああああああああああああっっ!?」


 悶絶する結雨が、突き刺した右手を引き抜く。

 しかし結雨の右腕は肘から先が食いちぎられており、おびただしい量の出血であたりに血しぶきを撒いた。


「――フ、フフ、フフフ」


 笑い声は、胸を貫かれ仰け反る陸人から響いた。

 金髪の男に掴まれた両腕は糸の切れた操り人形のように力なく、陸人の背中には結雨が空けた風穴が開いている……にもかかわらず、陸人のうな垂れた顔には普段の冷静な雰囲気からは考えもつかない、醜悪な笑みが浮かんでいた。


「うわ、あ、あああああああっ!」


 金髪の男は悲鳴を上げ、陸人の両腕を払いのける。そして両手の中に炎の球を作り出し、それを陸人に向けて放つ。同時、自身は距離を取るように背後へと退いていた。


 ――しかし


「おぶぇっ!?」


 金髪の男が下がるスピードよりはるかに速く、陸人は高速で迫る。

 金髪の男の下顎を右手でつかみ、爛々と大きく開かれた瞳で金髪の男の両目と視線を交わす。


「お役目ご苦労さま、ってね♪」


《――ぞるりっ》


 陸人が別人のような声を放った瞬間、結雨の開けた背中の穴から、白く、艶やかで、長い何かが飛び出した。

 御依里や結雨が、『ソレ』が何なのか判断も付かないうち、白い何かは金髪の男の頭部へ瞬時に迫り、顔の中心を貫いて破壊した。


「ぅっ……!」


 御依里は思わず息を飲んだ。

 飛び出してきた白い大蛇の尾のような物体――一本の太い触手は、金髪の男の頭部を粉砕すると、すぐに陸人の背中の穴へと戻っていった。


「くぁ……ぅうううううっ! いいいいぃ痛ったいわねぇ!」


 結雨は陸人から大きく距離を取ると、出血する自身の右腕に脈術を流す。そして呼吸を大きく吐いて整え、意識を集中させた。


 『赤爪アカヅメ


 赤爪とは自身の血液で武装化する術の総称である。出血していた右腕の血液が瞬時に固まり、ハンティングナイフのような鋭い形のまま固形化した。

 結雨は背後に飛びながら血液のナイフに更に脈を流して強化し、すれ違いざまに御依里の手足を拘束していた鋼線を切り裂き、自由にした。


「御依里、立って!」

「は、はいっ!」


 御依里も状況が把握できていないまでも、結雨のそばに並び、明らかに豹変している陸人へと構えを取った。

 金髪の男の遺体を踏みつける陸人は、ゆっくりと振り向き、醜悪な笑みを浮かべながら二人へとギラギラと光る眼を向けた。


「フフフン、フフフフ」


 陸人が不気味な笑い声をあげた、


 その直後――

 

《ピリ ピリリ……》


 まるで糊で張り付けた折り紙がはがれていくかのように、陸人の顔面の表皮が鋭い線で分かれ、剥がれていく。

 次々に剥がれて落ちていく皮は10センチ四方のサイズで剥がれ、その下に別人の顔が現れていく。

 大きく見開かれた目に、妖艶な唇、通った鼻筋……。表情の変化だけではない。陸人の体格が徐々に変化し、身長は高くなり、手足は伸びていく……。

 陸人の頭部を覆いつくす表皮がすべて剥がれ、青色の折り紙のようなものが十数枚ほど地面に落ちた時、その姿はすでに陸人の物ではなかった。


「……あなた、誰なの?」


 御依里は震えていた。

 手も、足も、声も唇も。


「ン~ン? ンンンン~」


 陸人に成り代わっていた人物は背筋を伸ばし、顔を斜めに傾けた立ち姿でニヤリと笑った。口角が口が裂けてるのかと思うほど横に広がる。身に着けていた陸人の衣服はセミの抜け殻のように背中から破け、バサリと地面に落ちた。


「ドーモ♪ はじめまっしてぇ、ワタシのあざなは『まゆ』っていいます♪」


 その女の身長は二メートルに届くか、あるいは超えている。長く細い手足だが、戦闘術者としては十分に筋肉質なことが見て取れる。肌に張り付くように身に着けた、幾何学模様が走る白いタートルネックのボディスーツが月の輝きにテラテラと光る。長くサラサラとした青白い髪は前髪を含むすべてが胸元より下まで伸びている。


「あー肩こったワァ。首がちょっと痛いカンジ」


 髪の間から覗かせる女の顔は、動物的な大きな眼と、裂けたような横に長い口が不気味に思わせる反面、それでバランスが取れているような美しさを秘めてせる。

 繭と名乗る女はボディースーツ首元のファスナーを触ると、ゆっくりと胸元まで下ろし、女性的な魅力に十分な胸を半分ほど露わにした。二人は、同じ女性でありながら、見惚れそうな艶やかさを「恐れ」の中に感じた。


「名前なんてどうでもいいのよ……陸人を、彼をどこへやったの……ッ!」


 鋭く声を放ったのは結雨だ。右腕に激痛を奔らせながらも、左手には大きな水を集め、周囲に無数の氷の矢じりを作り出し、すでに狙いを定めていた。

 御依里も地面に片手を当てると、土の塊をいくつも浮かび上がらせ、高圧力の旋風をまとわせていつでも発射できるように準備を整えていた。


「ハイハイハイ、そうよねェ、気になりますよねェ♪」

「チィッ!」


 繭のおちゃらけた口調が神経に触ったのか、舌打ちした直後、結雨は氷の矢じりの数発を繭へと向けて発射した。


「ふ、ふ、ふン♪」


 しかし、攻撃は届かない。瞬間的に繭の胸元に一つの黒い穴が開き、その穴から飛び出してきた白い触手のようなものが高速でうねり、すべて叩き落してしまう。


「ちょっちょっちょっとなによぉ。質問しておきながら、答えを聞く前に殺すつもりなの? まったくもぅ……答えるわよ、答えてあげますぅ」


 繭は降参のポーズをとるように両手を挙げて胸元の白い触手を回収、胸に空いた穴もすぐに塞がって見えなくなった。


「その前にひとつ情報を。私がさっきの男に変身していた極盾道具を『閻魔えんまだまし』って言って、ちょっと今回の目的のために人から借りてたの。あれは私の能力じゃないからもう変身することはできないから安心してね♪」

「何に安心しろって言うのよ! そんなことはどうでもいいわ、陸人をどこへやったのと聞いているっ!」

「やだやだ気が短いこと……まあ、この流れでそのまま教えてあげるけれど、閻魔騙しに『あるもの』を素材として混合することで、その人物の中身も能力もすべてコピーすることができる。意識も、考えも、術者としての実力も、行動の所作ひとつひとつに至るまで……深層心理に私自身の意志を反映しながらもね♪」

「ある、もの……?」


 変わらず震えた声で御依里は問いかける。しかしその時すでに、結雨も御依里もそれが想像するものとそう離れていないであろうことを察していた。


「べっつに大したものじゃないわよぉ? だって――」

 

 ――その人の、全身の生皮なんて♪

 

「貴様ぁアアアアアアアアアアッ!!」

「ッ……許さないィ!」


 結雨がキレた。御依里もその顔から戸惑いの表情が消え、頭の中は怒気で満たされていた。


氷渦ヒョウカ花爪カソウ

土鋲ドビョウ散小鳥チリコガラス


 どちらかが動き出すまでもなく、結雨は氷の矢じりを高速で掃射、御依里は上空に飛び上がり、斜めに撃ち下ろす角度で土の塊を高速で発射した。


「あーもう始めるのぉ? だからぁ気が短すぎじゃなぁい?」


 繭はその長身を大きく折りたたみ、這うように地面にしゃがみ込む。その背中に一瞬で穴が開き、白い触手が飛び出して高速でうねり、そのほとんどを撃ち落してしまう。


「いっきまぁ~す♪」


 そして長い手足を地面につけて四つ這いになると、接地する地面を爆発させて高速で前進して二人へと迫る。

 結雨と御依里は近づく繭に攻撃を続けながらも、白い触手の攻撃範囲に入るまいと後ろに下がりつつ、解体中のビルの中へと入るタイミングを見計らった。


「フフフフフフ、お姉さんはやさしーので戦いの中でも教えてあげる♪ 私が彼と入れ替わったのは三日前だったかしら……」

「今聞くつもりはないわ! 『空牙クウガ憑怪剣ビョウカイケン』ッ」

「彼がワタシたちの探している秘密の少しでも知っていればいいな~とか、大業オオワザ疾凍ハヤテの素性を知っていればいいな~とか思ってウロウロしてたら、たまたま出会った彼の皮にヒトメボレしたのです♪ 運命って美しいッ」


 接近しようとする繭を近づけまいと氷や水の弾丸、風の刃で攻撃を繰り返す二人。それらを繭はグネグネと柔軟なポーズで回避したり、白い触手で叩き落しては近づこうとする。


「御依里、ビルの中に入って後は二手に分かれるわ。私はあいつの上を、あなたは下を」

「はいっ!」

「わーっ、見え見えのワナだけど、ついていってアゲル♪」


 解体中のビルの中へと分かれて入っていく二人を追って、繭が侵入してくる。

 そして繭がビルの窓から大きな一室に踏み込んだとほぼ同時――


「御依里、GO!」

「はぁあああああああっ!」

『『鉤螺奏鉄カギラソウテツ』』


 別々の遮蔽物に隠れた二人の術式が共鳴し、繭に襲い掛かる。

 ビルのコンクリートの左右から、真上から、足元から、鉄筋が無数に飛び出し、蛇のようにうねりながら繭の体を一瞬のうちに拘束していく。


「アラララララララララララ?」


 巻き付いた鉄筋が亀裂だらけのコンクリートの中へと引き込まれ、繭の体は叩きつけられるようにしてビルの天井へと貼り付けにされた。


「がはっ! ちょっとだけ痛いィ~っ」

「口うるさい女ね……その状態でこれを防げるかしらっ!」

「いきます!」


 結雨と御依里の息の合ったコンビネーションにより別の術式が発動。繭を拘束する周囲のコンクリートに亀裂が入り、炎が噴き出す。


 『『炎鎖エンサ肋撒アバラマき』』


 直後、大爆発が起こり、高温の爆風と無数のガレキが繭に襲い掛かる。一瞬のうちに炎に包まれた繭は、身動きすることもできずに直撃を受けたようにしか見えなかった。

 天井が崩れ落ち、外壁が破壊され、白い煙が破片と共に巻き上がる。


 ――だが


「ソレ、とっても良ィイイイイイイイイっ♪」


 繭は自分の腹部から出した白い触手を高速でうねらせせ、爆風の中から大きく体をのけぞらせた姿勢で現れた。


「はぁーっヤバッ、死んじゃう、ヤッバ、死んじゃうとこだったぁホントにっ♪ でもそれって、サイコーに良い感じってことじゃなぁイ♪」


 よく見れば触手の先端は四又に別れ、その内部には生き物のように無数の鋭い歯と、長く青い舌が見える。

 至近距離で攻撃を受けた繭も、さすがに無傷と言うわけではないのか、白いボディースーツの所々が破れ、傷による出血や火傷を見せていた。


「チッ、なんなのよあの反則級の極盾きょくち武器ぶきは……っ!」


 結雨はビルの内部を滑るように移動しながら壁から壁へと姿を隠す。そして無防備にしか見えない繭に向かって、死角から脈術でコンクリートの破片や鉄筋の破片を射出して猶予を与えない。

 しかしそれらすべてが白い触手によって叩き落され、牽制の効果を発揮しない。


「ハァ……でもやっぱり実力差がありすぎると、二対一程度じゃ刺激が足りないワン……。しょーがないから、オマケでワタシの極盾武器『グロースイーター』の能力を教えてアゲル♪」


 瓦礫が散らばるビルの内部をゆっくりとした歩調で進みながら、繭は余裕たっぷりの様子で自分の武器の能力を解説し始めた。

 そのうちに結雨と御依里は一度、遮蔽物の陰に合流し、今後の作戦を練ることにした。


「この子の射程距離およそ二十メートル、本気で動かしたときの瞬間最高速度は音速と同等。でもそれは伸ばす時だけで、引くときは少しゆっくりになっちゃうし、続けて何度も同じ速度を出せるわけじゃないわン♪ でも、それ以上に気を付けてほしいのはこの子の可愛いお・く・ち♪ こんなボロビルのコンクリや鉄筋くらいだったら、簡単に食い破ることができちゃうんだからっ♪」


 繭は自分の右肩に穴を開き、そこから出したグロースイーターを右腕に巻き付かせる。そしてペットの蛇を可愛がるようにその先端を指先でくすぐり、自分の長い舌で妖艶に舐めた。グロースイーターもまるで本物の生き物のように口を四又に開き、長い青色の舌をチロチロと踊らせる。


「結雨さん、奴の言う情報を信じる価値はあると思いますか?」

「御依里、敵の極盾術者の解説なんか基本原則として信じないことよ」


 結雨はイヤホン型の通信機のボタンを押し、疾凍と連絡を取ろうとする――が、応答がない。小さく舌打ちすると、荒々しくレギンスのポケットへと突っ込んだ。


「陸人が殺されたかもしれないってのに、あの無能上司はこんな時までっ!」

「あの女、許せない」


 小さく、しかし鋭さと重さのある御依里の言葉。背中は怒りに震え、唇をキュッと噛み締めている。その様子を見て、結雨は自分も落ち着きを失っていることを確認して、大きく深呼吸をした。


「御依里、怒りに取り込まれては勝てないわ。落ち着いて、今は私の言う通りに動いて」

「わかってます」


 結雨に背中を軽く叩かれて、御依里も大きく深呼吸をして怒りを鎮めようとした。頭の中は少し落ち着いた気がするが、心臓はまだ好戦的にバクバクと激しく打っている。


「わかってます」


 自分に言い聞かせるように返事を二度繰り返す。


「じゃあ聞いて。相手は人数差による不利にも動じない、私たちより大きく実力が離れた高位の敵。なんの作戦も無しに突っ込んでも、即座に対応されてしまうことは目に見えているわ。だから、さっきまで目的は勝つことだったけれども、ソレを変えるわ」


 結雨が何を言わんとするのか、御依里は察して奥歯を噛み締めた。


「まさか、逃げるんですか?」

「それは……いえ、最終的にはそのつもりよ」


 握りこぶしに力が入る。陸人を殺した相手を前に、尻尾を巻いて逃げ出そうというのだ。

 今まで抱いたことのない真っ黒な感情が、その作戦を否定的にとらえさせてしまう。


「結雨さんは悔しくないんですか?」

「自分の感情を作戦に持ち込んではいけないわ。それは単純なルールや小難しい原則とはまったく関係なく、生き残るために必要なことなの」

「私は兄さんのかたきのためなら死ぬことなんて」

「……フゥ」


 一瞬の間をもって、結雨は口を開いた。


「自分を死に近づければ強くなれるなんて、誰も教えていないはずよ」


 それは今までになく、背筋に寒気が走るほど鋭い口調だった。

 御依里も熱くなっていた頭が一瞬冷めるような感覚に、思わず息を飲んで黙り込んだ。


「陸人が死んだかもしれない今、あなたを生かすのは私の役目。あなたを生かすために私は命を投げ捨てようなんて考えないわ。自分自身が生き続けて、そうやってあなたを生かし続ける。……陸人も同じように考えるはず」


 結雨は御依里の頭にぐっと押し込むように手を置いて、厳しい口調のまま御依里を諭した。


「あなたを生かすという作戦は今この瞬間のものじゃないわ。今までも、これからも、ずっとずっと続いているものなの。……だから、あなたも私を生かす為に必要な選択を選んで」


 結雨の言葉すべてを納得できたわけではなかった。それでも、自分を生かしてくれるために、陸人や結雨がどれだけの思いをもってこれまで生きていたのか、それを思い、深く考え、自分のワガママや無謀を押し殺した。


「はい、わかりました」

「よしっ!」


 二人は決意を新たにすると、作戦を簡潔に話し合い、繭の意識がコチラへ向く前に別々の方向へと地面を滑りながら高速移動して距離を取った。

 繭は相変わらず何か一人で勝手に呟きながら白い触手を愛でている様子だった。


「この子真っ白な肌はほどよい弾力やちょっと高めの体温が特徴的。アナタたちも触れてみたらこの魅力がわかると思うんだけど……残念ながらこの子は他の人に触られるのが苦手なのよね~。私以外の人に触られるとついついカジリついちゃうっていうところがまた可愛くて~……って、あーそうだっ、言い忘れてたことが一つあるんだけど、この子の味覚は私の舌と直接リンクしてるのだけど、まあ味がそのまま再現されるわけじゃないんだけどね? 今までいろんなものをこの子と一緒に味わってきて、私が一番大好きなものは……ってアララララララ?」


 廃ビルの内部は解体中のため、崩れ落ちた壁や天井の他に遮蔽物はそれほど多くは無い。しかも遮蔽物がないぶん音をよく反射反射するため、居場所がわかるほどではなくても敵が移動しているかどうか程度のことは簡単に把握することができる。


「わざわざワタシの話を聞いてくれて、とっても嬉しいワ♪ いえ、もしかしてそんな感じじゃなくて、どうして――」


 裂けたように横に広がる口角が上がる。動物的な大きな目が、キュッと細められて奇妙な笑みを浮かべたような形に変わる。


「今のうちに逃げなかったのォ? どーせ無理だけど♪」


 繭は身体をめいっぱいに拡げ、その全身に脈術を通し……一気に解き放つ。


震詩展衝波シンシテンショウハ


 脈術を唱えた瞬間、繭の全身から衝撃波が全方向へと放たれた。

 その強烈な衝撃に、ビルの床や天井、壁面はヒビ割れて砕け、内部の鉄筋を晒しながら崩壊していく。

 その衝撃波は目に見える効果に終わらず、身を隠す二人の臓腑を激しく揺らすほど強大な威力を持ってビル全体に広がっていく。


「独り言もやることも、イチイチうるさい女……っ!」


 壊れていくビルの瓦礫の向こう側に姿を現わした結雨。その左手の中に、砂を混ぜて水を凍らせた長さ三〇センチほどの刃を八つ浮かべており――


氷渦ヒョウカ錬粧剣レンショウケン


 それらを繭へ向かって高速で射出した。脈術で強化された氷の刃は強力な衝撃波の中を簡単に貫いて繭の方へと向かって直進。しかし、すぐに繭の背部に穴が空き、そこから白い触手が飛び出してきて、刃の全てを叩き落とす。


「本っ当に面倒ねソレ! 『土鋲ドビョウ花爪カソウ』」


 結雨は繭の放つ衝撃波で崩れていくコンクリの破片を自分の周囲に数十個ほど浮かべると、それらも発射させていく。まるでガトリングガンを射出するかのように連射されるコンクリ片は、息をつく間もなく繭の身体にめがけて襲いかかる。

 ――だが、それでも白い触手はほぼ全ての弾丸に対応し、いくつかのカスリ傷をのぞいて一発たりとも繭の身体に直撃させない。

 繭は衝撃波の放出を終えてなおその場に立ち尽くし、自分に向けられる攻撃に大して全てを白い触手で受け答えていく。結雨の攻撃が直撃しないまでも、向かい来る破片がスーツや肌を傷つける事で、繭はヒリヒリと肌を焦がすようなスリルを感じていた


「はぁ……怖っ、怖っ、コワぁあああ~ッ♪ ちょこっと動けばいいものを、その場で受け流すギリギリの恐怖……でも」


 小さく一歩を踏み出す繭、そして右手の中に炎を生み出すと、回避行動に出ていた結雨へと向けて突き出す。


「そうやって舐めプで自分を追い込まなきゃダメなの? ってことを考えると、急に冷めちゃうのよねぇ……はぁ~」


 繭の表情から、笑みが消えた。

 結雨は繭が放つ、無数の針で全身を貫かれるような殺気を感じ、すぐに地面を滑りながら距離を取っていく。


「廊下に出て壁に隠れ――」

(いえ、それじゃ間に合わないッ!)


 その判断と繭の脈術の発動は、ほぼ同時だった。


炎鎖エンサ風仙塵フウセンジン


 繭の右手から放たれた業火は渦を描きながら床面に直撃。コンクリ片だけでなく融解した鉄筋も巻き込んで結雨が立つ空間へとなだれ込んでいく。炎の暴風は空間を焼き尽くしながらガレキ片を周囲に叩き付け、無慈悲に破壊していく。

 だが、結雨はすでに次の動きを取っていた。


炎鎖エンサ肋撒アバラマき』


 結雨の脈術を唱える声が聞こえたのは、繭の真下。


「ひゃ!? は! はっ♪」


 思わず笑みと冷や汗を浮かべる繭。

 真下のコンクリートに亀裂が走り、炎が噴き出す。直後、爆音をともなってコンクリ片を弾丸のごとくまき散らす。そしてそのまま穴の中から飛び出してきた結雨は、繭と接近戦の距離を取って左拳に込めた脈術を開放させた。


四ツ狩ヨツガリ


 拳を突き出すと同時、先端から高温の四つの火柱が発射される。繭の立っていた空間は一瞬にして巻き上がる高温の火に包まれ、大爆発を起こしてビルの周囲に空いた穴から炎が激しく吹き出した。


(直撃――どうだッ……ッ!?)


 まぶしすぎるほどの炎に包まれながら、結雨は戦況を判断しようと意識を周囲に巡らせる。


「まだ生きてまぁああああああああああスッ♪」


 ビルの内部を反響する繭の叫び声。

 直後、炎が照らすまばゆい光に紛れて、ビルの穴から結雨の体が外へ飛び出してきた。

 ――その腹部に、白い触手が突き刺さった状態で


「がふっぁ……ッ」

「今のもぉ、イイカンジに危なかったぁ~♪」


 口から吐しゃ物と血液を吐き出しながら吹き飛ぶ結雨の体。

 ビルの内部に立つ繭の体はいくつもの傷と火傷を負ってはいるが、その表情はやはり笑みを浮かべていた。


 ――しかし、その左背後に御依里が現れたことに、まだ気づいていない


(その左腕は、『陸人兄さん』だった時に戦いで折られたはずっ)


 御依里は両の手の中に脈術を構築し、それを繭のへ向けて放出する。


縮光シュクコウ旋弓波センキュウハ

「ひゃはっ!?」


 繭は素早く振り向くものの、対応が間に合わない。


「ちょっ、待っ、てっ……『波守ナミモリ』!」


 左手を突き出して空気の防御を張るものの、距離が詰まりすぎている。


「ふっとべぇえええええ!」


 御依里の放った炎の矢は繭の左手のひらに直撃し、瞬間的に縮小――直後、急激に膨張し、大爆発を起こした。


「くっ……うぐぁ……!」


 巻き上がるガレキと煙の中、御依里は自分の両腕を見つめてうずくまっていた。爆発の衝撃により、両腕の骨に嫌な音が走ったのだ。

 身に着けていた黒いブラウスは焼け焦げてボロボロになり、空いた穴から火傷や傷跡が見える。


「……くっ」


 しかし気力で両腕を持ち上げ、風を起こして煙を吹き飛ばす。

 すると、煙の中から地面に倒れこんだ繭の姿を見つけることができた。


 ――チャンスは、今しかない


(とどめを刺せるとは限らない。結雨さんを連れて撤退を――)


 旋風を巻き起こし、飛び立とうと繭に背を向けた


 ――その瞬間

 

《ブチィッ》


 地面を蹴ろうとした自分の足に、嫌な感触が走った。


 視線を下に向けると、目に入ってきたのは繭の白い触手。

 そしてその口には、食いちぎった御依里のふくらはぎの肉が頬張られていた。


「……ぅぐぁあああっ!」

(痛っ……いや、傷はそんなに深くないっ、はずっ!)


 白い触手かあら距離を取るように地面スレスレを転がるように滑りながら離れる。しかし、ビルの内部から脱出できなかったことは痛い。

 御依里は痛みのはしる足で床を踏みながらも、床に倒れこんだままの繭を見据えて構えを取った。食いちぎられた傷から血液がトロリとあふれ出て、床に黒い染みを作る。


「おニクうんまぁあああああああああッッ!!」


 ばぐんっ、と繭の上半身がバネ仕込みの人形のように跳ね上がる。その表情は今まで現わしてきた中でも極端に歪み、口は獲物に噛みつく蛇のように大きく開き、両目の瞳孔は上を向いており、今にも白目を剥きそうだ。

 ブルブル、ガクガクと揺れながら立ち上がる繭。その左腕は、二の腕に至るまでぐしゃぐしゃに折れ曲がり、突き出した骨が数か所見られた。

 そんな重症を抱えているはずの繭だが、その歪んだ表情は、戦意があるのか、それとも真逆の感情なのか、まったく読めないほどいびつを露わにしている。


「肉、肉、肉肉肉ニクニクニクゥゥウゥゥ……」


 胸の中心に空いた穴から出てきている触手が、何度も何度も食いちぎった御依里の脚の肉を咀嚼している。繭は独り言をつぶやきながら首をブルンブルンと左右に振り、触手の先端に付いた御依里の血液を大きく開いた目でギョロリと見つめている。


「なんなの、なんなのよコイツ……ッ」


 人間らしさを失った繭の異常な様子に、御依里は思わず冷や汗を流した。


(結雨さんは、結雨さんはどうなっているの?)


 触手に刺されてビルの外へ飛ばされていった結雨が気になる。御依里は森で遭遇した危険動物から逃げるかのように、繭と正面に向き合ったまま距離を取るように後ろへとジリジリと下がっていく。


「にくぅ」

(はっ!?)


 繭が静かになった一瞬、御依里の左肩を白い触手がかすめた。

 とっさの判断で回避することができたが、肩の皮をわずかにもっていかれた。血がにじみ、ジワリとした痛みが走る。


「にく、にく、にくにく、にく……」

「速っ……痛っつぅ!」


 繭が何度も何度も同じ言葉を繰り返すたび、白い触手が高速で飛んできて御依里の体を食いちぎっていく。御依里はそれを脈術で強化した体術でさばきながら、致命傷を受けないようにしつつ距離を取っていく。

 しかしその均衡は、繭のたった一回の行動で崩れ去る。


「おにくクダサアアアアアアいぃぃ!!」


 足元を爆発させ、高速で御依里へ向かって飛び出す。

 御依里は両手にそれぞれ作り出した炎と旋風を前に突き出し、迫った来る繭を迎え撃とうとする。


「痛っっ!」


 ――ズキリ、と食いちぎられた足が痛む


「ああぁっ!」


 膝がガクリと崩れ、思わず旋風を巻き起こしてた方の手を地面に強く着いてしまった。当然、先ほどの術で痛めた腕の骨にも痛みが奔る。


「痛っ、つぁっ!」


 作り出していた旋風は、バクンッと音を立てて拡散してしまう。その瞬間にも繭は御依里へと距離を詰めていく。


(こんなっ、この程度の傷でっ……!)

「く、ぅあぁあああああああああぁ! 『操火術ソウカジュツ』」


 残された炎を、術としての体裁も無い、ただの火炎放射のように放出する。しかしその程度の術では高速でうねる繭の触手によって簡単にかき消されてしまう。

 白い触手の先端が四つに分かれ、その無数に並ぶ牙と長く青い舌がヨダレを垂らしながら御依里の眼前に迫る。


「おにく、オイシイですぅ」


 食われる――と御依里は確信した。


《――めきり》


 その瞬間、

 あと一歩と迫る繭の右わき腹に、何者かの蹴りが直撃した。


「ぎゃひぃ」

「やぁあああああああッッ!!」


 繭の背後に現れ、脇腹に蹴りを放ったのは……結雨だ。

 脈術で打撃を強化した『堅撃(ケンゲキ)』によって、繭の身体は「く」の字に折れ曲がり、ボロボロの壁を突き破って隣の部屋へと吹き飛ばされた。


「ゆ……結雨さん!」

「退くわよ、御依里!」

「……はいっ!」


 二人は互いに伸ばした手を取り合う。

 

《 ばびゅるんっ 》


 瞬間、空気の裂けるような音が聞こえた。


 二人はとっさにそちらへと視線を向ける。


 獣のように大口を開けて迫る繭の姿。


 そして炎の光を反射して輝く真っ白な軌跡。

 

 ――その直後、二人の周囲を白い触手が暴れ、破壊しつくした

 

「う、ぐ……こんな……」


 仰向けに倒れ、うめく御依里。

 うつ伏せに倒れ込み、沈黙する結雨。

 巻き上がる小さな破片と砂ホコリの中、亀裂だらけの床に倒れこんだ二人は立ち上がることもできず小さなうめき声をあげていた。

 その二人に悠々と歩いて近づいてきたのは、その様子も表情も今までとはまったく違う繭だった。


「いっけないいけない♪ つ~いつい、つ~いつい取り乱しちゃった♪」


 ニコリと微笑みを浮かべると、自分のぐにゃぐにゃに折れ曲がった左手を見つめ、小さくため息を吐いてペロリと舌を出し、ウィンクをする。


「はぁ、やっぱり舐めプで楽しむのも限度があるでワン……『赤爪アカヅメ』」


 脈術を唱えると、折れ曲がった左手がグネグネとうごめきだす。出血する血液が装甲のように左手を覆いつくし、まるで甲殻類の化け物のようなトゲだらけの腕を作り上げる。


《――パキリ》


「うん?」


 何かが割れるような音が聞こえて視線を向けると、そこには全身を震わせながら立ち上がる結雨と御依里の姿があった。

 コンクリの破片を踏みしめ、満身創痍ながらも繭をにらみつける。


 しかし、戦う力は残されていない。


 繭は二人の顔を何度も何度も見比べると、子供のように無邪気な顔でニッコリと笑い、パチパチと拍手を始めた。


「なんの、つもり……」

「いえいえ、ただなんとなぁく、頑張ってる二人を応援してあげようかなって♪」

「――その通り、よく頑張ったね」

 

 その場にいた三人の誰のものでもない、男の声が壊れたビルの内部で響き渡った。

 繭の様子が一変する。いままでのふざけた態度が消え去り、周囲を見渡しながら声の主の気配を探る。

 だがそれらの行為は、まったく無意味であったことを直後に知る。


《ぞぶっ》


「――は?」


 何かが突き刺さるような音。

 そして繭の腹部から五センチほど突き出した血まみれの金色の刃。


 謎の人物が放つ次の言葉は、繭の背後から聞こえた。


「これ以上の被害はこちらも想定できていないので、御免こうむりたい」

「う、ふ、うぶ、うああぁあああああ……!?」


 繭の額に脂汗が浮かぶ。

 痛みによっって全身がこわばり、反応を一瞬遅らせる。


「なに、なになのよぉおぁぁああああああッ!?」


 即座に背中から触手を放ち、背後にいるだろう人物に襲い掛からせる。しかしすでに誰も存在せず、無駄に触手が空を暴れ、砂ぼこりを巻き上げるだけに終わる。

 額から汗が流れ、喉が震える。

 それは刺された痛みによるものではないことを、繭は実感していた。


「そういうのはいいからさ、今は退いてくれないかな。無駄な労力は費やしたくない」


 砂煙の中から響く男の声は緊張に欠けるものの、語り掛けている繭だけに響く鋭さを秘めていた。繭も敵の姿が捕らえらえない焦りから余裕を失ったのか、無言のまま崩れゆくビルの窓のほうへと歩み寄っていく。


「次はその影を捕らえてみせるワ。大業オオワザ疾凍ハヤテ……」


 それだけ言い残すと繭は飛び立ち、夜の闇の中へと消えて行った。

 薄れていく砂煙の中、気力だけで立っていた結雨はガクリと崩れ落ち、御依里はそれを支えた。


「結雨さん……私たち、生きてます」

「ええ、そうね……」


 それだけ言い残し、結雨は意識を失ってしまった。

 ふと、御依里は結雨の衣服の破れた腹部に視線を向ける。

 ……何か見覚えのある長方形の物体が食い込み、わずかに血を流している。


「これは……」


 そっと触れる。意識を失っている結雨の反応は無い。

 そのまま腹部に手を伸ばし、やや痛々しい肉から剥がれる音を立てながら、その物体を取り上げようとする。うっかり指が滑って、軽い音と共に地面に落ちた。


 それは御依里達が使う、ICカード型の地図端末だ。


 御依里はそれを拾い上げると、大きな亀裂が走ったその画面を見て、結雨が白い触手によって外へ吹き飛ばされた時のことを思い出した。


(そっか、あのとき白い触手がお腹に刺さったのに無事だったのは、これを間に挟んでいたからなんだ)


 結雨が無事だった理由に納得すると、今度は顔を上げて周囲を見渡した。結雨を抱える方と逆の空いた手で風を起こすと、周囲のホコリや煙を飛ばした。

 しかし、声の主はすでにその場にいなかった。


「いないんですか?」


 御依里の問いに答える声は無い。


「でも、助けてくれた」


 御依里は結雨を背中に背負うと、訪れる前と比べて随分と解体が進んでしまった廃ビルを後にして、まだ夜明けには早すぎる暗い空へ溶けこんでいった。



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