会――③

 御依里みよりが基地を出る数分前、結雨ゆうは敵の捜索をしていた陸人りくひとと、ひとつの高いビルの上で合流し、情報を交換し合っていた。

 互いに手の中にICカードほどの大きさの地図端末を持ち、その地図の中に示された情報をもとに話し合っていた。


「これまでに町の結界内部への術者の出入りはない。先ほどまで潜伏しやすい場所をいくつか回ってみたが手掛かりもない。それだけだ」

「はぁ……どうしてこの道具は敵の位置まで教えてくれないのかしら。術者の実力に関わらず結界からの出入りがはっきりわかるのは便利だけど、ソレが表示されるのは一分間だけ。ま、それでも役に立たないことは無いけれど」


 結雨は不満げにぷぅっ、と口を膨らませる。


極盾きょくち術者じゅつしゃが作る特殊能力を持つ極盾道具は優秀だが万能じゃない。……なんてことは今更だが、特にこの端末のような量産を考えた極盾道具に振れる特殊能力は一段と低くなるらしい。無駄に頑丈だから、とっさの防具に使えるかもしれないかもな」

「使ったことある?」

「もちろん、冗談だ」

「言わなくてもわかります~」


 結雨は『極盾きょくち道具どうぐ』と呼ぶICカード型の地図端末を指先でクルクルと回しながら不満げに口をとがらせる。そして空中に一度放り投げると、回転しながら落下するカードを器用に人差し指と中指で挟んでキャッチし、ビルの屋上から街を見下ろした。

 彼らは田舎町とは言うが、人が密集している中心地ではいくつもの三階、四階建て程度の高さのビルが並び、コンビニは二軒、建設途中の大きなモールもあり、真夜中でも動く人の気配を感じさせる。

 もっとも、数キロ離れるだけで、広い丘に広がる森林や河川、一面の田んぼまでもが顔をのぞかせるのは間違いない。


 二人は互いに軽く手を振ったのを合図に別れ、結雨は町の中へ、陸人は町から離れた方へと飛んで行った。

 空の闇に紛れて飛んでいる最中、陸人はまるで苦しむかのように頭に手を当てながら眉をひそめ、大きく深呼吸を繰り返した。


「頭が……痛い……」


 人の気配がしない運動公園に降りると、ふらふらとした危なっかしい足取りで水飲み場に近づき、蛇口をひねった。水を飲んで何度か喉を鳴らし、ついでに頭に水をかけて冷やした。


「……はぁ、はぁ……何なんだこれは」

(頭が……行動と思考が……一致しない)


 その異変は、本人が考えるだけでも数日前から起きていた。


(この異常を結雨に伝えるつもりだったのに、少しも言葉にすることができなかった……何か特殊な能力にアテられているのだろうか)

「クソッ、頭の中がガンガンする……」


 少し考えてこの数日を注意して思い出す。自身が考えるだけで、接触した術者は先ほど殺した下位の術者の女と、取り逃がした男の術者の二名しかない。女の方は問題なく始末したはずであり、男の方と直接は接触していない。


「やはり考えるなら、あの男が何かしらの精神に干渉する遠隔操作能力を持っていたということだろうか……。つまり極盾術者。いや、そうだとしても、間近まで接近した覚えは無い。それに、ヤツを目撃する以前から感じていた違和感の説明ができない……いや、さっき始末した女が残した能力の関係性も……実力から考えて薄いはずだが、否定するには……」

(やはり、結雨か疾凍さんに連絡すべきだ)


 そう思い、ポケットからイヤホン型の通信機を取り出し、耳に掛ける。しかし、肝心の発信ボタンを押そうとしたとき、指が震えて動かなくなった。


「クッソ……わけがわからなくなってきた……ッ」


 明らかに、自分の意志とは異なる何かが思考に関与していると確信した。

 しかし、それ以上何を行動すべきか思考が定まらない上、むしろ陸人の頭の中は徐々にそのことを考えないようにする方向へと変わっていくのを自身で感じた。膝から崩れ落ち、大きく息を吐いた。


「――兄さん?」


 そのとき、背後から何者かに声をかけられた。ゆっくりと振り返る前から、その声は御依里の物であるとわかっていた。


「どうしたんですか? 顔、真っ青です」

「なんでもない。少し体調を崩しているだけだ」


 陸人は何事もなかったように立ち上がり、水で濡れている口元を腕でぬぐった。


操水術ソウスイジュツ


 術を唱え、自身の指先を頭へと向けると、髪やシャツに染みこんでいた水分が糸のように伸び、手のひらの中に収まって水の球へと変化する。その一連の行為の間、澄ました顔で苦しんでいる内心をまったく悟らせない。


(違う、違う……クソッ、御依里にも話せない)


 体は何もなかったかのように取り繕っているが、それがむしろ自我と齟齬を起こし、いっそう気分が悪くなるのを感じた。右手で物を拾おうとしているのに、左足で物を蹴とばすようなすれ違いが何度も何度も起こる。

 落ち着いた表情のまま、集めた水の球を地面に投げて捨てる。


「いいえ兄さん、やっぱり変ですよ。すぐに休んだ方がいいです」


 御依里は陸人に駆け寄り、額に手を当てる。熱は無い。陸人は額に置かれた御依里の手を軽く払い、目を合わせて微笑んだ。


「ああそうだな、早く戻って休む。それより御依里、どうしてこんな時間に?」

「あ、えっと、疾凍さんに急な連絡で呼ばれたんです。その帰りだったんですけど」

「急な連絡か、それは内容を聞いても――」


 ――その時


《ファーゥン ファーゥン……》


「兄さん、この音は!」


 急なサイレンの音は、陸人がポケットに入れていたあのICカード型の地図端末からだった。御依里のスカートのポケットからも同じサイレンが鳴っている。


「これは――」


 素早く取り出し、画面を見つめる。地図が示す町の中心から、真円を描く結界が広がっているのだが、その辺に触れる一点に赤い光が灯り、進行方向に赤く細い線を描いていた。


「侵入者は一人……速いっ! 直線方向で向かっているのは――」


 ――此処ここだ 


 直後、巻き上がる爆風。

 広がる砂ぼこり。


「チッ!」


 爆発の中心から大きく跳んで距離を取る、陸人と御依里の両名。

 ――その中心に立つのは、一人のスキンヘッドの大男。


「……フゥ」


 男は大きく息を吐くと、鋭い視線で周囲を見渡し、腕を横に大きく振って風を起こし、砂埃を一瞬で散らす。

 筋骨隆々の肉体の上下に黒いコンプレッションインナーを身に着け、下肢にはその上に銀色の短パンを履いている。大男は確認するようにボソリと何かをつぶやく。


「先の約束では、この場に一名でいた場合は交渉」


 見渡し、陸人と御依里を交互に指さす。


「二名以上いた場合は、殲滅せんめつ。……だったな」

「御依里、上位術者クラスだ! 構えろッ!」


 陸人と御依里は一瞬で気を引き締め、態勢を整えた。


「ハアァ――っ!」


 声を上げ、先に動いたのは大男の方だった。

 風を巻き上げ、地面を蹴り、高速で飛び出す。

 狙われたのは御依里。


(落ち着いて、まずは距離を、取るっ)


 御依里は冷静に判断し、風を起こして真後ろへと高速で飛び出す。そして向かってくる大男の横から陸人が高速で接近し、その両手の中に圧縮した空気と砂を混ぜ合わる。さらに、それを手の中だけでなく自分の周囲にいくつも作り上げ、大男へ向けて発射する。


土鋲ドビョウ散小鳥チリコガラス


 御依里への不意打ちに失敗したと判断したのか、大男の矛先はすでに陸人へと切り替えられていた。


波守ナミモリ


 大男が風の弾丸の向かってくる方へ手を向けると、分厚い高密度の空気の壁が発生。衝突する風と砂の砲弾はいくつかが砕け散り、残りは速度を失い男の前で止まった。

 大男は陸人との距離を詰めながら、即座に回収した砂利を元に、一瞬のうちに何十個という無数の土の矢じりを再構築。


土鋲ドビョウ花爪カソウ』 


 直後、無数の矢じりが陸人へと向けて高速で発射される。

 陸人は跳躍し、空中で体を回転させながら迫る矢じりを回避。即座に空中で空気の壁を作り出して蹴り出し、進行方向の真横へと高速で飛び出す。そして大男から離れるように退く。

 大男と距離が取れたのは十数メートル、そのうちに陸人は両手の中で先ほどよりも大容量の空気の塊を圧縮していた。

 その両腕を突き出し、超高速で回転させながら発射する。


空牙クウガ旋弓波センキュウハ


 風の弓矢――というより、もはや巨大な弩、バリスタの矢だ。

 巻き上がる落ち葉が簡単に粉砕されるほどの脈術が、大男の立つ場所へと高速で発射された。

 大男は退かない。素早く地面へと向かって前に倒れこむと、自分の足元に光り輝く球を作り出し、それを爆発させた。


散脚サンギャ


 発生した爆風が男の体を高速で押し出す。

 巨大な風の矢が大男の真横をかすめながら地面に直撃。公園地面の土砂が弾けて巻き上がり、直径2メートルほどの大きさの穴を残す。

 その間にも、陸人は高速で蛇行し、敵に的を絞らせない。大男も同様に、全身に風を巻いて不規則に移動。時折、足元に光の球を作り、爆発させ、加速して陸人との距離を詰める。

 その二人から距離を取りつつも、決して逃げ隠れてはいない御依里。常に陸人と射線が重ならない場所に位置をとり、いつでも援護射撃ができるように術の準備を行う。


「なんて対応力とスピード……兄さんと互角かもしれない」


 戦い流れはまだどちらにも転んでいない。スピード、術の数、応用力、そして戦いのセンスも含め、ほぼ互角の戦いが行われていた。

 陸人は絶えず術を放ちながら接近と離脱を繰り返すものの、相手の体格を考慮し、接近格闘での衝突だけは避けて敵の隙を伺いつつ、思考を巡らせていた。


(正直、戦いが始まったころは不安だったが……大丈夫、自分の思い通りに動けている)


 陸人が一番気に掛けていたのは、自分の考え通りに動けなくなる、あの症状のこと。


(今は寸分の狂いも無く自分のイメージ通りに動けている……もし敵の側に有利な精神支配をされていたとしたら、この戦いの瞬間こそ妨害が働くはず。理由はハッキリしないが、戦いに影響しないのは確からしい)


 十分に自分の問題を分析したうえで、陸人は御依里に仕草で合図を出す。御依里もそれに応答し、自分の周囲に無数の土の球を作りだし、大男に向かって発射した。


土鋲ドビョウ散小鳥チリコガラス


 大男はそれに反応する。陸人と距離を詰める形で前進しながら体をよじり、御依里の術を回避しつつ、陸人と正面から向かい合った。


「なら、超近距離戦ではどう動く?」


 陸人はわざと距離を詰め、格闘戦の構えを取る。


堅撃ケンゲキ


 堅撃とは脈術により攻撃速度、威力を高めた打撃技の総称。

 陸人のパンチを大男はくぐりながらよけ、返す拳でアッパーを放つ。

 陸人も回避。返しに右回し蹴り、そして左のかかと落としを返す。

 大男はそれもギリギリで回避し、右前蹴り、距離を詰めて左右の拳でワンツーと放つ。互いに攻撃を続けて大きな隙を作らない。

 この局面で陸人に大きく貢献したのは、他でもない御依里の存在だ。陸人の攻撃を回避しながら攻撃を行う大男だが、その背中や頭部を狙って土や風の矢、土の塊などが高速で襲ってくる。それをすべて回避することはできず、大男の背中や脇腹に数発が直撃し、大男は体をのけぞらせて吹き飛んだ。

 すぐに追いかける陸人。吹き飛ぶ大男は地面に左手を付けたまま地面すれすれを滑走。距離を取りながら、土に乱脈を注ぎ込む。


(攻撃術――いや、武装? どちらだ?)


 陸人は警戒し、一瞬だけ追撃の手を緩める。

 その隙を見て、大男は土の中から一本の、長さ二メートルほどある棒を作り出し、空中で縦に二回転し、着地した。


青爪アオヅメ


 青爪とは、戦場にある環境素材を利用して武装する術の総称。この棒状の武器もまた、土で形作り、超低温で凍らせた、高い殺傷能力を持つ武器である。

 さらに大男は棒の先端に水を集めて凍らせ、棒を槍へと変化させた。その槍を巧みに振り回し、接近してくる陸人を迎え撃つ準備を整える。


「武器も操れる、か」

「……行くぞ」


 背後で爆発を起こし、その力を使い一瞬で迫る大男。

 陸人は大男の槍から放たれる突き、薙ぎ払い、足払いを回避する。

 地面に着地した瞬間、懐に入るような前かがみの姿勢を見せる――が、逆に後ろへと飛んで距離を取る。同時、御依里が無数の水の弾丸を発射し、陸人も風の球を数発作り出して男へと放った。

 攻撃の半分は男の操る槍で撃ち落されたが、残された半分は大男の迎撃をかいくぐり、胴体やふとももに直撃した。大男は吹き飛んで地面を転がるも、すぐに態勢を立て直して陸人をにらみつけた。

 その鋭い視線にはまったく衰えをみせない気迫が満ちている。鼻の穴から垂れた血を、槍を持つ腕と逆の手で拭う。

 陸人はいくつもの術の直撃を受けてなお陰りを見せない大男の様子に、小さな疑念を持ち始めていた。


(まさか、あの衣服――)


 陸人は膠着状態に入った瞬間を逃さず、攻撃の手を休めて大きく深呼吸で息を整える。そして御依里に指先でいくつかの合図を送ると、今度は自分から大きく踏み込んで動いた。槍を構えて迎える大男の眼前にまで飛び込み、地面に足を大きく踏み込んだ。


天破テンハ


 瞬間、陸人の踏み込んだ足の元から、三メートル以上もの長さの巨大な土の槍が轟音を上げながら飛び出す。それを大男は真横に体重移動するだけのギリギリの動作で回避し、前に大きく踏み込む。

 しかし、土の槍の背後に陸人の姿は無い。空を見上げても、地面を見つめるも、陸人の姿はどこにもない。


「――そこかっ!」


 大男は反射的に自分の真後ろへと槍を振り回す。

 その反応は正しく、背後に迫っていた陸人を捕らえた。


「ぐ、うっ!」


 ガードのために持ち上げた左腕に直撃し、骨に響く嫌な音が聞こえた。しかし陸人はひるむことなく槍を掴み、自分に引き寄せながら右手のひらを突き出し、大男の脇腹に直接触れた。

 そして、渾身の脈術を放つ。


展衝波テンショウハ


 脈術を唱えると同時、放たれる強力な衝撃波。

 大男の体を通して真下の地面にまで亀裂が走るほどの衝撃が広がり、内臓は一つ残らず破裂してしまうほどの強烈な一撃だった。


「どうだ!?」


 ――にも関わらず、大男は顔色一つ変えない。


(やはりコイツの黒い衣服……ッ!)


 瞬時に触れていた右手を引く。


「防御能力に特化した『極盾キョクチ道具』かっ!?」


 大男は槍を手放し、引こうとする陸人の右腕を掴んだ。へし折れんばかりの握力に骨が軋み、陸人は苦悶の表情で奥歯をかみしめた。


「だが、それだけの能力なのだろう!」


 陸人は槍を手放し、左手に乱脈を集め、瞬間的に高熱と大量の空気を集中させる。 


黄晃閃キコウセン


 そして二人の間に強力な閃光を放ち、大男の視界を奪った。


「今だ、御依里ッ」

「たぁああああっ!」


 陸人が叫ぶと同時、『天破テンハ』で作り出した巨大な槍の影に隠れて接近していた御依里が飛び出し、強烈な蹴りが大男の側頭部に直撃した。

 今度は確実に通用したことを示すように大男の首は「く」の字に曲がり、眼は白目を剥き、糸が切れた人形のように崩れ落ち、掴んでいた陸人の腕から大男の手は離れた。

 閃光が収まったとき、すでに大男の意識は吹き飛んでおり、空を仰いでピクリとも動かなくなっていた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……終わったか。まさか極盾術者だったとは」


 敵の沈黙を確認して、陸人は大きく深呼吸を繰り返した。

 御依里は陸人に駆け寄り、槍の攻撃を防いで腫れあがった左腕を見て思わず口をふさいだ。


「大変です、骨が折れてるかも」

「心配するな。触れば分か……痛っっ! ……まあ、ヒビは入ったかもしれん」


 陸人は空中で指を振ると水を集め、腫れた左手の周りを氷で包んだ。御依里の視線は泡を吹いて地面に伸びている敵の術者に向けられており、その黒い衣服に触れながら驚きの声を上げた。


「……すごい、ただの化繊みたいな肌触りです。直撃した術がぜんぜん効いてないから変だとは思ったんですけど、まさか、こんなうすっぺらな布で攻撃術を防げるなんて」

「御依里は極盾術者と戦うのはこれが初めてだったな。参考にするといい。極盾術者は無尽蔵の乱脈のエネルギーを持たない代わりに、自身の脈を消費して自由に特殊な能力を持つ道具を作り出すことができる。国外では錬金術と同列視されることもある」

「盾を極める、って書くんでしたよね」

「ああ。だが別に防具だけを作れるワケでは無い。術者によって能力は様々だ。そのうえ乱術とほぼ同等の術を使うことができるのだから、非常にやっかいな相手だ」


 陸人は負傷した左腕をかばいながらも、御依里の手を借りつつ男の両手足を凍らせて拘束、膝を組んだような姿勢に整え、その頭部に手を伸ばし、小さな電流を奔らせて意識を取り戻させた。


泡鳴りアワナリ


 ――パチンッ


「……は、うぁっ!?」


 目を覚ました大男は数秒、何が起きたのか理解していない様子だったが、凍り付いた手足に走る痛みや、自分を見下ろす二人の視線を交互に見つめ、自分の置かれた状況を理解して小さくため息を吐いた。


「……まったく、約束と違う。まいったな」

「ここに来た時も約束がどうだとか言っていたな。いったい誰との約束を言っている?」


 大男は問いかける陸人に視線を向け、観念した様子で口を開いた。


「詳細は知らないな。ただ、俺はここでそいつと落ち合う約束をしていた。ここに術者が一人だった場合は仲間なので詳細な作戦の内容を話し合い、二人以上いる場合は仲間ではないから術者を殲滅しておけという約束した。前金で八百万ほど振り込まれている」

「なるほど。ずいぶんと口が軽いな」


 陸人はうなずくと、大男の頭に右手を置いた。何をするのだろうと御依里は小さく首をかしげて見ていた。

 ――その直後


 《 ボンッ 》


 爆発によって大男の頭部が砕け散り、周囲に血粉と頭骨の破片、脳片がまき散らされた。


 突然の陸人の行為に理解が及ばず、御依里は固まってしまった。陸人も陸人で、まるで自分が何をしたのか理解できていないかのように頭を吹き飛ばした右手を両目でみつめた。


「に、兄さん……どうしてですか? 相手は抵抗する様子も無くて、もっと情報を引き出すことができ――」

「御依里」


 陸人の声は鋭い。御依里は思わず言葉を飲み込み、陸人が向ける冷たい視線に息を飲んだ。


「相手は俺と拮抗するほどの実力者だった。両手足を凍らせた程度、数秒もあれば復帰して攻撃を再開することもできた。手足を切断したとしても上位以上の術者を拘束することは事実上不可能だ。そのことは何度も教えたはずだ」


 自分の右手を見ていた時とはまるで表情が違う。教育者のように厳しい視線で、御依里がどう答えようとも言い負かす思いを感じ取り、御依里は返事すらできず、うつむいた。


(――違う)


 その時、陸人の頭の中はまるで違う思いが暴れんばかりにあふれ出していた。


(違う、違うんだ御依里……これは俺の意志で動いたことじゃないっ。どうすれば、どうすれば伝えることができるんだ……っ)


 困惑する陸人の意識とは真逆に、淡々と陸人の体は動く。男の肉体を高温の炎の球体で包み、灰に変える。あたりに散った肉片なども脈術で浮遊させながら回収していく。御依里はその間もうつむき、灰色の短パンの裾を握りしめたままじっと動かなかった。

 一連の隠ぺい作業が終わると、陸人は御依里のそばに立ち寄り、肩にポンと手を乗せた。


「お前に人の命を奪わせないのは俺のワガママだが、それでお前が苦しむことも俺自身がもっと考えなければいけないのだろうな。……すまない」

「いえ、私はそのことは十分わかって――」


 陸人は御依里の言葉をすべて聞くことはなく、御依里のそばから離れた。


「疾凍さんへの報告は俺がしておく。結雨も端末のアラートで敵の侵入には気づいているだろうから、今ごろこちらに向かっているかもしれない。御依里が話しておいてくれ」


 御依里を置いて陸人は飛び立ち、十秒と経たないうちに小さくなり、町の中へと消えて行った。御依里は立ち尽くしたまま、速鳴りする鼓動を感じつつ大きく息を吐いた。


「兄さんが、私の分まで背負うことはないと、伝えたいだけなのに……」


 陸人が言うように、結雨が向かっているかもしれない御依里はポケットからイヤホン型の通信機を取り出すと、結雨に向けて発信した。


「……?」


 しかし応答がない。そのまま何度か試行してみたがつながる様子は無い。

 御依里は風を巻いて飛び立ち、結雨が向かっているだろう方角へと向かっていく。


負湖フコ


 術を唱えると、御依里の体がぐにゃりと変形し、夜空の中に溶け込んだ。空気の圧力・密度などを変化させ、姿を隠す潜入などに多く用いられる術だ。

 町を上から見下ろしていると、ビルの解体作業中の工事現場らしきところに立つ結雨の姿を偶然にも見つけることができた。


(何をしているんだろ……)


 様子が気になり、結雨がいる場所から離れた場所に降り立ち、足音を消しながら近づいて結雨の背後に回った。そして結雨の背中越しに何者かがいて、結雨はその人物と会話していることが見て取れた。


(いったい誰と?)


 その人物を見て、目を見開いた。


(……あいつ、は)


 つい数時間前に取り逃がした、金髪にアロハシャツのチンピラのような風貌をした敵の術者だった。

 御依里は思わず声を漏らしそうになる口を自分の手で塞ぎ、ドクドクと暴れ出した心臓に手を当てながら、結雨の声に耳を立てた。


「――そう、このタイミングであなたには私の指示通り動いてもらうの。それだけでいいわ」


 落ち着いている様子の結雨とは対照的に、金髪の男の様子はせわしない。積まれた土嚢に腰かけているものの、できれば今すぐ逃げ出したいとでも言いそうなほどソワソワとしており、結雨との会話に集中できていなかった。


「ほんとうにアンタが言う通りに動いたら、術界に戻れるように話を付けてくれるのかよ。信じられねえぜ、術界は面倒なことはなんでも殺して解決って感じだからな。……だから一度は逃げ出したって話だけどよ」

「まぁ、確実にってわけではないわね。わたしは一介の上位術者に過ぎないもの」

「オイ!」


 金髪の男は声を荒立てて地面を何度も強く踏む。


「けれど、考えてみなさい? あなたは今ここで私に殺されるか、逃げれたとしても私はあなたが確実に始末されるよう術界に状況を報告する。もし術界に戻れたとしたら……もちろん丸々無罪ってわけに行かないでしょうから……多少の刑罰はあると思うけれど、運があれば術界に戻り、生き延びることはできる。どちらを選んだほうが価値のある日々を過ごせると思う?」

「チッ、選ばせているようには感じねえけどよ……」


 金髪の男は立ち上がり、ツバを吐いて結雨と目を合わせた。


「……で、アンタが言う通りにその男を殺せばいいんだな?」

(その、男……?)


 金髪の男がつぶやいた言葉に意識が引きつけられた。


「あなたからの情報が正しいなら、早々に始末するべき問題は……陸人」


 結雨の放った言葉に、御依里の思考は停止した。


「前線に絶対に出てこない疾凍。彼を除けば実質のリーダは陸人。彼さえ始末さえすればこの地域の防衛は崩壊する。そのことがわかってるのね」


 淡々と冷静な声で話す結雨の声が、なぜか怖い。

 断片的にしか聞き取れていないのだが、結雨の言葉から伝わる陸人への明確な殺意が感じ取れる。


(どうして)


 ここに訪れる前、平屋地下の基地で結雨が陸人への愛情を語っていた声が、頭の中で重なって聞こえる。今目の前にいる、微動だにも動かない結雨の背中からは確固とした決意が現れており、哀愁をわずかにも感じ取ることができない。


(どうして、ですか)

「ほんとうにそれでいいってことだな? わかった」


 金髪の男はふらふらと片手を振りながら立ち上がり、結雨に背中を向けて飛び立とうと風を巻いた。

 ――その時


「待って!」


 御依里は、影から飛び出していた。


「――っ!?」


 結雨は反射的に振り返り、右手を突き出す。その手のひらの中にはすでに、土の塊が脈術で集められていた。圧縮された空気の中を超高速で回転しており、肉体に向けて発射すれば、発泡スチロールのように簡単に貫通することだろう。

 結雨は肩を震わせる御依里の顔を見て、驚きに表情を固めた。そして、右手に備えていた術を解除して地面に土の塊を捨てた。金髪の男は飛び立つのを止め、御依里を指さして額に汗を流している。


「オイ、ちょっと待て、これどうするんだよっ!? 聞かれてるじゃねえかっ!」

「あんたはちょっと黙ってて」


 結雨は脱力して立ち尽くしているものの、敵対する人物に向けるものと同じ鋭さで御依里をにらみつけている。そしてゆっくりと両手を広げ、敵対の意識がないことを示しながら口を開いた。


「どうして、なんで、本当に……陸人兄さんを――」

「御依里」


 遮るように放たれた結雨の声。御依里は言葉を続けることができず、胸に両手を当てて口を開いたまま動けなくなった。結雨はゆっくりと歩き出し、一歩二歩と近づきながら御依里にむけて無防備な両手をさらしている。


「私と、陸人を信じなさい」

「えっ……?」

(何、どういうこと?)

「だって今、兄さんを……」


 結雨の言葉の意味が理解できない。ただ慌ただしい思考のまま棒立ちし、結雨の顔を見つめているうち、結雨は御依里のすぐ目の前にまで近づいていた。

 胸に当てた御依里の両手を取り、結雨は御依里と視線を正面から合わせた。

 その交わす瞳の色が正義か、悪か、御依里にはまったく判断が出来なかった。その間にも結雨は、やさしい笑顔を浮かべ、ゆっくりと口を開いた。


「あなたに背負わせたりしない。私が、すべて終わらせてあげる……」

 

《――バチンッ》

 

 御依里の全身を強烈な電撃が走った。

 それは無防備な御依里の意識を一撃で刈り取るのに十分な威力。御依里はそのまま地面に倒れ込み、わずかに痙攣しながら目をつぶり、そのまま意識を失った。

 崩れ落ちた御依里を見つめながら、宙に空いた自分の両手を見つめて、結雨は小さくため息を吐いた。

 金髪の男は結雨の後ろに駆け寄り、地面に倒れた御依里を見て一言「エグいことすんなぁ」とだけ呟いた。結雨はキッと鋭い視線でにらみ付けることはしたものの、それで怯えた様子を見せる男にそれ以上何もしなかった。


「けどよ、このあとはどうするんだよ。このガキのことは何も考えてなかっただろ」

「計画に支障はないわ。むしろ順調になった」

「というと?」


 御依里を抱き上げ、結雨は笑う。


「この子をおとりに使う」


 金髪の男は、怯えた様子のままゴクリとツバを飲み込んだ。


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