第60話 最後の護り手

 傷んだ石畳が痛々しい城下町の路地で、私は目を見開いた。


「どうして……?」


 オルゴさんや女の子を……皆を守るため、魔物と戦っていた私の前に――あの日助けた猫が飛び出してきた。


「フシャーーー!」


 猫はひとつ威嚇をすると、再度コボルトに向かっていく。

 足元を爪で裂き、向かい来る棍棒の攻撃を跳躍して華麗に避けつつ、一体の魔物の周りをちょこまかと駆け回る。

 少しずつ爪と牙で、着実に傷を負わせていく。

 そして、石畳の道に拳を突き立てた魔物の腕を伝い、ついに首筋をがぶりと牙で捉えた。


「――ガアアアア!」


 急所を突かれて激しく痛がる魔物は、拳を振り回し、身体を捩って猫を振り落とそうとする。

 しかし、猫は魔物がどんなに暴れ、もがいても決して咥えて放さない。


「やめて……」


 痛めつけられる猫を前にして、思わず悲痛な声が溢れる。

 ついに猫は魔物の手に掴まれて、硬い地面に叩きつけられた。

 猫はその場でうずくまっている。


「グアアアアアアア――!」


 魔物――コボルトが怒りに任せて拳を振り上げ、止めを刺そうとしたとき――


「やめてぇえーーーー!」


 私は急遽編んだ風の神聖術で地面を滑り込み、コボルトの攻撃が到達する前に、猫を腕に抱き、目の前の小さな命の危機から脱出する。


「なんだ……まだ、あるじゃないですか」


 もう底尽きたと思った神聖力。

 どこから生み出されたのか分からない。ひょっとして、私の願いによって……?

 何か不思議なことが起こっている――。


「にゃあん……」

「ごめんね。……ありがとう。キミのおかげで、また立てるよ」


 か細い、今にも消え入るような声で鳴く猫の額をそっと撫でる。

 湧き出た神聖力を糧に、治癒神聖術の柔らかな光を当てて傷ついた体を癒す。

 少し当てただけで元気になった猫を地面に置くと、すぐさまこちらを向いた。

 私はそれに笑顔で答えて、振り向き、奴らと対峙する。

 芽生えた、確かな光。何故かは分からない。けど、今はそんなことはどうでもいい。


「もう一度、相手になってあげます。私の命が尽きるまで、この光が消えることは決してないと覚悟してください……っ!」


 光を宿した指先で十字を描く――四方の印を結び、高らかに宣言した。

 私の後ろにいる何人も――大切な人を傷つけさせはしない。

 あの子たちなら、きっと、そう思うはず。


(そうよね?)


 脳裏に浮かぶ二人の顔に問いかけながら、私はなお諳んじる。


「――蒼天よ! 我が主命に応えよ!」


 眩い光が明滅し、炸裂する。 

 絶対に守ってみせる――その覚悟と共に光は放たれた。

 たとえ、この身朽ち果て、四肢をもがれ、引き裂かれようとも。

 大切なものはこの手で守り抜く!



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 天を仰ぎ、僕は目を瞬かせる。


「……っ」


 ひとまず上体を起こす。

 ゴーレムの凄まじい蹴撃をもらって吹き飛ばされたはずだが……不思議なことに痛くない。


 これって一体……そう思ったとき、あのとき微かに聞こえた式句が思い当たる。


 ――颯の波、ひょうぎょく、真に敬虔なる我が心意に下りて、結合し、顕現せよ。


 まさか!


「サラ!」


 すぐさま立ち上がって、何故か胸元が光り輝いているサラを見る。

 ゴーレムの腕に掴まれたままのサラは――どうやったのか分からないが、皇女の証として授与された短い杖を僕へ向けていた。


 それに対するように、ゴーレムの太い足に蒼白く輝く大きな塊が鎮座し、昇る陽光に照らされ、揺らめくように煌めき、ヤツが動かないように固めていた。


 間違いない。アレは――氷だ。


 僕もあまり見たことはないが、食べ物を保存するのに使われる、皇都でも中々お目にかかれない高価なそれが目の前に現れた。

 状況から考えられるとすれば……神聖法理術の識別区分、七属性系統の中でも至難の業とされる水系統氷属性の氷結神聖法理術――



 ――つまり神聖術で顕現されたのだ。



 それも、難関とされるによって。


 すべては、風の神聖術で僕を遠くへと飛ばし、ゴーレムをその場に留め置くため。

 あのとき、サラがもぞもぞと身を動かしていたのはこれを……。


(でも、どうして?)


 そう思ったときだった。

 ゴーレムの手に掴まれたままの彼女。

 その可愛らしい小さな口の……今日のために紅を塗った唇。


 それだけを微かに動かして――





 ――に、げ、て……あ、り、が、と、う。





 と幸せそうに微笑みながら真空の音を刻んだ。


 その後、手にしていた杖が……その頬を細く伝う、二筋の滴線が交わった雫と共に――


 ポトリ、と落ち、微かに、跳ねた。


 カランという空虚な音が僕の鼓膜に届く。


 直後。

 すん……と俯くサラ。

 それから、微動だにしない。


 その瞬間、彼女の首元で輝いていた光が――









 忽然と、それでいて、無慈悲に――……僕の前から消滅した。









 あの輝きが具体的に何なのかは分からない。

 けど、あれが何らかの神聖術に類するものなのは明らかだ。


 ――以前、彼女は教えてくれていた。


 過多に神聖法理術を行使し、その糧となる神聖力が枯渇すれば行使した術者は意識を失い……最悪の場合、力の供給が絶たれ――と。



 嘘だ。

 こんなこと。

 絶対にありえない。



 混濁した感情が胸を、心を、魂を染めた。


(ああ、そうだよな)


 愚かな自らを哄笑するような、暗黒の笑みが浮かんだ。

 荒れ狂う胸中とは裏腹に、今更ひとつだけ確かなことに気づいた。


 僕は、何一つ自分で成し遂げたことがないんだ。


 これまで――竜に襲われたときは神聖術でサラが、剣覧会の武具を作る鍛冶では父さんが、剣覧会で敗退が決定になったときはミヤさんが、サラを守るための剣術ではベルさんが……サラ自身を守る剣はお爺ちゃんが――僕に味方をしてくれた。


 どれひとつとっても……僕がひとりで成し遂げたものではない。


 今だって――囚われたサラを気にするあまり、魔将という強敵も父さんに押し付け、道中出会った痛手を負っているおじさんも薬を塗って放置。この右手に握られた美しい剣もお爺ちゃんと父さんと三人で打ったもの。


 散々たる軌跡だ。


 それでもなお――


 サラが決死の覚悟で風の神聖術を使ってくれたから、愚かにも、僕はここに立っている。


 僕は、周りにいる大切な人たちに頼り切って、のうのうと生きてきたんだ。

 中途半端で、責任など考えない。臆病な、嫌われた鍛冶屋の子供。


 いつか、お爺ちゃんは言っていたっけ。

 穢れた血族・クロスフォード――鍛冶屋の宿命と。


 今、それが再確認できた。

 俯いた顔を上げ、視線に、氷を蹴り、片足の枷を飛散させるゴーレムと彼女が映る。


 ――にげて。


 腕を投げ出し、ぐったりとした彼女を掴んだヤツを呆然と見続けながら、その言葉の意味を遅いながらも考えた。


 結論に至り、下唇を噛む。殺していた思いが、とめどなく溢れ、頬を濡らす。


「ごめん。サラ」


 僕は、唯々諾々とキミの言うことに従い生きてきた。

 思えば色んなことをキミは教えてくれたね。


 この世界の理について。

 人として生きていくために必要なことについて。

 詳らかに、優しく、丁寧に。まるで、子を導くように。


 本来は、今亡き僕のお母さんがしてくれるはずだったことを――キミはしてくれた。


 時には振り回され、嫌なことは多々あった。


 けど――


 それに従うとキミが嬉しそうに笑うから……その笑顔が見られるだけで僕は幸せだった。


 でも……最後くらいは、キミの意に反することを許して欲しい。


 迸るそれによって、剣を握る拳に力が籠る。

 駆け巡る何かで身が焦げ、骨が軋む――比喩ではない未知の感覚が全身を走る。


 ――僕はここで逃げるなんて……できはしない。


 今、この状況は、僕の力が及ばなかったから起こったことだ。

 父さんなら、こんな敵すぐさま倒せただろう。

 そうなればサラは……こんなことにならずに……。


 そう――僕はこんな世界で、生き続けたくはない。


 ただ思うのは一つだけ。


 ――キミの隣にいたい。


 その気持ちに曇り淀む嘘偽りは一切ない。


 どんな結末になろうとも、僕は足掻いて見せる。


 僕は、剣を、構えた。


 剣先は、もちろん、ゴーレムに向けて。


 無駄かもしれない。もう遅いかもしれない。

 それでも、ここで逃げるなんてことは、僕にはできない。


 だって、僕はまだ言えていない。

 キミに何も、伝えられていない。

 それを伝えるまで、僕の剣は決して折れない。


 たとえ草生す屍となろうとも――父さんが教えてくれた近衛騎士団の追悼歌。

 その歌い出しが胸中を過ぎる。


 もう片足の枷である大きな氷塊。

 サラの命と引き換えに生み出された氷は、全て無残にも砕け散った。

 微細な欠片となった氷塊の一片が、四方八方に飛び散り、僕の体の至るところを撫でた。


 禁術と謳われると人の噂で聞く氷結神聖術も効かない。


 なんて奴なんだ。


 自由になった巨大な鎧騎士は、のそり……のそり……と僕へと歩み寄ってくる。

 威風堂々たるその動きは、生きる物すべてを気圧すような強い威圧感がある。

 その重圧を嘲笑するように、僕はただ真っすぐに剣を構える。


 僕の人生、最後の足掻き、見せてあげよう。



 ――最後ひとり護り手幼なじみが振るう蒼き白刃。折れるものなら、折ってみやがれ!


 強く足を踏み込んだ。そのとき――


「――っ!」


 光っている。微かに。

 その事実に驚き、構えた僕の剣尖は少し下がる。

 彼女の、もう潰えたはずの光が、首元で、揺らめいていた。


 蒼白く微かに輝くソレ。

 もしかしたら錯覚かもしれない。


 でも、確かに、僕は見た。

 希望と云う名の、確かな光を。


 ――僕は剣を右斜め下に剣先を向け、構えを直す。


 もう僕には、何もできないかもしれない。

 でも、もし――この願いが叶うのなら、僕の全部を捧げてもいい。


 だからせめて、これまでただひたすら逃げ続けてきた僕が、最初に向き合えたこと、心の底から思ったことを遂行させてほしい。


 ――たったひとりの幼なじみをせめ来る者から守りたい。


 出会った頃から、心の奥底。胸底の奥深い何処かに確かに存在した気持ち。


 その使命を、果たすために!


 距離を縮めたゴーレムを前に、僕は剣を構えながら駆ける。

 そして、塔の中で起こったような……流れる時間を錯覚するような感覚に襲われる――


 異様なオーラを感じ、自らの剣をチラッと見ると――僕の思いが剣に伝わって呼応したかのように、小さな、光の粒子が、剣を覆うように突如として現れた。


 それは僕が駆け、地に足を着けるごとに次第に増えていき――剣自体が輝くような光へと変容した。ついには夜空の星の如き無数の聖なる光の粒子が生まれ、聖竜の剣の剣身へと帯び纏う。


 それはまるで、剣覧会のときドワーフの剣が見せたような神秘性を有した光の輝きだった。


 これが何なのか分からない。でも、強い力を感じる。

 体も軽くなった気がして、どこか自分じゃないみたいな気がする。

 他人の体を自分が動かしているような、今まで覚えたことがない変な感覚が僕を包んだ。


 でも、これならきっと!


 確信しながら駆け――ついに僕はゴーレムを間合いに捉える。


 それを機として、強く踏み込んだ右足を軸とした剣閃をゴーレムの鎧へと見舞うべく、青白く輝く剣を振るう。


 遅く見える世界。斜めに一直線の光芒を引く彼方、僕の瞳は驚愕の光景を映した。


 己の剣閃。

 光を纏った聖竜の剣が通った痕。

 それは微かにその鎧を傷つけ、一本の薄い白線を形成していたのだ。


 おまけに光の粒子が付着し、炎の穂のように揺らめいている。


 あれだけ剣戟を浴びせても、傷ひとつ付けられなかったゴーレムの鎧に刃が通り、間違いなく斬り込んだのだ。

 その事実にただ驚くばかりの僕だったが、それよりも驚くものを僕の目が捉えた。

 彼女の――サラの首飾りの光が少し、強まっているのを。


 ――そうか!


 瞬時、僕は思い出す。ゴーレムから発せられるこの嫌な感じは……闇系統のもの。


 ――闇系統の特性は

 あらゆるものを阻み、暗闇に陥れる恐怖の属性。


 サラが最初、気絶していたのも闇系統の闇の魔法によってなのかもしれない。

 生来から持っている神聖力自体は体内にあり、血のように駆け巡っているらしい。

 たぶん、今、コイツはサラの持つ神聖力を使わせないよう阻害しているんだ。だとすれば、サラの中にはまだ、神聖力があるはず。


 なら、まだ間に合う!


 これは――いける!


 さらに左足を前に踏み込み、余勢を活かした返し手で、強烈な薙ぎを見舞う!

 受けて食らった巨躯のゴーレムは、たった二撃目で後ずさった。


 ――絶対に救ってみせる!


 もう一度剣を構えたその刹那、僕の剣の輝きはさらに強くなり、朧気で霞みそうだったサラの首飾りも確かな光となった。





 渡り橋の上で煌めく二つの光。

 二つの瞬く星が、今ここに、惹き合うように共鳴した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る